第25話 そして灰は息を吹き返す 3
少し冷たい風が窓から入ってくる。日はすっかり沈み、空は暗くなり、部屋を照らすランプだけが温もりを感じさせる。だが、部屋を明るくできても、部屋そのものの雰囲気を変えることは不可能であった。
ユウヒの口から発せられた言葉はレオルに緊張感を与えた。レオルだけではない。ユウヒ自身も、これから自分が言おうとしていることに対して緊張を覚えている。
「まず、母さんを誤って殺してしまったっていう話ですが、連中は複数人、しかもそのすべてが能力者で構成されていました。対して母さんは無能力者、そんな人間の抵抗がどれほどのものでしょうか?奴らは、殺そうとして殺したんです。そう考えるほうが自然です。」
認めたくない
ユウヒは、包帯で覆われた右拳をギュっと握った。レオルはユウヒの話を黙って聞いていた。
「じゃあ、どうして殺されなければならなかったのか?逃げ出したからだと思います。でもそれは、誘拐されたから起こった脱走じゃない。母さんが…、母さんが『月』を裏切って逃げたからです。」
いつの間にか、ユウヒの頬を涙が伝っていた。それを見せまいと俯くユウヒ。だが涙はベッドへ落ち、濡らし、ユウヒが泣いた証拠として残った。
認めたくない
「衛星の奴らと同じ月が…、母さんの左手にもあったんです…。あの人は『月』の幹部だったんだ。そんな人間が組織を裏切るんだ。そりゃあ隠れますよ。隠しますよ。探されますよ。殺されますよ…。くそっ。」
「…あの日のこと、全部思い出したのか?」
レオルが静かに言う。ユウヒは涙をぬぐいながら首を縦に振った。
「そうか…。」
レオルはユウヒの推測に対して、何も反論することは無かった。ただ目を閉じて、空気を吸い込む。
涙を拭き終えたユウヒは、そんなレオルを見て再度問う。
「師匠は、母さんが『月』の人間かもしれないって考えていたんじゃないですか?…昨日の推測は穴が大きすぎました。無理矢理に真相を隠そうとしなければ、あんな風にはなりませんよ。」
レオルは腕を組み、そのまましばらく黙り込む。
「師匠?」
あまりの沈黙に耐えられず、ユウヒが答えを急かすように聞く。
すると、レオルはゆっくりと顔を上げる。薄く目を開き、諦めたように語り出す。
「俺はな、昔から推理とか作り話が下手だって周りに言われてたんだ。まあ、そんなものが必要になる状況にはあまり出会したことはないし、別にいいかって考えてたんだ。お前の母さんの事も最初はちゃんと話すつもりだったさ。」
「なら、どうして…」
どうしてこんな嘘を?ユウヒはその言葉を飲み込んだ。言うまでも無かった。その答えを彼女がこれから話すことが分かっていたからだ。
それでも途中まで言いかけたのは、レオルが自分に嘘をついたことへの疑問が大きかったからだろう。
「…考えてしまったのさ。自分の母親が、復讐相手の関係者だと知ったらってな。そんな状態で『月』を追いかけた先で、お前は何を選択するのか…、まったく想像がつかなかったよ。だからせめて、母親が被害者だってことにすれば、お前の復讐は正しい復讐のままで済むと思ったんだ。」
レオルが俯き、耳の辺りの長い髪が垂れる。表情は読み取ることができない。
「俺は、お前に普通に暮らして欲しかった。でも、それは叶わない。お前が一度決めたことを曲げない男だと知っているから。…俺の嘘はお前を傷つけないためのもののはずだったんだ。でも、そんな嘘は、『月』を追う過程でバレてたかもな。あー…本当に下手くそだよ俺は。」
レオルは吐き捨てるように、最後にそう言った。
ユウヒは黙って話を聞いていた。何のために『月』を追うのか。レオルの嘘がバレた以上、純粋な復讐は生まれること叶わなかった。生み落とされたのは、色んなものが混ざり合って方向性を見失った盲目の復讐だ。
ユウヒはそんなものを抱えなければならない。だから彼は、黙って考え込む。
レオルは話を終えると、スッキリしたように椅子から立ち上がる。
「さて、ここからはお前次第だ。真相を知った以上、もう俺には止められない。」
そう言って、廊下に続く扉へ進む。ユウヒに背を向けたままレオルは口を開く。
「ヨルカを見てくる。お前も考えるのは後にして、今はゆっくり休め。」
途中、ほんの僅かだが、声が震えているような、そんなふうにユウヒは感じた。
レオルが扉を開けると、そこにはヨルカが立っていた。急に扉を開けられ、たヨルカはびっくりしたようにレオルを見る。
「わっ?あ、お師匠?えっと…急に扉が開くから驚いちゃいましたよ。」
「ヨルカ…、いつからそこに?」
レオルも、扉を開けた場所に彼女がいる事に少し驚いていたようだ。
いや、彼女がいた事自体はごく自然な事だ。包帯の替えを持って戻ると言っていたのだから、何もおかしいことはない。
レオルの驚き、疑問をもう少し具体的にすると、「どこまで話を聞いていた?」である。レオルにとって先ほどまでのユウヒとの会話は、ユウヒにとっては当然辛いものであった。
しかし、その話がユウヒ以外にとって辛くない事ではない。実際、レオルは彼の意志を変えられないことを嘆き、部屋を出ようとしていた彼女の目は涙で覆われ、瞬きひとつで溢れてしまいそうだった。
もしもヨルカがこの話を聞いていたのなら、きっとレオル以上に悲しむだろう。
彼女は、ユウヒをずっと見てきた。怪我の具合だけではない。彼の過去の一端を知り、彼に寄り添い、共に笑い、時には喧嘩もした。
ヨルカが、誰よりも気兼ねなく、自分らしく振る舞える相手がユウヒだったのだろう。そして、誰よりも支えてあげたい人間でもあった。
そんな人物が辛い道を歩もうとしている。出来ることならこの話はヨルカには聞かせたくない。レオルはそう考えていたのだ。
「え?ちょうど今来たところです。お客さん来てたから遅くなっちゃいました。」
そう話をするヨルカ、どうやら本当のことのようだ。レオルは少しホッとして
「そうか、すまないがユウヒの事は頼んだぞ。俺はちょいと用事を思い出したんでな。」
と言うと、ヨルカを先に部屋へと通して、そのあとに廊下へ出て行った。
いつもと少し様子が違ったように感じたヨルカは首を傾げて、レオルが出て行った扉の方を見ていた。
「お師匠、こんな時間から用事だなんて何かしら?」
黙っていたユウヒが顔を上げる。
「あー、きっと酒でも飲みに行ったんじゃないか?仕事から帰った次の日にあんな事起こったんだ。師匠なら、飲まなきゃやってられないって思ってそうだし。」
ユウヒの発言にヨルカはふふっと笑う。包帯を入れたカゴと水をベッド横の台に置き、自分は椅子に座る。
「じゃあ包帯替えるよ。痛い所とかない?今回は、完全に治し切れてないから、多分どこか痛いと思うのだけれど。」
そう問うヨルカは穏やかで、ユウヒはそんな彼女の顔をボーッと見つめていた。
「ユウヒ?」
「あ?あっ、ああ、痛い所な。別に無いな。流石はヨルカだ。」
(あれ?今見つめてた?何してんだ俺?師匠があんなこと言うから変に意識してんのか?)
「そっか。でも、あまりいいことじゃ無いよね。ユウヒは痛みに鈍感だから、体の痛い所、気付いてあげられてないかも。」
そう言って、ユウヒの包帯を解いていく。そうして解いていく中、今回最も傷を覆ったであろう右腕は、出血は無いものの、未だに腫れが残っていた。
「やっぱり骨にも異常あるかも。でもごめんなさい。もう力が残っていないから治せないの。」
謝りながら、包帯とは別に固い板のようなものを取り出す。
「いや、謝るなよ。元々俺のやったことだし、そんなに痛く無いし。」
ユウヒはそんなふうに笑って見せた。
「明日になればまた治療できるから、それまではこれで固定しておくね。」
右腕の固定が終わり、その他も包帯の交換が終わった。ヨルカが水をコップに注いで、ユウヒに手渡す。
左手で受け取ると、ゴクゴクと一気に喉を潤していく。
「ご飯食べられそう?もう少しで夕飯が出来上がるの。」
「あぁ、ありがたくいただく。」
「うん。じゃあ後で持ってきてあげるね。」
「ヨルカの家でメシ食べるのも久しぶりだな。ばあちゃんの作る野菜スープ好きなんだよ。」
「ふふ。おばあちゃんが聞いたら喜ぶよ。ていうか、私何度も誘ったよ?ここでの食事が久しぶりなのは、ユウヒが山から降りてこないからじゃない。」
ヨルカが頬を膨らませて文句を言ってみる。
「そうだったか?」
「まったく、もう少し頻繁に顔を見せてくれてもいいじゃない。危ないことばっかりして、お師匠だって心配しているのよ?去年なんか一回しか降りてこなかったし、…死んじゃったかと思ったんだから。」
最初は楽しげに、最後は寂しげに。ヨルカの喜怒哀楽が分かりやすく変わる。
「あぁ悪かったよ。これからはもう少し…」
そこまで言って、ユウヒは止まってしまった。これからとはいつのことだろうか?『月』を追うということは、この町を出るということである。一体いつ、顔なんて見せられるのだろうか?
ヨルカはそんな止まってしまったユウヒをじっと見つめる。
「ねぇユウヒ、何か悩んでない?もしそうなら教えて欲しいの。私も力になりたいから。」
ヨルカの言葉は真っ直ぐだ。いつも人の為にある。しかし、その言葉に含まれているのは単なる献身などでは無い。
それはユウヒにだけ向けられたもので、ヨルカ自身も気付いていないものだ。ユウヒがヨルカを見る。
そして、ユウヒはもっと気付けないものだ。
「心配すんなよ。俺は何も悩んでなんかないぜ。」
だから、こうなる。
そうして、『月』の襲来から1週間が経った。
あの月を灼くユウヒがノボル 上戸 シカロ @Seek_a_law
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