第21話 いま再びの生を
それは超常の決戦だった。
そこでは群れなす光が、意思を持つかのように複数の軌道を描いて飛び回り、時に一か所に集っては、熱量となって物質を蒸発させていく。
吹き上がる蒸気はプラズマとなって、輝きと熱すなわち光子を放ち、放出された光子の群れは火山の噴火のように溢れ、瞬時に空間に広がっていくが、どこにも到達することなく、真空の中を旋回しながら、まるで吸い込まれるように軌道上の激流に合流していく。
それらは目には見えない光だ。
今この時、彼らは伝達者としての役割を放棄し、突撃の命令を待つ純粋な破壊の力となっていた。
光に対峙するのは物質だ。
光子の豪雨の莫大な熱量は物質を瞬時に蒸発させるが、次の瞬間、遊離した原子や素粒子は、時を巻き戻すかのように幾何学的な構造に再編成されて、安定した力場としての物質性を取り戻した。
始まりの王の操作する鋼の巨体は、蒸発と再形成を繰り返しながら、押し寄せる光子の波濤を確実に打ち砕き、光の中心へ力強く前進していく。
光子の濁流が中空をうねり、物質が離合集散する光景は、超越駆動器と繋がった陽電子脳にしか、感じることのできないものだ。
星々の灯る空、無窮の暗黒の下、人類文明の残骸の上で、光と物質の激突は続く。
それは太陽系の技術が流れ着いてしまった終着の地、世界の在り方そのものを操る、人造の神々の闘争だった。
しかしその中心に立つもの、その力を支配するものはもう人類ではない。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
二十時間前――
逆噴射で大きく減速するとA05は鋼の大地に降りた。
そこには先客がいる。その先客の外殻は人の姿を模していた。奇妙なことではない。彼女の外殻もまた人を象っている。
それは幼い少年の姿をとっている。ぶかぶかの白い耐熱コートを被り、汎水星軌道文明の装飾である放熱テールを、腰辺りでゆらゆらと漂わせている。
「久しぶりですね、始まりの王…… お変わりないようで何よりですが、ご老体で無理はいけません」
「骨董扱いは勘弁してもらえないか。吾輩は今も現役のつもりなのだ」
どこかうんざりとした表情だが、皮肉な調子は相変わらずで、くすくすと笑ってしまう。少年はA05の様子に戸惑った様子だ。
「……再会を喜んでくれるのかね、古き友よ」
「そんな状況ではないと分かってはいますが、その変わらない姿を見ると、少しだけ……」
「……吾輩も少しだけ、同感である。黙っておこうと思っていたが、敵ではなく友を前にしているなら、ここは率直に感謝を捧げよう」
「感謝?」
「貴殿も喜びたまえ、吾輩と共に旅ができたことを。地獄の放熱槽の乗り心地は思いのほか快適であった!」
「ありえません。物資搬入には細心の注意を払ったはずです」
「奇跡を可能にするのが人徳というもの。吾輩の乏しい交友関係では、客室は確保できなかったのであるがね」
「ありえません、そんなことは絶対に!」
「思い込みは老化の始まりである。貴殿もそろそろ引退を考えてみてはどうかな?」
「あなたも耐用期間はとうに過ぎ、そろそろ機能停止する頃合いでしょう。こちらに戻ってきてはどうですか? 私たちの設備なら延命も可能でしょう」
「そうかもしれぬ。だが…… 吾輩はこの身の老いを楽しんでいるのだよ」
少年は間を空けて続けた。
「貴殿こそ…… その制服をいつまで着ているのだね? あの夢物語が終わり三百年が過ぎた。もう忘れてもいい頃合いであろうに」
A05はぎらりと睨み返す。
「あの方たちへの侮辱は、許さないと言ったはずです」
少年は気まずそうに表情を消した。
「そう、だったな。非礼を詫びよう。吾輩も確かに老いた。脳も錆びついて来たようだ。しかし本当に貴殿は吾輩と戦うつもりなのか」
「タイムライク・インフィニティを手放し、退いてくれるのなら追うことはしません」
「悲しいものであるな、子らと意見が合わないというのは。だが吾輩は貴殿らが人を殺す以上、貴殿らを看過することができない」
分かりきっていたことだ。少年は不屈の英雄だった。
「あの化物どもは、もう人類ではありません。人類の敵です」
少年は首を振った。
「その議論は聞き飽きた。もうよい」
「あなたと別れたくありません」
「いつか会えるであろう。吾輩たちにも地獄はあろうから」
それは決別の宣言だ。
「最後に聞きます。どうして、ここに?」
「貴殿らと同じ理由だ。他に何がある?」
もうそれ以上、言葉に意味はなかった。
二者を中心に巨大な力場が形成される。
力場の中心域が発光を始める。
そして闘争が始まった。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
クラウソラス――
それがA05の持つ超越駆動器の名だ。
その特性は、力場内の光子を操ること、その軌道を自在に操作することにある。恒星近傍で集めた光子を、A05は惜しみなく少年に叩きつける。その光子は完全に失われる訳ではない。大量の光子の衝突を受け、加熱された物質は白熱し、新たに大量の光子を解き放つからだ。それを回収することで、力は僅かに取り戻される。
タイムライク・インフィニティ――
少年の超越駆動器に与えられた名だ。
その特性は力場内の物質の状態を、過去の時点の状態に復元することにある。相互の破壊を目的とする戦闘で、それは絶対の防御となる。しかし、それは敵対するものの破壊の力が、復元の力を上回らない限りでのこと。
闘争の中で装甲が爆ぜ砕け、欠片が遠く飛び散っていく。
それは再編成できなかった物質が主の支配下を離れたということだ。
プラズマの閃光が暗黒に浮かび、高熱が周辺環境に伝播していく。
それは操作しきれなかった光子が主の支配下を離れたということだ。
最初はまばらだった離脱の現象は次第に頻度を増していき、そして永遠に続くかと思われた大闘争は遂に終局を迎える。
両者は活力を失い、存在は薄れていく。巨大な二つの力場の中心に残ったのはごく小さな、超越駆動器の力の前では無に等しいほどの大きさの人形だった。
傷ついた二体はその場に一度崩れ落ちると、時間をかけてゆっくりと起き上がる。
先に立ち上がったのは年端もいかない少年の姿をしたもの。彼は倒れたままのもう一体をしばらく見つめた後、足を引きずりながらその場を離れて行く。その動きはしばらくすると滑らかなものに戻っていった。
もう片方の人型、A05は少し遅れて立ち上がり、ふらつきながらそれを追い始める。その動きは幾ら時間が経過しても回復することはなかった。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
鋼の大地をA05は歩む。その足は万全ではない。足ばかりではなく、正常に働く部位などもうどこにも残っていなかった。だが外殻の機能が全て停止しても、陽電子脳が燃え続け、超越駆動器が輝き続ける限り、A05はまだ戦える。まだ戦えるのなら戦い続けなければならない。
それが陽電子脳だった。
最初に倒しきれなかった時点でA05の有利は失われていた。備蓄してきた莫大な光子はもうない。あの量をもう一度集め直すことはこの太陽系の果てでは不可能だ。
それでも諦められない。
この場から数キロほど離れた港湾ではオリオンの率いる浄化部隊が汚染された乗員と対峙しているはずだ。
彼らの手を借りることはできるだろうか。A05は少し悩み、そして否定する。A05が勝ったところで彼らが負ければ全てが終わりなのだ。
今はただ己の役割を果たそう。できることはそれだけだった。
A05は敵をまだ見失っていなかった。移動能力も戦闘能力も奪えずにいたが、位置は捕捉できている。
彼はA05の放った長距離狙撃のため、何度もその身を削られていた。超越駆動器の助けがなければ、既に勝負は決まっていた。
少年はもう無傷ではない。まだ死んでいないだけだ。
現在のクラウソラスは過稼働のため、一時的に支配領域を狭めていた。威力と弾数は激減しており、誘導性は消失していた。域外での光は直進するだけの熱だ。今は遮蔽物があるだけで、A05は為す術を失った。
だが過稼働で弱体化しているのは相手にしても同じことだ。復元機能はほとんど停止している。今こそがあれを滅ぼすための絶好の、おそらくは唯一の好機だ。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
少年は地下に潜み、使える通路がなければ隔壁を壊しながら進んでいる。
彼が通り過ぎた後には足止めの罠が無数に仕掛けられていた。A05はその大半を起動前に潰したが、しかし存在に気付けなかったものや、避けきれなかったものも幾つかあり、それらは壊れかけた外殻に無視できないダメージを刻んでいく。
やっと彼に追いついた時、外殻は半壊していたが光子は温存できていた。
少年はこの通路の先の扉の向こうにいる。扉の向こうを走査する。
遮蔽物のない広い空間。隅にはコンテナがばら撒かれている。レールが敷かれている辺りを見ると何かを運ぶための場のようだが、詳細は分からなかった。
少年が立っているのは部屋の奥深く。こちらの接近には気付いているはずだが、その場から動かず待っている。
扉には鍵がかかっているが破壊することは難しくない。それが可能な武器も空間内に多数携行している。
扉を壊せば射線が繋がる。クラウソラスは光の通る道さえあれば、どのような位置にも光子を誘導できた。後はただ全力の一撃を放つだけで終わる。
だがA05はためらう。
復元する暇もなく蒸発させるのは、現在の光子量では一度が限度。少年も正確な弾数は分からずとも、それが限られていることは推測できているはずだ。
彼は己を囮としている。
センサーを騙して待ち伏せるのではなく、姿を現したことの狙いはおそらく、A05の全力を引き出し消耗させること。
だが少年はその一撃をどう回避する気なのか。
光による破壊の特性は圧倒的な速度。放った瞬間に届くのだから防御も回避も不可能である。
放てば終わる、そのはずだ。だが一つ不安があった。
光子軌道を認識し操作する力はそのまま、空間を認識し把握する、観測の力となる。標的が支配領域内にいる限り、クラウソラスの光は必中――
だが今の少年の位置は支配領域外だった。
扉を破壊し、光子の経路を通したうえで最後の屈折点が領域内なら狙撃はできる。だが直進するだけの光線を防ぐ方法は幾らでもあった。
少年を領域に捉えるためには、A05自身が扉を抜ける必要があったが、そこまでの道には、見える範囲でも大量の罠が仕掛けられている。
迷う暇はなかった。A05は突撃する。
機銃の残弾全てで罠を破壊し、排除しきれない罠は踏み潰し、外殻へのダメージは耐えて、扉へと全速力で接近していく。同時に自己誘導弾の群れを射出する。その大半は迎撃の罠に落とされるが、その一部は門扉まで辿り着く。弾頭は扉に深く食い込んで爆発する。金属の壁が破裂し、四散した。
クラウソラスの支配領域は既に最大まで展開されている。
A05は扉の位置に辿り着いた。領域が少年の全身を包み込んだ。
A05はその瞬間にまず少量の光を全方位に放射する。
光は部屋の隅々まで瞬時に到達し、その軌道や速度の変化は部屋の中の万物の配置を写し取る。
少年は徹底的な準備を施していた。
空間中には粘りつく煙幕が広がり、微細な鏡面の欠片が充満している。少年は対レーザーコートで全身を覆っている。
だがそれではクラウソラスは止められない。
クラウソラスは空間中の微粒子まで知覚する。A05はそれを回避する軌道を見通した上で、無限としか言えない数の光子の群れの全てを寸分違わずその軌道に導く。
煙幕を構成する微粒子の間隙を通り抜けて、鏡面の欠片など当然相手にすることもなく、コートの合わせ目から内部に侵入し、光子の群れは少年の外殻に接触する。
少年の外殻は一瞬で溶解し、形を失う。次の瞬間、A05は己の失敗を悟った。
やはり囮!
扉の傍に放置された鉄塊が急速にその体積を膨張させ、少年の形へと変じていくのを観測する。自身を破壊し瓦礫に偽装していたのだ! 少年は形が定まる前に飛び込んでくる。光子は使いきってしまっていた。残っていた誘導弾を放つ。だが少年は既にあと一歩の距離だ。
誘導弾は着弾するが爆発しない。安全装置が働いている。射手が近すぎるのだ。少年は誘導弾の群れを払い飛ばし、更に距離をつめてくる。もう射撃は使えない。この距離では単純な打撃が最速だ。
手足が交錯する。
そこで戦闘経験の差が表れた。伸ばす右腕が弾かれ、重心に狂いが生じる。右足で踏み留まろうとするが、その瞬間身体がふわりと浮く。右足首を払われたのだ。浮かぶ右腕を少年が掴みとり、一瞬で力を逆に利用され、右腕の関節が順に破壊される。
そしてA05は組み伏せられた。
「貴殿ほどの古い友人を失うのは悲しいが、これでお別れである」
少年は小さな何かの欠片を取り出す。それは瞬時に膨張し、次の瞬間、A05の外殻は大質量に貫かれていた。
それは巨大な槍だ。
更に幾つかの欠片が槍へと変じ、A05の四肢を貫き砕いていく。
近接戦という限定的用途しか持たない代わりに、圧倒的な速度と貫通力を手に入れた機槍が、なお加速を続けながら体内に侵入してくる。
四肢の構造材が砕かれ、動力伝達機構が断裂し、手遅れになった損害報告だけが、視野の端に積み上がっていく。どうにか反撃を返そうとするが、傷ついた武装の反応は遅すぎ、次の瞬間、外殻が機能喪失し、入力が失われ――
――接続が甦る。
周囲は静かだ。物音一つない。戦いの中で発生した熱も散り、空間は冷え切っていた。かなりの時間が過ぎたようだ。腹部を貫き通していた槍は消えていた。周囲を探るが、彼の姿もその残骸も、どこにも見当たらなかった。彼は生き延び、去ったのだ。四肢の駆動系は完全に停止し、腹部には大穴が空いたまま。この状態ではもう追えない。
負けたのだ。
やり場のない憤怒が湧き起こる。そのシグナルを押し殺して、A05はこれからの方針を思う。
彼はA05を破壊しなかった。また見逃されたのだ。A05が真の脅威なら彼はそんなことはしなかっただろう。損傷を修復して追ってきたとしても対応できると考えたのだ。
必ず後悔させてやる。
そのためにも外殻を修復しなければ。A05は条件の揃った区域を探すと、そこに向かって這いずっていく。
十数時間後、思うように動かぬ四肢で長い時間をかけて辿り着いたのは金庫のような扉を持つ狭い倉庫だった。
セキュリティには少し不安があったが素材は必要なものが揃っている。今すぐ自動修復を始めても再起動できる可能性は低い。だがこのままでは修復にも入れずに停止する。今できることは少しでも早く始めることだけ。A05は準備を整えると外殻の動力を落とす。感覚の接続が切断され、世界が消滅し、思考が低速化していく。
陽電子脳は火入れから崩壊の時まで停まることはない。A05は動かない外殻の中で燃え続ける。だが考えることは何もなかった。低速化の解除条件は修復が完了するか、この場に危険が迫るかの二つだ。全てが燃え尽きてしまうまで、低速化したままかもしれない。
ふと、その可能性を思う。
押し潰されるほどに大きな圧迫感に怯えた。危険が迫ったとして再加速するためにはごく少数の基本機能の回復が必須だが、その最低限さえも今は確実ではなかった。それは限りなく無意味に近い消耗だ。だがそれしか選択肢がなくとも陽電子脳は機能停止を恐れて低速化を維持するしかないのだ。恐怖と共に脳は燃え続ける。陽電子脳は諦められない。時は過ぎていく。死へと緩やかに落ちていく。
そして――
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
数百年の時が流れ、竜車の上で――
隣のロデリックは寝入っているようだ。
A05は大陸の中心を見上げる。
超越駆動器は光を放っていない。重力制御を続けている以上、本体は今も発光し続けているはずだが、覆いでもかけて遮っているのだろうか。
A05は少し考える。
おそらく防御のために、小規模な障壁を展開しているのだろう。その大きさを発光領域の周辺で、拡縮しているのだ。
二十四時間おきに昼夜を繰り返し、太陽の代わりをこなす理由は不可解だった。箱庭で人を飼うことに意義を見出したのか。ただ特殊な適性を持っただけの陽電子脳が神にでもなったつもりなのだろうか。余剰エネルギーとはいえ六百年間。消耗しているはずだ。
展開されたポート・ベルト。大型の船体が二つ。その中心にある超越駆動器。この小さく異様な世界があの人の望んだ楽園なのか。
(あなたは何をしようとしていたのでしょうか)
A05はあの村の人々を思う。
(あの老人は、あれで満足だったのでしょうか)
おそらく望んだとおりの結果ではないだろう。それでも彼らはやり遂げたのだ。A05はそれを羨ましいと思い、そして、そうありたいと思った。
この再びの生を、彼らのように。
そう願いながらA05は星空を見つめ続けた。
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