第5話

 深夜零時。一人で、中庭の温室に来てほしい。

 ルークからそう言われたミハルは、深夜にこっそりと客室を抜け出し、中庭へと駆けた。今夜は満月。煌々と照らす月明かりのおかげで、灯りを持たずとも足元に不安はなかった。

 何も悪いことはしていないはずなのに、心臓が音を立てている。深夜に王と二人きりで面会など。知られたら、何を言われるかわかったものではない。

 足早に温室のところまで行き、扉に手をかける。鍵はかかっていなかった。

 そのままそうっと扉を開けて、中に入る。温室の中は暖かく、鮮やかな花々が咲いていた。背丈の大きな草木も茂っている。


「王様ー……?」


 小声で、こそっと呼んでみる。


「こちらだ」


 びくっと大きくミハルの肩が跳ねる。聞こえた声のほうに勢いよく体を向けると、大きな葉に隠れるようにして、ローブをまとったルークが佇んでいた。


「び、び、びっくりさせないでください。ていうか、なんで王宮内でそんなローブを」

「まず一度、この姿で会っておく必要があった」

「は……?」

「いいか。今から何が起こっても、決して騒ぐな」


 ミハルが返事をしない内に、ルークは葉の下から出てきた。ローブを取ると、艶やかな黒髪にガラス越しの月光が反射する。

 すると、その黒髪がさわりと伸びて。黒曜石の瞳は月光と同じ金色に輝き。

 全身が、豊かな毛並みに覆われた。


 ミハルは、絶句して開いた口が塞がらなかった。


「何を阿呆面をしている」

「だ……っな……っ」

「これが、俺が獣人に拘った理由だ。俺は――黒狼こくろうだ」


 黒狼。それは、神獣とも言われる、神の御使い。

 かつてラドルカ王国を造った賢王レイモンド。彼が従えたという、聖なる獣。

 獣人の中にも、狼の獣人はいる。しかし、黒い毛並みを持つ者は誰もいない。それは神話の生物だからだ。

 それが今、目の前に。


「これは、王家のみに伝わる秘密なのだが」

「ままま待ってください、言わないでください。そんな秘密抱えたくありません聞きたくないです」

「ラドルカ王家には、代々黒狼の血が流れている。王族は、純粋な人間ではない」

「聞きたくないって言ったのに!!」


 王への礼儀も忘れて叫ぶミハルに、ルークは更に続ける。


「ほとんどは人間と大差ない。しかし稀に、俺のような先祖返りが生まれる。満月の夜にだけ、月光を浴びると獣の本性が姿を現す。それが、今日お前をここに呼んだ理由だ」


 ミハルは項垂れた。重い。重すぎる。そんなことを自分に話して、いったいどうしようと言うのだ。


「つまり……王が獣人を王宮に呼びたいのは、仲間が欲しい、ということですか?」


 呆れたようなミハルの言葉に、ルークは金の目を見開いた。


「違うんですか?」

「いや……獣人と俺は、仲間……に、なるのか?」

「さぁ……。厳密には違うかもしれませんが。でも、要は寂しかったんでしょう。周りは全員人間で。自分だけが、違う生物だから。少しでも自分を、わかってくれる存在が欲しかったんじゃないんですか」

「寂しい……」


 およそ縁の無い言葉なのか、確かめるようにそう呟くルークを、ミハルは複雑な目で見ていた。

 子どもたちと同じだ、この人は。自分の感情が、自分の望みが、整理できていないのだ。

 それはミハルにもわからない。ミハルはルークの性格を深く把握できるほどの付き合いはないし、彼が今までどのように生きてきて、王位に就いたのかも知らない。獣の姿になれることで、彼が、どのような傷を負ったのかも。


「王は……どうして私に、秘密を明かしたんですか」

「……お前は、人間でありながら、獣人たちと共に暮らしている。多くの人間は、獣人のことをさほど知らない。だから……お前なら、人間の視点から、獣人のことを、理解できるだろうと」

「あなたのことも、ですか」

「そう……だな。そうかもしれない。獣人の中に、一人でいるお前なら。人間の中に、一人でいる俺のことも。きっと……」


 そこまで言って、ルークは口を噤んだ。子犬が寂しがる時の、きゅう、という鳴き声が聞こえた気がした。

 獣人は、感情表現が素直だと思う。人間のように、ごまかしたりすることもできるが。気を抜くと、鳴き声や、耳や尻尾に、感情が表れてしまう。それを獣人たちはあまり良く思っていないようだが、ミハルからすれば好ましいことである。人間より、嘘が下手だから。人間より、人を欺くことに不向きだから。


 ミハルはその瞬間だけ、ルークが王だということを忘れた。青空教室の、子どもたちと同じように見えた。だから。


「毛並み、ふわふわですね」


 そっと抱きしめたルークの体は、子どもたちと変わりない、ふかふかの体だった。柔らかくて、温かい。けれどやはり成獣だからか、毛並みの奥には筋肉の硬さを感じた。

 ルークは手をうろうろとさせて、そのまま下げた。獣の姿で人と触れ合うことに慣れていないのだと思った。爪で傷つけるのが怖いのだろう。

 この人は。この姿の時、常に一人だったのかもしれない。

 人間の中で。誰が教えてくれることもなく。獣の自分を、持て余して。

 同じ姿の獣人たちを、人間が蔑む時。彼は、自分も蔑まれている気分だったのかもしれない。

 だから自分は、一人なのだと。この姿は、人間に嫌われるものなのだと。

 さりとて獣人に混じって暮らすわけにはいかない。彼は人間の王だから。人間として、誰よりも立派でいなければならないから。


 人間の自分と、獣の自分を。両方受け入れてほしいと思った時。人間と獣人が変わりなく暮らす国だったら。どちらの姿であっても変わりないと、思ったのかもしれない。


 ルークは、何も語らなかった。

 ただ耳元に、きゅう、という音が聞こえた。



+++



 人々が活動する音が聞こえて、朝の訪れを知る。

 鳥の鳴き声で目覚める普段とはえらい違いだ、とミハルは大きく伸びをした。


「昨日のこと、全部夢だったりしないかなぁ……」


 げっそりとした顔で呟く。王家の秘密など知って、ただで帰れるのだろうか。嫌な予感に胃がきりきりと痛む。

 できることなら穏便に済ませていただきたい。平穏を望んで、あの谷でのどかに暮らしているのだから。


 身支度を済ませて暫くすると、侍従に呼ばれ、食堂へと通された。

 てっきり侍従たちと同じ食堂かと思いきや、明らかに賓客を通すための長テーブルの置かれた食堂に案内され、冷や汗をかきながら席に着く。

 びくびくしながら待っていると、予想通り、ルークが食堂に現れた。彼が上座に座ると、間もなく朝食の皿が並び始める。

 自然な様子で手をつけるルークを遠慮がちに眺めていると、視線に気づいた彼が促す。


「どうした? 食え」

「い、いただきます」


 おそるおそる食事に手をつける。温かなスープは透きとおった色をしているのに、野菜の旨味がしっかりと出ていて、手間がかかっていることが一口でわかる。パンもふかふかで焼きたてだ。オムレツはとろっとしていて、焼き加減はおそらくルークの好みに合わせてあるのだろう。朝からこれほど手の込んだ食事が摂れるとは。

 食事は美味しいが、沈黙が怖くて集中できない。ルークから何か言い出すまでは、自分から話しかけるのはためらわれて、ミハルは黙々と朝食を食べた。


「昨日のことだが」


 結局、ルークが口を開いたのは、朝食を全て食べ終えた後だった。食事をしながら会話する、という習慣がないのかもしれない。お行儀の良いことだ。


「まず、王家の秘密は決して口外しないことだ。誰かに漏れたら首が飛ぶと思え」

「それは、勿論」


 というか、誰かに喋ったところで誰も信じないだろう。命が惜しいので言わないが。


「それから。俺は、獣人に関して諦めたわけではない。難しいことだというのはお前の話でよくわかった。だから慎重に、少しずつ進めたいと思う」

「はぁ……それは、頑張ってください」

「何を他人事のように」


 いや他人事ですし。とは口に出せず、しかし表情で雄弁に語ってしまったのだろう。ルークが眉を寄せた。


「施策を進めるにあたって、お前を相談役に据えたいと思う」

「はぁ……。……は!?」


 一度受け流して、その言葉を反芻して。ミハルは大きな声を上げた。


「な、何を突飛なことを」

「突飛ではない。元より、そのつもりでお前を呼んだ」

「馬鹿なこと言わないでください。こんな小娘、王宮に出入りしているだけでも問題ですよ。それを、相談役だなんて」

「そう大仰に捉えなくていい。何も元老院のジジイ共の前に引き出そうってわけじゃない。ただ、個人的に俺の相談にのってくれればそれでいい」

「いや個人的にって。むしろそっちの方が大問題ですよ」


 王が庶民の小娘に、個人的に話など。どんな醜聞が立つことか。


「私はリルカの谷に帰ります。どうしても話がある時は、王が忍んで谷まで来てください」

「お前俺を呼びつける気か」

「私が来る方が問題でしょう! 別に来なくてもいいんですよ。私の方から呼ぶことはありませんから」


 きっぱりとそう告げると、ルークは顔を顰めた。

 しかしここは譲れない。人を呼びつけておいて、相手の了承もなしに手元に置けると思ったら大間違いだ。王だからって遠慮するものか。用がある方が来い。


「……帰さない。と言ったら?」


 意地悪く笑ったルークを、ミハルは半眼でねめつけた。


「あなたとは二度と口をききません」


 子どもっぽい言い草だが、効果はあったようで、ルークは口をへの字に歪めた。

 目には目を。幼稚な意地悪には幼稚な意地悪を。

 話し相手がほしいのに、話してくれないのでは意味がないだろう。

 不満そうにしていたルークは、やがて大きく息を吐いた。


「……わかった。今日のところは、一度帰す」

「いや、だからもう来ませんてば」

「近辺を整理する時間くらいはやろう。日を改めて、また迎えをやる」

「応じませんからね!? 絶対やめてくださいよ!?」


 平穏を壊されてなるものか、とミハルは言い募ったが、ルークはどこ吹く風だ。

 冗談じゃない。もう二度と、王宮になど来てたまるか。


 ミハルの願いは叶うのか。

 それは、神のみぞ知る、というやつである。

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