第3話

「せんせー、さよーならー!」

「はい、さよなら」


 本日の青空教室は終了。子どもたちに手を振って、さて今日は誰も来ないといいな、とミハルが思っていると。


「少し、いいだろうか」

「……はい」


 ミハルは驚いたが、動揺を隠すように静かに返事をした。しかし、ばくばくとうるさい音を立てる心音は隠せない。


 ――人間だ。


 彼は、目深にフードを被っていた。ろくに顔は見えないが、声からするとまだ若い男性のようだった。全身を覆うローブを着ていて、背丈がミハルよりずっと高いことくらいしかわからない。


「何の、ご用でしょうか」

「ここでは、諸々の相談事を受けていると聞いた。まさかお前のような少女だとは思わなかったが……」

「へ?」


 ぱちり、とミハルは目を瞬いた。


「ということは、何か、ご相談が?」

「その、つもりだった」


 あちゃぁ、とミハルは額に手を当てた。何かしらの間違った噂が、伝わってしまったのだろう。こんなところまで、人間がわざわざ。


「ごめんなさい。どんなお話を聞いたのかはわかりませんが、私はこの谷で、集落に住む獣人たちのちょっとしたお悩みを聞いているだけなんです。そんなご意見番のような、本格的なものではなくて」

「みたいだな」


 舌打ちしかねない声色で、男性が呟いた。それに、ミハルはちょっとむっとする。

 望んだものとは違ったのだろうが、それはミハルのせいではない。勘違いをしたのはそちらなのに。


「ご用が済んだのなら、お帰りを。あまり人間が長居すると、獣人たちが気にします」

「お前も人間だろう」

「……私は、もうこの谷の住人ですから」


 声のトーンを落としたミハルに、男性はさして興味もなさそうだった。


「まぁ、いい。わざわざこんな場所まで来たんだ。お前でもいいから、話を聞け」

「あなたのお話を聞く義務は、私にはありません」

「相談料なら払ってやる」


 じゃらり、と貨幣の入った袋を渡されて、ぎょっとする。畑仕事の何ヶ月分の給金だろう。


「要りませんよこんなの!」

「なんだ、欲がないな」


 男性は袋から三枚ほど貨幣を取り出して、それをミハルに握らせた。


「こんなものならいいだろう」

「ちょ、ちょっと」

「受け取ったな。なら話を聞け」

「そんな強引な……!」


 ミハルの抗議を聞かずに、男性はその場に腰を下ろした。渋々、ミハルも横に座る。


「それで、ご相談というのは」

「部下に、怯えられている」

「……は?」

「何か、打ち解ける良い案はないだろうか」


 ミハルは、信じられないものを見るような目で男性を見つめた。


「まさか、それを聞きに、わざわざ、人間の街から、リルカの谷まで?」

「悪いか」

「だって、ご意見番を欲するくらいですから、よっぽど深刻な悩みなのかと」


 そう言うと、男性はかちんときたように眉を顰めた。ように感じた。


「俺にとっては深刻だ」

「……ごめんなさい」


 これには、ミハルも素直に謝った。何を重視するか、何を苦痛に思うか、そんなものは人それぞれだ。他人からしたら笑い飛ばしたくなるようなことですら、死に値する者もいるだろう。ミハルの物差しで軽率に答えたことは、配慮に欠けた。


「ただ、その内容なら、お仕事のことをよく知る同僚や……あるいは、あなたのことをよく知る、ご友人に聞いた方が、適切な答えが得られるのではないでしょうか」


 ミハルはこの男性のことを何も知らない。その状態で、男性の何が原因か、など、わかるはずもない。


「……身近な人間に相談するわけにはいかないんだ」


 それは、立場の問題なのか、交友関係が狭いのか。友達いないんですか、なんて、それこそ軽率には聞けない。

 うーん、とミハルは唸りながら腕を組んだ。


「怯える理由は、なんとなくわかりますけどね。あなた、威圧的ですもん」

「上に立つ者は、尊大に振る舞うものだろう。そうでなければ威厳がない。畏怖されなければ、人がついてこない」

「そうでしょうか」


 ミハルは首を傾げた。男性が先を促す。


「確かに、威厳は必要です。けれど、それは頼れる人だ、と思うからです。頼りがいのある人が、怖い必要はありません。その人についていけば希望がある、と思うのか。その人に逆らえば絶望しかない、と思うのか。それは、全く違うことです」

「人に希望を信じさせることは難しい。なら、まずは逆らう意思を折るべきじゃないのか。結果がついてくれば、過程はどうであれ問題ない」


 うーん、とミハルは虚空を見上げた。


「でもあなたは、部下と打ち解けたいと言いました。それはつまり、部下が怯えている現状で、何かお仕事に支障をきたしているからです。それを改善したいと思ったから、私のところに来たんですよね?」

「……そうだ」

「なら、まずはその考えを捨てましょう。人を怖がらせる必要はありません。人と打ち解けるには、まず笑顔です!」


 にこっと笑ったミハルに、男性は嫌そうに顔を歪めた。気がした。


「そんな馬鹿みたいな顔ができるか」

「馬鹿ってなんですか! 笑顔は一番手軽なコミュニケーションツールですよ。笑顔一つで人がついてくるなら、安いもんでしょう!」

「そんなものに人がついてくるか」

「笑顔は余裕の表れです。些細なことでは心を乱しませんよ、という意思表示です。怒ってみせる方が簡単なんです。交渉事で相手が怒ってきた時、こちらも怒り返したら、同程度の相手なんだな、と思うでしょう。でも一方が喚いていて、一方は笑みで答えていたら? あなたは自分が威圧している時に、相手が余裕の笑みを崩さなかったら、どう思いますか?」

「……むかつくな」

「そうですよ。笑顔は、味方にとっては頼もしく、敵にとっては苛立つものです。常に、とは言いませんが、笑顔を使えて困ることはありませんよ」


 ミハルにそう言われた男性は、暫くむっつり黙って。


「……善処する」


 それだけ答えた。あまり手ごたえのない回答に、ミハルは少しだけ悪戯心が働いた。


「全然笑顔ができそうな声じゃないですね。少しここで練習していきますか?」

「嫌だ」

「だって、人間の街に戻ったら、相談できる人はいないんでしょう。笑顔ができているかどうか、私くらいしか判断できないんじゃないですか?」

「馬鹿にするな、鏡くらいある。一人でもできる」

「どうですかね~。そもそも、人に相談するのに、顔を隠しっぱなしというのはどうなんですか。今なら近くに獣人の姿も見当たりませんし、取っても大丈夫だと思いますよ」

「……お前にも、顔を見られるわけにはいかない」


 見られるわけにはいかない。見られたくない、ではなく。

 その言葉に、ミハルは嫌な予感がひしひしとした。これは、深追いしない方がいいやつだ。


「わかりました。では、ご自宅でゆっくり練習してください」

「そうする」

「それでは、お元気で」

「ああ」


 立ち上がって、服についた草を払う。男性も同じように立ち上がった、その瞬間。


「ひゃっ!?」


 突風が吹いた。男性はフードを押えようとしたが、ちょうど立ち上がろうと手をついていたので、それがうまくいかずに。

 フードが、外れた。


 その顔を見て、ミハルは息が止まった。風に靡く黒い髪。黒曜石の瞳。切れ長の目元。精悍な顔つき。歳の頃は、二十代半ばほど。

 その人は。


「お、お、お、おうさ……っ」

「騒ぐな」


 大声を上げそうになったミハルの口を、男性が塞いだ。間近に迫った夜の瞳に、目を奪われる。


「いいか、俺がここに来たことは絶対に口外するな。内容もだ。誰かに喋ったら死刑だと思え」


 こくこくと、首がもげそうなほどに頷く。


「わかったらいい。……いいか、絶対だからな」


 念押しをして、フードを被り直した男性は谷から出ていった。


「…………うそぉ」


 残されたミハルは、呆然とその場にへたり込んだ。

 彼こそは。即位してから僅か一年ほどの新王。

 ラドルカ王国国王ルーク、その人である。

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