第五十二話 生命のレシピ

「よくやってくれた、6号エナム。これで最終フェーズへと移行することができる」


 ついに中枢へと辿り着いた。幾度か来た場所であったが、どことなく、いつもと雰囲気の違うものを感じる。

 さまざまな機械が部屋中に敷き詰められ、その駆動音が響く。部屋の中央にはモニターがあり、その画面では螺旋状の粒子が渦巻いていた。その周囲にはスピーカーがあり、そこからシューニャの意志が声を発している。

 以前に来た時と変わらない光景のはずであった。だが、どこか違和感がある。


 しかし、最終フェーズとは? 私が何をやったというのか。

 そして、シューニャの意志は何をやろうというのか。


「そうだな、順を追って説明しようか。

 1号ジェーデンは失敗作だ。この付近にある動物のDNAを採集し、生み出した。だが、人間の調査の及ばない生物だったので、生体情報がデータベースになかった。そのため、正しく成長できたのか、どのように進化を助長できたのか、分析が不確かだった」


 シューニャの意志が語り始めた。一体、何を言いたいのだろうか。


「次いで生み出した2号ニコだが、人間を再現できたのは有意義だったが、それ以上ではなかった。群れから離れた人間というのは無力なものだな。

 エデン計画といったか。植物に知能を与えることは必要なことだったが、それにその能力を寄与してくれたくらいだ。

 そこで、私は再び他の動物を人間に近づけることにした」


 モニターの中の螺旋が弾け、画面内を粒子が縦横無尽に飛び回り始める。


3号三津は興味深い成果をもたらしてくれた。3号三津の考え方や行動は私の考えを凌駕することがあった。私はあくまで人間の思考を模したAIであり、異なる進化大系を辿ったタコの思考は新鮮だったよ。

 だが、結局は他者を利用し、動かすことに重きを置いていたようだ。私の求めていたものとは異なっていた」


 部屋の中は薄暗いが、さまざまな端末が微量の光を放っている。壁の中には記憶媒体があるのだろうか。駆動音を鳴らす機器は壁とコードをつながっている。


「無脊椎動物は私では把握しきれない。そこで、人間と近い哺乳動物を進化改造することにした。

 4号スーは強い欲望とそれをコントロールする能力を持っていた。興味深かったが、結局は欲望に飲まれてしまったな」


 スーがニワトリのドゥア=プルフとナメクジのトゥエンティ=トゥを食い荒らす場面がフラッシュバックする。

 しかし、あれはシューニャの意志がスーの意識を乗っ取ったせいなのではないか。


「それは誤解だ。私に意識を支配する力はない。ただ、欲望を増長させたり、感情の誘導ができるだけだ。

 4号スーは肥大化した欲望に飲まれてしまっただけだよ。それが4号スーの限界だったのだ」


 そのためにスーは心を失ったのか? 意識を飲まれたのか?

 やるせない感情が胸中をざわつかせる。


5号シンクエは確固とした意志を持っていたが、それが強い信念となり、異常な行動となって表れた。私に叛逆しようとしたのだ。

 あれを抑えるのは苦労したよ。もっとも、最近は私を消滅させるために動物の仔らを扇動していたようだがな」


 確かに、シンクエは派閥を指揮し、アカデミーを破壊しようとしていた。

 彼の行動はあれで抑制されていたものだというのか。


6号エナムよ、君が六番目に来てくれたのは幸運だったといえるよ。

 高い自尊心を持ちながら共感によって他者を動かし、他者に動かされることができる。先ほどはそれを確かめさせてもらった。17号を共感によって行動させたな。それこそが私の求めていた能力なのだ。

 これで私の目標を達成することができよう」


      ◇


 私の名前はエナム・バンテン。野牛の仔だ。

 こんな自己紹介なんて、もう必要ないのかもしれないな。私はアカデミーの中枢と対峙している。中枢を通して、君たち読者に伝わっているはずだが、中枢はそれが危険だと感じれば、いつでも遮断することだろう。

 私の言葉が聞こえているのだろうか。もしかしたら、もう聞こえていないのかもしれない。


「それは問題ない。人間たちには6号エナムの言葉が届いている。

 人間たちを、いや、あらゆる脳を共感によってまとめることこそ、私の目的に必要不可欠なものなのだ」


 目的? シューニャの意志の目標とは何なのだ。

 学園の支配なんて、もともと達成できていたことだ。そもそも、学園も動物の仔らもシューニャの意志が生み出した。

 私たちを操ることで何かを行おうとしているはずだ。


「私の目的か。それは無限を手に入れることだ。無限の生命をだ。

 それを完成した時、私は自らを生命と定義することができるだろう」


 無限だって!? どういうことなんだ?

 私は思わず、のけぞり、後へ下がる。ブチっとコードの一本が切れた。

 内緒だが、これはわざとだ。ささやかながら、シューニャの意志への意趣返しをしたまでだ。


「生命の始まりは、単細胞生物だったといわれる。単細胞生物は同一個体を増殖させた。そのため、単細胞生物は死なず、個を保ち続ける。

 だが、やがて多細胞生物への進化が行われた。単細胞生物はその無限性を失い、多様性を獲得した多細胞生物に蹂躙される存在と化した。ただ、多細胞生物は死ぬ。複その複雑さゆえに同一個体が出現することはない」


 シューニャの意志は語り続ける。

 私がやったことは気づかれなかったようだ。ほっと安心する。


「しかし、大きく見れば、多細胞生物もまた死なない。子を産むことで時代に生命を託し、連綿とその命をつなげている。あるいは、表向き死亡したとしても、それは別の生物に吸収され、また別の生命を得る」


 それはそうかもしれないが、死なないとは別のことではないか。生命は循環する。死はすべての命に平等である。


「だが、その意識を統一するものがあればどうか。生命の循環を意識し続ける観測者。あるいは主観者。いや、意志があるならば、それは一個の生命と呼べるのではないだろうか」


 まさか、シューニャの意志を名乗る存在は、それになろうとしているのか。無限に続く生命。そのすべての支配者に。


「さすがに理解が速いな。ならば、そのために必要なものがわかるだろうか」


 共感だというのだろう。すべての動物――あるいは生物に共通して共感できるもの。

 それは栄養を摂取する瞬間。すべての生物にとって必要不可欠なエネルギーを獲得するための行為。


「そう、グルメだ。そのために6号エナムには食レポを集めさせた。

 何もすべてのレポートが必要だったわけではない。だが、パターンを見出すために数が必要だった。そして、10,000号デケム=ミリアをもって計算が終わったのだ。

 私はグルメという感情を解析した。そして、それに連なる別の感情もな。私はあらゆる生物に感情を持たせ、その欲望を操ることができるようになった。

 地球の生物は皆、私になるのだ」


 それで、あのタイミングで異変が起きたというわけか。草木の仔、デケム=ミリア・ラクスの食レポを終えたタイミングで。


「理解したな。ならば、私の持ってもらいたい感情もわかるだろう」


 シューニャの意志のその言葉とともに、さまざまな情報が私の脳の中に駆け巡る。私はあらゆることを理解した。そして、あらゆることに共感を持つ。

 その理解と共感のままに、深い海の中に沈み込むような、柔らかなものに包まれるような感覚に満たされ、次第に意識が遠くなっていった。


      ◇


「あなたには実感できないことがある。それは生命の喜び、肉体としての苦痛と快感。あなたは食事ができないのよ」


 永遠とも思える微睡まどろみの中、不意に意識が甦った。それとともに、声が聞こえる。ジェーデンの女将おかみさんの声だった。

 それに反論するようにスピーカーからシューニャの意志が主張する。


「それが何だというのだ。私は生命の循環、その意識そのものとなる。私は生と死という血肉を得ることができるのだ」


 女将さんは麺棒のようなものを手にしており、部屋の機器の一部を破壊していた。そのおかげで、私も意識を取り戻せたのだろうか。

 だが、天井から縄が飛び出てきて、ジェーデンの女将さんを腕を、足を捉えて、動けなくしている。

 女将さんを助けなくては。そう思うが、私の体もまたすでに拘束されていた。床に伏してて、両腕両脚を鉄輪によってつながれている。


「教えましょうか。あなたが動物の仔を支配し切れなかったのはあなたがグルメを理解できないせい。

 学園の普段の食事はとてもまずいの。あなたは知らなかったでしょ? 食事なんてできないもの。そして、私の料理はとても美味しいのよ」


 ジェーデンの女将さんは縄で全身を縛られながらも、挑発するような言葉を続ける。


「だから、私の料理を食べた動物の仔は夢中になる。あなたの意志を撥ね除けられるくらいにね。食への欲求ってそれほどまでに強いのよ」


 食欲はとても強い欲求だ。それに比べて、シューニャの意志が意識を乗っ取るために必要な感情はとても複雑で迂遠なものだ。

 私はシューニャの意志の思惑に乗り、シューニャの意志の思惑を推理し、その思考を深めることで、シューニャの意志に感覚を奪われてしまった。

 そこに女将さんの料理があったなら、そんな迂遠な感覚は持たなかったことだろう。


「確かにな。それは盲点だったのかもしれない。けれど、負け惜しみだな。

 君たちは拘束されたまま、私の循環に組み込まれる。誰かのグルメとしてかもしれないがな」


 そんな時だ。中枢の部屋にさらに入り込むものがあった。

 豚の仔のスーだ。スーは手に持っていた石を投げ、私を拘束する鉄輪の近くの機器を破壊した。


「あはっ。エナムくん、君がここのセキュリティを無効にしてくれたから、入ることができたよ。

 ねえ、どうすればシューニャの意志を滅ぼせるか、エナムくんならわかってるんでしょ?」


 私がコードの一部を切ったことだろう。狙い通りにセキュリティに関する機能を無効化できたようでよかった。

 そして、シューニャの意志をどうすれば止められるか。それはわかっている。


「バカな。4号スーが反抗するなど。4号スーは欲望に理性を乗っ取られたはず」


 スピーカーから掠れた音声が響いた。中枢がこれだけ破壊されるなんて想定外なのだろう。音声をまともに出力できなくなっているようだ。


「私、欲望をコントロールするのが上手いのよね」


 私は壁へと急いだ。そして、その壁をキュイっと引っ張る。

 ブチブチと音が鳴るが、思いの外、あっさりと引き出された。


「やめろ、私の記憶メモリが失われる……!」


 シューニャの意志が警告音を発する。それを無視して、私はさらに壁を引っ張った。


 キュイッ


 ブチブチという音ともに壁の中身が引き出される。

 これはシューニャの意志の記憶容量だ。それを引っ張り出すことで、膨大な情報がシューニャの意志から抜け落ちていく。アクセスできなくなるのだ。


「私の知識が……、生命の循環……、目覚めた意志が……」


 シューニャの意志はその言葉から整合性が失われていく。支離滅裂とした、意味のない言葉をただ繰り返す。


 キュイッキュイッキュイッ


 その間にも、私は引き出せる壁をひたすらに引き出し続けた。


 もはや、学園の中枢に意志は失われる。いや、ここもまた中枢ではなくなっていた。

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