幕の終わり、仮面の勇者

ひゐ(宵々屋)

幕の終わり、仮面の勇者

 世界の隅で闇が淀み、魔王が生まれました。

 闇の淀みは魔王とその城を中心に世界に広がり、魔物達に邪悪な力を与えました。

 人々が魔物に襲われ始めて、神官が預言を授かります。


「深い森のその向こう、冷たい風が吹きすさぶ谷の村。そこに勇者がいる。この神殿に眠る剣を握る資格を持った者が」


 こうして、一人の青年が連れてこられました。神殿まで案内された彼が、眠っていた聖剣を手に取れば、刃は星のように輝いたのです。


 前向きで、何があっても笑顔を浮かべる彼の、人々を救う旅が始まりました。

 勇者という存在は、それだけで人々に希望を与えます。多くの者が彼に協力し、旅に加わり、共に魔物を倒し、ついに魔王城までやってきました。


 最後に、勇者は聖剣で魔王を貫きました。

 そうして世界は平和を取り戻したのです。


 ――これは、昔々のお話です。



 * * *



 魔王が倒されたことに、世界中の人々はすぐに気付きました。

 空を濁らせていた黒い雲が、綺麗になくなったのですから。


 人々は喜び、声を上げます。恐ろしい時代の終わりに、涙を流す人の姿もありました。

 そして神殿では、勇者凱旋のお祭りの準備が行われました。

 魔王を倒したのなら、勇者は聖剣をここに返しにくるはずですから。


 多くの人々が、勇者の帰還を待ちました。そして勇者と共に戦った勇敢な仲間の帰還も、その知り合い、友人、家族が待ちわびます。


 ところが、神殿に現れたのは。

 聖剣を手にした勇者と。

 最初に勇者の仲間となった、知り合いも友人も家族もいない、一人の魔法使いでした。


 共に魔物と戦っていた剣士は、弓使いは。道中旅に加わった魔物使いは、盗賊は、祈祷師は。彼らだけではありません、ほかにいたはずの仲間は、と、人々が聞けば。


「僕達の旅は、喜びもたくさんありましたが、厳しいこと、つらいことも、同じくらいに、いいえ、それ以上に多い旅でした」


 勇者は言います。決して、つらそうな様子を見せず。

 何があっても前向きで、笑顔を絶やさなかった勇者は、その時も、笑顔を絶やさなかったのです。


「出会いの分だけ、別れがあった、ということです……僕はみんなに、感謝しています。感謝していますから、みんなの目的が果たされ、こんな晴れやかな日に、悲しい顔をするわけにはいかないのです。そんなことしたら、みんなに『お前は成し遂げたのに』と怒られてしまいます」


 勇者凱旋のお祭りは、華やかに行われました。失われた仲間に心を痛め、涙を流す者も裏にはいましたが、決して表には出しません。

 皆が望み、犠牲を出してまで願った平和が訪れたのですから。

 聖剣を返した勇者も、ずっと、笑顔を絶やさなかったのですから。


 ただ、唯一の生き残りである仲間、魔法使いだけは、一つも笑いませんでした。



 * * *



 夜が深まっても、お祭りの賑わいは冷めることがなく。

 けれども、神殿から少し離れた丘の上は、ひどく静かで。

 お祭りの主役である勇者を、静寂が包みます。離れた場所に見えるお祭りの賑わいは、その渦巻く熱狂に、勇者がいなくなったことすらも隠していました。


 誰もが、平和に笑顔を浮かべていました。

 しかしその光景を眺める勇者の顔に、もう笑顔はありません。


 お祭りの中にいた時とは、まるで別人のよう。貼りつけていた笑顔の仮面が落ちてしまったかのようで、むしろ、いまの顔の方が仮面や人形のように無機質で、無表情で、瞳も曇ったガラスを思わせました。

 勇者の瞳は、遥か彼方に向けられます。


「海の向こうに行きたい、ついてきてくれるか、笑うのは疲れた」


 彼が不意に尋ねれば、


「私はお前に負けたのだから」


 唯一の生き残りである魔法使いが、答えます。

 勇者は彼を見ません。


「ここじゃない、どこか遠くに行きたいんだ、ここでのことを、全部忘れちゃってもいい、本当に本当に遠くに」


 夜の闇に溶けていきそうな彼の背を、魔法使い――元魔王は眺め続けます。

 ――勇者がまだ拙い戦い方をしていた頃、彼についてきてくれた最初の仲間、魔法使い。彼こそが魔王でした。


 魔王は『仲間』を演じることで、勇者の実力を眺めていたのでした。

 彼の弱点を探るために。いずれ魔王城に来た際、返り討ちにするために。


 ところが、闇は結局、光に負けてしまう運命で。

 ――でも、誰の心にも、闇は沈み、時に、深く、深く、淀むもので。


「もう君しかいないんだ」


 たくさんいたはずの仲間は、魔王城に来る前に、全て散っていました。

 それでも玉座まで来て、背後にいた、たった一人の仲間の正体を知り、戦うことになって。

 たくさんの仲間を道中に失う原因になった存在に、勇者は剣を振るい続け、魔王の纏う闇を削り。

 けれども最後、胸を貫くことはできなかったのです。


「仲間で居続けて」


 ぼろぼろになって倒れた魔王の前。一つも傷を負わなかった勇者は、膝から崩れ落ちてしまいました。

 泣いてはいませんでした。無表情。

 常に前向き。どんなに悲しいことがあっても先を見て輝いていた瞳は、どこにいったのでしょうか。

 長いこと共に旅をしてきた魔王ですらも、初めて見る、勇者のその顔。


 ――僕は勇者だから。

 ――悲しい顔なんてしている場合じゃないし、そんなこともしちゃいけないんだ。

 ――気付いた? 僕って存在が、みんなを安心させるんだ。だから、僕は笑っていたいんだ。


 いつから彼は壊れていたのでしょうか。

 いつから彼は『勇者』を演じていたのでしょうか。


 長いこと共に旅をしてきた魔王ですらも、ようやく気付いた、勇者のその暗い瞳。


「君が本当は何であろうと、もう、なんだっていい」


 魔王こそが、闇の淀みの核。殺さなければ、いずれ闇はまた深まります。

 それでも。


「『魔王』は死んだことにして。君は『仲間』でいて。僕は『勇者』であることに疲れた。でも『勇者』として、使命を果たしたことにする。それがいい。それでいい。もう、いい」


 全てが終わったことにして、魔王城を出ると、無表情だった勇者は笑顔を作っていました。

 皆に求められる笑顔です。



 * * *



「海の向こうに何があるか、君は知ってる?」

「知らない。私はこの大陸に淀む闇から生まれた存在だから」

「じゃあ……楽しみだね」

「……どこに行こうとも、いずれ私の纏う闇は再び濃くなり、魔物に力を与えるだろう」

「そう、それじゃあ――海の向こうには『なんにもないところ』があったらいいなぁ」



「本当に、本当に、なんにもないところ。誰もいなくて、生き物も植物もなくて、空も海もなくて……なんにも考えなくていいところ。『勇者』でなくて、いいところ」



 * * *



 世界の隅で闇が淀み、魔王が生まれました。

 しかし聖剣を手にした勇者に、魔王は倒されてしまいました。

 そうして世界は平和を取り戻したのです。


 ところが、世界の外、大陸の外にはまだ深い闇があると、勇者は言いました。

 正義感が強く、勇敢で、常に笑顔を浮かべていた勇者は、たった一人の仲間と共に、大海原に出ました。


 ――これは、昔々のお話です。

 その後二人がどうなったのか、誰も知りません。



【終】

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