オーバーワールド・フラグメント

渡士 愉雨(わたし ゆう)

オーバーワールド・フラグメント

「しょうがないな」


 使い終わった携帯電話をベッドの上に投げ転がす。


 そこは、ベッド他最低限以外何もない無機質な白い部屋。

 宛がわれていたそんな部屋で、俺・十比良とびらはじめは溜息を吐いた。

 今の世界ではハジメ・トビラと名乗る事が多いのだが……それは今どうでもいい。


「もう夜か」


 ここに来て一昼夜。

 何もしていないので体力は十分だが、明日の事を考えたらもう寝るべきか。

 色々思考しつつベッドに横たわった時、ドアがノックされる音が耳に届いた。

 

「ラハルか?」


 それは今日幾度か訪ねてきた女性の名。

 何度も協力を求めてきた彼女を、俺は適当に追い払ってきた。

 ……明日やる事は全部俺一人の独断。巻き込む訳にはいかないからだ。


「言っとくが俺は……」

「……創さん。今、いいですか?」


 夏に吹く涼風のような、爽やかで心地良い声。

 ラハルではないその声の主が誰なのかは、すぐに分かった。

 

「……いいよ、アル」

「ありがとうございます。……あ、横になったままでいてください」


 入ってきたのは、少し幼い、整った顔立ちをした一人の少女。

 外見からはそう思えないがもう少しで二十歳になろうとしているという。

 腰まで伸ばした艶やかな黒髪と白い肌が互いを引き立て、強く印象に残る。

 彼女はアル。アルティーヌ・レネミス。

 俺がこの街で初めて出逢った女の子。

 

「座っても、よろしいですか?」

「ああ。俺の部屋って訳でもないし」


 俺に薄く笑いかけながら、俺の近く……ベッドの淵に腰かけるアル。


「……こんな時間に男の部屋に来ていいのか?」

「フェル様は、私が逃げさえしなければ他はどうでもいいみたいですから」

「そっか」

「「……」」

「なんでも」

「え?」

「なんでも願いを叶えてくれる……そう言ってくれましたよね?」


 それは、一昨日俺が犯した『ある失敗』を償いたくて交わした約束。

 その事は忘れていない。いつ果たせるだろうかと考えていたのは事実だが……。


「その願いを、今ここで叶えてほしいんです」

「一応、言ってみな」

「……私を、愛してください」


 アルの言葉はまさに爆弾発言で、俺は一瞬頭が真っ白になった。

 どうにか思考を立て直して、かろうじての言葉を吐く。


「……明日の花嫁としてそれはどうなんだ?」

「残酷な事を言わないでください。確かに私は花嫁になります。でも」


 そこでアルは横になったままの俺に覆い被さった。

 着ていた服は元々脱ぎ易い構造だったのか、あるいは一枚の布を衣服の様に纏っていたのか、スルリとベッドの横に脱げ落ちていった。


 露わになった肌は比喩でも何でもなく、女神かと見紛うばかりの美しさ。

 だが、俺はそちらではなく彼女の顔を見つめていた。


 人工の灯りを背に、アルはこれ以上ないほどに顔を赤らめていた。

 そのまま、俺を押し倒した体勢のままで言葉を続ける。


「初めてを、貴方と彼のどちらかに捧げるのなら、私は貴方が良い」


 鼓動が一際高くなる。彼女の言葉に従いたくなる。

 だが、そうしたくはなかった。

 こんな訳のわからない流れのままに、そうしたくなかった。


 だから。

 何故、こんな事になっているのか。

 俺は若干逆流気味の頭で思い返していった。


(……ああ。やっぱり、綺麗だな)


 出逢った時と変わらず、あの時とは違う形を見せる紫色の瞳を見据えながら。





 旅人である俺が今いる街を訪れたのは三日前。

 元々の旅の目的は、俺にとっての安住の地を見つける事。

 何故そんな旅をしているのかと聞かれると長くなる上、説明が難しい。


 ただ、そもそもの原因は明確だ。

 五年前に突然起こった世界境界崩壊。

 異世界や並行世界などの境界線が破壊され曖昧になり、様々な世界が混ざり合い結合。

 結果、一つの融合世界が誕生した事……それが全ての始まりだった。

 

 ちなみに、言葉は融合の際に『統合』されている。

 どういう理屈なのかは学者連中も分かっていないらしい。


 ともかく、そうして世界が融合した為に様々な混乱が起きた。

 そんな状況を収拾すべく、各世界のお偉いさんが集まり暫定的に大雑把なルールを決めた。

 そしてソレを守らせつつ、各問題を解決努力し、最終的に完成されたルールを作るべく、統合局という組織が作られた。

 

 各世界のエキスパート達が集まった統合局は委任された権力を駆使し、発足から僅か三年である程度世界を纏める事に成功した。

 直接的に所属している人間は決して多くないのにそれが出来る辺り本当に優秀な人材が集まっているのだろう。


 まぁ、何人かいる局員の知人を見る限り信じられなかったりもするが。

 調停の方法が決闘だったりゲームだったりするのもどうだろうと思う。

 特に俺を追っている変な局員約一名。


 ともあれ、そうして大きな世界は少なからず安定した。

 だが、小さな世界……実際に人が生きていく街などはそう簡単にはいかない。

 提示された大きなルールに従えず、自分の世界に現れた異物を受け入れきれない者も少なからずいる。


 俺はそうして排除された……というか自ら出て行ったというか。

 要は自分が元いた場所に居続ける事が出来なくなったのだ。

 それが、俺が旅を始めた理由である。

 

 そうして旅を始めた俺は街を巡り、国を見て、世界を歩いた。

 だが、約五年経った今も、俺は居場所を見つけられないでいる。


 原因は色々ある。

 俺自身が街の文化や空気に馴染めなかったり。

 異文化の具現みたいな俺を、街の方が受け入れる事が難しかったり。

 居場所を作ろうとお節介を焼き過ぎて鬱陶しがられたり。


 だが、一番の理由は、俺が『いてもいい』と思えなかった事だろう。

 他の誰かが悪いわけじゃない。俺が、駄目だった。

 だから誰にも『いてほしい』と思ってもらえなかったのだろう。


 そんな旅路の果てに、俺は今いる街で『彼女』と出逢った。


 アルティーヌ・レネミス。

 彼女は、この街における権力者……『代表者』の一人であり、元々の世界でのレネミス家という貴族の当主代行だった。


 そんな彼女なのだが、最初出逢った時、彼女は『彼』だった。

 ある理由から追われていた彼女はカモフラージュの為に少年の姿をしていたのだ。

 それを知ったのは、女の子と知らず、隠れ家の風呂場に突撃した時。

 我ながら思い出すだけで恥ずかしいし申し訳ない。

 ちなみに、それが件の「なんでも願いを叶える」約束を交わす事になった失態である。


 それはさておき。

 降り立った駅で怪しい連中に追われていたアルの逃亡をなんとなく手伝った縁から、俺は彼女にある事を頼まれた。

 

 彼女の望み。

 それは自分の結婚式からの逃避行に協力してほしいというものだった。


 この街での住民権という報酬を提示され、俺はアルに協力する事にした。

 住むかどうかはさておき、それだけのものを貰えるなら、と割と乗り気で。

 ……あともう一つ協力の理由はあったが、それはとりあえずおいておく。


 彼女の逃避行の理由。その原因はこの街の権力構造にあった。 

 この街は、多くの街と同様に第一層基準世界の割合が多く、権力も然りだった。

 第一層基準世界は、現在の調査段階で一番『世界が残っている世界』。

 それゆえに様々な意味での生存が多く、各世界の中でも強い権力を有している。

 ちなみに俺は元々その基準世界の出身だ……と思う。


 閑話休題。

 この街ではそんな第一層に対抗すべく、他世界の人々が様々な手段を講じていた。

 その一つが、第二層のある代表者と第三層の代表者の一人であるアルとの結婚だったのである。 

 それは互いの、彼らの親達の遺言によるものでもあった。

 

 第二層基準世界は、第一層より少しだけ科学と異能研究が進んだ世界である。

 それが仇となって戦争が起こり衰退しつつある中での世界融合だった為、彼らは融合を好意的に受け止めている。

 ただ、一部は融合世界の技術を得る事で戦争の続きを、あるいは世界侵攻を考えているとも言われているが、あくまでも噂である。

 だがその噂ゆえに他世界に警戒、牽制されているのはこの街でも変わらないらしい。


 第三層基準世界は、分かり易く言えば所謂剣と魔法の世界。

 元々争いが絶えない世界でその為に騒がしくもあるが、活気に満ちた世界でもある。

 しかし、この街の第三層は比較的穏やかだった為か、他世界に押され気味だという。


 二人の結婚はそんな世界同士の薄い後押しによる政略結婚なのだが、厳密に言えばソレだけではなく、アルの特異性・状況にも理由がある。


 アルの特異性……それは神の血を引く事による予知能力。

 元々俺が協力を要請されたのも、アルの予知によるものだという。


『一族の血の危機来る時、青い眼の異人、旅立ちの場に現れる。

 真なる願い叶う事を望むなら、自らの足で進め。

 さすれば鬼を操りし異人、汝を希望に誘うであろう』


 そんな予知に希望を抱き、アルは駅に足を運び、俺と出逢った。

 だが、それはアルにとってあてを外したものになってしまっただろう。

 、俺の眼は青くなかったのだから。


 それについてアルは、一族の力の低下に原因があるのではと、呟いていた。


 かつて数百年先を見通したという血の力。

 今やソレはかなり薄れ、唯一の生き残りであるアルの力はかなり限定されたものになっているらしい。

 そして、それは今後より顕著になっていくという。


 そのせいもあり、先代からの各権力者達との繋がりこそ残っていたが、アル自身が持つ権力は先代に比べ弱いものとなっていた。


 そんな現状を良しとしなかったのが、アルに直接仕える唯一の家系、イト家の末裔たる魔術師のクーラ・イト。


 彼女は妹であるラハル・イトや俺と共にアルの逃避行に協力していた。

 しかし、実はそれはアルを結婚相手の下に導き、捧げる為のものだったのだ。

 結果俺達はまんまと騙された。

 今現在、明日式が行われる神殿の片隅に押し込められているのもその為だ。

 

 ただ、クーラさんはこの混乱に満ちた世界でアルを守る為にそれを選択したに過ぎない。

 そんな彼女を唆したのが、第二層基準世界の代表者の一人たるフェル・ムートル。

 アルを自身の花嫁にしようとしている張本人である。


 彼の家もまた元々の世界では立場が弱かったらしいのだが、

 世界融合後、異世界の技術研究を進め、急激に『力』を伸ばしてきたという。

 魔法と科学を高度に融合させたゴーレムを自在に操る『人形師』として。


 ただ、元々の出自の弱さから侮られる事は今も続いているらしい。

 それを覆す一歩として親達の遺言を盾に、アルとの結婚を強引に推し進めてきたとの事だ。

 見返りとして、遺伝子解析による『神の血』の再興研究、第三層基準世界の立場良化を掲げて。


 だが、アルはソレを良しとしなかった。

 それは単純に自分の都合だけではない。

 アルの一族に頼る在り方は、なんらかの理由で力や権力が失われてしまえば簡単に瓦解するものでしかないという危惧。

 そして『自分という前例』を作る事で一種の惰性で同様の選択をしてしまう人々を増やしてしまわない為に。


 勿論これが世界間交流の良い切っ掛けになる可能性がある事も理解していた。

 しかし、アルは自身の気質や状況ではそうなれない可能性が高いと判断した。

 そこにエゴがある事を十分に理解した上で。

 

 結果自分の一族が没落しても、この街の第三層の、いや世界同士のもっと素晴らしい交流の可能性を模索する為に。


 そうして、アルは『自分達だけが全て悪い』という根回しをした上で式からの逃亡を図った。


 だが結局、そんな願いを掛けた逃避行は、彼女が予知した『青い眼』の男……フェルにより絶たれた。


 ラハルに聞いた所、アルが彼と初めて出会ったのも駅だったという。

 話し合いの為に訪れた外部代表者を迎えた時に、らしい。


 それにより自身が血から逃げられない事を思い知らされ、アルは結婚を決意した。

 ゴーレムの群れを前に、自分を逃がそうとする俺とラハルを守る為でもあった。


 そうして、彼女は明日結婚する。






 そんな結婚前夜での、アルの言葉。


 俺が良い。俺になら愛されてもいい。

 アルがそう言ってくれる事は、嬉しかった。

 だが。


「……なぁ。それは俺でないと駄目だから、なのか?」


 納得できない事があって問い掛けた。

 胸の鼓動を、湧き上がる思いを抑えつけながら。


「え?」

「マシな方を選んで俺なのか? あるいは、自分の予知を覆す為にか?」

「……」

「そんなので誰かを愛したり愛されたりするのは、俺はごめんだ」

「……なら、私はどうすればいいんですかっ……?」


 ポタリ、ポタリと。彼女の涙が落ちてくる。俺の顔に降ってくる。

 顔を朱に染め、くしゃくしゃにして、彼女は言葉を、心を零していく。


「このまま、なんて……っく……なのに……うっ……ない……分からない、です。

 なんて、言えば……ひっく……伝えられるんですか……?」


 そんな彼女を見て、湧き上がり続ける感情を思い知らされて、確信した。

 だから、俺は……迷う事をやめる。 


「……仕方ないな。俺がお手本、やってみるよ」

「え……きゃっ!?」


 彼女をひっくり返し、さっきまでと真逆の体勢に持ち込む。

 動揺していた事もあって抵抗は殆どなかった。


「あ、え、その……」

「なぁアル。いや……アルティーヌ。一目惚れって、信じるか?」

「……っ」

「俺は、どうやら、そうだったらしい。君に一目惚れだった。

 だから俺は、君を抱きしめたい。そう思ってる」

「あ、う」

「正直悩んだ。伝えるべきかどうか。

 まだ互いの事をそんなに知らないし、手さえまともに握っちゃいない。

 初めて会って三日も経ってない、って考えると尚更だ」

「……」 

「でも、そんなのどうでもいいと思った。君さえよければ、それでいいと。

 だが、今のままじゃダメだ。今のままじゃ俺は君を愛する事は出来ない」

「そ、それは、どういう……?」

「こんなオッサンが子供みたいな事を、って馬鹿にされるかもだが。

 俺はちゃんと互いが納得できる形でなきゃ愛し合うべきじゃないと思う。

 少なくとも、今の心を押し殺した君を、俺は納得できない」

「……!」

「君は明日結婚すると、それでいいと、本当に思ってるのか?

 この間俺に話してくれた、結婚したくない理由は嘘だったのか?」


 立派な考え方だけじゃないけど、と照れ笑いながらの言葉は嘘だったのか。

 叩き付けた疑問と感情に、彼女は表情を動かしていく。

 戸惑い、痛み、回想、決意……そんな感情の流れの後、彼女は言う。

 

「う、嘘なんかじゃありません……!

 創さんに話した事は本当です……! でも……」

「でも?」

「分からなく、なったんです……。

 私は、私の身近にいたクーラの気持ちさえ、分からなかった……。

 そんな私なんかに出来る事があるのか、分からなくなったんです……」

「本当に、そうか?」

「え?」

「分からなかったと言うが……君はクーラさんが本当に裏切ったと思ってるのか?」


 クーラ・イト。

 俺に対しては何処か冷たかった、穏やかな物腰の女性。

 アルが結婚を決意した後、彼女は俺に巻き込んだ事を謝罪し、妹の怒りの魔法をあえて受けていた。


「それは、ないです。クーラは、私の事を思って……それだけは間違いないです」

「それが伝わってるなら十分だと俺は思うんだが、違うのか?」

「……」

「それとも、俺やラハルが危なそうだったから従ったのか?

 だったら、それは気にしなくてもいい。俺は俺でなんとかする。

 そんな事で君に嘘を吐かせたくないし、吐かせるつもりはない。

 ……俺でさえそう思うんだ。

 俺よりも長く君の側にいたラハルはもっと強くそう思ってる」


 ラハル・イト。

 強気で怒りっぽく、俺とアルが話す事を嫌がって時に嫌がらせしていた女性。

 だが彼女は、フェルの操るゴーレムに囲まれた時、俺にアルを託して逃げさせようとした。

 その時の懸命な叫びは今も耳に強く残っている。


「っ……」


 アルにとって無茶な事を言っているとは思う。

 だが、彼女を悪い意味で守っているものを全て剥がさなければ見えないものがある。

 それを知らなければ出来ない事がある。

 だから、俺は問い掛ける。狡くても、汚くても。

 見過ごしちゃいけないモノを、見据える為に。


「……なぁ、アルティーヌ。

 俺が聞きたいのは、君に出来る事とか立場とか血とかに拠らない、君の気持ちなんだ」

「……でも、そんなの」

「血や立場を含めて今の君だって事は分かる。だが、無理を承知で聞きたい。

 今だけでいい、君の本当の気持ちを、知りたいんだ。

 君は、本当にフェルと結婚したいのか?」

「わ、私……私は……」


 彼女の眼から、再び涙が溢れ、零れ落ちていく。

 そうして、彼女は叫ぶように、言葉を吐き出した。


「……私は、結婚する、なら……愛し合うなら……創さんが、いい……!

 私だって……初めて会った時から、好きだったから……!

 私は、貴方が、好きだから……!」


 ああ、そうだ。

 俺は、いや俺達は、最初に視線を交わした時に確信していたんだ。

 理屈とか時間とか、そういうモノを圧倒的に越えて、好きになっていた事を。


「ありがとう。本当の事を言ってくれて。そして、ごめん。泣かせて」


 言いながら、彼女の涙を拭う。

 アルティーヌは、そんな俺に首を振ってみせた。


「創さん……。もう一度、お願いしていいですか?」

「ああ」

「明日どうなるにせよ、私は今、貴方に愛してもらいたい。

 貴方が予知の人であってもなくても。

 私は、貴方と一緒に生きていきたい。そう思います。思っています。

 ソレが決して叶えられなくても……」

「叶える。きっと叶えてみせる。でも、君は俺でいいのか?

 俺は、君の思うような人間じゃないかもしれない。

 ちょい年上だし、その割に子供っぽいし、欠点だらけだ。それでも?」

「はい。

 私だって身体ばかりが大人の、子供です。

 でも、そんな私でも一つだけ分かっている事があります。

 それは、この瞬間を逃したら後悔するという事。

 それだけは確かだと心から思うんです。胸の疼きが、そう思わせるんです。

 貴方と出会った時からずっと続く、痛みが……っ」


 俺はそこで彼女の口を塞いだ。もう十二分に伝わったから。

 そして、俺の気持ちを伝えたいと思ったから。 

 それは初めてだからこその触れるだけのキス。


 最初は、アルティーヌの戸惑いを感じた。

 でも彼女は、すぐに力を抜いて、受け入れてくれた。

 ずっとそのままでいたいがそうもいかず、躊躇いを押し殺し、唇を離す。

 改めて見たアルティーヌの顔は――――まるで特別な化粧を施したように真っ赤に染まっていた。

 いや、というかこれ大丈夫か?


「あ、アルティーヌ? すごい顔赤いけど、大丈――――」

「………あ、ふぅ」


 次の瞬間、アルティーヌは眼を回してベッドに倒れた。

 

「ちょ、初心うぶだな、おい! いやまぁお嬢様だから当然か……」

「うう、こんな、こんなの……熱すぎて、だめですぅ――――」 

  

 ぼんやりとした頭で感想を呟きながら、アルティーヌは暫しの間真っ赤な顔のまま起き上がれない状態となった―――。





「口付け。はじめて、でした。こんなにも、熱いもの、なんですね」


 それから少しの時が流れて、恥ずかしさを隠しきれず、両頬を手で抑えながら起き上がったアルティーヌが言った。


「唇が?」


 その愛らしさに苦笑しつつ尋ねると、アルティーヌは顔をさらに赤らめながら言葉を紡いだ。


「いえ、その……なんというか、私の魂が、熱いんです。

 ……み、未熟者で申し訳ありません! どうか続きを――!!」

「いやいや、キスでこれだとこれ以上は無理だろ。どうか自重してくれよ」

「そんな――! そんなの……」

 

 決死の覚悟でここに来てくれたのだろう。

 その気持ちはとても嬉しい――――だからこそ、俺もまたそれに応える覚悟はもう決まっていた。


「大丈夫だ。アルティーヌ。続きはいつか必ず――――近いうちに果たして見せるから」


 これで完璧。最早躊躇う理由は何もない。

 決まっていた答が、やるべき事が、確実になった。


「――――そう、ですか」


 だけど、アルティーヌはどこか意気消沈した様子だった。

 うーん、これは信じてもらってないな。

 ちゃんと説明しなければ。


「あのさ、アル」

「……そろそろ、私は戻ります」

 

 俺に背を向けたまま服を手繰り寄せ、纏っていくアル。


「え? ちょっと待ってくれ。まだ話が――」

「最後に――――――その、もう一度口付けを、いいですか?」

「え? ……それはいいが、終わったら話を……ん……」


 唇が触れる。

 さっきはすごく照れてた割に強引――――――?

 瞬間、違和感を覚えた。いや何かが口の中に……?

 

「アル……?」


 顔をこれ以上なく赤く染めながらも悲しげなアルの顔を最後に。

 急激に、眠気が。

 





「……って、女は魔物だなやっぱっ!」


 跳ね上がるように起き上がる。

 慌てて開いた携帯の時刻は起きようとしていた時間を大幅に越えていた。


 まぁ、それでもアルの予定よりは早いはずだ。まだ間に合う。

 仕込まれたのは眠り薬か何かだろうが、生憎俺は『普通』とは少し違う。

 

『ごめんなさい』


 目のつく場所に置かれた手紙にはそれだけ書かれていた。

 ……やれやれ。


「謝るにはちと早いなアル。まぁ、謝らなくても全然いいんだが」


 そうして俺はニヤリと笑った。







 日は既に昇り、青空の下、式が華々しく行われている。

 この辺の文化について地球上の人類の到着地点はあまり変わらないらしい。


 多くの人が……と言っても、思ったほどではないが集まっている。

 この街のお偉いさんの他、希望者も参列しているらしい。

 ……ありがたい事に予定通りの存在も来ている。ある意味では予定外なんだが。


 やたら目に付くのは、そんな人々を二つに分かち、門まで伸びる紫色の絨毯。

 それに沿う様に並んでいる、アンテナっぽい角を生やしたゴーレム約十体。

 今日の主役を守る為か、あるいは人形師たるフェルの力を見せつける為か。

 結婚式が神殿の外で行われているのもその辺が理由だろう。


「なんにせよ、悪趣味で無粋だな」


 ふと横を見る。

 この神殿の象徴なのか飾られている、俺の五倍位デカいグリフォンの彫像にも同じものを感じる。

 どうも第二層の人はこういうものを好んでいるようだ。 

 そんな事を考えている間に、現れた花嫁がそんな絨毯の上を歩いていく。

 式を取り仕切っている祭司と花婿がいる祭壇へと向かって。 


 タイミングは、ここだ。


「ちょぉぉっとぉぉっ、待ったぁぁぁぁっ!」


 そうして叫んだ後、視線の集中を確認した上で、神殿の屋上(目立つ為に昇った)を蹴る。


 浮遊感、重力、耳切る風。

 それらを心地よく感じている間に地面に、アルの眼前に着地。

 足の裏に走るその感覚は、記憶に薄い幼かった日と同じ。

 初恋の人の前でかっこつけて、ジャングルジムの天辺から飛び降りたあの日と。

 違うのは、その数十倍の高さから飛び降りても問題が無い異常な『強さ』。

 同じなのは、かっこつけな自分自身。

 そんな自分を笑いながら、ゆっくりと立ち上がる。


「創さんっ!?」

「よ」


 おー。うん。いい。ウェディングドレスがマジで綺麗。素敵。

 俺はアルに見惚れつつ、少しハッタリ気味な、余裕の笑みを浮かべて見せた。


「言っとくが怒ってないぞ。俺の事心配しての事だし。

 だが、その代わり、君にはこれから先、心から幸せになってもらう。

 偶発的な事以外での不幸を、俺は許さない」

「おやおや。それは勝手な事で」


 俺同様に余裕たっぷりに笑うのは銀髪の青年……タキシードを着たフェル・ムートル。


「勝手で悪いな。勝手ついでだがこの式壊させてもらう」

「ふむ。何の権利があって?」

「権利は知らん。

 ただ、俺は世界がどんなに変わっても許すべきじゃない事が二つあると思ってる。

 一つは、強い奴が弱い奴をいじめる事。

 もう一つは、男が女を泣かせる事。

 そういう意味では親が決めた半強制的な結婚なんぞ言語道断っ!

 見逃せないだろ男なら。惚れた女なら尚更だ」

「ロリコン?」

「ロリコンか?」

「ロリコン……」


 フェルの他、周囲からロリコン疑惑の声が上がった。

 俺は慌てて反論する。


「ちょ、お前ら! ちげぇよロリコンじゃないっ!

 歳の差あるのは事実だがな、大体アルは脱いだら結構……」

「は、創さんっ!? 駄目っ!」

「ちょ、アンタっ!?」

「まぁ」


 聞き覚えのある声に振り向くと、思いっきり縛られたラハルとその縄を手に持つクーラさんがいた。

 ……大体何が起こったのが分かるなぁ。


「あーごほん。ともかく。そんな訳だから、この式ぶち壊させてもらう。

 ただ、会場の皆様。

 これは俺こと旅人ハジメ・トビラの独断と偏見による大暴れだ。

 花嫁さんや彼女の実家には何の罪もない。勿論相手側にもな。

 罪は全部アルに惚れた俺にある」

『おおー!!』


 ……うむ、悪くない反応だ。貴族とかが多いにしては反応が市民的野次馬っぽいけど。


 これで後がどうなろうとも、多少なりともアル達は楽になる筈だ。

 元々のアル達の根回しも含めれば、失敗しても極端に悪い状況にはなるまい。


(あと、想定通りに行けば……)

 

「成程。あくまで君が喧嘩を売った形で彼女達に累が及ばない様にする訳か。

 大した覚悟だ。でも君がソレを押し通した後に何を生むのか、理解しているのか?」

「……」

「君の行動を察するに、彼女達は自分達の血統を絶やしても構わないと思っているようだが。

 それは彼女達の歴史、伝統を絶つ事に他ならない。

 取り返しが決してつかない愚かな事だよ」

「……文化とか伝統の重要性ってのは、外の人間には分からないもんだ。

 だから、俺がソレについて語る事はない。

 勿論引き継がれるに越した事はないだろうけどな。

 それに悪いが、今の俺にはそれは二の次だ。

 アルの幸せが今の俺の全てだ。

 どうしても伝統と自分の都合を守りたきゃ、どんな手段でもいいから俺を停めてみろ」

「ぷ。はははっ! 君は、馬鹿だねぇ。

 昔、似たように挑んで負けた奴を僕は知ってるよ。

 不様なソイツを見て僕は誓ったのさ。力をつける事を。

 あんな不様さを繰り返させないと……!

 そして、この結婚は、その第一歩っ! 躓くつもりはないっ!!」


 うっわ。堂々と利用を公言しやがったコイツ。


「……やっぱ、アンタそういう奴か。

 障害を自分の力で潰し、自信を深め、ますます強くなる……

 でなきゃあ、俺を野放しにはしないよな」

「ああ、僕も知ってるよ。

 面倒事や争い事が嫌いなのに、自分以外の誰かの為なら遠慮なく首を突っ込む……

 そして、助けた後邪険にされても、恨み言一つ吐かずに何処かに消える……

 君は、たまにいる、面倒臭いタイプの人間だ。

 察するに、今までずっとそうだったんだろう?」

「……否定はしない」

「噂では、統合局が似たような存在を追い回しているらしいけど、納得できるよ。

 彼らがそんな便利屋を放っておくはずがない。

 僕もそういう人間は嫌いじゃあない。部下に欲しい位だ」

「俺もアンタみたいな奴嫌いでもないな。上司にしたいとは思わんが」

「結構気が合うね。それに免じて一つ勝負をしようと思う」

「内容は?」

「シンプルさ。

 今からここで僕らと君らで喧嘩する。

 僕ら、というのは、僕と僕が操るゴーレム。

 君らは……まぁ、お好きに。

 そして、敗者は勝者に従う。全てにおいて後腐れなく。

 ルールは一つ。当事者以外には手を出さない。出させない」

「つまり決闘だな。上等だ、乗った」


 上手くいった。可能性は低かったが、この流れに持ってこれた。


 俺達をある程度放置していた事などからフェルの性格はある程度読めていた。

 俺じゃなくてもラハルか、いるかもしれない反対派を見越して『こうする』準備はしていたのだろう。

 式の中でこれを持ちかける事で、あるいは鎮圧する事で奴は『力』と器を街中に誇示できる。

 絶対の自信があればこそだが、アピールには絶好の機会という奴だ。


 だが、それはこちらも同じ事。


「……いいだろう。その決闘、私が了承するっ!」


 突然、朗々とした第三者の声が響き渡る。

 その声の主は、人々を掻き分け、紫色の絨毯の上に姿を現した。


 青い軍服のような服は統合局の制服。

 彼女・倉衣くらい耀あかるは、ハーフが所以の金髪をマントの様に棚引かせながら名乗った。


「私は統合局・遊撃調停武装隊隊長、アカル・クライ。年齢二十三、独身だ。

 身分証明書はここに。後でこの地区の局員に確認してくれても構わん。

 知人に招かれ、たまたまここにいた程度の縁だが、統合局の理念に従い、この場を仕切らせてもらおう」


 たまたま、に力を入れた上でこちらに視線を送る耀。

 うう、相談ついでに、こっちの局員に口聞いてもらうだけだったのに……。

 思いの外近くに居やがったよ。というかずっと俺を追ってたんじゃなかろうな。


「全ては、先程のフェル氏の発言のままに。

 この件による世界間の遺恨は許されない。双方構わないな?」

「ああ」

「勿論だ」

「アル。それにラハル、クーラさん。事後承諾で悪いが俺に任せてくれ」

「創、さん。私は、貴方を……」

「だから、謝らなくていいって。

 俺は俺の勝手で君を助ける。君の力になりたいんだ。……いいか?」

「……。お願い、します……」

「考えなしで捕まった私が言うのもなんだけど、勝算はあるの?」

「さぁな。ただ、負ける気は絶対にないぜ、ラハル」

「……ならいいわよ。任せる。負けたら殺すけど」

「わたくしは、ノーコメントです。ただ、文句を言うつもりはありません」

「……ありがとう、クーラさん」

「創さん……どうか……どうか御無事で!!」


 下がっていくアル達に不敵な笑みを贈った後、前に進み出る俺。

 

 そんな会話の間に向こう及び周囲も準備を終えていたようだ。

 客達は離れた場所に展開された防護結界の中に移動されている。

 流石は耀、言いたくはないが手際が良い。

 ……だから逃げるのに苦労するんだよなぁ。後が怖いです。


 フェルは俺と随分な距離のある祭壇の上に座ってこっちを見下している。

 ……遠くで司祭様が怒ってるなぁ。ちゃんと後で謝れよ、おい。


「準備はいいかな?」

「ああ。そっちはいいのか?」

「勿論」

「あ、最後に一つ。諸々の修理費はどうなるんだ? 

 悪いが俺は現金ないんで、払わなくちゃいけないんなら借金にしといてくれ。

 後で働いて返すから」

「そんなケチくさい事は言わないさ。どっちが勝っても僕が負担する。

 でも、命だけは替えがきかないよ? それでもいいのかな?」

「死ぬつもりはない」

「つもりはつもりさ。皆、そう言って死んでいく。

 いずれにせよ……君の旅はここで終わる」


 俺を指差すフェル。

 主の意思に従ってゴーレムが俺を取り囲んでいく。


 ゴーレムの群れに、自信満々のフェルに、俺を想ってくれているアルに、俺は宣言する。


「いいや。また、ここから始まるんだ。

 俺の我が儘、アルの幸せ。二つが通る道、作らせてもらう。……纏外てんげッ!!」


 合言葉を咆哮する。直後、体の中から力が湧き上がる。 

 世界融合の際に『纏められた俺達』が共鳴し、高まり、力になる。

 その力により、空中に存在する様々な物質やエネルギーが集まり形成するのは生きた鎧。

 鋭角的・生物的なデザインの蒼い鎧が足元から俺の全身を覆い尽くしていき、最後に角の生えた兜と無貌の仮面が俺の頭部を隠す。

 全ての工程の肯定の為に無貌の奥の双眸が輝き、ソレが完成した。


 これが世界融合で得た、戦う為の力を顕在化させた俺の本当の姿。


「創さんっ……!?」

「蒼い眼の、鬼神……?! まさか、貴方こそが……!」


 アル、ラハルが声を上げた。

 その二人に、世界に向けて、俺は高らかに名乗る。


「……第一層基準世界出身。境合者オーバード、十比良創。推して参る!!」

「あははっ、君がそうか……! 統合局が追っているお節介焼き……!

 これは面白くなりそうだ」

「ああ、面白くなるさ。お前の顔面が俺以上に青くなってな」

「それはどうかな? ……行けっ!」


 機械仕掛けのゴーレムが一斉に、俺に向かって走り出す。


 科学と魔法の融合技術の結晶。……確かに凄い。

 全長5メートルの人型の二足歩行……いや走行か。

 その上、コイツらは現状をある程度自身で把握、戦術を選択出来るようだ。

 そこらにいる人間では……いや、騎士や獣人でもそう簡単には勝てないだろう。


 だが、それは。

 このゴーレムを俺が倒せないって意味じゃあない。


「悪いな、斬らせてもらう!」


 叫んだ俺は右手でピースサインを形作り、天に向かって突き出した。

 直後、中指と人差し指の間に青い光刃が形成され伸びていく。早く、速く、長く、長く。


「はぁっ!」


 小さなビル位の高さ・長さで停止した刃を、鬱陶しい蝿を振り払うイメージで360度振り回し、解き放つ。

 四方八方から迫っていたゴーレム達の大半はそれで上半身と下半身を分断され地面に転がった。

 中には活きのいいのがいて、避けた奴、下半身だけでもと迫ってくる奴がなお走る。

 だが、そうして足音が迫り、地面が揺れ、巨大な影が俺を覆っても、焦る気には全くならない。


「積極的なアプローチはありがたいが、俺にそういう趣味はない!」


 刃を展開していた右手を空へと振り払う。

 それと共に形成していた刃が一筋の矢となって、空へと舞い上がる。 


「ブレイクッ!」


 プログラムを打ち上げた刃へと送ると、それに従い光刃が砕け散った。

 そうして、それぞれナイフ程の大きさになったソレらは地上へと降り注ぐ。

 巨人達に降り注がれた光の雨は散弾銃。

 鋼の盾を容易く貫く威力は、実物よりも上だと自負している。

 その自負に間違いはなく、光の雨はその場にいたゴーレムの全てを撃ち砕いた。

 結果、全てのゴーレムは粉となり、瓦礫となり、残骸となり崩れ去っていく。


「やるね……! だが、これだけだと思ってもらっちゃ困る」

 

 舞い上がる土煙の中、フェルが、パチン、と指を鳴らす。

 

「げ」


 思わずそんな声を漏らす俺。

 その理由はフェルが向けた視線の先、神殿の上部にあった。

 悪趣味だと思っていた巨大なグリフォンの彫刻が動き出したのだ。


「造詣が気に入ってたからコッソリ改造しておいた、現在の僕の最高傑作!

 これに勝てれば君達の勝ちだっ!」


 あ、司祭さんが泡吹いてぶっ倒れた。

 まぁ、あれだけ御大層に飾ってたものを勝手に改造されたらなぁ。お気の毒に。


(って、そんな事を考えてられんか)


 雄々しく天に吼えた後、俺を視界に捉えたグリフォンは、神殿を蹴り壊しながら離陸した。


「速っ!」

 

 急降下、というより撃ち出された弾丸の速さで俺に迫る。


(……エネルギー緊急解放ッ!)


 俺の『鎧』の一部……肩・背中・手足・胸部……が形を変える。

 変形した、あるいはスライドした部分の下には、クリスタル状のエネルギーを司る器官がある。

 それは『世界』に触れる事で反応を起こし、俺の意思で機能を発揮させる。

 今の機能は、この姿になった際に蓄えたエネルギーを限定解放。

 そうする事で一時的に身体能力を底上げするというもの。


「っ!」


 増幅された身体能力や感覚器官に一瞬意識が混濁する。

 燃費が悪い上にコレなので、あまり使いたくないが便利なのは事実。

 現に今もグリフォンの攻撃を紙一重で躱す事が出来た。

 若干の距離を取った後、『鎧』の形態を通常のものへと戻す。


「危ないな」


 グリフォンの嘴は、轟音と共に刹那前に俺がいた地面を撃ち抜いていた。


『ピギャァァァッ!』


 地面に刺さった嘴を抜いた後、その場の全員が耳を塞ぐような咆哮を上げるグリフォン。

 嘴が抜かれた後の地面は、直径一メートルちょいのクレーターと化している。


 俺が纏う『鎧』はバズーカの直撃に耐えた実績がある。

 だが、そんな『鎧』でもアレをまともに受けようものなら確実に穴が空く。

 おまけに、あの巨体であの速さ。

 長期戦に持ち込まれたら厄介この上ない。

 ならば、さっさと決着をつけてしまう他ない。


「そっちが切り札を切ったんなら、俺も切らなきゃな。

 展開・収集・収束開始……!」


 再び『鎧』を展開する。

 その直後、俺を中心とした半径数メートルの空間に何処からともなく青い光の粒が生まれていく。

 光の粒……周囲に漂っている世界のエネルギーは、地面から、空中から現れ、俺の周囲に浮かび上がっていく。

 

 そんな中で、パンッ、と音を立てて、胸の前で両手を合わせる俺。

 合わせた手をゆっくりと離していくと、その中に青い光の武器が形成されていく。


 その武器とは、弓。

 腕を限界まで広げた瞬間、弓は弾かれたように宙に舞った。

 落ちてきたソレを左腕で掴んだ俺は、構えて、光の弦を引き絞っていく。

 それと共に、何もなかった空間に光の矢が構成されていく。

 同時に、周囲に浮かんでいた光の粒が渦を巻いて矢の先端……矢尻へと収束していく。

 狙いは勿論、あのグリフォン……!


「残念だけど、切る前に終わりだ!」


 主の声に応えてか、あるいは最初からそのつもりだったのか。

 グリフォンは俺を捕捉し、再び我が身を弾丸として撃ち出した。


 しかし、巨大な獣の弾丸は俺には決して届かない。


 矢尻に収束していく光の渦は防壁でもある。

 真正面からその防壁に衝突したグリフォンは弾き飛ばされ、込めていた力の分だけ地面を転がった。

 

 そして、そうして出来た隙の中で、必殺の弓矢が完成する。


「悪いな。切らせてもらう。見敵必殺、パラドックスショットッ!」

  

 限界まで引き絞った矢を解き放つ。

 矢は俺から離れた瞬間から膨張、三つ又の光の槍へと変形し、目標へと疾駆する。

 グリフォンはそれを視認し、逃れるべく地面を蹴って飛び上がった。

 当然槍は目標を見失う。だが、それはあくまで通常の槍の話。


「なにっ!?」


 フェルの戸惑う声が響く。

 目標を失った光槍が唐突に消失したからだ。

 次の瞬間、空へと舞い上がったグリフォンの眼前に消失した槍が姿を現す。


 突然現れた、逃れたはずの槍から逃れる事が出来ず。

 消失前の速度を維持したままの天翔ける槍にグリフォンは貫かれた。


 直後、空中に縫い止められたグリフォンの周囲に突き刺さったものと同じ槍が現れていく。

 現れた槍の数は百に及び、展開は前後左右、天地無用。逃げ場はない。


 動き出した槍は、最初に刺さったものと同じ速度でグリフォンを撃ち貫いていく。

 並行世界から召喚した槍の群れが、ただ只管に砕き、貫き、穿ち、破壊し、やがて最後の一本が突き刺さる。

 最早光の塊にしか見えなくなったそれを確認し、俺は構えた。

 持っていた光の弓を変化させた、本当の最後の槍を投擲する為に。

 

「ラスト……」


 全力をもって投げ放った弓槍は、最高の速度と威力を持って、グリフォンを貫き、虚空の彼方へと消えていく。 

 

「……ブレイク!」


 そして、光の塊は砕け散り、その中身であるグリフォンもまた爆散した。

 パラパラと光の粉とグリフォンを構成していたものの残骸が辺りに降り注いでいく……。


 そんな中、拍手が響き渡った。

 場違いに思えるような、大きく軽やかな拍手。

 その主はやはりと言うべきか、フェル・ムートルその人に他ならなかった。


「お見事。いや、ここまでやられると文句も出ないね」


 彼は清々しい顔をしていた。

 何処か寂しげな、それでいて何処か楽しげな笑みを浮かべて。


「兄貴とほぼ同じ状況で負ける側になるとはね。立場が逆だからかな。

 世界は不公平だと思うけど同時に悪いものじゃないとも思える。

 不思議なものだよ」

「お前……?」

「同情は無用。互いに全力を尽くし、こちらが負けた。それだけの事。

 アカル殿。こちらの敗北です」

「了解した。ではこの一件、ハジメ・トビラの意思のままに!」

『おおおおおっ!』

「……ふぅ」


 思う所はなくもない。だが、それでも勝ちは勝ちだ。フェルの言葉通りに。

 それを受け取る事が、勝者の礼儀なのだ。

 そうして思考を整えた上で、俺は安堵の息を零しながら『鎧』を脱いだ。

 我ながら、甘い。

 光の粉となって消えていく『鎧』を見ながら思う。


「創、何か言う事はないか?」


 急に辺りが静まっていく。どうもこの場の全員が俺に注目してるらしい。

 ……暴れ過ぎたかもなぁ、と少し反省。


 よし。この際だ。言える事を言っておこう。


「あー、そうだな。負けた奴は勝った奴に従う、そう言ったな、フェルさんよ?」

「ああ、言ったよ」

「じゃあ遠慮なく。まず今回の結婚は破棄。で、それに関する遺恨は無し。

 それと」

「まだあるの? 欲張りだね」

「それが権利だからな。存分に使わせてもらう」

「はいはい。で?」

「ああ。上手く言えないんだが、仲良くする努力を頼む」


 それは、アルの望み。

 難題かもしれないが、言うだけ言っておこうと口にした。


「……仲良くする努力?」

「おう。アル達とだけじゃなく、第三層基準世界の人達と。

 む。いや違うな、いっそ他の世界の人達全般との方がいいか」


 元々権力争い云々があるからこういう事が起こるのだ。

 するなとは言わんが、可能な限り無くすべきモノだってのは、誰にとっても共通だろう。


「ああ、アル達も頼むな」


 俺の言葉に離れた所に立つアルはブンブン首を縦に振った。

 ……ういやつめ。


「というか、いっそどいつもこいつも仲良くなればいいんじゃないか?

 むしろなれっ!」

「……僕だけの頼みじゃなくなってるだろ、それ」

「フェルへのは頼みで、他は希望だ。

 なんでかっていうと、俺も……この街の住人になる予定だからな。

 下らない喧嘩や面倒事は少ない方がいい。

 それは、何処の誰だって基本的には同じだろ」


 好き放題言ったせいか何か視線が痛い、気がする。

 でも、まぁ、こうなったら最後まで言ってしまおう。


「だから、まぁ。

 俺も努力するんで、皆さんも出来たら適当によろしく頼んます。

 皆仲良くっ!」


 俺がそう言い終わるやいなや。

 最初はパラパラと。徐々に大きく拍手が広がっていった。

 

「え? なにこれ?」

「あれだけ暴れた奴の言葉だから、とりあえず従っとこう的な判断じゃない?

 あるいは……少なからず響いたか」

「なんだって?」

「さぁね。……さて、とりあえず邪魔者は去るよ」

「創さんっ!」

「へ? おっとぉぉっ!?」


 ダッシュジャンプで抱きついてきたアルを受け止め……ようとして出来ずに地面に押し倒される。

 直後、周囲から更なる喚声が湧き上がる。


「無事で、よかった……!」


 涙を流し、くしゃくしゃにした顔を胸に押し付けてくるアル。

 あの姿の俺を見ても微塵も怯えていない。……ほんと良い娘だよ。

 そんな彼女の頭を撫でながら苦笑する。


「俺の方こそ良かったよ。有言実行出来て」

「確かに、あれで出来なかったら恰好悪いな」

 

 横合いから掛けられた声に首だけ向けると、耀が立っていた。

 その近くには、クーラさんとラハルもいる。

 ……ほぼ同時に、周囲から騒がしい気配が消えた。


「全く。君は何処まで行っても似たような事ばかりするな」

「……ま、それが俺だからな」


 答えた後、俺はアルと視線を交わし、申し合わせるように立ち上がった。

 涙を拭ったアルは、周囲に視線を送りつつ呟く。


「これは認識隔離結界……? かなりの高等魔法のはず……ですが貴女は……」

「ご想像通り、私は第一層出身の人間だ。

 だが私は貴女の世界と系列が違うものの魔法を自在に操る事が出来る。

 それは私が境合者オーバードだからだ」

「境合者?」

「世界融合の際に誕生した、並行世界の自分自身の力を引き出す事が出来る存在だ。

 通常、並行世界の人間は近似値であれば融合と気づかない融合を行い平均化され、遠ければ別々の他人として存在するものなのだが。

 ごく稀に全ての並行世界の自分を呑み込んでしまう者がいる。

 それが境合者。私であり、そこにいる創だ」

「……まぁ、そういう事らしい」


 実感はないが、それが事実なのは俺自身がよく知っている。 


「境合者は、無限の可能性を内包する現世界の具現者。

 その特殊性ゆえに、境合者は世界間の橋渡しとなる存在だと統合局は確信している。

 それが、世界を渡り歩き、多くの街のトラブルを解決してきた人間ならなおの事だ」

「……いや、あれは単に俺の居場所探しというか」

「居場所がないなら作ってやる。そう言ったはずだ。もう逃がすつもりはない」

「……」

「私と一緒に行きましょう、創。

 同胞が多くいる統合局が貴方の居場所であり、帰る場所になる。

 貴方は好きなように生きて、旅して、その先でお節介を焼いてくれればいいの」


 ああ、そうか。


 耀に掛けられた言葉で、優しい眼差しで、差しのべられた手で、気付いた。


 それは、俺が本当に掛けてほしかった言葉。


 俺は腰を落ち着ける場所が欲しかった。

 でも、それは具体的な、物理的な場所じゃなかった。


 俺を、俺の存在を許してくれる誰か。肯定してくれる誰か。

 その誰かの側が、俺が欲しかった居場所なんだ。


 それは曖昧だった真実。今になって明確に気付けた子供染みた夢想。


 でも、それは。


「……っ」


 微かな重みを感じる。


 見なくても分かった。

 それは、俺の側にいる、アルティーヌの手の重み。

 震えた手で俺の服を握り締めているアルティーヌが、ここにいる。


「耀。俺は」

「……と、誘うつもりだったんだが」

「え?」

「私が誘うつもりだったのは、自分の居場所を見つけられない迷子。

 居場所を見つけた奴と、待っている人がいる奴を誘えはしないな」


 困ったように、それでいてとても優しげに耀は笑う。


「……結界効果はあと十分だ。今のうちに話したい事を話しておくといい。

 終わり次第、やりたい放題やった後始末が待ってるぞ」

「ああ。ちゃんとやるさ。……感謝する」

「気にするな。

 お前が今までの事を自分の我が儘と言う様に、これが私の仕事だからな」


 そうして背を向けた耀は、こちらを見ずに手を振りながら、歩き去っていく。

 ……くっそ。大きな借りだ。今度しっかり返さないとな。


「しかし……なんか、疲れたなぁ」

『お疲れ様です』


 クーラとラハルが揃って言う。

 なんか、やけに丁寧というかなんというか。

 ……主君に仕える武士のような感じだなぁ。


「お互いにな。……悪いんだが、少しアルと二人きりにさせてくれ。

 これからの事の前に、ハッキリさせたい事があるんだ」

『心得ました』

「……ああ、うん。三分位経ったら戻ってきてくれないか?」

『はっ』


 そうしてステレオ的な調子で受け答えしていた姉妹二人が離れた後は、俺と彼女の二人だけ。


「アルティーヌ」

「……はい」

「ありがとう。君のお蔭で、ようやく見つけたよ、自分の居場所を」


 俺は今まで、いや、ついさっきまで誰かに求められる事だけを望んでいた。

 望まれる事、望まれた場所が、初めて自分の居場所になるのだと思っていた。


 でも、きっとそれは違う。


 俺がここにいたいと望み。

 この子がここにいてほしいと望んでくれた。


 想い、想われる事。

 そうなる事こそが、俺が本当に望んだ居場所なんだと。

 この子が望んでくれた事で気付けたんだ。

 そんなこの子の側にいたいと思えたから、気付けたんだ。


「俺、思ってたよりずっと高望みしてたんだけどな。

 その高望みを、君が叶えてくれたよ。

 俺一人じゃきっと一生気付けなかった事を、気付かせてくれたんだ。

 本当にありがとう」

「……それは、私の言葉です。

 創さんはバカみたいな私の望みを叶えてくれた。

 私一人じゃできなかった、悔いのない形で。

 私、分かりません。どうすれば、今の気持ちを表せるのか、もう、全然……」

「俺もなんて言っていいか分からない。でも、これだけは言える。

 アル。大好きだ。もうぶっちぎりで、世界で一番大好きだよ」

「はい。私もです。

 創さん、愛してます。心から、魂から、何よりも誰よりも愛しています」


 そうして俺達はどちらともなく唇を重ねた。

 時間は少しだけ、それでも愛だけは確かに込めて。

 

「……あー、ごほん。そろそろ戻ってくるかな、二人」


 照れ臭いので咳払いしてから言ってみる。

 そんな俺に、アルはニコニコ笑い掛けてくれる。


「そう言えば、結局予知は当たった事になるのか?」

「……どう、なんでしょうね」

「条件的は俺でもフェルでも該当してたよな」


 あるいは、どう転んでもアルの救いにはなっていたのかもしれない。

 ……まぁ今や譲る気は毛頭ないが。


「……もしかして、最初から分かってたんですか?」

「何が?」

「創さん自身も予知に該当してた事に」

「さて、どうかね。ただ、アルと出会って思った事が一つある」

「なんですか?」

「なんていうか、どんなに正確でも予知は絶対の未来じゃないんだって事だな」


 予知はあくまでただの指標。

 決して俺達の未来とイコールなんじゃない。

 

「アルの子孫が力を受け継ぐかどうかは分からない。

 ただ、大事なのは、自分達が何をしたくて、その為に何をすべきなのかって事じゃないか?

 未来が見えても見えなくても、それが一番大事なのは間違いないだろ。

 俺達がそうしたように」

「……はい」

「まぁ俺らの取った方法は色々迷惑だったり、行き当たりばったりだったからその辺反省だが……。

 って、どうかした? 難しい顔して」

「少し他人事な口調だったもので。私達の事なのに」

「え?」


 アルの発言の意図が上手く呑み込めず、首を捻る。

 そこに二人が戻ってきた。


「もうよろしいでしょうか」

「ああ。……さっきからどうしてそんなに丁寧なんだラハル?」

「これからの事についてですが、いかがなさいますか」

「いや、だから。……まぁいいが。

 どうするかって、事後処理とか俺の住人登録とか、それから……」

「いえ、それはそれとして。挙式はいつに?」

「……挙式? いやだなぁ、クーラさん。それはさっき俺達がぶっ壊しただろう」

「そちらではなく、ハジメ様とアルティーヌ様の式です」

「…………。俺の、俺達の、式?」

「はい。その式をもって、ハジメ様に我らが当主となっていただきますので」


 クーラさんの言葉を理解した瞬間。俺の思考はフリーズ。

 直後、色々なものが俺の中で爆発した。


「えええええぇぇぇぇっ!? いや、ちょ、待て! 待った!」

「待てとはなんですか」

「クーラさん、いや、三人とも、冷静に考えるんだ。

 何故そうなる?! 血筋とか関係ない的な流れじゃなかったっけ!?」

「何をおっしゃいますやら、ハジメ様。

 わたくしたちは没落する事や血が薄れていく事は覚悟しておりましたが、血や家系を途絶えさせるなど言っておりません」

「そ、それは確かにそうかもだが、俺は当主になんて……!」

「……ほほぉ、つまりアルティーヌ様を騙して捨てると?」

「いやいやいやいや、違う違う! 話が飛躍し過ぎ!

 勿論アルは大事にするし、未来についても建設的に考えるつもりだが、結婚は早いだろ!!

 なぁアル。アルからも何か……」

「あの、創さん。私達は愛し合いましたよね? 少なくとも心は」

「え? あ、ああ、うん、勿論」

「結婚にそれ以上の事実確認は必要なのでしょうか?」


 きょとん、という表現が相応しい表情のアルティーヌ。

 本気だ。マジだ。


「い、いや必要ないと思うぞ、うん。

 でも、より深く相手を知ってからでも遅くはないと言うか」

「大丈夫です創さん。互いを深く理解する時間は結婚後にたくさんありますから」

「あ、ああ、それは、そうだが」

「それに住民登録は婚約届と同時進行の方が面倒が少ないと思うんです。

 創さんはどう思いますか?」


 この時、俺は思った。

 アルティーヌの輝かんばかりの、心からの笑顔を見て。


 ああ、詰んだなぁ、と。穏やかな心で確信出来た。 


「……」

「創さん?」

「ああ、そうだな」


 アルの頭を撫でる。

 纏化した俺でも抱えきれないかもしれない、とてつもないデカさの気持ちを込めるように。

 

「いつかはともかく。結婚しよう、アル」

「……はいっ」


 これでいい、と俺は思った。

 俺の心を捉えて離さない、アルティーヌ・レネミスという、世界でただ一人の少女を見つめながら。




  ……終わり。      

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オーバーワールド・フラグメント 渡士 愉雨(わたし ゆう) @stemaku

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