(4)喫茶六等の星②――中藤伊織

(今日は荻野くんに悪いことしちゃったな)

 真方さんがサービスでくれた磯辺焼きを食べながら、私は今日の稽古を苦々しい気持ちで振り返っていた。

 あの撮影ミスはなぁなぁでは済ませられなかったとはいえ、私は荻野くんにきつく当たりすぎてしまった。

 藍ちゃんを庇うためにああいう小芝居をしていたわけだから、「本番が近いんだから気をつけてよ」と、彼の小芝居に付き合ったこと自体は正解だったと思う。

 もし、通し稽古を撮り損ねていた当人が、「あの……」と泣きそうな顔で謝りに来ていたら、稽古場はきっと地獄のような空気になっていただろう。

【通し稽古をするからカメラの確認しといてねって言ったよね?】

 か弱い後輩にとことん怒りをぶつけていたであろう自分が容易に想像できる。

【そもそもなんでカメラから目を離してたかな?】

 いくら私でも「荻野くんのことばかり見てたの、分かってるんだからね?」と、ここまでひどいことは言わなかったけど、

【こんな単純なこともできない人に、私はこれから先、なにを頼んだらいいの?】

 これぐらいは言っていたと思う。

 だから、荻野くんが藍ちゃんの盾になってくれたのは正直助かった。

 ――オギヨシのあれはファインプレイだったな。

 梶本くんもあとで私と2人のときに、荻野くんのことをずいぶん褒めていた。

 ――さすがに役者の才能まではなかったけどな。

 稽古場に戻ってきたとき、あの2人は顔を寄せ合っていて、(どうしよう……)と、いかにもそれらしい顔をしていた。

 ――その、僕がカメラを落としちゃって……すみません。それで、撮影データがパーです。

 ――へぇ、落としちゃったの。

 咄嗟に考えたシナリオにしては悪くないものだった。もし、台詞が棒読みじゃなかったら、少しは信じていたかもしれない。

(虫も殺さないような顔して、意外とやるじゃん)

 度胸の良さにも免じて、今回は形ばかりの注意で済ませよう。――と、本当なら頃合いを見て、2人を解放するつもりだった。

 ところが、「今後はこういったことがないよう……」と話を切り上げようとした、そのときだった。

 私はあるものを目にした。

 いつからだろう。藍ちゃんが、荻野くんの服の袖をつまんでいる。

 その様子がなんとも可愛らしくて、それだけに物凄くカチンと来てしまった。

(そんなに私が怖い? 嫌いなの?)

 まるで、知らない人を前にして、お母さんの背中に隠れている子どもじゃないか!

 一旦は収まりかけていただけに、再び覚えた怒りはより一層激しく、今度はもう抑えられなかった。

 ――こっちはバイト代出してんだから、ふざけた仕事しないでよ!

 梶本くんにもあとで「バイト代云々は余計だったな」と苦笑いされたほどの八つ当たりだった。

 ――荻野くんが明日から稽古に来てくれなかったらどうしよう……。

 あれだけ理不尽な怒りをぶつけておきながら、あとになって急におろおろし出すのだから、私はまったく救いようがない。

 ――なぁに。ケロッとした顔で来るさ。

 梶本くんに対しても、普段はつんけん接してばかりいるのに、こういうとき頼ってしまう。「頼ってもらえて嬉しいよ」と言ってくれるから、ついつい甘えてしまう。そんな自分がずるいなと思う。

「そろそろラストオーダーだけど、なにか頼むかい?」

 顔を上げると、壁掛け時計の針は、もう9時半を指していた。

「いえ、もう出ます」コーヒー1杯で1時間は長く居すぎた。その上、磯辺焼きまでご馳走になってしまった。

「お勘定お願いします。――磯辺焼き美味しかったです」

 コーヒー代を払っているときにお礼を言った。

 真方さんは、磯辺焼きのサービスについてなにも口にすることなく、やはりコクリと頷いただけだった。

 店を出てから、ふと気になって、私は頬を触ってみた。

(そういうことか)

 少しこけていた。疲れて見えたのかもしれない。

 

 帰宅後、梶本くんから電話がかかってきた。――11時。部屋の明かりを消すところだった。

『よう。大丈夫そうかい? 我が愛しの姫さん』

「そうね。大丈夫じゃないけど、大丈夫ってことにする」

『なんだいそりゃ』

「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だから」

 私は言い切った。

 荻野くんへの謝罪はあまり深刻にならないようにする。「昨日はごめんね」と一言でさっと済ませる。稽古もピリッとやる。藍ちゃんの顔色を窺って、稽古の空気を緩めたりなんかしない。

「いつも通りの私でいくから」

 私の口からこれを聞けて、梶本くんも『そいつはいい』といくらか安心したようだった。

『中藤がしくしく泣いてないかと心配で心配で……。そういうことなら、俺もぐっすり眠れるわ」 

「よかった。睡眠泥棒にならなくて」

 軽口は照れ隠しだった。

『中藤。――もう1件だけいいか?』

「なに? 演劇部のこと?」

『ああ。今度の日曜さ、オギヨシも【南国演人】の解散公演に誘ってみようと思うんだけど、どうかな?

 演劇部を畳んだあと、例の劇団には、あいつも誘うつもりなんだろ?』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ナナのためのカーテンコール 尾崎中夜 @negi3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ