2/ライラック

 たまに、後悔する。

 僕は後悔という言葉が好きではない。まぁ好きな人を探す方が難しいが、それでも。

 後から悔やんだところで何が起こるわけでもない。時間は過去には戻らないのだから、あの時こうしていればなんて考えることに意味がない。そんなことを考える暇があるならば、夕飯の献立に頭を悩ませた方がいくらか建設的というものだろう。

 それでも、悔やまずにはいられない。

『やめないよ。私は闘うことを、やめない』

 そう力強く言い切った、彼女の瞳。

 覚悟を決めた人間の目だ。覚えている。目を閉じれば今も鮮やかに思い出せる。あの時の景色、気温、表情、声音、仕草の一つ一つですら全て覚えている。

 どうして分からなかったのか。

 彼女のような人間に、あんな言葉をかけてしまえば、決心を固めてしまうに決まっていただろう。

 あぁ、今でも絶えず悔いている。

 けれど過去には戻れない。失ったものは取り返せない。


 だから、今あるだけでも絶対に、僕は守らなければならないのだ。 


 ***


 オリエンス連邦は、二百年以上続くアジア全域に広がる軍事組織だ。

 その母体はアンブラーによって世界が崩壊した時、一早くその対策と復興に精を出した民間の自警団である。『無償の正義』を掲げた彼らは生き残った人類を纏め上げ、一番苛烈であったとされる第一次対獣戦争、通称『終わりのランド・デイ』を乗り越えるに至る。

 その後、組織の規模は拡大されていき、今やアジア大陸全土に支部拠点を配備するまでの組織となった。現在オリエンス連邦に所属していないアジア大陸の人類は皆無であり、その影響力は軍事のみならず政治や流通、運輸、生産といった生きるために必要な全ての要素に及んでいる。

 有史以降一度として成し得なかった人類の和平は、アンブラーという共通の敵の出現によって実現したというわけだ。酷い皮肉もあったものである。

 さて。

 オリエンス連邦極東第二支部『万天』は、人口三〇万を誇る巨大な有人コロニーだ。

 支部塔と呼ばれる基地建造物を中心として、それを囲むようにして円状の居住区域が蜂の巣状に張り巡らされている。最外郭には分厚い合金製の壁が一周隙なく立ち並んでおり、アンブラーの接近を拒むための重火器が壁上に配備されている。

 壁一つ隔てた先には荒れ果てた荒野が広がるばかりだが、このコロニー内部だけは別。中では人が文明的な生活をし、農場や工場、軍事から娯楽施設に至るまでが内包された完全独立型の人工要塞である。

 僕が目を覚ましたのはその中心部。

 支部塔内病棟区画二階。その病室の一つだった。

「……」

「……」

 起きた直後、視界に入ってきたのはドアップになっている女の顔。

 マキナ=レイギンスだ。僕と同部隊に所属する同僚。彼女の褪せた金髪と丸いオレンジの瞳が、僕の視界全域を占めていた。キスでもするんじゃねえかってぐらいに近くにいたマキナは、起き上がった僕を確認すると目を見開いて硬直した。僕も寝起きなもんで頭がロクに働いておらずフリーズする。

 見つめ合うこと約十秒。

 マキナは何事もなかったかのようにベッド横にある椅子へと腰を下ろし、口を開いた。

「あ、起きた」

「いやいや。お前、何してんの」

「んー……エレノアちゃんの付き添い、とか?」

「明らかにイタズラしてたろうが」

「いやー、あはは! まさかこう都合よく起きられるとは思わないじゃん?」

 僕は三つ編みにされていた自分の髪をほぐしていく。寝ている間に弄られたようだ。人の髪の毛で遊ぶのはやめていただきたいところ。

 ぼんやりとした思考。記憶が途切れた感覚。いつものことだが、寝起きというのはどうにも脳にモヤがかかっているかのようで気持ちが悪い。

 取り合えず、起き上がろう。

 そう思って腰を浮かすと、もぞりと何やら柔らかい物体が僕の腹部の上で動く。

「ん……」

 そう小さく吐息を吐いたのはエレノア=パンクリット。こちらも同部隊の同僚だ。

 マキナと違って、彼女は軍服ではなく私服だった。いつもは後頭部で結わえられている紺青の長髪が今はシーツの上で散り乱れ、あどけない顔を見せている。どうにも寝ているらしい。形の良い唇をふにゃふにゃさせながら、僕の腹を枕代わりにして睡眠中である。あらあら、よだれ垂れてますよ。

 マキナがその様子を微笑ましそうに見ながら、僕に指を突き付けてくる。

「起きたらちゃんとお礼言っときなよー? エレノアちゃん、ずっとレイジくんのこと心配してたんだから」

 見ればエレノアの目元には深いクマがあった。僕を心配して付き添ってくれたのだろう。過保護なことだ。起きてる間もその調子でいてくれれば、ちょっとは可愛げがあるというのに。

 僕はそっとエレノアを腹の上から退かして、腕に刺さってる点滴を抜き取り、ベッドを降りた。

「よし、さっさと退院しよう」

「うぇー……もうちっと休んでかない?」

「休みたいのは山々だけど、報告義務とか穴埋めとか色々ある。頭が痛いがやらなきゃ後が怖い」

「むむ、真面目さんだなぁ……いつもはサボり魔のくせにぃー」

「手を抜くのが上手と言ってくれ」

 色々と頭を整理しながら、僕は置いてあった軍服に腕を通し、病室を後にする。

 マキナに言われた通り、僕は不真面目な人間だ。戦闘以外の任務はダルいと思ってるし手を抜きまくる。しかし最低限度のやるべきことだけは、やらなければならないだろう。仕事だし。

「エレノアちゃん、どうするの?」

「寝かせとけ。どうせ有休取ってんだろ」

「扱いひどっ! 病院に担ぎ込まれたレイジくんのために、有休使ってまでずっとお見舞いに来てくれたのに!」

「だから寝かせてやるんだろうが。優しいと言え」

 「かーわいそー」と喚く邪魔者を無視して、僕は移動を再開した。

 歩きながら、体の調子を確かめる。腕も脚も特に変調はない。十全と言っていいぐらいだ。ただ、咥内の粘つきと喉の渇きに脳が不快感を訴えてくる。

「あー……マキナ、僕って何日寝てた?」

「丸二日だね。一昨日の深夜に帰ってきて、今はもうお昼。カルタ先生は過労と使い過ぎって言ってた」

「あのヤブ適当こきやがって……使ってねえよ。シリンダー全部残ってたろうが」

「だーかーらー。特殊なやつじゃなくて、素の方だよ。レイジくん、燃費悪いんだからさぁ。大変だったのは分かるけど、もうちょっと体のこと考えなよー?」

「マジで大変だったんだから勘弁してくれや」

「どーせいつもみたいに調子乗ったんでしょー」

 そう……そうだ。思い出した。

 レビアコロニーに行ったら、門が破られてて。バイク探してたら異変に気付き、指揮官級コマンダー二匹を見つけて。罰則代わりの雑用ぐらいのノリでいった任務が、思いの他大変だった記憶が思い起こされる。

 あの後、僕は当初の予定通りバイクを探したのだ。

 広い広いレビアコロニーを徘徊し、寂れたホームセンターから備品を拝借して素人工作でバイクを動かし、必死の思いでコロニーから脱出したのが夜のこと。

 そこから一晩中アンブラーの闊歩する荒地を神経をすり減らしながら走り抜け、襲ってくる敵を退けるためにドンパチやりながら支部へと帰ってきたのが朝日が昇るギリ手前。連絡のつかない僕を探すために支部から出立していた捜索隊と合流したところで、疲れて僕はバタンキューした。それから支部の病棟へと担ぎ込まれ、目を覚ましたのが今というわけだ。

 うーん参った。こりゃお叱り受けるわ。

 つまり僕の記憶が正しければ、レビアコロニーで何があったかを僕はまだ伝えられていない。レビアコロニーにアンブラーが侵入したことも、指揮官級コマンダーに率いられたカニの群れのことも、指揮官級コマンダーを圧倒した大狐のことも、最早二日前の情報になってしまっているというわけだ。

 情報は鮮度が命。腐らせた罪はそれなりに重い。なんと説明したものか。

「それで? 何があったのー? レイジくんがあそこまで疲れるほど大変な任務だったっけ?」

「それを今からマダムに報告しに行くんだよ。割とマジでやべーもん見たぜ」

「やべーもん? 指揮官級コマンダーでも見つけちゃった?」

「おう、二匹見たぞ。しかも片方は獣型だ」

「……うそー?」

「残念ながらマジだよミャオ。大部隊が編成されるかもな、出番だぜ」

「うひー。指揮官級コマンダーとか都市伝説だと思ってたよぅ……」

 まだどこか信じていないマキナを連れ、病棟を抜けて中央棟へと移る。

 人気のなかった病棟から打って変わって、中央棟では通路を人が忙しなく移動していた。中には何人か僕達に話しかけてきたが、全員日中の業務中だ。軽く礼をするだけに留めて、僕は話すべき内容を整理しつつエレベーターへと直進し、最上階へと続くボタンを押した。

 締めきったエレベーターの箱の中、僕はふと気になったことを尋ねる。

「そう言えばお前、なんでついてきてんの?」

「あたしはー……レイジくんが心配だからー、とか?」

「ダウトだ。お前サボってんだろ」

「あははー、バレた? まぁレイジくんは死んでも死ななさそうだしねー。さっきも言ったけどエレノアちゃんの付き添いと、あとサボる口実作りかな。日中業務だるくってさー」

「気持ちは分かるがせめて隠せや」

「だって疲れたんだもーん。あたしの能力、肉体労働向きじゃないしー。それにマダム相手に良い機会じゃない?」

 言って、マキナはにやりと笑った。

 僕が療養、エレノアが有休、マキナがサボりときた。部隊は半壊である。この分だと、同じ部隊のジュノーとカサンドラが割を食ってるはず。これがマダムにバレたら大目玉確定だ。

 用事のないマキナをしっしと手を振って追い払おうとするも、「連れてってー」と駄々を捏ねられる。言って聞くような奴でもないのは知っていたので結論、放置。どーとでもなれという気分でエレベーターが止まるのを待つ。

 最上階は変わり映えしない、質素な造りをしていた。

 安物だが手入れの行き届いた絨毯を真っすぐ進み、指令室の前へと辿り着く。

 軍服の襟を正し、指令室のドアをノックする。

「一八部隊所属、青桐レイジ。偵察任務の報告にあがりました」

「入りな」

 ドアを開くと、デカい机と散乱した書類の山。

 廊下と同じく質素ながらも威厳ある部屋の中、一人の偉丈夫、失礼、偉丈婦が椅子に座っていた。

 彼女こそマダム。このオリエンス連邦極東第二支部『万天』の長だ。

 白髪交じりの茶髪をオールバックで纏め上げ、鋭い瞳は強い意志をたたえている。そして何よりその巨体。支部には数々の荒くれ者が所属しているが、中でも彼女が一番怖い。軍服を内から盛り上げる筋肉は老いてなお健在で、その姿は威圧感に満ち溢れていた。

 若い頃のマダムはデコピンでアンブラーを殺していたらしいが、実話なのではないかと思っている。なんなら今でも殺せそう。

 そんなマダムは手に持っていた書類を置くと、僕の方へと目線を移す。

「ようやく起きたのかい。体調は?」

「問題ないです」

「なら良かった。で? どうだったんだいレビアコロニーは。あんたがあそこまでボロボロになるほどの灸を、据えたつもりはなかったんだけどね」

「僕もそう思ってたんですけどね」

 僕はそのまま、記憶にあった出来事を簡潔に伝える。

 ゲートの損壊、アンブラーの侵入、指揮官級コマンダーの視認。そして、あの獣型アンブラーの指揮官級コマンダー。その内容の途方もなさから、マダムも顔を上げて僕の話を聞き始める。

 一通り話し終えると、マダムは「ふん」と鼻を鳴らした。

「地下貯水槽からの侵入、ね。あそこ穴空きだったのかい。大戦初期に放棄したところだからねぇ……今までよくもったと讃えるべきか、ずっとアンブラーのねぐらにされてたのかどうか」

「南東海岸沿いはアンブラーの生息域から離れてますし、前者じゃないすかね」

「ま、それはいいさ。気になるとこはデカブツの報告だよ。目算十〇メートルのカニ型指揮官級コマンダーに、世にも珍しい獣型の指揮官級コマンダーの小競り合い。信じ難いけど、どうしたもんか」

「マジですマジマジ。僕が今まで嘘ついたことないですよね」

「嘘はつかないがルールは破るだろ、お前さん。今回は咎めないけど、コロニーへの無断侵入は刑罰もんだよ。あと整備班から報告が来ててね。弾倉四〇にブレード一本が消えたらしい。エイミリャスが管理してたらしいが、あんた知ってるね?」

「…………黙秘します」

 やべえ、なぜか知らんが罪状が積み上がっていく。しかもエイミリャスの奴チクりやがった。後でどうしてやろう。

 取り合えず伝えるべきことは伝えた。仕事は終わりだ。こっから先は自己保身。僕は考えていたありったけの言い訳を放出する。

「駆動車の紛失と武装の消費、および報告遅延は謝ります。けど、レビアコロニー行ってもらえれば分かります。どれも仕方なかったんです。不慮の事故です。そもそも駆動車壊れたのは整備班の過失ですし、むしろめちゃくちゃ頑張って生きて帰った僕を褒めてほしいぐらいです。そう思いません? 思いますよね」

「いけしゃあしゃあとよく言うねぇ……。ま、つまらん嘘をつく子じゃないのは分かってるさ。あんたのそういうとこだけは信じてるよ。それにもう、レビアコロニーには偵察を送った。そっちの報告待ちだね」

「早いですね」

「途中で連絡の途絶えたあんたの捜索隊がそのまま行ったのさ。長期任務明けで暇な部隊があったからね。あそこのコロニーを長年放置してたのは事実だし、丁度良い頃合いではあったよ」

「流石」

「コロニーは大事だからね」

 コロニーの役割は幾つかある。

 アンブラー共が巣を作りやすいため生態観察や大規模討伐の場として使ったりするし、安全の確保されたコロニーは遠征隊の簡易拠点としての用途もある。なにかと消費の激しい金属資源の回収先でもあるし、何より、次の支部としての活用法――――この支部が手狭になった時、そのまま次の人間の居住区としたいという新天地としての役割が存在する。言わば減り続ける人類にとっての希望の要地なのだ。

 故に、コロニーは大切だ。

 アレが落ちるということは、そのまま人類の未来に蓋をすることと同義なのだから。

「取り合えず、追って沙汰は下そうか」

「あれ? 無罪放免はない感じですかね。一応僕、マダムに押し付けられた雑用任務で死にかけたんですけど」

「あんたは前科が多すぎるよ。武器は持ちだす、勝手に戦いだす、倉庫破損、訓練場の夜間無断使用、立ち入り禁止区域への無断侵入、部隊間戦闘の頻発。その他軽い軍紀違反まで含めたらどれだけあると思ってるんだい? アカデミー時代からちっとも変わらないどころか増え続けてるじゃないか」

「あー……最後の一つは、僕のせいじゃないかもです」

「これ以上生意気言うようなら、討伐系の任務から一ヶ月ほど外れてもらうことになるけど」

「寛大な処置、ありがとうございます」

 僕は敬礼した。雑用任務ばかりの毎日はもう懲り懲りだった。長いものには巻かれるべきである。

「んじゃ行きな。それと、あんたは今日一日休んでいいよ。ドクターに頼んで身体検査の枠開けてあるから、後でまた病棟に戻るんだね」

「あらお優しい」

「ちゃんとあんたの有休使ってやってるから安心しな」

 クソが。マダムに仏の心を期待した僕が悪かった。罵倒を心の内になんとか押し込めて、下僕のように頭を下げる。目が眩むような白色も、マダムが黒と言うなら黒だ。この万天における絶対神の如き彼女に逆らっても良いことなんて一つもない。

 僕はそのまま回れ右をし、部屋を後にしようとする。

 そんな僕に向かって、「あぁそうだ」とまるで明日の天気を尋ねるかのようにマダムが言った。

「それとマキナ、施設内での私的な能力使用は禁止だよ。お前何回目だい」

「…………ひえ」

「だいたい一八部隊は今日、南東区の建築作業に駆り出されてたろう? 昼休憩はとうに終わってるはずだけど、なんでここにいるんだい?」

「申し訳ございませんーーーーーッ!!!」

 直後、背後の空間から姿マキナが現れ、敬礼のポーズをとる。ざまみろ。

 イタズラがバレてあたふたするマキナを余所に、マダムはしっしと手を振った。

「早く行きな。時間は有限だよ」

「ういっす」

「ひゃい……」

 敬礼し、部屋を後にする。時間は有限たしかにその通り。有休が使われている以上、僕もさっさとやるべきことを終わらせないと。そういや腹も減ったな。食堂もう閉まってんだろうなぁ。

 そんなことを考えながらドアノブに手を伸ばすと、マダムが思い出したかのように付け足した。

「レイジ。その指揮官級コマンダー達、何か変わったところはなかったかい?」

 マダムのその問いかけに、僕は記憶を辿りながら答える。

「んー…………報告以上の情報はないですよ。僕は食事してる大狐の指揮官級コマンダーを見ただけで、それ以上は何も」

 マダムは「変なこと聞いたね」と言い、そのまま仕事に戻った。


 ***


 五人の男女が、駆動車から大地へと降り立った。

 その中の一人が周囲を見回し、感嘆の声をあげる。無理もない。ここまで形の残っている都市は今や珍しい。彼らの拠点たる《万天》とも、他の無人コロニーとも気色の違う、旧時代の残滓。彼らは皆、レビアコロニーの風景を前に脳の奥底を撫でられる感覚を憶えた。あぁこれはきっと、遺伝子に刻まれた人類の記憶だ。来たこともない土地に来てどこか懐かしいだなんて。

 しかし、彼らは軍人。ここは敵地。

 少しの感傷に浸るや否や全員が素早く動き出す。事前に決めていた通り武装の荷を下ろし、駆動車の機器を操作し、残りは周囲の警戒を始める。

「半径一キロ圏内にアンブラーの反応なし。電波は変わらず通じないですが、高所なら可能性はあります。通信機、持ち運びますか?」

「置いていけ。どうせ荷物にしかならん」

 部隊の隊長を務める三十代ほどの男が、アゴ髭を撫でながらそう言った。

 旧時代では世界中で無線通信が行えたらしいが、今や電線は電柱ごとひっくり返されてしまい、再配備しようにも地形変動とアンブラーによる定期的かつ献身的な破壊活動のため不可能である。強力な電波を発信すれば遠く離れた支部との通信は可能だが、駆動車に積んであるものでもせいぜい五〇キロが限度であり、そもそもとある理由で電波障害が頻繁に起こる。レビアコロニー内部から支部と通信することなど期待できるはずもなかった。

 隊長はガリガリと頭をかきながら、ぼやいた。

「しっかしまぁ、綺麗なもんだ。昔の記録媒体に出てくる街並みまんまじゃねえか。二〇〇年以上放置されてんのになんでこんな残ってんだ?」

「錆びに強い合金と、雨風に強い素材が使われてますからね。アンブラーに荒らされなきゃこんなもんじゃないですか?」

「……金属ってのは全部錆びるんじゃねえのか?」

「隊長、物体が錆びる原因って知ってます? アノード反応による酸化ですよ? 貴金属は錆びませんし、そこまでコスト掛けなくても被膜や腐食防止剤で防げますって」

「小難しい話をすんなハゲ。俺ぁバカなんだ」

「隊長はもう少し本を読んでください。あとハゲてませんから」

 彼らはオリエンス連邦極東第二支部万天に所属する〇六部隊だ。

 総数五名の列記とした軍事のエリート。アンブラーと日夜戦う生活を送りながら十余年あまり一名も欠けることなく存続していると言えば、その戦闘能力は疑うべくもない。

 しかし、彼らも元を正せばただの人だ。

 立ち振る舞いこそ軍人然とした合理的かつ迅速なものだが、口々に交わされる日常会話はとてもありきたりで、まるで死の危険などないかのような軽い雰囲気が漂っていた。

 軍隊では、軽口を推奨される。

 緊張してもし足りないのが戦場だ。警戒と予測を続ける彼らは精神をすり減らし、自然と空気や足取り、気持ちといったものが重くなる。一秒ごとに刹那の判断が求められ、命を常に賭けなければならない戦場において、軽くなるものなど一つもない。

 故に、口だけは軽く。

 頭を空っぽにして適当に話すぐらいが、彼らにとっては丁度良いガス抜きになる。人間、笑えなくなったら終わりなのだ。

 だからと言って、罵倒の多さと言葉遣いの汚さはどうにかならないものか。

 几帳面な顔立ちをした副官は、そう心の中で思った。ハゲは酷い。結構気にしてるのに。彼はその原因が隊長の語彙の少なさにあると思い、帰ったら絶対にこの粗野な男に教え込ませようと決意した。

「しっかし、指揮官級コマンダー二匹ねぇ。本当にいんのか?」

 髭を撫でながら、隊長が訝し気な表情をする。

 それは先ほど行った、支部との最終通信で知らされた情報だった。

 〇六部隊は遠征任務の帰りがてら、連絡の取れなくなった新人隊員の捜索へと駆り出された。目当ての新人は本人がこちらに向かっていたというのもあって早々に保護することができたのだが、どうせならとコロニー探索を依頼されたのが昨日の話である。

「結局、あの坊主があんだけ疲労してたのは駆動車がイカれたせいなんだろ? 武装紛失はまた話が別だ。責任逃れのために嘘ついた可能性とかねえのか?」

「我々が保護した少年は昨年度のアカデミー主席の若手ホープですよ。素行に問題があると聞いてますが、それでも我らが万天支部の立派な一員です。すぐバレるような嘘を付くはずがない」

「いやいやレヴァリー、お前は甘いぜ。人間ってのはもっと意地汚ねえもんだ。プライドが高いとつい嘘が出ちまうもんなんだよ。俺も昔、小便漏らしたのをアンブラーの体液だって言い張ったことがあってな……」

「アカデミー主席と、アカデミーを落第ギリギリで通過した貴方を同列に語るのもどうかと思いますけどね」

「そんな俺でも今や隊長だ。嫌な世だぜ全く」

 副官の痛烈な嫌味に、隊長は自嘲するような笑みで応えた。

 その通りだ。あの頃は何百人といた同期も、今では覚えられる程度にまで減ってしまった。昨日笑いあった友が次の日には帰ってこなくなる。明日は我が身と思い必死に生き残ってきた。そして気付けばいつの間にか、こんな大層な肩書になっている。

 彼は短いヒゲを撫でた。

 こんなものを生やすほどには歳を取ったということだ。

 副官もその言葉に感じ入るところがあったが、シケた空気は縁起が悪い。真面目な顔で話を進める。

「なんにせよ、あのマダムが知らせた情報です。価値はあるでしょう」

「そりゃそうだな。せいぜい嘘であることを祈るとするか――――よし、移動を始めるぞ」

 疑念は疑念、しかし自分は兵隊だ。

 頭の悪い自分程度の脳みそで、勝手にシナリオを作るなどおこがましい。彼は意識を切り替えると、大型二種と遭遇する可能性を作戦に組み入れた。

 彼はそういう男だった。どこまでも任務に忠実。自分の知能おつむが足りないことをしっかり認め、上の指示に愚直に従うその気質は、兵士として最上とも呼べる資質だ。それがあったからこそ、ここまで生き残ってきたと言ってもいい。

 だからこそ彼の部隊員も皆、ガサツで適当なこの男を慕い、支え、今日まで生き延びてきている。


 ――――故に、慢心油断浅慮その他、あらゆる欠落は彼らに存在せず。

 ――――惜しむらくは、敵に在ったということだろう。


 ***


「むう……またバレた。何が悪いんだろ」

「強いて言うなら相手が悪い。そろそろやめといた方がいいんじゃないか?」

「やだ! いつかぎゃふんと言わせてやるもん!」

「頑張ってくれ」

 マキナと二人、本棟を抜け病棟へと戻るように移動する。

 僕もマキナも問題児を自覚しているタイプの人種だ。孤児院、アカデミー、軍部と持ち上がりで付き合っているため人となりは理解しており、ガキの頃から極東支部長を務めているマダムに対してイタズラしに行った回数は両手で収まらない。

 尤も、僕は数年前からマダム相手にイタズラするのをやめた。いつまで経っても裏をかけないし、失敗した時のデメリットが大きすぎることに気付いてしまったのである。

 そんな僕に比べ、マキナは懲りない奴だ。よくあのマダム相手に何度もめげないものである。克己心かバカなのか。多分後者だろうな。

「レイジくん、これからどうするの?」

「病棟戻って検査受けて、そっから整備班のとこに顔出しだろ。マダムの口ぶりからして謝らないとだし。僕の有休、多分だけど用事だけで消える気がする」

「ちょっとちょっと。エレノアちゃんは? 本当に放置するの?」

「あ? なんでそこでエレノアが出てくるんだ」

「……はぁ。起きてるといいけどー」

 そのまま病棟内の検査室へ行こうとしたが、軍服をまさぐると財布も端末も入ってないことに気付いた。認可証がないと色々出入りが不便なため、元いた病室へと取りに戻る。

 必然的に寝ていたエレノアの様子も伺えることだろう。そのまま寝てるか、起きて出て行ったかは五分と言ったところ。「どっちだと思う?」「寝てるか律儀に待ってるに一票ー」「んじゃ僕は逆で」。掛け金はリンゴになった。

 程なくして目的地へと辿り着き、僕はドアを横へとスライドさせる。さて、結果はいかに。

「…………」

「わー……」

「なっなっななななな……」

 中には、下着姿の少女がいた。

 エレノアだ。私服を脱ぎ、軍服に着替えるところだったのだろう。

 長い髪に覆われた白い肢体と、すらりと伸びた腕が見える。ブラは黒みがかった青のレース。前見た時は可愛らしい熊のパンツだったことを考えると、彼女も大人になったものだなぁと感慨深くなる。

 さて、どうしたものか。

「バッ……バカバカバカーッ!」

 エレノアは顔を赤面させると、可愛らしい台詞とは裏腹に手近にあった椅子を片手で持ち上げ、そのままぶん投げてきた。馬鹿力の乗った本気の投擲だ。まさか受けるわけにもいかないためドアを再度スライドさせ、僕は一歩下がって部屋の外へと退散する。

 直後、ガチャグシャッと恐ろしい音がドアの向こうで炸裂。破損始末書は間違いない。何の罪もないのに壊れた椅子のご冥福をお祈りする。

 ニヤニヤしながら、マキナが話しかけてくる。

「ラッキースケベだね」

「アンラッキースケベだろ。危うく死にかけたぞ」

「女の子の裸見といてそれはなくなーい? エレノアちゃんの体、同性のあたしから見ても綺麗だと思うけど」

「あんな貧相な体でどう喜べって言うんだ。僕は胸とタッパのデカい女が好きだ」

「マダムとか?」

「お前殺されるぞ」

「誰が貧相だバカレイジ!!!!!!」

 部屋の中から怒り狂う鬼の罵声が響いてきた。裸ぐらい散々見せ合った仲だろとも思うが、それは孤児院時代の話であるし、一般的にこういった場面は男側が悪いのは分かっている。何が悪いんだろうな、間が悪いんだろうなぁきっと。

 これ以上火に油を注ぎたくないのでお口にチャック。やがて布擦れの音が止み、「……入れ」という命令口調に粛々と従って再度ドアを開く。中では非常に目つきの悪い我らがリーダーが、仁王立ちで僕達を待っていた。

 開口一番、謝罪する。こういうのは先手が勝つ。

「悪かった、本当にすまん。以後気を付ける」

「…………見た?」

「見た」

「ッ!!!」

 僕は衝撃に身を備えた。一発殴られるのは鬼を人間に戻すための必要経費。理性のある今であれば力加減はしてくれるだろうと、エレノアの振り被るモーションに願いを託す。

 しかし、予想していた衝撃はこなかった。

 振り上げられた拳はボスっと僕の胸のあたりに振り下ろされ。そのままエレノアは顔をうつむけて止まる。そして静かに、祈るように口を開いた。

「……心配、したんだから」

「あー……先生から聞いただろ? ただの過労だよ。死ぬようなもんじゃない」

「それでもッ! ……定期連絡が途絶えて、夜になっても帰ってこなくて、また何かあったんじゃないかって」

「心配性すぎるだろ」

「やっと帰ってきたと思ったら、起きなくて。全然、起きなくって。もう駄目になっちゃったんじゃないかって、あたし」

 僕はそのまま、両手でエレノアの頭を抱き留める。

 エレノアは僕を心配してくれたのだろう。僕達が絡むとすぐ情緒が安定しなくなるのは、彼女の唯一の欠点と言ってもいい。だがここは軍部だ。彼女の要望に答えていたら、何のためにここにいるか分からなくなる。

 丸い頭を撫でながら、僕は諭す。

「そう簡単に死なないから安心してくれ」

「…………」

「だいたい情緒不安定すぎるんだよお前。怒ったり泣いたり。いそがしい奴だな」

「ッ……! 泣いてないッ!」

 ドンと胸を押すと、エレノアはそのまま走って部屋から出ていった。

 嘆息しながら軍服を直していると、はぁ、とこれ見よがしにマキナがため息をついた。

「かーわいそ。レイジくん、乙女心が分かってないよ。ぎゅっと抱きしめて謝って、キスの一つでもすればハッピーエンドだったのに」

「頭お花畑かよ」

 病室のクローゼットを開くと、僕の着替えや端末、ドックタグが納められていた。ブレードも持って帰ってきていたはずだがどこかへ行ったらしい。また怒られそう。嫌になってくる。何もかもうまくいかない。

「僕はこのまま検査行くけど、お前は?」

「エレノアちゃん追いかけるよ。うちの隊、今日はB-4地区の建設作業に駆り出されてるからそっち行ったんだと思う。レイジくんも終わったら来てね」

「終わったらな」

「うん! じゃね!」

 病室の出口でマキナと別れ、一人で病棟を移動する。

 病棟の雰囲気は、あまり好きじゃない。薬品の匂いがするし、無機質な白で統一された廊下も気に入らない。ケガをした部隊員は必ずお世話になる場所ではあるが、何度来ても慣れない不快感が漂っていると僕は思っている。

 あとアレだな。人がいない。病棟と軍事棟は繋がっているが、一歩足を踏み入れると明らかに景色が変わる。端的に言えば陰気臭い。何もしてなくても気が滅入りそうになるのが一番嫌なところな気がする。

 そんなことを考えていると、やがて検査室に到着。

 ノックをし、返事を待たずに中へと入る。

「うん? おや、新人クンじゃないか」

「どうも。適応値検査にきました」

 フラスコやらビーカーの散らかった白い部屋の中、一人の女医が来客に気付いて振り返る。

 長めの黒髪ボブカットと、明らかにファッション用と分かるデカい丸眼鏡。僕達がカルタ先生と呼んでいる、医局で一番若い医者だった。ただ若いと言っても優秀なのは間違いない。三人しかいない支部専属ドクターの内の一人であり、たまにアカデミーの講師としても外に出てきていたあたり人柄的にも信用している。

 僕はそのまま置いてあった椅子に座り、腕をまくる。

「今日はカルタ先生が担当なんですね」

「なんだ、不満か? 医者の中で一番若くてピチピチなのは私だぞ?」

「他二人が中年のおっさんなのに何言ってんですか。あと、ピチピチって言うなら少しは寝た方が良いですよ。肌ガサガサです」

「二日前の夜間急患の対応のせいで私のシフトが狂ったんだがなぁ!? 担ぎ込まれた君の容体を診てやったのは私だぞ!」

「お仕事ご苦労様です」

 プンスカ怒りながらも、先生は献血用の注射器を取り出し、僕の腕へと手際よく突き刺した。チューっと赤い液体が半透明な容器を満たしていく。

 注射器いっぱいに血を抜き取られ、処置が終わる。あとは検査機器に通して、数値が出るのを待つだけだ。

「いつも通り十分ぐらいで終わるよ。何か飲むかい?」

「お茶が欲しいです」

「コーヒーか。キミも良い趣味してるね」

「難聴ですか? 勝手に人の趣味を変えないでください」

 先生は漏斗の垂れ下がった得体の知れない機器からビーカーを取り外し、そのまま僕へと手渡してきた。怖すぎる。

 ビーカーの中には黒い液体。ほんのりとコーヒーの香りがする。出所には不安があったが、まさか害はないだろうと僕はそのまま飲む。安い泥みたいな味がした。もうちょっとマシな設備でコーヒー淹れれば良いのに。金貰ってるんだろうし。

 僕が飲み干すと、ふふんと笑いながら先生は講釈を垂れ始める。

「コーヒーは良い。我々学者にとって欠かせない最高の知的飲料だ。集中力を高め、眠気を取り払い、実りある稼働時間を生み出してくれる……。君も早く大人になりたまえ。この苦さを楽しめてこそ人類だ」

「んなこと言ってるから肌ガサガサなんですよ」

「一々うるさいなぁお前は! 女に肌の話題を振るなバカ! 気にしてるんだぞ!」

「すみません」

 反応の面白い人である。

 先生が着任したのは今から三年前。僕達がアカデミーの頃に、当時の担当医と入れ替わりでこの支部へと転属してきた。以来ずっと僕達一八部隊の担当のため長い仲ではあるし、ドクターの中ではダントツに話しやすい人だろう。

 最近は婚期を逃し続けて結構焦り始めているらしい。からかい甲斐がある人だ。僕はこういう叩けば音が鳴るタイプの玩具が大好きなのだ。

 カルタ先生は嘆息しながら、足を組んで口を尖らせる。

「お前ね、その人を喰ったような態度はやめたほうがいいぞ。私じゃなきゃ怒られても文句言えないからな」

「カルタ先生だからですよ。僕、先生のこと結構気に入ってるので」

「そういうところを言ってるんだ……まったく、軍に入って少しは大人しくなるかと思えば、ちっとも変わらん。少しは落ち着きを見せたらどうだ? そろそろ後輩も出来る頃合いだろう?」

「それ、マダムにも同じこと言われましたよ」

「誰がババくさいって!?」

「何も言ってないじゃないですか……」

「くそう……お前の相手は疲れる」

「歳のせいじゃないですか?」

「私はまだ三十手前だ小僧。はぁ……検査が終わったらさっさと帰ってくれ」

「悲しいこと言わないでくださいよ」

 化粧で隠れているが、カルタ先生の目にはクマがあった。ここはどうにもブラック職場らしい。というかこの人、いつもクマあるんだよな。深く詮索すると僕も巻き込まれそうなので絶対にれないけど。

 やがてジジジと音がして、部屋の奥にある機械が紙を吐き出し始める。

 検査結果が出たのだろう。先生はそれを取り、一目見てから「ん」と手渡してきた。

 僕もチラリとみて、苦笑。握りつぶし、足元にあったゴミ箱へと投げ捨てる。

「さ、何もないなら帰りな。子供と違って大人は忙しいんだ」

「コーヒーありがとうございました」

 僕は礼を言って席を立つ。せっかくなので先生と歓談としゃれ込みたいところだが、向こうも仕事中だろうし僕にも予定がある。サクサクいこう。

 そのまま立ち去ろうとすると、先生が後ろから、書を諳んじるかのように告げる。

「……ブラーウイルスは、動植物の細胞に根付く」

「……」

「ウイルスは宿主の体内器官に巣食い、壊し、新しい器官となって宿主の体に定着する。一般的な効果としては細胞密度の上昇、神経系の強化。そこからくる体機能の向上に加え、特化機構と呼ばれる全く未知数の能力を付与することまである。故に進化因子。生物の性能を根本から覆すほどの変容を引き起こすのがブラーウイルスの特徴だ」

 また、柄にもないことをするものだと。

 僕はそのまま黙って、先生の講釈を聞く。

「人類は、アンブラーがこの因子によって攻撃性を獲得したことを知ってすぐ、人体にこれを移植できないかと軍事転用を図った。結果として『継承者インヘリター』と呼ばれる『人の体にブラーウイルスを移植した戦闘特化型人類』を生み出すことに成功した。それから因子の研究は進み、継承者インヘリターになれるかどうかの適性の有無や、アンブラーウイルスとの親和性の高さを示す適応値といったものまで定められるほどに科学技術は進歩した」

 けれど、と。

 先生はしっかりと、そこで区切った。

「けれど、進んだ科学技術はアンブラーウイルスの欠点を見つけた。大きな力には大きな副作用があった。アンブラーウイルスはエネルギー消費量があまりに大きく、栄養だけでなく細胞すら取り込む。またエネルギーを消費することで分裂・増殖を繰り返す性質を持っている。まるでガン細胞のようにな。つまり活性化を繰り返すと人の体細胞はアンブラーウイルスに置き換わっていき、浸食値が七〇パーセントに到達、または脳細胞の一部がアンブラーウイルスに犯され続けると、人は人でなくなる。すなわち、アンブラーと同じ見境なく血肉と闘争を求める獣となるわけだ」

 そう、それは事実だ。

 時に新人類とも揶揄される継承者インヘリターは、個人で重火器以上の性能を発揮する。

 これは人類にとって、画期的な発見だった。

 銃弾はタダではないのだ。資源は有限で、敵対してくるアンブラーは無尽蔵に湧いてくる。人類は銃器や兵器ではない、新たな軍事力を求めていた。

 故に、進化因子の軍事転用に成功したと分かってから、すぐに継承者インヘリター中心の軍事体制が取られた。あらゆるものが継承者インヘリターへと投資され、法整備や軍の仕組みが整えられ、継承者インヘリターは人類の中核を担うまでになった。

 その副作用が発見されたのは、体制が完全に切り替わった三年後。

 それも軍事従事者のアンブラー化――――《獣化現象》による人死にという、最悪の形を以って。

「進化因子に頼りすぎた継承者は暴走し、アンブラーに似たナニカへと変異する。この《獣化現象》が確認された時から今日に至るまで、あらゆる薬物やアプローチが試された。獣化を止めたり、ウイルスの進行を遅らせるためのものがな。しかしどれも根本的解決には至っていない。それでも人類には継承者インヘリターが必要だった。日夜襲い来るアンブラーの対処には、継承者インヘリターはもはや欠かせないものになっていたからだ。そうやって人の命を賭け金とし続ける軍事体制が、今も続けられている」

「教科訓練で学んだ内容ですね。それで先生、何が言いたいんです?」

「別に私は博愛主義者じゃない。人の命が安いというのは倫理観を無視すれば事実ではあるし、継承者インヘリター無しで人類が今以上の成果を上げることも出来ないだろうしな。現体制は妥当だと思うよ。けど――――死にゆく患者の病状くらいは知らせてやらないと、医者ドクターを名乗ってられないのでね」

「ご親切にどうも」

 ドアを閉める途中、先生は最後の一言を口にした。

「いいか、七十パーセントだ。そこを超えればまず間違いなく人ではなくなる。君は他の継承者インヘリターよりも圧倒的に浸度が早いんだ。ゆめ、忘れるなよ」


 ***


「――――止まれ」

 それは、彼らが移動を始めてから小一時間ほど経った頃だった。

 〇六部隊は報告にあった通り、ビル街から商店街、工場地帯へと進路を取った。青桐レイジという、先にレビアコロニー内部で戦闘を行った隊員と同じ経路だ。彼らは目的の都合上、既に分かっている情報を元に経路を組むことに決めた。

 目的は幾つかある。まずレビアコロニーの現状調査、そしてアンブラーの確認及び出来る範囲での掃討に加え、指揮官級コマンダーの確認及びその討伐だ。

 個にして覇である指揮官級コマンダーは、複数部隊での討伐が推奨されている。

 だが、〇六部隊は単独で指揮官級コマンダーを倒し得る戦闘力を有していた。これは特別中の特別だ。状況がある程度限られはするものの、しかし無理だと悟れば撤退すればいい。〇六部隊はそういった判断を自前で下すことを許された歴戦の猛者であった。

 彼らは迅速にコロニーを進む。

 たしかに戦闘の痕跡は残っており、弾丸痕や棄てられた弾倉、そしてカニ型アンブラーの死体も確認した。その凄まじい戦闘の様子を見て、先にここで戦闘をした隊員は中々骨のある奴であると隊長は見抜く。

 つまり、情報の信憑性も上がる。頭の奥にある細い糸が、張り詰める。

 その警戒の糸に異物がひっかかったのは、『圏外外郭放水施設』という建物に入った瞬間だった。

 その異質な空気に、隊長――――バーダックの脳が警鐘を鳴らした。

「レイバス、今すぐ戻れ。支部に連絡しろ」

「……了解」

 一番足の速い隊員を、戻らせた。レイバスと呼ばれた隊員はやや不服そうな顔をしたが、しかし命令を遂行する。地面に手を付き、四足歩行の態勢を取ってすぐさま跳躍。一瞬にしてその姿は駆動車のある方向へと消えていく。

「俺が先頭、コウタとレヴァリーはヨジンを守れ。以降は手信号のみを許可。訓練通りに」

 隊長の言葉に、全員が首肯する。先ほどまで交わしていた会話は消え失せた。迅速に正確に。統一された一個の部隊が建物を縦断する。カニによって汚された廊下をクリアリングしながら走り抜け、やがて彼らは大きな広場に――――地底へと続く巨大な穴を目にする。

 そして、その異様な生物と邂逅する。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ…………」

 一人の男が、啼いていた。

 うずたかく積み上げられたカニ型アンブラーの死骸の山。その足元で、男がうずくまっている。見慣れない恰好をしていた。ボロ衣のような形状で、奇妙な光沢を持つ緑色の衣服を身に纏っている。顔はこちらからは見えないが髪が地べたに広がるほどに長い。奇怪な衣装に身をまとった浮浪者。そんな印象が脳裏を過ぎる。

「あぁぁあああああぁぁぁぁぁ…………………」

 何をしているのだろうか。

 一人の隊員がその人影に声をかけようとし――――隊長がそれを右手で制した。長い経験から反射で彼は動きを止めるが、同時に溢れ出る疑問。アレは人だろう。なら、声をかけるべきなのでは? 浮浪者を観察しながら、しかし彼は自身の思い違いにすぐ気付くことになる。

 食べている。

 よく見ると、浮浪者の腕がアンブラーの死体の山へと伸び、口元へと運ばれている。何度も何度も何度も。嗚咽にまぎれて、ぐちょり、ぐちょりと腐肉を千切る音。そしてくちゃりと唾液交じりに、音を、たてて、いる。

 カニ型アンブラーの腐肉を喰らう生物。

 そんなものが、人間であるわけがなかった。

「ああ…………ごめんなさい…………ごめんなさい…………」

 悔恨の声。青年の声音。

 だが言葉と行動が裏腹だ。謝罪を口にする声は粛々と、しかし腕と口は食事に勤しんでいる。ただの食事だ。しかしその姿はどうしてか、悍ましいの一言に尽きた。生理的嫌悪が腹からこみあげてくる。空気が淀む。濁った気配が忍び寄ってくる。そこで彼は初めて、自分の体が震えていることに気付いた。

 これは……コイツはヤバい。

「おい、お前」

 肩に下げていたアサルトライフルを構えながら、バーダックが呼びかける。

 反応。浮浪者もどきはピタリと動きを止め、沈黙する。

「ここで何をしている」

「……ん? 会話? あぁ、人間ですか」

 浮浪者がゆらりと立ち上がり、こちらへと顔を向けた。

 人だ。ひょろりと枯れ木のような高い背と細身に、腰より低い位置まで伸びた髪。顔は隠れていて確認し辛いが、鼻も目も口もある。頬に皴がないから若者か。目から滂沱の涙を流すその様は、哀しみに明け暮れているように見える。

 だが違う。こんな生き物が人間なわけがないだろう。生きているだけで、喋るだけで、動くだけで、こんなにも怖い生物が、自分たちと同じ人類のはずがない――――。

 そんな思考を叩き壊すように、銃声が鳴った。

 隊長だ。構えたアサルトライフルが問答無用で火を噴いた。

 ワンマガジン一〇〇発。対大群アンブラー殲滅用の大容量ドラムマガジン一つを、彼は丸々使い切ることに決めた。瞬時に決めた。

 民間人を相手にした暴行及び殺害の意図を持つ攻撃行動は、軍規によって禁じられている。

 だが隊長は決断した。相手が人間だったとしても構わない。彼の脳に過ぎった最悪の事態。それが避けられるならば、軍規違反で除隊され消えない罪を被り一生を償いに捧げることになろうと構わない。絞首台にでものぼってやる。そう、しなければならなかった。戦士としての本能から来る脅迫染みた衝動が引き金を強く、強く引ききった。

 全弾打ち尽くすまでおよそ三〇秒。

 長い、長い掃射の音が広い空間に反響した。

 したのに。

「一つ、尋ねたいことがありまして、ですね?」

「ッ――――!!!!!!」

 銃弾の雨に晒されたはずの生物は、ゆらりと左右に揺れ、何事もなかったかのようにそこにいた。

 彼は慇懃な態度で、丁寧な口調で、どこか芝居がかった台詞を平然と繰り出す。

「ワタクシ、探し物をしていまして。遠い遠い未来の獣、我らが大望を叶えてくれる始祖様をお迎えに上がったのですが、どうやらもぬけの殻。アナタ、何かお知りでございませんか?」

 そのあまりの結果に驚きながら、しかし舌打ちだけしてすぐに思考を回す。

 銃弾が効いてない。百発百中とは言わずとも、八割以上は命中しているはずだが。厚さ五〇センチのチタン合金すら貫ぬく貫通力でこの手ごたえのなさ。蜂の巣になっていてもおかしくないのにまるで効果が見られない。

 つまり、物理現象を凌駕するだけのタネがある。

 そしてあと一つ。追加された警戒事項。

 バケモノの眼が、碧玉の色に輝いていた。暗めの緑を煌々と湛えるその瞳は進化因子の活性化を示すサインに他ならない。

 彼は確信する。もう間違いない。コイツはアンブラーだ。

 なぜここにいるのか。なぜ話すのか。なぜ人の形をしているのか。

 理由、原因、事情、疑問。脳裏に次から次へと湧く不測の思考の、全てが瞬時に捨て去られる。ただ俺の持つ全てを賭けて、ここでトドメを刺さなければならない。冷たい脳が判断を下し、胸ポケットへと腕を伸ばす。

 初撃失敗と、バケモノの発言。

 それを確認した彼ら隊員全員の手には、既に一本の赤いアンプルが備えられ、首筋へとあてがわれていた。

「……おや、それが例の」

 バケモノはそのアンプルを見て、眼を細めた。

 直後、全員が一斉に首筋へとアンプルを突き立てる。鋭い針が肉を割き、赤い液体が流し込まれる。動脈に沿って廻り、喰らい、浸透する。これこそ継承者インヘリターの神髄。人の身でありながら人の身を超えた力を行使するために、彼らは覚悟と共に前を向く。

 ――――あぁ、彼らは優秀だ。

 全ての行動が先の先。常に全員が思考を回し、最善手を取り続けたと言っていい。この先もきっとそうだろう。得体の知れぬ敵との邂逅に、歴戦の猛者達は最善手を以って立ち向かう。


 故に、惜しむらくは敵なのだ。


「《過剰摂取オーバードーズ》!!!!」

「はい、よろしくお願いします」


 かくて火蓋は落とされる。


 ***


「よう、レイジ」

 軽い調子で声を掛けられ、僕は足を止めた。

 本日最後の目的地へと移動中、同部隊の仲間と出くわした。

 ジュノー=ジャルディーノだ。高い身長と細身ながらに筋肉質な体を持つ少年。軍服の胸元を開け、首から女物のネックレスをぶらさげたラフな格好をしている。短く切り揃えられた栗色の短髪が柔らかく揺れ、壁についていた背が離れる。どうやら僕を待っていたらしい。

 ゴリゴリと口の中にあった飴を噛み砕きながら、隣に並ぶ。

「検査終わったか?」

「ん……終わったよ。ジュノーは? 建築作業だったんだろ?」

「俺だけ切り上げだ。ちっと作業中に腕のプロテクターが壊れたから、整備班にみてもらいにいきたくてな。道順、一緒だろ?」

「なるほどね」

 結構大変な状態であった。それなら休憩も仕方ない。エレノア達と丁度入れ違いになったのだろう。

 二人並んで、本棟の廊下を歩いていく。

「レイジ、体調どうだ? 結構カツカツだったって聞いたけど」

「問題ないよ。寝すぎて頭痛いぐらいだ。明日から普通に復帰する」

「なら良かった。あ、俺も見舞いに何度か行ってやったんだからな。タオル替えたりもしたんだぜ」

「恩着せがましく押し売らないでくれ。そういうのは黙っとくのが美徳だ」

「こういうこと言うと結構気にしてくれるからさ。売店のチョコあたり期待してるぜ」

「全部自分で言うじゃねえか。色々終わってるよお前」

 僕とジュノーは仲が良い。

 同部隊の奴らは全員孤児院からの持ちあがりのためそもそも仲は良いのだが、ジュノーは特に付き合いが長い。同部隊で同性かつ、戦闘においても似た役割を課せられることが多いからだ。あとマキナと三人で一緒に悪さする仲でもある。

 が、ルール違反の多い僕とマキナに比べ、コイツはなんというか異性関連の問題が多い。ジュノーが女好きであるというのはもう軍部どころかコロニー全体でも広まりつつある事実だった。

 つまらなそうに口を尖らせて、ジュノーがぼやく。

「カサンドラが邪魔したせいで今日は女の子と喋れなかった。最悪だ。栄養不足だ」

「カサンドラと喋れてるじゃないか。エレノアやマキナとも話したんだろ?」

「あいつらを女にカウントすんな。お前、ママに貰ったバレンタインチョコも数えるタイプか?」

「僕たち両方とも親いないんだが。ブラックジョークか?」

「例えだよ例え。俺たちはなんつーか……家族みたいなもんだろ? 恋愛感情を持つ方が難しい」

 一八部隊の五人組は全員が幼馴染だ。

 十歳になるまで孤児院で共に生活をし、互いの強みや弱みまでほぼほぼ網羅した仲である。世間一般で家族にあたるような繋がりを持っていると言っていい。

 そんな関係だからこそ、ジュノーはエレノア達を女性としては見れないのだろう。

「他支部からの異動がある今がチャンスなんだけどなぁ。同世代の女の子とは大体話したし」

「相手は選んでくれよ。前に十歳年上の女と付き合って刺されそうになっただろ」

「あの時はお前にも世話になったなぁ……ま、俺の甲斐性がなかったのが悪いさ」

「十下の男を刺しに来る時点でババ引いてるよ。甲斐性とかいう問題じゃない」

「レイジは女に冷たいよなぁ」

「お前がホットなだけだ。それと僕は男女平等主義者だ。男も女も構わず顔面パンチするぞ」

「それは平等じゃなくて不平等って言うんだぜ」

 そういやさ、とジュノーが話題を変えてくる。

「来期の配属、知ってるか?」

「いんや? なんかあったっけ?」

 ジュノーの言葉に首を傾げる。

 僕達の所属する一八部隊は新米である。今年でようやく一年目のひよっこ部隊だ。つまり配属だの転属だのというイベントとは無縁である。欠員も怪我人も出ていなければ、新人や他支部からの来客も僕達の部隊ではなく上の部隊に回されるため、二ヶ月に一度ぐらい端末に送り込まれてくる配属連絡など目を通すだけ無駄なのだった。

 しかしジュノーは「チッチッ」とキザったらしく舌を鳴らしながら、嬉しそうに言う。

「来月からうちの隊に一人、入ってくるんだぜ。しかも女の子」

「マジかよ。なんでまた急に」

「他の二桁部隊にも一人ずつ配属されるらしいぞ。今年から上の方針が変わったんだとよ。つーか、一桁部隊が最近めちゃくちゃ忙しそうにしてるからそれ関係じゃね?」

「あー……なるほどね」

 ジュノーの言葉に僕は理解を示す。

 軍の新人というのはつまり、アカデミーを卒業したての人間である。

 軍直属のアカデミーを出た彼らは確かに優秀だ。アカデミーは結構なスパルタなため、卒業出来ている時点で既にそこそこ使える人間ではある。が、それは支部内の話。いくら勉強し体を鍛えたところで、支部の外に出たことがほとんどない彼らは早い話がお荷物なのだ。僕達一八部隊も一年前はそれはもう酷い状態になっていたし。

 つまり、遠征任務や大規模任務で忙しい上の部隊に子守りまで課すのは理にかなっていないという判断なのだろう。

 そう考えると、下の部隊が後輩育成に駆り出されるのは筋が通っていた。

 僕はげんなりする。

「だりー……」

「おいおい喜べよ。女の子だぜ? しかもめちゃくちゃ可愛いって噂。聞いた話じゃお前と一緒、今年のアカデミーの首席だってよ」

「相変わらずお前はゴシップに強いな」

 ジュノーは女性と仲が良いため、耳が早い。

 が、そういったネタは致命的に僕との相性が悪かった。端的に言えば全く興味が無いのだ。入ってくるのが男だろうと女だろうと心底どーでもいい。

「後輩育成とかやってらんねえよ。まーた雑用任務増えるじゃねえか。僕はもっとデカくて危ない任務がやりたい……女の子より銃弾の使用許可が欲しい……」

「ジャンキーだねえ。そりゃ俺も解体工事の道具役に駆り出されんのはちょっと嫌だけどよ」

 その後も適当な会話を続けながら、僕たちは支部の整備棟へと歩いていく。

 整備棟には兵站科と呼ばれる兵科の人達が常駐しており、彼らはこの支部におけるあらゆる物資の管理を担当している。

 軍に所属するにあたり不足したものがあれば大体ここで揃うし、武器や機械系のものは兵站科に点検、修理、改造、新調全てを任せている関係上、それらの持ち出し許可もこっちに取る場合が多い。早い話がなんでも屋だ。当然、僕たち実働部隊とはかなり顔を合わせる機会が多い。

 僕も彼らには世話になっているし、技術職の人達と話すのも好きなのだが、しかし今回は事情が違う。怒られるのは嫌いだった。

 整備棟へと続く扉に認可証をかざし、内部へと入る。係の人に会釈をしつつ、さて、どこへ行くべきか。この時間は大体、地下三階の開発棟あたりにいるんじゃないかとあたりをつける。

「そういやお前、プロテクター壊したのか?」

「おう、久しぶりにぶっ壊れた。まぁ俺の能力上、仕方ないさ」

「今どうしてんだ? 剥き出し?」

「まさか。ちゃんと一枚嚙ましてあるよ。つっても、気休めに過ぎないけどな」

 羽織っていた軍服をひらりと捲ると、ジュノーの右腕は物々しい重装備状態だった。薄い鋼板を何重にもぐるぐる巻きにし、上から釘で打ち付けて強引に固定してある。

 ギプスを巻くのが下手だとこんな風に膨れ上がることもあるのだが、ジュノーの場合はこれが正しい。コイツの右腕はあまりにも危険すぎるため、能力の暴発を防ぐためにこのような厳重かつやり過ぎなほどの枷が必要なのだ。

「動かせないだろ、それ」

「今回はありあわせの鋼材で巻いただけだしな。少しの辛抱は仕方ないさ。女の子の手を握ってやれないのと、トイレに不便ってことぐらいか?」

「飯は?」

「女の子に食べさせてもらう」

「さいで」

 そんなことを話しながら階段を降り、地下三階へと到達する。

 三階は全体的に工房として扱われている。武器や小道具の開発・修繕を行う場所であり、それを行うための大きめの機械が各部屋に配備されていた。通路を歩きながら目的の部屋へと向かっていく。

 扉の前に立つと、何やら話し声がする。先客がいるらしい。

 取り合えずドアをこっそり開けることにする。地下のドアは認証式の自動ドアではなく取っ手の付いたものが多いのは僕にとって都合が良い。こんな風に遊ぶことが出来るから。

 中では、二人の男女が向き合って話をしていた。

「それで? 私は今結構忙しいのですけど、なんで担当してない部隊の陳情まで聞かないといけないのです? 貴方の担当メカニックであるクガに頼めばいいじゃないですか」

「そこを何とか頼むよ嬢ちゃん! クガは解体作業があるから手一杯なんだって! 明日の昼までに武器のメンテが出来るのはあんたしかいないんだ」

「ン……いや、ダメですダメ! お仕事いっぱいなんです、それだと眠れないのです!」

「無理は承知なんだ! でも俺達には嬢ちゃんしか……最年少ながらにして次の支部技官長との呼び声高いロロ=エイミリャスにしか無理なんだよ!」

「ンン……!」

 一人のメカニックが身を捩りながら、純度の低い賞賛の声に折れかけているところだった。

 うーん、面白い現場に出くわしたみたいだ。僕とジュノーは気配を殺しながら、二人の元へと近付いていく。メカニックの後ろ側に回ったため、もう一人には気付かれたが、その人は僕たちを見てニヤリと笑った。イタズラに協力してくれるらしい。

 彼はメカニックをおだて続けた。

「なぁお願いだ。どうか哀れな俺たちを救ってくれ兵站科の女神!」

「う……ん……女神……」

「あぁ! 明晰な頭脳! 比類なき技能! そして愚者に手を伸ばす優しさを持った君を、女神と言わずしてなんと言う!」

「……………………そこまで言われたら仕方ないですね! えへへ」

 さっきまでの拒絶はどこへやら。でろーっと蕩けた声でメカニックが安請け合いしていた。チョロすぎる。他人の未来なんてどうでもいい僕ですら将来が不安になるほどのチョロさだ。

 まぁそのチョロいところを気に入っているのだが。

 ともあれ僕もジュノーの配置についた。ふにゃふにゃと気の抜けているメカニックの後ろへと回り込み、視線を合わせて一気に立ち上がり、胸を張る。せーのっ、

「「わっ!!!」」

「ひゃいっ!?!?!?!?!!?!?!?!?」

 直立していたメカニックは背後からの声に驚き、綺麗に尻もちをついた。イタズラ成功。ビクッと硬直した肩の動きと、わなわなと震えるも声を出せない開きっぱなしの口。あ、ちょっと泣きそう。嗜虐心がまたくすぐられる。僕はジュノーと拳を合わせつつ、へたりこむ小動物を見下ろした。

「お前らなぁ……あんまエイミリャスを虐めてやんなよ」

「先に遊んでたのは師匠ですよね?」

「そっすよ。協力してくれたってことは師匠も共犯じゃないすか」

「あの流れで乗らねえわけねえだろうが。ったく、しょうもねえイタズラしやがって」

 などと言いつつも、師匠は笑っていた。

 エイミリャスと会話していた彼は、第〇七部隊長アイザック=カズイクール。僕たちの五つほど上の世代が集まった部隊の、リーダーを務める男だ。アカデミーの頃から何かと世話になっており、部隊や年齢は離れているが気の知れた先輩である。

 アカデミーで僕たちの代の問題児が僕、ジュノー、マキナだとするならば、少し上の代の問題児はアイザックであった。ちなみに師匠と呼ばされている。

 男にしては長く、ややもっさりとした紺色の髪。軍服に着込んだ長身は余すところなく鍛え上げられており、腕や胸板には厚い筋肉が見てとれる。

 そんな師匠は苦笑いしながらも、しかし確かにエイミリャスが驚いた時には爆笑していた。何だかんだで僕たちは人をからかうのが好きなのだ。何歳になっても。

 はははと笑いながら挨拶をしていると、話の中心人物が顔を真っ赤にして起き上がった。

「お、お、おおお、おお」

「お?」

「お前たちッ! 一体なんで私をいつもいつもイジメるのですか! 今の行為に一体どのような理由があるのです!?」

 声を張り上げて怒りだすエイミリャスだが、残念なことに一ミリたりとも怖くない。

 彼女は僕たちと同期のはずなのに身長が非常に低く、顔立ちも数年前から一切成長していなかった。率直に言えばその様は愛らしい幼子でしかない。頬を膨らませ柔らかい手を何度僕の胸板に叩き付けようと、痛くも痒くもないのである。人の三分の二ほどの背丈のくせに、人の五倍の自己主張力を持つ彼女をイジらないのは色々と無理というものだった。

 僕はその様子を微笑ましく眺めながら、今日はどうイタズラしようかと考える。

「一種の愛情表現だよ。僕達は皆、君が好きなんだ」

「適当なことを言うなです。愛を示すならもう少しまともな態度で良いでしょう? どうせなら甘いものを持ってくるとか、珍しい素材を狩ってくるかしてください。私への敬意が足りてないです」

「そういや飴持ってきたんだけど、食べる?」

「食べるです」

 貢ぎ物を要求してくるエイミリャスへと、道すがら売店で購入しておいた飴を一袋手渡してやる。「気が利くじゃないですか」と両手でそれを受け取った彼女は、楽しそうに飴玉袋の封を開け、口に運ぶ。

 そして変な顔をした。

「まずっ……これ、飴じゃないです……」

「立派な飴玉だよ。戦闘糧食だけど」

「パッケージが違うです……なんで林檎飴の袋に、ゲロまずいコレが入ってるですか……」

 僕がここに来る途中で入れ替えておいたからである。お気に召したようで結構。

 エイミリャス嫌そうな顔をしつつも、吐き出すのは勿体ないのかコロコロと舐め続けた。貰い物はちゃんと扱うあたり育ちの良さが出ている。「うええ……」「もうむり……」などと眉根を寄せながら、必死で消化しようと頑張っていた。

 その様子をケラケラと笑いながら、師匠が話しかけてくる。

「こらこら、いたいけなメカニック様をからかうのはその辺にしとけ」

「さっきから師匠も笑ってるじゃないですか。後輩のイタズラは先輩が止めないと」

「そっすよー」

「なに言ってやがるクソガキ共。だいたい俺はちゃんとした理由でここに来ててな……」

 その言葉に、僕も本来の目的を思い出す。

 遊ぶのも良いが用事が先だ。ジュノーも師匠も用事持ちっぽいため、さっさと伝えるべきことは伝えておくに限る。

「そうだ、エイミリャス。前にお前に借りたものだけど」

「あーーーー! そうですそうです、青桐お前! 弾倉四〇、ブレード一本! 耳を揃えて返すです! 訓練に使うからって言うから貸出許可出してあげたのに、どうして三日経っても返却されてないですか! おまけに貸出ではなく貸与届けに私のハンコを押して! 一体どういうことなのか説明するです!」

「失くした」

「は!?」

「だから、失くしちまったんだ」

「……どれを」

「全部だ」

「ひぃっ!?」

 近代オブジェみたいな恰好を取って、エイミリャスが鳴き声を挙げた。わなわなと震えながら、真っ赤な顔が青くなっていく。

 僕はこの手の人間が大好物だ。

 叩けばいい音の鳴る玩具というか、高反発まくらというか。リアクションの大きい生き物はそれだけで僕を幸せにしてくれる。そんな気がする。

「せ、整備長に怒られるです……せっかく頑張って管理責任者の資格取ったのに……! ブレードの紛失なんて、バレたら頭痛い痛いされるです……」

「一緒に謝りに行こう、な?」

「お前、どの口がっっ!!!!」

「僕も悪いと思ってんだ。仕方ない状況だったとはいえ、お前に無理言って貸し出してもらったもんだから。今回ばかりは本当に悪かったって。僕が百パーセント悪い」

「……青桐お前、頭を下げることをようやく覚えたですか」

 失礼なことを言われた気がするがツッコミは控える。

 僕のしおらしい態度に騙されてくれたのか、エイミリャスが感じ入った声で呟いた。

「……分かったです。元はと言えば私の管理が甘かったのも原因ですし。失くしてしまったものはどうしようもないのも事実です。だから、二人で誠心誠意謝って反省すれば、きっと整備長も許してくれるです!」

 んなわきゃない。ここの整備長はなぜかエイミリャスを気に入っているが、仕事に関しては厳しい人だ。僕のことも叱るだろうが、結局許可を出したエイミリャスが責任の大部分を負うに決まっている。

 もちろん一緒に謝る気はない。僕はここでトンズラである。後は任せよう。

 さっきまでの会話の流れの一切合切を忘れ、なぜか満面の笑みで喜んでいるエイミリャスはとても良い子だと思った。願わくばずっとそのままでいてほしい。

「僕の用事終わったんで、次いいですよ」

「終わった……終わったのか?」

「師匠行かないなら俺いいっすか? 割と急ぎなんで」

 どこか釈然としない師匠をおいて、ジュノーがエイミリャスに話しかける。右腕のプロテクターはたしかに急務だろう。ジュノーにとってではなく、周りの人間にとってだが。「へ!? お前あれ壊したです!? 一本いくらするか本当に分かってます!?」とエイミリャスが叫ぶ声が聞こえた気がした。

 その横で、僕は待ちに待っていた師匠の隣に寄り、挨拶をした。

「そう言えばお久しぶりですね。いつ帰ってきたんですか?」

「昨日だな。お前の見舞いにも顔出してやったんだぜ? 随分可愛い顔で寝てたじゃねえか」

「なんか随分会わない内に、会話から過労臭がするようになりましたね。男相手にセクハラとか今日び流行らないですよ」

「……マジ? 実は最近妹の奴にも言われててよ。はぁ……バーダックと一緒にいたから、脳が汚染されたのかもしれねえ」

「おや、部隊長二人で遠征だったんですか?」

 師匠が言ってるのは、おそらく〇六部隊隊長を務めるバーダック=ドルタのことだろう。僕も何度か話したことがある。ヒゲと強面が印象的な筋肉ダルマの古株だ。師匠と仲が良いのも知っているが、二部隊が一緒に行動していたとは。

 もしや、隊長が二人も出張るとなると――――、

「大型討伐任務とかですか?」

「はは、土産話を期待してんだろうが残念だったな。つまらん雑魚処理遠征だ。活動地域が近かったから一ヶ月ほど一緒に行動してただけさ。おかげで帰ってからも酒が抜けねえわジジくさい言われるわで散々だぜ」

「あの部隊、平均年齢高いですし、気付けばしょっちゅう酒盛りしてますしね」

 〇六部隊は僕たちと一〇以上離れているベテラン、もといおっさんの集いである。

 記憶を少し探ってみるが、話した回数より食堂の一角を陣取って複数人で酒を飲んでワイワイしてることの方が圧倒的に多かった。年寄りとまではいかないが、立派な大人のチームである。

 僕は純粋な疑問を口にした。

「お酒って、そんなおいしいんですか?」

「人によるとしか言えんな。僕は好きだし、妹は嫌ってる」

「お子様ですからね、あの人」

「あいつが子供で、酒が大人の飲み物なのは確かだな」

「というわけで、手合わせお願いします」

「なーにがというわけでだ。話の脈絡が繋がってねえぞガキ」

 またか、と苦い顔をして師匠がこっちを見た。

 いや、脈絡アリアリだったろう。師匠とわざわざ話す理由なんて、ソレしかないに決まってるのだから。

 頭を掻きながら、うっとおしそうに師匠がこっちを見る。

「ったく……ちっとは強くなったのか? なんでも偵察任務でへばったらしいじゃねえか。流石の主席様も現場じゃビビったか? ん?」

「あれはノーカンです。まさか師匠、ビビってます? 成長著しい後輩に負けるんじゃないかって不安なんですか?」

「程度の低い煽りだなオイ。会うたび会うたびかかってきやがって」

「良いじゃないですか、後輩育成。訓練場にちっとも顔を出さない師匠のトレーニングにもなりますよ」

「俺様は天才だから汗とかかきたくねえの」

 とは言いつつも、師匠が僕の頼みを断らないのは分かってる。よーし訓練相手確保。貴重な有休が無為に失われたが、師匠が帰ってきてるならヨシというもんだ。

「――――だから、覆うんじゃなくて囲む感じで出来ねえか? 接触部位が多いから壊しちまうのは分かってんだから、こう、新技術的なやつで空間作ってさぁ」

「簡単に言ってくれやがりますね……! それが出来るなら最初からやってるです! だいたい貴方のその奇怪な右腕がそもそも原理不明じゃないですか! そっちを先に解明してから喋ってください! 貴方の体ですよね!?」

「いいかエイミリャス、自分のことは自分が一番分からないって言葉があってな」

「む……中々に深い言葉です……」

 どーこが深いんだよ底見えてんじゃねえか。

 あーだこーだとプロテクターについて話し合う二人。僕はジュノーに向け、下の階を指さして別れた。彼らは仲良くやってくれるだろう。師匠と二人、階下へと移動する。

 支部塔の地下五階までいくと、そこには一階層の半分をブチ抜いて用意された地下訓練場がある。

 使用者はほとんどいないためいつも伽藍洞だ。部隊員が怠けもの揃いというわけではない。僕たちは対アンブラー戦闘に特化した兵士であり、バケモノ退治こそが任務の主目的だ。なので対人用途の訓練をする意味が薄い。対アンブラー用に準備されたトレーニングルームは他の場所にあるのだ。

 師匠は訓練場にある破材ブロックを足で蹴りながら、どこか寂しそうに自嘲する。

「いつ来ても空いてんなぁ、ココ」

「試し撃ちとか出来て良い感じですよ。開発班の新作もここなら簡単に持ち出せますし」

「そりゃ軍規違反だアホ」

「おっと失言。まぁ良いじゃないですか。師匠もたまには顔出してくださいよ」

「誘うなら俺より他に候補がいんだろ。ほら、お前と仲の良い……なんだっけ。一七と一八のエースがさ」

「仲が良いとかやめてくれます? 特に後者はマジで苦手なんで」

「へぇ……意外だな。いつも仲良くじゃれあってんのに」

「師匠、健康診断受け直した方が良いですよ。視力か認知能力に問題がありますね」

「言ってろ」

 無駄話はこの辺で終わりだ。

 僕は軍服の上を脱ぎ、シャツ一枚の姿になる。この方が動きやすい。ブーツも脱ぐか迷ったがそのままにしとく。

 対する師匠は、歯を見せて笑った。

「やる気だなぁ」

「当然。久しぶりですからね、一勝もらっていきますよ」

「言っとくけど、俺は脱がんぞ。後で不公平だっつっても受け付けないからな」

「負けた時の言い訳なくなりますけど、大丈夫ですか?」

 隊員に支給される軍服は特別性だ。衣服としての耐久値も高いが、それ以上に防刃防火対爆対衝撃と、あらゆる戦闘を想定した性能がテンコ盛りなのである。衣服というより防具と呼ぶべきソレは、開発班の技術の結晶とも言えるだろう。

 が、動きにくいものは動きにくい。対アンブラーなら必須だが、ステゴロの訓練試合で必要かは好みによるだろう。

 師匠は薄く笑って、ファイティングポーズを取った。

「口の減らん後輩だ」

「よろしくお願いします」


 ***


「おー、やってるやってる」

 地下訓練場へと、ジュノーが足を踏み入れた。

 彼は右腕に新しくつけたプロテクターを振り回しながら、その具合の良さに口笛を吹く。

 エイミリャスは見た目のサイズ感もあってよく可愛がられているが、その実とても優秀なメカニックだ。小一時間でプロテクターを用意し微調整まで聞き入れる。古参の開発班でもこうはいかないだろう。ジュノーは助かったと思い、心の底からエイミリャスに感謝した。

 まぁ、態度を変えるかと言われると話は別だが。

「ほら、エイミリャスも早く来いよ。こっちからの方がよく見えるぜ」

「はぁ……はぁ……お前、足が速いです。ちょっと待つです……。まったく、レディーに優しいという噂はどこへ行ったですか……」

「レディー?」

「お前のっ! 前にっ! 私がっ! いるですっ!」

 遅れて、エイミリャスがジュノーへと追いついた。

 ズンズンズンと最後の数歩を気合で歩き、エイミリャスがジュノーの横まで辿り着く。だがそこで体力が切れたのだろう。手すりに融けるように倒れ込み、彼女はぼーっと視線を前へと向けた。

 二人の男が、格闘戦をしている。

 彼女の眼には、その詳細は分からない。彼女は技官であり後方支援。実地に出たことは一度もない。けれど、彼ら二人はそれぞれが違う部隊のエースであり、目の前で行われる格闘技の応酬がそれなりに高度なものであるということだけは、知っていた。

 吐き出される鋭い息と共に、拳がとぶ。ヒュッと空を切る音と、コンクリートの床をブーツが踏み抜く摩擦の音。互いの位置が入れ替わり、攻めと受けとが入れ替わり、目まぐるしく動いていく。

 エイミリャスにとっては見慣れた光景だ。

 アイザックとレイジという二人の男は、もう何年も前からこうして地下訓練場で試合を行っている。毎回見学しているわけではないものの、勤務場所から近いのと、レイジの訓練監督役としてよく連れてこられる関係で、必然的に目にする機会は多かった。

 まぁ、別に見たところで楽しいわけでも面白いわけでもないのだが。

 よくあそこまで素早く動けるなぁぐらいの感想しか抱かないエイミリャスの横で、打って変わって楽しそうにジュノーは眼前の試合を眺めていた。

「やっぱ師匠はつええな。近接でここまで動けるんだから、自称天才ってだけはあるよなぁ……」

「そう言ってるお前は、いつものごとく見学ですか」

「俺は一生見学だよ。友達殺したくねえし」

 言って、彼は自分の右腕を振った。

 鉄の塊から換装された、白い樹脂製のプロテクター。そこに収まる彼の右腕に何ができるか、エイミリャスは知っている。現代科学でも解明不能なソレは、たしかに簡単に人を殺せる類のものだということも。

 故に、彼は対人訓練はおろかあらゆる肉体接触を禁じられていたのは、アカデミー同期なら誰もが知っているジュノーのお約束というものだった。

 しかし、続く言葉はエイミリャスの知らない情報だった。

「そもそも、俺はレイジと近接格闘で張り合えねえよ。あそこまで早く動けねぇ」

「お前も近接戦闘員と聞いてます。不本意ながらそれなりに優秀だとも。それでもレイジに勝てないです?」

「無理無理。あの戦闘バカは同じバカしか勝負にならんし、それに能力戦になったらもっと不利だ。アイツの能力、俺との相性最悪だぜ?」

「? そんなことないのでは?」

 エイミリャスは整備班に所属するが、その性質上、だいたいの兵士の能力は知っている。

 中でもジュノーは有名だ。継承者インヘリターとしての《適性値》も、取り込んだ進化因子との親和性を示す《適応値》も、特質として発現した《特化機構》も、その全てが高水準の評価を得ている。

 将来有望な麒麟児。それが周囲が彼を評する言葉だったはず。

 対するレイジは、資質においてジュノーに大きく劣る。

 特に《特化機構》だ。こと戦闘において一番重要視される彼のソレは非常にありきたりなものであり、戦闘兵として見れば「優秀だがそこ止まり」の性能をしていた。まぁそれ故に整備班からの人気も高いのだが、それは置いといて。

 だからエイミリャスは、ジュノーからレイジへのあまりの評価の高さを疑問に思う。

 それを感じ取ったのか、ジュノーが笑いながら応える。

「お前は一緒に戦場に出ねえから、分かんねえだろうさ」

「む……私だって何度か外には出てます。馬鹿にしないでほしいです」

「馬鹿にはしてねえよ。ただ、こればっかりは戦ってるアイツを直接見ねえと、分からねえだろうな」

「意味深なコメントで濁さないでください。私はお前がどうしてあのいじめっ子を高く評価するか気になってます。はやく教えるです」

「言語化は苦手なんだよな……んー……」

 少し言葉に迷った後、ジュノーは思い出すように続ける。

「怖いんだよな、レイジは」

「フッ……お前、レイジが怖いですか? 私は全然ちっとも怖くないですけど」

「あんだけ遊ばれといてよく言うぜ。じゃなくて、なんつーかな……強いアンブラーに襲われると、足が竦む。どうしようもないほど強い敵を前にすると、体が震える。恐怖しちまうんだ。どんだけ訓練しても、どんだけ出撃を重ねても、怖くて怖くてたまらなくなる存在ってのがいる」

 戦場の兵士にとって、恐怖という言葉は身近にある。

 自分より強い存在に。どうしようもない窮地に。身を襲う死の危険性に。人は根源的な恐怖を感じる。ましてや敵はアンブラー。いくら頑強な肉体と優れた科学兵器を持っていようと、バケモノ退治には常に死のリスクが付きまとう。

 狂暴で獰猛で狡猾なあのバケモノとの戦いにおいて、一度も恐怖を感じたことのない兵士などいるわけがない。

 だからこそ、日々の訓練によって自信をつけ、死地を潜り抜けることで経験を肥やし、彼ら兵士は恐怖を飼いならそうとする。

 ――――それでも。

 どれほど強くなろうとも、否、強くなればなるほどに、研ぎ澄まされた戦闘経験が警鐘を鳴らす時がある。

 身を守るための防衛本能が、怖いと反射的に感じ取ってしまうような存在が、いる。

「レイジはソレだよ。生死のかかった場所でのアイツは怖い。そこらのアンブラーのがよっぽどマシだね。アイツの方が獣なんじゃねえかって、たまに思う」

「……お前たち、仲が良いのではないのです?」

「勘違いすんなよ。俺はレイジが大好きだ。幼馴染で親友で相棒なのは事実だぜ。ただ、俺が言ってるのはアイツは敵に回したくないってことだ。模擬戦も遠慮被りたいね」

「……」

「ま、そもそも部隊員同士でどっちが強いかなんてナンセンスさ。仲間が強くて困ることなんてねえよ」

 エイミリャスは眼前の試合へと目を戻す。

 そこにいるのは普通の少年だ。進化因子を取り込んだ兵士という注釈はつくものの、ただの同年代の兵士である。

 今も彼は真剣な表情をしながら、師匠と呼ぶ男との訓練に勤しんでいる。エイミリャスには戦闘の知識がないが、しかし戦場へと赴く兵士が勤勉に肉体を鍛える姿を好ましいとは思っている。

 彼女は後方支援。

 どう足掻いたって、先に命を落とすのは兵士である彼らなのだから。

「……結局、よく分からないです。抽象的すぎます」

「レイジは良い奴だってことさ」

「あの男が良い奴なら、人類の九割は善人です」

「それもそうか。お、良いの入った」

 観戦していたジュノーが、面白そうに実況をする。

 気付けばアイザックの右ストレートが、レイジの顎に綺麗に顎に決まるところだった。


 ***


「シッ――――!」

 鋭く短く、息を吐く。

 血液が加速する。鳴り止まぬ鼓動に従い、速く、速く、速く循環していく。手足の末端に神経が通る。信号を生み出す脳髄が、今この時は肉体に宿る。

 動作はコンパクトに。拳は正しく握り、慣性と腰の回転を載せて、体全体で捻って撃つ――――撃つ、撃つ!

「ッ! 良いな!」

 ジャブの乱打だ。顎、首、腹。ガードが緩んだ部位を都度探し、スナップを利かせて綺麗に打ち抜いていく。我ながら素晴らしい正確さを以って放たれるそれは、人間なら誰でも数発もらうであろう速さを伴う。軍全体でも僕の近接格闘技能はズバ抜けている。並の相手なら貰うしかない。

 だが、目の前の男は例外だ。

 その全てがいなされる。一発たりとも体に届かず、一撃たりとも効果がない。受け、流し、躱されて――――あぁ、ここで僕のミス。

 考えていた最善手から少し外れた、意味のないパンチ。分かっていても止められない致命的な腕の伸び。攻めの隙が生じる。

 小さなミスだ。

 誰もこんなパンチ、間違えたなんて分からないだろう。適当に打ってる乱打の、適当に打たれたただの一発。そう捉える人が多いことを僕は知っている。

 けれど相手はコレに気付く。コレに気付けるからこそ天才。コレに気付いてきたからこそ隊長。すばやいおうしゅうのなか動く口元がニヤリと笑った気がした。あークソが。やっぱバレてる。

 僕の伸びた腕に添うようにして、師匠の腕が飛ぶ。軽く握っただけの拳は、しかし僕の体勢では躱せない絶妙な角度と速度で迫ってきて――――顎が打ち抜かれる。

「づ――――ぉっ」

「一本、それまで! 今日も俺様は強かった!」

「ミっ……ミス待ちとか、卑怯ですよ。カウンター主軸のガン待ち戦法とか、男としてどうなんですか……っ」

「敗者の負け惜しみキモチイイイィィィ!」

「あー…………」

 両腕を上に挙げて、師匠が勝ち誇る。子供かこの人は。あークソッ、イライラする。

 少しふらつく視界を無視して立ち上がろうとするが、揺らされた脳が行動を拒否した。吐き気を抑えるので精一杯だ。ルールがあるならここでノックアウトだし、戦場ならば行動不能に違いない。僕の負け。しかも単純な手順ミス。あらゆるものに苛立ちを覚えるが、仕方ない。そのまま地面に寝転んで、仰向けになる。

 天井のライトを見ていると、ニコニコ笑顔の師匠が視界に入ってきた。

「うん、強かった強かった。レイジ、鈍ってねえじゃねえか。安心したよ俺は。流石はアカデミー主席! 俺の弟子! 同期じゃ一番動けるんじゃねえか? うんうん」

「ソウデスネ」

「つまり、そんなお前に勝った俺は最強ってことだ! 天才ってつれえな!」

「ソウデスネー」

 ガハハと笑う師匠を、しかし僕は止められない。敗者に権利はない。勝者がどれだけ気持ちよくなって煽りに煽ってきたとしても、負けた自分が悪いから受ける他ない。現実の縮図である。

 にしても性格歪んでるってマジ。後輩相手に勝ってここまで清々しく最低な人を、僕は他に知らない。

 師匠は一通り煽り終わると、手を差し出してきた。

 視界の揺れは収まっている。僕は手を取り、引き上げてもらう。

「にしても、お前との訓練はやっぱ良いな。将棋指してるみたいで新鮮だ」

「どうも。一手ミスでアウトになるハードモードも中々ですよ」

「まぁ読みやすいんだよな。一番嫌なとこ殴ってくるから分かりやすい」

 まーたバカみたいなことを言い出した。動きを読むとか現実的じゃないし、読めて合わせられるのもおかしい。諸々込みでこの人もう人間やめてるよ。

「あー……いつつ。自信失くしますよホント。今回は割と勝算あったんですけどね」

「いつも言ってんだろ? お前は考えすぎなんだよ。まぁ能力上、仕方ねえっちゃ仕方ねえけどよ」

 師匠のアドバイスに、僕は反論しなかった。そのまま「ありがとうございました」と無感情に感謝の言葉を口にし、僕は息を吐く。

「これで何戦目だっけか。そろそろ二〇〇いくか?」

「今回が一八二回目なんで、もうちょいですね」

 前回もこの会話したな、と思いつつ、記憶を頼りに回数を口に出す。

 それを聞いた師匠はヒュゥと口笛を吹いた。

「お前の能力、便利だよなぁホント。メモ帳いらねえじゃん」

「じゃあコレあげるんで師匠の能力くださいよ」

「ヤだよ割に合わねえ。スイッチ壊れた欠陥品じゃねえか」

「レバーはあるんで割と使い勝手いいですよ」

「ま、機会あったらな」

 などと言い合っていると、先ほどから訓練場の外側で観戦していた二人が訓練場まで下りてきた。一人はニヤニヤしながら、非常に何か言いたげなご様子である。

 そのちっこい少女は生意気そうな顔でふんぞり返り、小さな口で喋りだす。

「いつも青桐は負けてますね! まったく、毎日毎日訓練場にこもってるくせに情けないです! ジュノーが褒めるからちょっとは強いかと思えば、パンチ一発で倒れ込んでみっともない!」

「あー……エイミリャス? 僕、今結構イラついてんだ。黙ってくれないか?」

「ふふふ。負けましたからね! 惨めです! いつも私を虐めてくるお前が簡単に倒されるのは気分が良いです! あそれパシャッとー! お前の敗北コレクションに一つ追加してやります! 光栄に思ってくださいね。ちゃんと現像して整備班の皆でおやつの肴にしてやりいだだだだだだだ! 割れます! 支部一優秀と名高い私の脳が割れてしまいます!!!」

「黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって! なーにが優秀な脳だ人の心を思いやる機能全部ママの子宮に忘れてきやがったくせによぉ! お仕置き待ちだったんだろ!? そうなんだろ!? えぇ!?」

「うぎぎぎぎぎぎぎぎ、まっ、負け! 負け負け負け負け! 青桐の負けえええええ!」

「だーまーれーチービー!」

 勝った師匠に煽られるのは分かるが、外野に馬鹿にされる謂れはない。僕はピーピーうるさいエイミリャスの頭を拳で挟み、ぐりぐりする。頭が小さいので非常に収まりが良い。

 その様子を腹を抱えて笑いながら、ジュノーも近くにやってくる。

「ナイスファイト。惜しかったな、師匠超えはもうすぐだぜ」

「おー。お前も一緒に訓練できたらいいんだけどな。腕切って参加しないか?」

「おっそろしいこと言うねお前……戦力ガタ落ちで本末転倒だぞ」

「カルタ先生に言えばくっつけてもらえるだろ多分」

「アホなことをっ! 言ってないで! はやく離すです!」

 コリコリコリコリと小気味の良い音が鳴るので楽しくなってきていたが、そろそろ本気で痛いのかエイミリャスが暴れ回るので逃がしてやる。コレに懲りたら二度と逆らうんじゃないぞ。まぁ息を切らしながらこちらを睨みつけてくるあたり、またどっかでやらかしそうな気もするが。

 飽きない奴だ。

 とにかく、やりたいことは終わりだ。見たところジュノーの用事も済んだようだし、シャワー浴びて飯食ってさっさと寝よう。明日も普通にお仕事である。

 と言っても、さっきまで寝ていたようなもんなので眠くない。どーしたもんかな。

 そんなことを考えつつ帰る算段をつけていたところ、何やら師匠が端末を操作しながら僕たちの方へと駆け寄ってきた。さっきまでとは打って変わり、真剣な表情をしている。

 彼はそのまま僕たちの前に立ち、最初にエイミリャスに話しかける。

「エイミリャス。さっき言ってた件だが、緊急で頼む」

「えぇ……だからクガに頼めって言ってるじゃないですか。いくら貴方の頼みと言えど、私も色々抱えてるので無理ですよ」

「悪いが全部キャンセルしてくれ。支部長命令だ」

「……本当です?」

「今回はマジだ。今マダムから連絡があって、緊急任務が降りてきた。〇七部隊の武装一式、明日の朝までに整備してくれ。徹夜になるだろうが頼む」

「げげ……ま、そういうことなら仕方ないですね。了解です!」

 そう言って二人は端末を操作し、データのやり取りを始めた。

 しかし緊急任務か。おおかた、支部近郊でアンブラーの群れが見つかったか、どこぞの地域で大型が見つかったのだろう。徹夜で仕事に駆り出されるエイミリャスは不憫ではあるが、しかし彼女も整備班の端くれ。お仕事には逆らえないのである。

 にしても、良いなぁ。

 師匠の所属するような一桁番台の部隊は中枢部隊であり、ある程度経験を積んだ隊である証拠だ。必然的に任される任務も重要度が高い。

 対して二桁以下の部隊は部隊。率直に言えばひよっこだ。中でも僕たち一六部隊はアカデミーを卒業してもうすぐ一年という新米であるため、良く言えば安全性の高い、悪く言えばつまらない任務ばかり任される。

 つまり、緊急を要するような任務は全部先輩達のものだ。まぁ仕方ない。当然と言えば当然の話。お仕事で忙しい二人を邪魔する訳にもいかないため、僕はジュノーを連れてさっさと本棟に戻ろうとする。

 しかし、師匠はそんな僕達を呼び止めた。

「そこの二人も準備しろ。お前たちにも召集がかかってる」

「……おろ?」

「緊急任務ですよね? 僕達も行っていいんですか?」

「あぁ。今回の任務は〇七と一六、一二七から一三五部隊の合同で行う。メンバーはある程度選別されているが、総勢七十名の大規模作戦になる。もちろんレイジ、ジュノー。お前らは参加だ」

「随分大所帯ですね」

「うっし、やっと実戦だ。建築作業でノコギリ役やるのはもう終わりだ!」

「浮足立つなよバカ弟子共。割とシャレにならん状態だからな」

 師匠――――アイザック〇七部隊長は、真面目な顔のままに続ける。

「作戦地点は北東三二〇に位置する旧市街地、レビアコロニーだ。探索任務にあたっていた〇六部隊の消息が途絶えた。本日付けで彼らの判定は生死不明ロスト。全ての可能性を考慮した上で、マダムはこの任務の重要度を最優先に設定した。これは先行部隊の救出作戦になる」


**


 夜の闇が辺りを染め上げ、月の光だけが降り注いでいる。

 屋根の隙間より刺すスポットライトを浴びながら、一人の男が天を仰いでいた。

「ハハ――――ハハハハッ! ここまで! ここまでとは思いませんでした! おげェッ……ハハハ!」

 男は笑いながら、嘔吐した。

 ビチャビチャと血液が口から零れていく。喉に絡む血痰を吐き出しながら、彼はフラフラとした足取りで壁に手を突いた。

 満身創痍だ。

 その右腕は断面から先が溶解しており、左半身はもはや原型を留めていなかった。

「あぁ……ヒトとは画くも素晴らしい……これぞ人類! これぞ覇者! げふッ……おェェェエエエエエエッ――――あぁなんとッ! 尊き生命の輝きなのでしょう!」

 そんな彼の周囲は、それ以上の有り様だった。

 元は倉庫だったその場所は、その機能を失っていた。地が砕け、壁は倒壊し、コンクリートで作られた屋根は穴だらけだ。大空に輝く月の全容が見えるほどに、建物としての体を成していない。

 よろめいた彼の足が地表を踏む。割れた地面には無数の弾痕と空薬莢、そして赤い血がこびり付いていた。彼の目の前には物言わぬ躯が二つ、転がっている。どちらも駆動車が突っ込んだかのような醜い傷跡によって激しく損傷していた。

 この場で息をしているのは彼ただ一人だ。

 熱も冷めやらぬ倉庫の中、彼だけが恍惚とした笑みを浮かべて立っている。

「ごふ……」

 また、その口から滝のように血が流れ出る。

 彼はたまらず眼窩から涙を零しだした。そこに苦痛の成分は含まれていない。喜怒哀楽の喜一色。人間であれば既に死んでいておかしくないほどの重傷を負っているというのに、彼は目の前の死体へと思いを馳せるばかりだ。

 それもその筈。彼は人ではない。

 流れる血の色は青々としており、肉の断面もまた人間とは異としている。

 彼は、アンブラーだった。

「あぁ、神よ。見ておられますか? この世界に私≪ワタクシ≫を産み落としていただき、ありがとうございます。貴方に深い感謝を……フ、ハハハッ!」

 笑いながら、ずるりと。

 彼は足元にあった躯の一つを手に取って、黙祷した。

「さて……形に残せぬことを謝罪します。出来ることならば、貴方達は全て後世に残したかった。これは私の本心です……では、失礼します」

 そうして彼は、食事を始める。

 傷ついた体を癒すため、腹を満たすのだ。満たすべき腹の位置には穴が開き、食事より先に治療が必要だったが、しかし彼は食事を優先した。ざぶざぶと内へと飲み込まれていく死体。成人男性ほどの体躯しかない彼は、同じく成人男性の大きさをした死体をものの数秒で平らげる。

「では――――準備を始めましょう」

 その体からは未だに血が流れ、損傷部位もそのままだ。

 けれど彼はたまらないといった表情で、もう一つの死体へと歩いて行った。

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