第二章
第22話 遙花の春休み
その日も僕はスターライトと共に目覚める。着替えると部屋を出て階段を屋上に向かう。あれから三ヶ月が過ぎた。遺跡から帰ってきた僕は、いつもの仕事に戻っている。一つだけ以前と違うのは、この半壊したビルの同居人が増えたことだ。
屋上では既に一人の少女が、軽やかに跳ね、身体の動きを確かめていた。赤みがかった金髪が揺れ、茜色の瞳が煌く。
(やっと起きましたね。早く準備体操を済ませてください)
彼女の名はフレア。僕の隣人であり、人の姿を模したロボットである。
(お前も、まだ髪をくくっていないぞ)
僕は手足の筋を伸ばしながら言う。フレアは髪に触れると、
(そうでしたね)
ポケットから紐を取り出し、髪を縛る。
(準備完了だ。始めようか)
準備が終わると僕らは向かい合い、日課である早朝の稽古を始めた。
これは僕のためでもあり、フレアのためのものでもある。というのも、考えてみればフレアは己の正体を隠すために、ロボットとしての装備は人前では使えない。実質、武器となるのは手足だけである。しかしその割に彼女の動きは不器用だった。だからまず近接格闘を鍛えることになった。
稽古時の条件としては、フレアは出力を人間並みに制限。使っていいのは手足のみ。打撃、関節技、投げは全て使ってよい。急所突き・関節技は寸止めをする。というような形だ。勝敗は寸止めが入った時点で判定とした。
もう二ヶ月はこれを続けている。最初は正面から攻めるだけで勝てていたが、最近はかなり厳しくなっている。今はもう僕の癖はほとんど学習されており、どんな攻め手も危なげなく対応される。特に腕への関節技には、よくない思い出があるようで、防ぎ方の研究には余念がない。
脇を締め、肘を胴体に密着させ、腕を小さく折り曲げた構えは、腕は何があってもとらせない、という宣言に等しい。
腰も低く落とし、常に膝に余裕を持たせて、身体が浮いてしまうことを予防している。そして片足に重心が寄ってしまうのを嫌い、常にバランスをとっている。また遠距離ではそうでもないが、手足の届く距離ではつま先を大きく上げず、地面を摺るようにして足を動かした。これらはおそらく投げや足払いへの対応だ。そちらにも苦い経験があるらしい。反面、打撃への対応はまだ甘い。間合いの見極めが甘く守りを固めるために、大きく距離をとることが多かった。これがそのまま、反撃の芽を潰すことに繋がっている。
フレアの防御力は確かにかなりましになった。では攻めはどうかというと、まだ甘い。そもそも彼女の現在の構えが、防御に偏重しすぎていて、攻撃に移りにくい形なのだ。また安定を優先しすぎて、攻撃に有利なポジションまで、一気に飛び込むことができていない。拳で攻撃しようにも、かちかちの現在位置からの軌道は限られる。一本足の不安定さを避けているのか、蹴りもほとんど出せていない。そのために攻められない。そしてそれがそのまま、強引に攻める際の隙にもつながる。ここが狙い目だ。
安易な攻めを引き出し、防御が崩れたところを突く。僕はこれで勝ちを拾っていた。僕に投げられ、固められ、急所を打たれるたび、少女は呟く。
(……なぜこうも勝てないのでしょうか?)
(身体能力が同じなら、後は技術の問題でしかない。自分で考えてみることだ)
僕はそう言うに留めた。もっと助言すれば、より早く成長するのかもしれない。そうなるとすぐに勝てなくなりそうな気がした。彼女の成長速度は恐ろしいほどのものだった。これでは、いつまで勝てるか分からない。僕もそれ以上に鍛えていくしかない。気を引き締める。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
三十分ほどで稽古を終えると、僕らは廃ビルを出た。ここは町の周辺部にあり、人影は少ない。だが十五分も歩くと市街地に入る。そこは半壊した倉庫街だった。かつては港湾地区―― 特に貨物等を降ろし、保管し、積み込む、ターミナルの役割を果たしていたはずだ。今でも原型を保っている倉庫は、数多の商人の本拠地である。また空き地には不恰好な家屋が立ち並び、商人や山師向けの商売を行っていた。
市街地では、多彩な商品が取引されており、早朝でも既にかなりの人が働き始めていた。その中にはよい身なりをした者も混じっている。
ここはトランスポーターの周囲に自然発生した、貴族との交易の町なのだ。ベルト各地のあらゆる産物がここに集まり、セントラルの産物が逆に出荷されていく。そして掘り出し物を抱えた山師もここに集まる。
治安は決してよくはないが、それほど悪いわけでもない。何より貴族のお膝元である。比較的平和で活気に満ちた町だった。
ここに駐在している貴族の大半は、ほとんどの場合、トランスポーターを囲む城壁の中にいる。貿易を営んでいたとしても、外にあるのは窓口だけだ。
だが、ただ一つだけ奇特な商会があり、その壁外に構えられた窓口には、貴族本人が居座っている。それがアルテミシア商会だった。
アルテミシア商会の本拠地もまた、巨大な倉庫を転用したものである。だが事務所は、別の棟を利用していた。威圧的な雰囲気のある四階建ての建物。六百年前、大陸が漂流を始めた当時から、立て直したことがないとしても不思議ではない。最初からそこにあった何らかの建築物を、そのままに占有していた。
この町に正式な名はない。だが通称ではこう呼ばれている。アルテミスの町、と。ここが誰の支配する領域なのか、誰もが知っていて、そう呼んでいるのだ。
事務所に到着すると、そこにいたのはアリスだけだった。
「おはよう、アリス」
ベルはしばらくいない。アルテミシアの代理で、評議会に出席するため、セントラルに上がっているのだ。本来の評議員であるアリスは、事務所の奥の柔らかなソファに寝転がり、いつものように暇そうにしている。面白そうなことが見つかるまでは、大体こんな調子だ。僕とフレアは窓口の準備を始める。そこでアリスが億劫そうに言う。
「ねえ、ラッカードさん」
「なんだ?」
「そろそろ春休みだよね。あの子が来る頃じゃないかな。準備はもう大丈夫?」
僕はカレンダーを見る。今日の日付に赤丸がついている。三ヶ月前に妹様が来た時につけていったものだ。学院の終業式は昨日だった。忘れていた…… 忘れていた、などと知られたら、どんなことになるやら。まずは部屋の準備をしなければ。だがその前に…… 頭痛を感じながらフレアを見る。
「うまく説明するんだね。間違ってもあたしに迷惑をかけないように」
アリスはひらひらと手を振る。フレアは首を傾げて、僕を見た。
「どういうことですか?」
「僕の妹、みたいなのが来るんだ。セントラルの学院が休みの間は、いつもこちらで過ごしている。そいつがちょっと思い込みが激しいというか、誤解をしやすい性格なんだ。できれば今日は一人で迎えに行かせてほしい」
僕は懇願する。
(そんな言い訳が通じると思っているのですか)
フレアは微笑むだけだった。
「問題ありません。一緒に行きましょう。あなたの妹なら、私も会いたいです」
その声音は冷たい。フレアはいまだに、僕の単独行動を許していなかった。この三ヶ月―― 常に影のように僕の傍にいたのだ。それは誰に対しても、誤解されるに足る状況だった。
「愛されてるねえ」
アリスは心底どうでもよさそうに呟いた。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
事務所の四階の居住スペースの掃除をしながら、僕とフレアは午前中ずっと交渉し続けた。そして遂に、僕を十メートルの距離を開けて尾行する、という最終案で合意したのだった。
その頃には昼前になっていた。そろそろトランスポーターの下りが来る時間だ。
僕は事務所を出ると、町の中心に向かった。防壁は許可証がなければ通ることができないが、その点を心配する必要はない。アリスから正式なものを交付されている。門の中には貴族の邸宅が広がっている、という訳ではない。あくまでこの警備は、トランスポーターを保護するものであって、貴族の邸宅はその中でも壁に囲まれていた。壁に囲まれた大通りをしばらく歩くと、トランスポーター発着場に到着する。
トランスポーターとは、重力操作を利用した移動装置だ。三つ一組の装置で、二つが発着場所に、一つがゴンドラに設置されると、ゴンドラは発着点の間を、往復し続けることになる。本来は資材運搬用のシステムであり、人を運ぶのは連絡艇の仕事であった。だが、それらが残らず失われた現在、あらゆる運搬がこのシステムで行われていた。
ゴンドラはセントラルを出発したようだったが、まだ十数キロもの上空にある小さな一点で、それがここまで降りてくるには時間がかかる。周囲を見回すと、フレアは広場の隅にいた。何も言ってこない。ただ、周囲を探っているようだった。
彼女はこの三ヶ月、この町に溶け込むことを目指して、知識を収集していたようだった。ご近所での評判もよく、いつ結婚するのか、とたまにしか行かない店でも尋ねられるほどだ。……何だか方向性が間違っている気がするが、まあ、好感を持たれるというのはいいことだ。ともかく調査の甲斐あって、既に彼女は、一人でもベルトの住民として、おかしくない振舞いをすることができていた。
僕は考える。あいつは僕の利用価値を、どの程度と見込んでいるのだろうか。
情報源としての僕の価値は、時間が経過するほどに低下していく。
もう僕を切って、単独で行動した方が得だと、感じているのではないだろうか。あいつはそれなりに誠実なタイプだが、たった一つの口約束で、最後まで縛れるとは考えない方がいい。切られる前に、僕の方から切るべきか。罠を仕込んでおいた方がいいだろうか。どうするべきか、何に注意するべきか。リスクを最小にするために必要なことは何だ?
自分でも嫌になるが、最悪の状況のシミュレーションは、無意識に繰り返すようになっていた。
僕は答えの出ない思考を続ける。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
数十分の後、巨大なゴンドラは到着した。小さな点だったそれは、直径十メートル、高さ十数メートルの円柱となっていた。発着場にゆっくりと降りていく。今が近づくには一番危険な状態である。今この瞬間にも、ゴンドラの周りには上向きの重力場が発生して、減速が行われているのだ。巻き込まれれば、空高く放り投げられた挙句、墜落死することになるだろう。それからゴンドラは、数分かけて最後の数メートルを降りる。完全に着地したところで、重力場の状態を確認するため、周囲に設置されている旗が全て垂れ下がる。そしてゴンドラの気密扉が重々しく開き、乗降用のスロープとなる。
出口の前でずっと待っていたらしい誰かが、開いたところから周りを見回し、僕を見つけた途端、すごい勢いで走り寄って来る。学院の制服を着た少女だ。浅黒い肌にきらめく黒い瞳、短く切られた濃い茶色の髪。見た通りの小さな体躯。身内の贔屓目かもしれないが、整った顔立ちをしていると思う。少女とも少年とも言えない中性的な感じだ。切れ長の濡れた黒曜石のような眼差しには、そこに異なる世界を映し出しているような、謎めいた静謐がある。だがそれは、黙っていれば、の話だ。
「に~い~さ~んッ!」
遙花は全力疾走で走り込み、そのまま速度を落とすことなく、僕に頭から体当たりする。
「ぐ、が……は……」
僕は悶絶する。痛い愛情表現だ。ぎゅーと抱きつく様はかわいいが、年々ダメージがひどくなる。何とか堪えた僕に、顔を上げた少女は明るい顔を見せた。僕の胸に頭をこすりつけて、楽しそうに笑う。
「百三日ぶりですね! 兄さん!」
きちんと数えてはいないがそうなのだろう。
「また大きくなったな、遙花」
「兄さんのためにしっかり育ってきました」
遙花はそう言って胸を押し付けてくる。まだ十四歳だが、そのサイズはベルやアリスを完全に越え、小さな体躯にはちょっと過剰な大きさに、到達しようとしていた。これは…… 本当に大きくなったな。
(……ふん)
誰かに鼻で笑われたような感じがあったが、気のせいだろう。彼女の名は遙花。遙花・アブライラだ。セントラルでは僕と一緒の下宿に入っていた。僕にとっては妹のようなものだった。目に入れても痛くない、そんな感じの存在だ。僕がセントラルを追放された後、アリスの下で働くようになってからは、休みごとに、こちらに遊びに来ている。
「まずは事務所に行こう。アリスも遙花に会えるのが楽しみだって」
「そんなこと言って、アリスはごろごろしているだけですよね」
疑わしそうに目を細める遙花だが、それでも喜んでいるのが口元から分かる。遙花は僕の腕に抱きついたまま歩き、出門の手続きをとる。
「やっぱりセントラルより空気がいいですね!」
遙花は楽しそうに、バラック街を見回し、空を見上げる。
「それに宇宙!」
ベルトはいつでも虚無の宇宙に繋がっている。それを恐怖と感じる者もいるが、遙花はそうではない。彼女はベルトに来るといつもまず空を見上げ、そして最高のハイテンションで言うのだ。
「広くて広いですね! ああ、すごいですね! すごいです!」
「上ばっかり見ていると、足元が危ないぞ」
「兄さんにひっついているから大丈夫です!」
ハイテンションのままの妹様。僕と遙花は門から続く大通りを進みだした。
その時だった。視界の隅で誰かが拳銃を取り出したのが見えた。
まずい。
降りてきたばかりの者が何人か、僕らの傍を歩いている。その誰かが狙いのはず。遙花も直後に気付いたようだ。さっと組んでいた腕を離すと、すばやく地に伏せる。僕は遙花を守るように、その上に覆いかぶさり、
――死、ぬ。
狙われている。奴ら、無差別に、いや、全員をやる気だ。僕たちを狙う男の引き金が引かれ、その瞬間、銃が空に弾き飛ばされた。
フレアだ。
変異持ちの圧倒的な脚力で飛び込み、銃を殴り飛ばしたのだ。
(助かった!)
(どうしますか?)
(制圧するぞ)
(あなたも働いてくださいね)
フレアは瞬時に銃火の中を走り抜けると、三人を殴り飛ばした。その間に僕も銃を抜く。襲撃犯の残りの人数は見える範囲で二人。僕は転がりながら引き金を引く。銃弾は、一人の頭を貫いた。そのまま、もう一人を狙う。最後の一人は僕に銃口を向けていた。
間に合わない。
フレアは対角線上で拳を振るっている。壁にもならない。
その瞬間――
すこんと男の頭が血を噴いた。
撃ったのは遙花だった。隠し武器、小型の銃を握っている。敵はそれで最後だった。
僕らはすばやく道の端に寄る。
(他にいる様子はあるか)
背を預けたフレアに尋ねる。
(少なくとも周囲にいた人間は、もう全員逃げ出してしまっていますね)
逃げ足の速さはこの町の住民の必須技能だ。それにしても、こいつらは何者だ? 姿から所属を予想することはできなかった。強いて分かることを言えば、ベルトのごろつきの一人だ、という程度だった。
(生きている者はいるか)
(私が拳で気絶させた者は、それなりに生きてはいるでしょう)
そいつらからなら、何か出てくるかもしれないな、と考えたところで、武装したガーディアンが走ってくる。貴族に雇われている警備係だ。
襲撃者は僕らだけを狙ってきた訳ではない。ならば後のことは、ガーディアンに任せてしまえばいいだろう。
僕は彼らに状況を説明し引継ぎを行う。そして遙花を見る。
「さっきはありがとう、助かったよ」
遙花はじっと僕を見ていた。
「どうした? ああ、怖かったか? そうだな、いきなりの襲撃だものな。早く帰ってゆっくり休もう」
その手をとる。だが遙花は動かなかった。固まったままの表情で、視線は僕の背後に釘付けだった。
「……兄さん、その人、誰ですか」
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