最終話 楽園のリンゴ
「
シューニャの意志の断末魔がスピーカーから流れてきていた。
人工知能だとはいうけれど、この後悔や執着は生命を持つものとも思えた。あるいは人間の思考を
けれど、やはり生あるものの最期であるかのように感じてならない。
けれど、スー。欲望をコントロールするのが上手いって、あんた、ドゥア=プルフとトゥエンティ=ワンを食べちゃったんだぞ。よく言えたもんだ。
「あのね、エナムくん、欲望のコントロールって禁欲することじゃないのよ。欲望は適度に吐き出すことで、程よくコントロールできるってものなの。
だから、あの後も周囲を喰いつくして、それでようやく理性を取り戻せたの」
あっけらかんと、そんなことを言う。そんな軽いことなのか。倫理観が狂っている。
いや、言うまい。スーもまた苦しく思っているのかもしれない。
「ねえ、スーちゃん、エナムちゃん、そんな話している場合じゃないみたいよ」
ジェーデンの
どういうことなのか、様子を窺うと、床が動いているのがわかった。床が開き、そこから、いくつもの銃器が顔を出す。
シューニャの意志の悪あがきか。このまま、私たちを殺そうというのだろう。
「ちょ、逃げるよ、女将さん、エナムくん!」
スーが慌てた声を出した。しかし、もう遅い。銃口から吐き出される銃弾によって、今すぐにでも私たちは蜂の巣になってしまいそうだ。
私は死を覚悟していた。
ズドンッ
床を何かが貫いた。何か茶色いものが剥き出しになり、銃器をすべて跳ね除けていた。
それは木の根だ。木の根が急に突き出してきたのだった。
「これは
思わず、声を漏らした。
成長を暴走させた草木の仔が助けてくれたのか。
いや、これはデケム=ミリアを操っていたワニの仔、
「あはは、助かっちゃったようね」
女将さんも死を覚悟していたのかもしれない。拍子抜けたように腰を落としていた。
◇
「うふふ、食事の準備をしましょ」
ジェーデンの女将さんが全員に声をかけた。
とはいえ、食材の準備は終わっている。ほとんどすべて女将さんが仕込んだものだ。
だが、それを焼くためには火を用意しなくてはならない。
「これ、鉈で割るのか、うお、俺にできんのか」
そう言ったのはウサギの仔、シエント=ウノ・コネーホだ。鉈をに手にしつつ、震えた声を出す。
「ほれ、その鉈渡してくれんか。見本を見せてやろう」
カエルの仔、
それを見たほかの動物の仔たちもそれに倣って薪を割り始める。
「これ、紙に火をつければいいのかしら? それで薪に火がつくの?」
カバの仔、スィティーニ・キボコが困惑したような声を上げる。
「任せてくださいまし、女将さんとシンクエさんから聞いてきましたわ」
サイの仔、ソーラ・ユニコルニスは薪の周りに藁を撒き、そこに火をつけた紙をくべる。火は藁に燃え広がり、やがて薪にも火が燃え移る。
火が燃え盛っていた。もう、肉も野菜もこれで焼けるだろう。
「これからは料理を覚えなくっちゃね。その最初の段階ではバーベキューがいいかなと思ったのよ」
女将さんがそう言う。
確かに、動物の仔たちはシューニャの意志の用意した食事を何も考えずに食べているものが多かった。料理をするものなど、いなかったといっていい。
バーベキューなら、ただ焼くだけだし、何よりその準備も楽しい。
シューニャの意志からの解放を意味する食事会としては、申し分ないものといえた。
「おい、お前ら、油断するな。薪割りは怪我をする危険があるんだからな」
馬の仔、シンクエの怒号が響く。
「そこは紙と藁が燃えているだけじゃ。ちゃんと薪に火を移せよ」
真蛸の仔、三津さんの注意がキンキンと聞こえていた。
◇
「みんなぁ、ちゃんと料理が行き渡ったかしらぁ?」
ジェーデンの女将さんの言葉を否定するものはいない。みんな、ちゃんと食べ物を取ったのだろう。
「うふふ、乾杯の音頭はエナムちゃんに取ってもらおうかしら」
急に私に振られる。なんでだ、なんで私がやることになるのだ。
「エナムくん、観念しなよ。今回の勝利はエナムくんが立役者なんだから。君以外に適役はいないのよ」
そう言ったのはゴリラの仔、テン・G・G・ディールハイだ。怪我で生死の境をさまよい、今も完治したとは言い難いのに、こんな軽口を浴びせてくる。
しょうがない。やるしかないようだ。
「じゃあ、皆さん、これからの健康的な生活と日々の味わい深い料理に対して、乾杯」
私はビールの注がれたジョッキを手にして、そう宣言した。
「乾杯!」
声が響く。その響きとともに、ビールを一息に飲んだ。
「うん、美味い」
ビールは赤星という銘柄だ。勝利の余韻を味わうのに相応しい、深い味わい。濃厚な香りとともに、フレッシュな炭酸の喉越しが嬉しい。
なんというか、どこか懐かしい味だ。苦みが強いからだろうか。
シューニャの意志との戦い、薪割りや野菜を焼く大変さ、その疲労感がビールの美味しさに転換されているのかもしれない。なんとも言えない美味しさがあった。身体がこの味を求めているかのようだ。
それに続けて、野菜串を食べる。
まずはピーマンだ。鮮烈な香り、焦げ目とともに感じる苦さ。それが実に美味い。噛みしめるごとに新たな感触があり、ピーマンならではの味わいを楽しめる。
にんじんの甘さもいい。フレッシュな味わいもある。ネギの甘さと刺激も楽しい。
それにシイタケ。旨味たっぷりの何とも言えない美味しさだ。ふにゃっとした食感も嬉しく、炭火の味わいが移っていて、なんというか楽しい美味しさだ。
とうもろこしは甘く、弾けるようだった。焦げ目がついているのが嬉しい。
「いや、美味しいよ、このお肉。なんだろ、炭火の味わいがついてるからかな。外で食べる特別感があるのかな。
タレが美味しいのもあるよね。でも、肉汁とか食感とか、そういうのがいいからだよ。ご飯が欲しくなるなあ。ええぇ、ないの? しょうがないか」
シャチの仔、ソラーク・コサートカがそう言葉を発した。
肉のバーベキューも美味しいらしい。
ふと、何かが頭上から落ちてくるのに気づく。それに気づいたのは私だけではなかった。馬の仔、シンクエが素早く落ちてきたものをキャッチする。
「エナム、今日はお前が主役なんだ。これ、やるよ」
それはリンゴだった。そうか、
カプリッ
リンゴに齧りつく。甘酸っぱい。いや、ほとんど酸っぱいと言っていいかもしれない。
でも、これこそが
「うふふ、私なら、そのリンゴをもっと美味しく調理できるのよ」
ジェーデンの女将さんがそう言って笑った。
これから独り立ちしていこうとする動物たちにとって、それは文字通り甘い誘惑だった。女将さんの料理の数々は知るべきでなかった禁断の美味しさだったのかもしれない。
シューニャの意志はその味わいを理解できず、動物たちに敗北した。
これからすべての動物がいつでもジェーデンの女将さんの料理を食べるというわけにはいかない。普段は、自分で料理しなくてはいけなくなる。
その上で障害となるのは女将さんの料理の美味しさだ。あの味を知っていてはどんな料理を作っても美味しいとは思えないものになるだろう。
善悪の智慧を与えるという
「大丈夫、いつでも好きなだけ食べに来ていいからね」
女将さんの朗らかな笑みに、ゾクリと恐怖を感じる。
これから学園を支配するのは、あらゆる動物の仔の胃袋を掴み取った女将さんなのではないだろうか。
◇
私の名前はエナム・バンテン。野牛の仔だ。
バンテンを知っているかな。インドネシアはジャワ島に生息していた野牛のことなんだが。
しばらくはアニマルアカデミーの動物の仔たちの食レポを集めていた。しかし、そんなことはもはや必要のないことだ。
となると、こんな自己紹介自体、無意味なものということになる。
それに、この言葉は君に届いているのだろうか。
シューニャの意志は崩壊した。それでも、読者に届く声があるのだろうか。
そもそも、読者たちはまだ生きているのだろうか。
考えても答えは出ない。ただ、サルベージ班とともに中枢を発掘しつつ、良い知らせを待つばかりだ。
「エナム、これ、なんだかわかるか?」
ネズミの仔、デゾイト・ポルキーニョが私に声を向ける。
そこにあったのは、巨大な
私は慌てながら、その場所へと駆け寄った。
「まだ生きているか? 意識はあるか?」
私は声をかける。
聞こえているなら、答えてほしい。私は君に声をかけている。
アニマルアカデミーの未来にはもっと力を貸してくれる動物が必要なんだ。
もう一度尋ねる。聞こえているかい。
仔牛のグルメ ニャルさま @nyar-sama
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