人は死に近づくと水を求めるという。

 霊は水場に引き寄せられるという。

 

 我々は乾いているのだろうか?それとも生命の原初たる水に還ろうとしているのだろうか?

 私は後者を思う。人間とて元を辿れば海洋の塵にも満たない微生物に端を発するに他ならない。我々は覚えているだろうか、原初の深海を、あるいは、羊水の安寧を。…

 私が死を直接的に望むことは、ずいぶんと少なくなった。皆無と言ってもよい。タナトスに取り憑かれていた時期を思えば、人とはよく変化するものだと苦笑を浮かべたくもなる。だが、私の根底に存するタナトスは、決して消え去ったわけではない。それはゆったりと、ただあるがままに、ある。凪いだ水面の底に荒れ狂う海流があることの、何が不思議と言えるだろう。それはむしろ、いかにも自然である。

 人の気分など、捉えようもなく変化するのは周知の事実である。私もそれに相違ない。気分が沈めば、私は何となしに山奥の川を見に行く。特に目的があるわけではない。川魚の一つでも見つけられたら面白いのかもしれない。だが、それに大した意味はない。

 川を見る。煙草に火を点ける。二本ほど吸い終わるまでの十五分やそこらの時間、ただ呆けたように川の流れを見つめる。そこに意志はない。飛び込みたいと思うわけでも、釣りをしたいと思うわけでも、綺麗だと思うわけでも、汚いと思うわけでもない。その視線には、何の意図も意味もない。暇つぶしといえばそれまでだ。だが、私は暇つぶしに事欠かない他の術をいくらでも知っている。手元のスマートフォンでも弄っていれば、一日や数時間など瞬く間に過ぎ去る。

 意図も意思もなく、眺める川の流れに、私は何を見ているのだろう?その問いに答えはない。かつての私は死を見ただろう。今の私は、そこに死を見出せない。ただ変わらずにあるのは、その数分、点ける煙草は妙に旨い、ただそれだけのことだ。…


 私はいずれ水に還るのだろうか。

 それとも、土に還るのだろうか。

 いずれにせよ、還る場所が私の好む居場所であることは、幸運と言えるだろう。

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月の墓標 鹽夜亮 @yuu1201

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