夏の奇跡

西影

彼女とのデート

 蝉の鳴き声が響き渡る繁華街。最高気温が三十六度なだけあって、気怠げに歩いている人々とすれ違う。はたまた、蒸し暑さとは別に、周囲の環境で気が滅入ってるのかもしれない。夏休みに入り、街中にはカップルと思しき二人組が増えてきた。


 それらへ向けた妬みの視線があちこちに飛び交うが、そんなものは関係ない。既に二人の世界へ入った彼らは楽しそうに笑い合い、手を繋ぎながら歩いている。それを羨ましいと思いつつ俺は隣に視線を向けた。


 かくいう俺にも彼女がいる。白地のワンピースを身に纏い、麦わら帽子を被った姿は今日も可愛らしい。


 しかし俺たちの間に会話はなかった。灯香ともかはスマホと睨めっこ。全然こちらを見てくれない。


 寂しくないと言えば嘘になる。それでも一カ月前のことを考えれば仕方のないことだ。


 暇になり空を仰ぐ。青く澄んだ夏空。太陽は今日も頭上で白く輝いていた。


 周囲の人々同様、灯香ともかも帽子を深く被り直すと、左手を団扇のようにして扇ぐ。そろそろどこか涼しい場所へ行くべきか。


 なんて考えているうちに灯香ともかがゲームセンターに足を踏み入れた。温度差のせいか、灯香ともかは身震いし、肩を縮こまらせる。両腕を擦りながら歩くうちに一つの台の前で立ち止まった。


 直取り型のクレーンゲーム機。中には手のひらサイズの犬が何十匹も積まれた山がある。アームは三本付いていて、制限時間まで動き放題。このタイプは初心者でも少額で景品が取れるからお勧めだと話した記憶がある。


 俺が昔のことを思い出しているうちに灯香ともかは百円玉を投入した。真剣な眼差しでアームを白い犬に合わせて、決定ボタンを押す。それでも微妙にアームがズレており、一匹も出口まで運ばれなかった。


「あー……もうっ!」


 その結果に可愛らしい怒りが見れて微笑ましい。しかしそんなことにも気付かず、灯香ともかは五百円玉を勢いよく押し込んだ。湧き出た怒りをレバーに押し付けて動かし始める。


 ただ、そんな状態でプレイして成功するわけもなく、回数だけがどんどん減っていった。その度に悔しそうな声を出す姿が幼くて可愛いらしい。そうして最後の一回、今回だけ制限時間をフルに使って決定ボタンを押した。


 下に向かっていくアーム。それは白い犬を包むように掴むと上に持ち上げていく。


「あ!」「お!」


 白い犬の横でアームにタグが引っかかっている黒い犬が一匹。ぶら下がったまま移動すると回収場所で二匹とも落ちてきた。


「やった!」

「よかったな」


 イキイキとした表情で受け取り口から二匹の犬が回収される。今日浮かべる初めての笑顔。これが見れただけでもデートに来てよかった。そう思った矢先、灯香ともかの顔が急に暗くなる。


「……楽しくない」


 傍に置いていた小さなカバンに犬を二匹入れると、灯香ともかがゲームセンターを後にした。


 次に訪れるのは映画館。事前に予約していたらしいチケットを発券して入場する。今から見るのは灯香ともかが大好きな感動小説のアニメ映画だ。


 物語は彼氏の死で閉じこもってしまった女子大学生が、その死を乗り越えて立ち直るという感動もの。この作品は丁寧な心理描写によって感情移入しやすいのが魅力で、読んだ全員が泣ける……と灯香ともかに以前語られた。俺は小説を読んでないので、この映画でその感動を味わうことになる。


 徐々に照明が暗くなり、話していた他の客たちが静かになった。俺はスクリーンに映された主人公を目で追う。


 キャンパスで男子大学生が主人公に近づき、生前の彼氏の記憶がフラッシュバックする場面。肩を触れられると主人公の様子がおかしくなり、すかさず近くにいた友人が助けに入った。その演技は他人事とは思えず体が震えあがる。


 隣に座っている灯香ともかは既に目が潤んでいた。自分と重ねたのか、または先の内容を既に知ってるからか。


 それでも目元を拭かずに映画を眺めている。ここで彼氏なら、彼女の手を握るべきなのだろう。


 俺はそっと腕を伸ばし……引っ込めた。今の俺にそれをする資格はない。胸の痛みを無視するように姿勢を正すと、視線をスクリーンに戻した。


 ――ほんと、俺は彼氏失格だな。


 上映が終わり、照明が点けられる。映画は評判通りの名作だった。久々に感動できる映画を見た気がする。灯香ともかはエンドロールからずっと下を向いていた。手に持ったハンカチを目元に押し付けて動かない。それほど感動し、胸にくるものがあったのだろう。


 それを俺は見ることしかできない。


「大丈夫か?」


 声をかけても灯香ともかに反応がない。それも仕方ないのだが、こんな自分に腹が立った。


 ***


「あ、ともちゃん……」


 映画館から出た直後。灯香ともかが声をかけられて振り返る。俺も振り向くと高校で見たことのある少女がいた。確か灯香ともかの幼馴染だったはずだ。


 彼女の周囲に友人らしき人は見当たらない。どうやら一人で映画鑑賞に来たらしい。


「えっと、もう大丈夫なの?」

「……へいき」

「本当に?」


 距離を詰める彼女に灯香ともかは冷たく接する。普通の友人関係ならその態度に苛立ちを覚えるだろうが、彼女は距離を詰めると心配そうに灯香ともかの腕を掴んだ。


「――っ」


 灯香ともかが目を見開くと強引に振りほどく。顔には汗が浮き出ており、焦点が定まってない。


「やっぱり、まだ……」

「あの、その……ごめんっ」


 逃げるように灯香ともかが走り去っていく。彼女は手を伸ばし追いかけようとするが、立ち止まり首を横に振った。


ともちゃん……」

「ごめん、悪気はないんだ」


 一言謝礼を送って灯香ともかを追いかける。小さくなってる背中を追い続けると、気付けば砂浜の上に立っていた。


 海面は夕焼けを映し出し、幻想的な光景を生み出している。人気ひとけはなく、そこには崩れ落ちている灯香ともかの影しか存在していない。


「あ、ぁぁぁ……」


 波音に混じって灯香ともかの嗚咽が耳に届く。体を小さく震わせ、声も次第に大きくなる。


「なんで、よぉ……」


 言葉でなかった声はいつしか投げかけに変わる。言葉を紡ぐほど声も震え出し、明確な叫びになった。


「なんで死んじゃったのよぉ! 拓真たくまぁ……」

「……ごめん」


 この謝罪も灯香ともかには届かない。どれだけ俺が近くにいてもその手を握ってやることはもうできなかった。


 一ヶ月前、俺は交通事故で命を落とした。ドラマチックな要素は何一つ存在しない、ただの事故死。暴走した車の被害にあっただけの高校生。それが俺だった。


「もっと、思い出を作りたかった。もっと、楽しい時間を過ごしたかった。もっと、もっともっともっと……一緒にいたかった」

「ごめん。本当に、ごめん……」


 謝る俺の周囲に光の粒子が舞い始める。体が空気と溶け合うような一体感を覚えた。腕が透けて地面が見える。文字通りの透明化。


 事故が起きて一カ月。そろそろお迎えが来たらしい。いつ消えるか分からない。だからこそ言葉なんて取り繕わず、今ある感情をぶつけるために口を開く。


「……灯香ともか


 しかし、まるで俺の声に反応して灯香ともかが顔を上げた。光の灯った瞳が周囲に視線を投げかける。


拓真たくま?」


 一瞬目が合う。俺がもう一度声をかけようとして、すぐに視線は別の方向に飛ばされた。


拓真たくま! どこにいるの⁉」

「違う! こっちだ!」

「変なイタズラはやめて、早く姿を見せてよ。本当は生きてるんでしょ? お願い、お願いだからぁ……」


 何が起きたか分からないが、俺の声だけは確かに聞こえているらしい。再び涙を浮かべ始めた灯香ともかに優しく声をかける。


灯香ともか、落ち着いて聞いてくれ」

「落ち着いてなんていられないよ。もう一ヶ月も音信不通で……」

「──俺はもう、この世界にいられない」

「え?」


 きっとこの状態は長く続かない。数分を持てばいい方だろう。こんなやり取りで灯香ともかとの時間を減らしたくない。


「俺はもう死んでいる。あれからこの世に一ヶ月もいられたけど、もう限界みたいだ」

「そんな、嘘よ。だって今も声が……」

「それが現実なんだ」


 今も戸惑っている灯香ともかを後ろから優しく抱きしめる。触れられなくても温もりだけは感じられた。一か月ぶりに伝わる好きな人の温もり。強く抱きしめたい気持ちを必死に抑え込む。


「あたたかい……」


 感触が伝わったのか灯香ともかが俺の腕に近付く。しかし無慈悲にもすり抜けた。それでもそこに俺の温もりがあるようで灯香ともかが静止する。頬に指を当てると伝っていた涙がキレイに消えていった。


「たくさん迷惑かけてごめんな」

「言葉だけじゃ許せないよ」

「今日デートしたじゃん」

「……いたんだ」

「前から約束してたデートだ。一人で過ごさせるわけないだろ」

「私は独りだったし」

「ホントにごめん」

「……でもありがと。私に気を使ってくれて。話せて気が楽になってきたかも」


 灯香ともかが一歩だけ進み、俺の方へ振り返る。俺も合わせてきちんと立つと目が合った。


「もしかして見えてる?」

「見えたら嬉しかったんだけどね。けど拓真たくまの顔はきっとここにある」


 何度も体験した二人で話す距離感。彼女はまだ覚えてくれていたらしい。


拓真たくまは優しいからさ、凹んでる私を置いて成仏できなかったんでしょ? でも私はもう大丈夫」

「そんな強がってる態度見せなくてもいいんだぞ」


 先程までの態度でバレバレだ。それでも灯香ともかは首を横に振った。


「見せるよ。そうじゃないと、拓真たくまが安心して向こうに行けないじゃん」


 涙ながら目尻が下がり、口角が上がる。頑張って見せてくれる大好きな灯香ともかの笑顔。俺が思ってるより灯香ともかはずっと強かった。そんな彼女の笑顔だからこそ、俺の胸だって熱くなる。


「確かに人と関わるのは怖い。また拓真たくまみたいに死んじゃったらって思うと安心して眠れない日もある。でもそんな結果、拓真たくまは望んでないよね。私もこんな風になったのを拓真たくまのせいにしたくない。――だから」


 瞬間、唇が重なった。正真正銘最後のキス。俺たちのデートが終わる、別れの合図。


「私はまだ頑張れる。ありがと、拓真たくま。愛してるよ!」

「俺もだ。愛してる。幸せになれよ」


 長らく言えなかった言葉。生前も恥ずかしくて真面目に話せなかった心の声。


 灯香ともかと出逢えて本当に良かった。

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夏の奇跡 西影 @Nishikage

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