浪人と妖刀と子狐と空亡

 その場にいた全員の視線が、山童に注がれる。殺気の溢れる表情から冷静な顔付きにさっと変わる神野悪五郎。いつ見ても、この切り替えは見事だ。そばにいる部下が感嘆する。


「貴方は、ぬらりひょん殿のところの。なにかあったのですか?」

「それが、予定より早く『空亡』の穢が溜まり、暴走しそうなんです」

「空亡が?」


 僧侶と子狐以外の、その場にいた者全員が息を呑む。ただ事ではないようだ。


「理由は」

「わかりません。今はぬらりひょん様お一人で押し留めておりますが、外に出てしまうのは時間の問題かと」

「なぜそんなことに。しかし、穢れた空亡が相手だと、さすがに骨が折れますね…」

「今、別の者が山ン本五郎左衛門様のお屋敷へ向かっております。もうすぐ到着するはず」

「山ン本五郎左衛門」


 再度、神野悪五郎の顔が怒りの形相に変わる。


「あんな無礼な不届き者に、何ができるというのです。よいでしょう。私も今から向かいます。屋敷には最低限の人員を残し、残りは私についてきなさい」

「お館様。子狐と僧侶は、いかがいたしましょう」

「屋敷に置いていくわけにもいきません。監視を厳重にし、連れていきます」

「は」


 神野悪五郎、鎌鼬姉弟をはじめとした部下の者たちと、子狐と僧侶と妖刀が道中を急ぐ。お館様は『監視を厳重に』とは言っていたが、今のところはなんの不具合もなく、ただ神野悪五郎が呼んでくれた竜馬という駿馬の妖怪に乗って、移動しているだけである。


 子狐にいたっては、部下の妖怪たちに肩車をされたりして、はしゃいでいる。


「僧侶様、この度はこのようなことになってしまい、申し訳ありません」

「鎌鼬殿。いやいや、謝罪には及びません。これもまた、御仏のお導きでしょう」

「しかし、こんなときに空亡が暴走とは」

「無知を承知でお聞きするが、その空亡とはなんなのでしょう」


 空亡。かの有名な『百鬼夜行絵巻』にて、妖怪を追い立てるように最後尾からついてくる、巨大な円形の妖怪である。


 後世では「あれは妖怪ではなく、太陽だ」「太陽に追い立てられ、逃げる妖怪の図なのだ」と分析されているのだが、空亡は太陽ではなく、太陽の眷属に名を連ねる妖怪である。


 彼は、普段は太陽神のおわす社境内におり、太陽神を手伝い、この世の中の穢れを吸い取る。彼のおかげで、世の中は少しだけ暮らしやすくなっているのだが、空亡は吸い取った穢れを自分だけでは処理できない。


 苦しそうな空亡を不憫に思ったぬらりひょんたちが、助けになればと始めたのが百鬼夜行なのである。いわば、みんなで散歩して、溜め込んだ穢れ、陰気を発散しようという、健康的な催し物だ。


 定期的に開かれる百鬼夜行で、これまでは問題なく過ごせたのだが、なぜか今回は空亡の溜め込む穢れが多すぎた。そのせいで、もはや爆発寸前になっているという。


 今は主催者のぬらりひょんがなんとか押し留めているそうだが、それも時間の問題だろう。


「と、いうわけです」

「なるほど、深刻な状況なわけですね」

「はい。もしここで空亡が完全に暴走し、穢れを吐き出すと、周囲一体、いやこの国全てが、死の世界になってしまうでしょう」


 子狐が、いつもよりも真面目な顔で言う。


「そんなの、可哀想だ。早く助けないと」

「ああ。みんな、お前と同じ想いだよ」


 僧侶は、久しぶりに子狐の頭をくしゃと撫でる。子狐はまんざらでもないようだ。


 程なく、竜馬が立ち止まる。目的地に着いたようだが、どうにも様子がおかしい。見ると、身の丈十尺はありそうな大男と、神野悪五郎が対峙して睨み合っている。


「がはは、神野よ。息災そうで何よりだ」

「黙りなさい! 夢想家の貴方と話すことなど、何もない!」


 剣呑な雰囲気だ。


「鎌鼬さん、あの大男は? 彼らは仲が悪いのですか?」

「どちらかというと、お館様が一方的に嫌っているんです。先ほどご覧になった通り、お館様は人間と関わりたくないというお考えですが、あの大男…名は『山ン本五郎左衛門』様というのですが、あの方は人間とも懇意にしておりますから」


 どうやら複雑な間柄らしい。


「神野よ。今はそんなことを言っている場合ではないぞ。あれを見てみい」

「ええ。言われなくても、見えていますよ山ン本様」


 空亡はすでに社から外に出ており、黒ずんだ炎を周囲に撒き散らしている。その下には、満身創痍で横たわっているぬらりひょんがいた。


「ぬらりひょん様!」


 山童をはじめとした、ぬらりひょんを慕う妖怪が走る。いつもは飄々とし、知らない人の家でお茶を飲んでくつろぐ彼がぼろぼろになっているのだ。無理もない。


「やめろ、近付くな。お前らまでも、穢れにやられてしまうぞ」

「関係ねぇや! ぬらりひょん様とやられんなら、本望でさぁ」


 空亡の黒い炎が、今にもこちらに落ちてきそうだ。周囲をよく見ると、避難しきれなかった妖怪たちが身を寄せ合って震えている。腰を抜かした少し感の良い人間も、ちらほらと見受けられる。


 神野悪五郎も山ン本五郎左衛門も、その光景を見て少し尻込みしているようだ。表情に焦りが見てとれる。妖刀が久々に、しかも大声で叫ぶ。


「貴様ら! このまま自分が住む国も、仲間も、愛する者も見捨てるつもりか!」


 驚いて僧侶に帯刀されている妖刀を見る妖怪たち。


「人間と共存しようがしまいが、この状況を放っておいたら、全て滅びるぞ。いがみあっている場合か。貴様らそれでも、妖怪の長か、それに連なる誇り高い妖怪か! 痴れ者どもが!」


 妖刀の、心からの叫びであった。

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浪人と妖刀 やざき わかば @wakaba_fight

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