第4話

「せんせー、ここの計算わかんない!」

「どれどれ。ああ、それはね」


 リルカの谷に、初夏の風が吹く。国王が訪れるという大事件の起きた春先のことなどすっかり記憶の底に沈んで、ミハルは変わらぬ日常を過ごしていた。


 しかし日常とは。突然壊れるものである。


「……? なんか、騒がしい?」


 家々のある方角が、ざわついている。ちらちらと気にしていると、そちらから数人の人がやってくるのが見えた。

 人間、だ。それも、兵士だ。

 ミハルは子どもたちにその場から動かないように言いつけて、自分から来訪者たちの元へ歩み寄った。


「何かご用でしょうか」

「お前がミハルだな」

「初対面の方にお前呼ばわりされる覚えはありませんが」


 毅然とした態度で迎えたミハルに、兵士は眉を顰めた。


「お前には、我々と一緒に来てもらう」

「……理由は?」

「お前は知らなくていい」


 高圧的な物言いに、ミハルの顔が険しくなる。


「嫌です」

「お前に拒否権はない」

「そんな馬鹿な話は聞けません」

「いいから来い!」


 いらついた兵士が、ミハルの手を掴んだ。その瞬間。


「せんせーをいじめるなっ!」

「いてぇッ!?」


 子犬の男の子が、兵士の足に噛みついた。


「この……ッ! 獣人風情が!」

「やめてください! 子どもですよ!?」


 蹴り飛ばそうとした兵士を、辛うじてミハルが押し留める。


「わかりました、行きます。行きますから、子どもたちに何もしないで」


 ふん、と鼻を鳴らして、兵士はミハルを引っ張る。


「先生!」

「大丈夫、すぐ帰ってくるから。いい子で待っててね」


 子どもたちを不安にさせぬよう、精一杯の笑みを浮かべて、ミハルは兵士たちに連れられていった。



+++



 谷を出たところから馬車に乗せられ、街道沿いを走る。

 馬車に揺られている間、ミハルはずっと俯き、終始無言だった。

 いったい何だというのか。捕らえられるような罪は何も犯していない。あの谷に人間はミハルしかいないが、獣人と人間が共に暮らすことは禁じられてはいない。ミハルの分の納税は、集落単位でまとめて納めている。

 こんな風に扱われる覚えは、一切ない。

 ミハルは膝の上で手を握りしめ、唇を噛んだ。


 そうして長い時が過ぎ、休憩を挟みながら辿り着いたのは。


「王宮……?」


 ラドルカ王国、首都マハルルト。その中心にある、王の居住地。

 なぜ、こんな場所に。

 目を白黒させていると、兵士から侍従に身柄が引き継がれた。先ほどまでの高圧的な態度の兵士とは打って変わって、侍従の物腰は穏やかで丁寧だった。それでも、案内される間、ミハルはやはり暗い顔で俯いていた。


 ――人間ばっかり。


 当たり前だ。ここは国の首都、それも王宮内である。首都に獣人が全くいないわけではないが、事情があって出稼ぎに来ているものがほとんどだ。王宮に仕えるような職にはつけない。

 久しぶりに見る大勢の人間に、ミハルは顔色を悪くしていった。


「こちらでお待ちください」


 応接室に通されて、ミハルは沈み込むようなソファに座らされた。

 丁寧にお辞儀をした侍従が出ていき、部屋にはミハル一人になった。

 こんな豪奢な部屋には入ったことがない。天井が高くて、思わず首が痛くなるほど見上げてしまう。

 何をしでかしたのか、と不安に思っていたが、罪人であればこんな場所に通されるわけがない。この扱いは、いったい。


 がちゃりと音を立てて、何の前触れもなくドアが開く。驚いて視線をそちらに向けると。


「あなたは……!」

「久しいな」


 ノックもせずに部屋に入ってきた、黒い髪に黒い瞳の青年。急激に記憶が蘇る。


「ルーク国王……」


 春にリルカの谷をお忍びで尋ねてきた男性。ラドルカ王国現国王、ルーク。

 ミハルが慌てて跪こうとすると、手で制される。


「良い。お前は客人だ。そう畏まるな」

「……客人?」

「ああ。俺が呼んだ」


 呼んだ。俺が。――王様が?


「な……ど、どうして」


 わなわなと震えるミハルを尻目に、ルークは対面のソファにどかりと腰掛けた。


「少し話がしたくてな。だが、俺はそう何度も王宮を空けるわけにはいかない。そこで迎えをやって、お前の方から来てもらうことにした」

「迎えって……あれのどこが!? 完全に連行でしたよ!? 何も教えてくれませんでしたし!」

「王から直々の呼び出しとなれば、騒ぎになるだろう。要らぬ噂が立たぬよう、内密にと頼んであったんだが。粗相でもあったか?」

「まるで犯罪者扱いでしたけど!」


 相手が王だということも忘れて、ミハルは不満をぶちまけた。自分が、ここに来るまでどれほど緊張したことか。


「そうか。なら、お前を連れてきた兵士は処分しておくか」

「え、い、いえ、そこまでは」

「そうか?」


 不満はあるが、自分の一言でその兵士がどうにかなってしまうとなれば、さすがに怖気づく。平然と言ってのけるルークに、やはりこの人は王なのだ、と思った。

 しかし、この容赦のないやり方。


「笑顔は、どうしたんですか……?」

「は?」

「いや、だって。ずっと仏頂面してるし、すぐ処分とか言い出すあたり、部下への接し方が優しいとも思えないですし。ちゃんと実践してるのかなって」


 ついぽろっと口から出た言葉を慌てて取り繕うと、ルークが苦々しい顔をした。


「ああ……やってはみたがな。不評だったからやめた」

「笑顔が不評って」

「気味が悪いと言われた。こっちがせっかく歩み寄ってやったというのに」


 舌打ちしかねないルークに、ミハルは呆れた。それはよほど普段の行いが悪かったか、笑顔が下手だったのでは。


「では、また部下とのご相談ですか?」

「それもあるが……今回は少々、違う話をしたくてな」

「違う話?」

「王宮に入ってからこの部屋に来るまで、役人や侍従とすれ違っただろう」

「ええ、まぁ」

「その中に、獣人はいたか」

「いませんけど……?」

「いたらどう思う」

「それは……」


 王宮に、獣人の姿があれば。ミハルは言い淀んで、目を伏せながらも素直なところを告げた。


「……何か、したのかなと」

「それは何故だ」

「獣人が、王宮に仕えられるわけがありません。兵卒ならまだしも……王宮内に姿があれば、何か罪を犯して、裁かれるのかなと」

「獣人と暮らしているお前でも、そう思うのか」

「私が獣人をどう見ているのかと、現状国で獣人がどう扱われているかは関係がありません。いったい何なんですか」


 自分が獣人を差別的に捉えていると言われた気がして、思わずむっとしてミハルが問う。それにルークは悪びれるでもなく、淡々と答えた。


「王宮に、獣人を登用できないかと考えている」


 唐突な言葉に、ミハルはあんぐりと口を開けた。


「なんだその馬鹿面は」

「な……っ! ば、馬鹿って、どっちが!」


 反射的に言い返して、はっと口を噤む。王に向かって馬鹿とは、不敬罪に問われても文句は言えない。


「不可能だと思うか」

「……無理でしょう。前例がありません。いくら王のご意向でも、他の方々は納得しないでしょう」

「……前例、か」


 視線を逸らしてそう呟いた王を訝しみながらも、ミハルは尋ねる。


「何故、急にそんなことを?」

「我が国には、人間と獣人がいる。どちらもラドルカの民だ。だというのに、首都には人間ばかりで、王宮には獣人の一人もいない。だから政策は常に人間のためだけのものになる。獣人はいつまでたっても各集落で、前時代的な生活を送っている。獣人から官僚の一人でも出れば、そんな状況も変わるかと思ったのだが」

「……どなたか獣人から、変えたいとの訴えが?」

「……いや」

「では、放っておいても良いのではないですか。獣人たちは、概ね現状に満足しています。無理に人間と混ざる気はありません。何故王が急にそんなことをお考えになったのかはわかり兼ねますが、当の獣人たちが問題にしていないのですから、あなたが一方的に必要はないんじゃないですか」


 つい、つっけんどんな言い方をしてしまう。しかし、これがミハルの本音だ。

 先ほども引っかかった。歩み寄ってやった、という言い方。

 この人は。相手を一方的に下に見て、施してやった気になっているのではないか。

 勝手に哀れんで、優越感に浸っているのではないか。

 そういうやり方をする者は、期待した結果にならなかった時に相手を罰するものだ。勝手にやって、勝手に怒って、勝手に傷つけていく。

 そんなもの。最初からやらなければいいのに。


「不変のものなど、ない」


 その声色に、どきりとした。


「今、獣人たちが集落に暮らしているのは、かつて人間が迫害したからだ。今は多少の交流はあるものの、獣人と接することなく大人になる人間もいる。そうなると、獣人のことは何も知らない。周囲の大人から聞いた情報だけが、その者の知識となる。獣人と接したことがなく、獣人を肯定的に見ている者は少ない。いずれ、獣人のことをろくに知らない者たちばかりになれば……獣人を住まわせる必要などない、と言い出す者が出るだろう。国が飢饉に見舞われれば、獣人から真っ先に切り捨てることは目に見えている。知らないものを恐れるのは人間の心理だ。知らないから拒絶する。俺は、人間たちに、獣人のことを知ってほしいと思っている」


 ミハルはうろたえた。この人の言葉に、嘘は見えない。

 しかし、疑問は拭えない。王族など、それこそ幼少期からろくに王宮から出たことなどないだろう。当然、獣人と接した経験もほとんどないはずだ。では何故、ルークはここまで獣人に肩入れしているのだろう。

 国民だから、では説明できない。かつての王は、そうしてこなかった。不平不満が上がっているわけでもない。その発想は、どこから来たのか。


「知ってほしい、と言うからには。王は、獣人のことをよくご存じなのですか」

「よく、と言えるかどうかはわからない。多くの獣人がどうしているかは、俺も知識でしか知らない。ただ……人間と獣人の違いは、体が異なるだけだ。心は、変わらないのだと。それだけは、どの獣人も違いはないのではないか、と思っている」


 それは、誤りではない。誤りではないが、その体の違いこそが、最も大きな障害なのだ。それをこの人は、わかっているのだろうか。


「獣人は知能が劣るわけではない。学ぶ場さえあれば、獣人でも政治に関わることはできるだろう。獣人の意見が通るようになれば、獣人の抱えている問題も把握できる。人間と同じ立場にもなれるかもしれない」

「それは……難しいと思います」

「何故だ」

「私がどうして集落で勉強を教えているか、わかりますか」

「獣人の学校がないからだろう。しかし、人間の学校に獣人が通うことを禁じたのは、古い規則だ。まずは、固定観念を持たない幼少の頃から一緒に生活すれば、互いのことがよりわかるだろう」

「それで問題が起きたから、禁じられたのです」


 ルークが眉を顰める。どうやら心から獣人のことを考えている風のこの人に、否定的な言葉を投げるのは気が引ける。それでも、無理なものは無理だ。


「先ほど、王がおっしゃったのですよ。獣人と人間は、体が異なると」

「それがどうした。勉学の場で、何故それが問題になる」

「獣人には、牙や爪を持つものが多くいます。それが人間にとってどれだけの脅威か、想像できますか?」


 眉を下げたミハルに、ルークが目を瞠った。


「子どもというのは、加減の下手な生き物です。だから、子ども同士の触れ合いでそれを学んでいきます。獣人同士は、体が丈夫です。同じ種族だけで固まる集落は限られていますから、体の作りは違うことが前提です。種族が違っても、逆にあまりにも体格が違うから、それぞれの遊び方を、体感で学んでいきます。けれど、人間は違います。人間は、ほとんどが似た体格をしているから、違った種族への気づかいがうまくできません。自分たちが多数だから、言葉にしなくても当たり前に理解されると思い、相手への説明を怠ります。獣人の方も、人間はそれなりの体格をしているから、その柔さに気づけず、深く傷つけてしまうことがあります。単純に、危険なんです。これは大人が注意して、防ぎきれるものではありません。勉学の場であっても、一つの学び舎に人間と獣人を詰め込んでしまうと、必ず事故が起こるんです。だから、人間の学校に獣人は通えないんです」


 ミハルの切々とした言葉に、ルークは自分が拒絶されたかのように傷ついた顔をした。


「成長してから学ぼうと思っても、幼少期の土台が無いので、独学では難しい。大人に基本的なことから教えてくれる場所はない。そこまでして無理に学ぶより、集落で農業や林業に従事した方が、獣人にとっても楽なんです。獣人は人間より気性が穏やかです。自分たちが本気で爪や牙を振るえばどうなるかわかっているから、集落で大人しく暮らしています。今のこの生活を壊してまで、王宮に獣人を呼ぶのは、果たして獣人のためになるでしょうか」


 ルークは暫く下を向いたまま黙って、やがてぽつりと呟いた。


「そうだな。どれだけ理屈を並べてみたところで、結局、俺は俺のためにしかものを考えられないのだろう」

「……獣人を王宮に呼ぶことが、王のためになるのですか?」


 ミハルの疑問に、王はまた暫く黙った。


「お前は何故、獣人の集落で暮らしている」

「私は……」


 ミハルが言い淀む。それを答える義理はない。けれど、今この人は、その答えを切望しているのだと思った。


「……私は、人間が苦手なのです。人間のくせに何を、とお思いでしょうが。人間の暮らしに馴染めずに、一人で暮らすところを探していた折、獣人のご家族に受け入れていただきました。その時から、私はリルカの谷の住人なのです」

「そうか。俺も、人間は苦手だ」


 どういうことか。ミハルが首を傾げる。


「お前に、知ってもらいたいことがある」


 縋るような目に、ミハルは嫌とは言えなかった。

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