第一話 何人もの思いを背負った少年


 今夜の収穫はデカかった。裏社会のトップ達が集う仮面を被ったパーティーに呼ばれていた一人の少年は夜道を歩きながら頭を整理していた。

 夜の風は気持ちいい。

 いつもなら側近をつけて車で帰るが、今日は途中で降ろしてもらい、反対を押し切って夜の散歩をして居た。幸いセーフハウスは近い。

 少年のポケットで携帯が鳴り、取り出す。ディスプレイには〈セイ〉と載っていた。

 「…お疲れ様。どうしたの?」

 少年が落ち着いた声色で尋ねれば、電話の向こうからは呆れたようなため息が返ってきた。

 「どうしたのじゃありませんよ!! 私と別れてから2時間は経ってますよ!? 何処にいるんですか!!!」

 電話の相手は連絡が取れた事に安心したのも束の間、どこにいるのかと怒号の嵐だ。

 「あ、ごめん。そんなに経ってるとは思わなかったんだ。今はK-4の近くだよ」

 K-4とはセーフハウスの名前である。誰がいつ聞いているかわからない電話やメールの際はこうやってアルファベットと数字で言う事になっている。

 「は!? そんな遠くまで歩いてるんですか!? 何かあったらどうするんですか!!」

 「あはは。ごめん、でも何もないよ。それに引き継ぎは出来るようにしてあるでしょ」

 少年の言葉にセイは一瞬奥歯を噛み締めて、この人はこういう人だと割り切ってから会話を進める。

 「とりあえずそこからは動かないで下さい。さっきのパーティーで動きがあったみたいです」

 「うん。わかった」

 それだけ言うと電話を切る。少年は少し先のコンビニに向かい、喫煙所でタバコに火をつけた。

 一本目を吸い終わって、二本目に火をつけしばらく経った頃にセイは到着した。

 車から降りてきたセイは携帯灰皿を出して少年に向けた。

 「あ、一本ここに捨てちゃった」

 少年はそう言って喫煙所にある灰皿を目線で指した。セイは短いため息を吐く。

 「はぁ、いいですよ。後で手回しときますから。それより早く行きましょう。中で吸ってもいいですから」

 そう言って少年の手からスッとタバコを取り携帯灰皿にしまうと、後部座席の扉を開けて少年が乗るのを諭した。少年は言われるままに車に乗る。

 セイも運転席に乗り込み、車は発車した。

 「ごめんね、面倒かけて」

 「いいですよ」

 それだけ話すと少年は窓の外を眺めている。当たり前に自分が歩くよりも早い車。景色の流れも早い。それになんだか虚しさを覚えながら少年は背もたれに体を預け、ゆっくり目を閉じた。

 セイはその様子をミラーで見ていた。

 少年はよくこうやって寝るでもなく、ただ目を閉じる。まるで世界と自分を切り離すように。

 いや、世界を拒絶するように。

 しばらく車は走り続けてマンションの地下駐車場に到着した。

 「着きましたよ」

 セイのその声で少年は目を開けた。

 「運転ありがとう」

 少年がそう言えばセイは少しだけ眉を顰めた。

 「毎回言ってますが、わざわざいいですよ」

 「僕が勝手に言ってるだけだから」

 「そうですか」

 二人は車を降りて、マンション内に入る。最上階の一つ下でエレベーターは止まり、そこからまたもう一つのエレベーターに移る。

 このエレベーターは特定のカードを持っている人しか使えない仕様になっているため、外部の侵入を防ぐセキリュティとしては良いものだった。

 「あのさ、前から思ってたんだけど、こんなセキュリティがっちがちじゃなくてもいいよ?」

 「ダメですよ。あなたの顔がまだ割れてないとは言え、危険なことには変わりないですから」

 エレベーターでそんな話をしていると、すぐに最上階へ到着した。二人はエレベーターを降りて廊下を歩く。その先の扉にカードとキーを使い、部屋に入る。

 「で、動きって?」

 少年がそう尋ねれば、セイは自分が羽織っていたスーツのジャケットを脱ぎながら部屋の電気をつけていく。

 「あの場にいた表向きはIT関係の会社をやっている人覚えてますか?」

 「ああ、あの人ね。うん、それで?」

 会話をしながら二人は見晴らしの良い大きな窓がある部屋のソファーに腰掛けた。

 「3日前にも3人の子供を買っている事が分かりました」

 「出所は?」

 「あなたが目星をつけていた所です」

 「分かった。あそこならもう手は回してあるから証拠もきっちり残ってるよ」

 そこまで話すとセイは黙って言い難そうな顔をしながら少年から目を少しだけ逸らした。

 「あの、どうやって目星をつけたんですか」

 「ん? ああ、いつも通りだよ」

 なんでもない様に少年は言い放った。それにセイは顔色を変える。

 「どうしてそんな危険なことばかりするんですか。私たちがどれほどあなたを心配しているのかあなたには分からないんですか」

 捲し立てる様にそう言ったセイだが少年の顔を見て後悔した。

 これは、言ってはいけない事だったと。

 少年は酷く申し訳ない様な顔をしていた。

 「…そんな顔するなら………」

 セイの呟く様なその声は少年には聞こえなかった。

 「……ごめん。でも、確かな情報が欲しいんだ」

 「それならッ、」

 自分達を使えば良い、とは言えなかった。

 「確かな情報がほしい」この言葉は、少年が自分達の情報を信じていないことを意味していたから。

 自分達を信用していないわけではないという事はわかっている。その情報源を信用できないのだろう。

 この少年は人から聞いた情報なんて当てにしない。自分の目で見たもの耳で聞いたものしか、信用しないのだから。

 その事をそこそこ付き合いの長いセイは理解していた。

 「すみません。大きな声を出してしまって」

 「いいよ。僕こそごめんね」

 何に対して謝っているのか、きっと少年本人にもよく分かっていないのだろう。

 沈黙が続くのも嫌に思い、セイは話の続きを進めた。

 「この情報はどうするんですか?」

 「んー表のITの方もやり方が汚いからね。これは警察に渡すかな。証拠も上がってるし。法に任せるよ」

 その言葉にやっぱりセイは顔を顰めた。

 「無償ですか」

 「無償ってわけでもないんじゃない?」

 この会話はよくある会話だった。掴んだ情報を社会にばら撒くか、警察に渡し法の裁きを受けてもらう材料にするか。そしていつもセイは警察に無償で渡すのには反対した。

 「どうしてですか。警察に渡ってしまえば司法で守られる。社会の制裁を受けるべきだ」

 「警察とも良好的な関係の方が有利じゃない?」

 「それでもあなたは無償に渡しすぎている」

 セイはそこが気に入らなかった。少年がどんなに警察と良好的な関係を築きたいと願っていても、向こうは少年をずっと疑っているから。こんなにも貢献して、無償で情報も渡しているというのに、それでも警察は少年を疑っている。

 「警察には安心と信頼を。アイツらには恐怖と裁きを」

 セイに言い聞かせる様に少年は言った。これは少年が仕事をする上でモットーにしている事だった。少年がどうして“世直し”なんてしているのか、どうしてどちらにもつかないのか、警察に無償で情報を渡すのか、それはセイにすら分からなかった。

 「あなたが目指す先はなんですか」

 宗教の教祖のような立場。普通なら教祖に信者はそんな事は聞かない。それも盲目的信者であればあるほど。

 セイのこういう所が少年は幾分か気に入っていた。

 「さぁ。世界平和?」

 「絵空事エソラゴトですね」

 「言うだけはタダだよ」

 「言うだけムダです」

 「あはは。セイは相変わらずハッキリしているなぁ」

 少年はセイからみて、あやふやな存在だった。

 確かに此処に存在している、手を伸ばせば触れられる場所にいるのに、もしかしたらその手は少年に届く事なく少年は何処かに消えてしまうような気がして怖くて伸ばせない。

 そんな事はあるわけがないと、分かっているのに、そう思わせるほどの危うさと不安定さを少年は持ち合わせている。

 それでも少年はブレない人間だった。

 「僕の周りの人が幸せならそれでいい」

 誰よりも人間らしい事を、仏の顔をした教祖のような少年は望むのだ。

 「…そうですか」

 その望みがもう叶わないと理解しているとしても。

 そしてその周りに自分が含まれていないのは当然と言う顔をする。それが至極真っ当とでも言いたい様に。

 その歪みがきっと人を惹き寄せるのだろう、とセイは常々思っていた。

 不安定に見える少年に縋る大人達を何処か冷めた目で見ている自分も居ながら、自分のその大人の一人なのだと言うこともまた理解していた。

 セイという人間のそういう所が少年は好きなのだろう。

 「あなたにとって、ッ、…」

 “あなたにとっての信頼ってなんですか?”そう聞こうとして、辞めた。

 少年の表情に圧がかかったから。

 「セイ」

 「……はい。すみません」

 少年のこの表情が、セイは好きではなかった。

 “これ以上は踏み込むな”

 そう言った拒絶を感じさせる表情が。

 少年はずっとこうだった。

 悩める人の話を聞き、救いを求めれば助ける。それでも自分が誰かに救いを求めることも、身の上話をする事すらもない。

 『unknown《アンノウン》』

 少年にぴったりの名前だと思った。

 信頼されるのは重視するのに、自分が何かを、誰かを信頼する事は決してない。

 此処に一人で立ち続けている少年。

 「じゃあ、その件よろしくね」

 少年は微笑んでそう言った。

 「分かりました。では私は失礼します」

 「うん。お疲れさん」

 少年の言葉を聞いてセイは一礼して部屋を後にした。

 大きすぎる部屋には、少年一人だ。

 徐に立ち上がり、ベランダへ出る。ポケットからは煙草を取り出し、火をつけて煙を吸い込む。

 セイはいつも煙草をやめろと少年に言う。

 未成年かどうかすらも分からないけれど、体に害しかないのは確かだから。

 少年は携帯を取り出し100件を超える不在着信の中から一つの名前をタップして耳に当てる。

 電話はすぐに繋がり、2コールで相手は通話に出た。

 「もしもし、お疲れ様です。ノウンです」

 少年は名乗る際にアンノウンは長いのでノウンと名乗ることが多い。

 「やっと折り返しましたね」

 相手は呆れたように息を吐いた。

 今日はため息をつかれることが多い。

 「あはは、すみません」

 「いいえ、あなたが気まぐれなのはいつものことですから」

 相手はもう慣れ切ったように少年と話す。

 話し方はれっきとした社会人の年は若めの男性だ。

 「メール送っときますんで、またよろしくお願いします」

 先程セイと話していた件のお願いをしている。お願いというよりは情報提供だが。

 「情報提供はありがたいんですけど、その情報はどうやって掴んだんですか?」

 問いただすように電話の相手は少年に問う。

 「刑事さん、それは企業秘密ですよ」

 少し笑いも含めたような言い方で少年は煙草をひと吸いしながら話した。

 「この質問はどうやっても答えてくれないのでもう良いですけど、あなたいくつですか。煙草吸っていい年ですか?」

 「それも秘密ですよ。情報提供に免じて見逃して下さい」

 電話の相手は刑事だ。少年が未成年ならば注意をしなくてはならない。でも少年は頑なに年齢はおろか、本名も何も教えてはくれない。それに少年の情報はいつも的確で確実だった。

 だから警察は強く出られない。

 「自分を大切にして下さい」

 「してますよ」

 「俺から見たら全然ですけど」

 「僕は僕をとても大事にしています」

 少年の言い方はどこか自分に言い聞かせているようだった。

 自分を大切にするの定義は人それぞれだ。だけれどこの刑事にはどうにも少年がそれに当てはまる様には見えなかった。

 「あ、そうそう。この番号とメアドはもう使わないので」

 少年は思い出した様に言った。

 「どうして?」

 「あー、盗聴ですよ」

 驚く若い刑事をよそに少年はなんでもない様にそう言って退けた。

 少年からすればなんでもないのだ。盗聴、盗撮、そんなの日常茶飯事で、それが流失しないように手を回すのすらも慣れてしまっている。

 そういう世界の住人。

 「は、それでしたら自分達が然るべき対処を」

 「いいよいいよ。別に困る事は話してないから」

 そういう問題ではないだろう、と刑事は言いたかった。でもこの少年にはモラルも倫理も通用しない。他人に対してはしっかりモラルや倫理を持って接してやるのに、その対象が自分になった時だけ、機械のバグのように少年は“壊れる”のだ。

 「そういう問題ではないでしょう」

 「まぁとりあえずさ、この番号もう使えないから」

 「……また“そのうち連絡寄越す”、ですか」

 若い刑事は苦々しい気持ちだった。

 自分達大人はそんなに頼りないか。

 この子が頼れないほどに頼りないのか。

 この子はどうやって育ったんだ。

 この子の親は何をしている。

 他に家族はいるのか。

 この子は、

 どうして、

 聞きたい事が山ほどあって、聞けないでいることも数えきれないほどあった。何も聞けないまま、この少年の唯一繋がっている連絡手段コレを無くすのだ。

 「どうですかねぇ。部下に引き継がせようかとも考えています」

 少年は短くなった煙草を消し、新しいものを取り出す。少年は愛煙家だ。若い刑事には、頼るのが煙草しかない大人の皮を被った子供の様にも思えた。

 「……若い子の喫煙は健康を害します。程々に」

 何かを言おうとして、聞こうとして、出てきた言葉はそんな事だった。

 「親みたいな事言うんですね」

 この子にもこんな事を言う親がいたのだろうかと考えて、やめた。そもそも子は親に煙草を吸ってるなんて隠すものだから。

 「連絡まってますよ」

 「情報が入手できればまた連絡しますよ」

 そうじゃない。それ以外でもいい。頼ってほしい。ちゃんと大人を頼ってほしい。そう思うも、やはり刑事は何も言えない。

 「分かりました」

 「はい。どうかお元気で」

 その言葉を最後に通話は少年の方から切られた。まるで今世の別れの様なその言葉に、何か言わなければと焦燥に駆られかけ直すも、勿論繋がる事はなかった。

 少年はスマホのSIMカードを抜き取った。そしてポケットにしまい、煙草の味を嗜む。

 実のところ少年は煙草があまり好きではない。

 喫煙。その行為は少年にとって自分への戒めのようなものだった。

 “お前はどちら側でもないのだ”と。

 白にも黒にも、光にも闇にも、朝にも夜にも。少年はどちらに染まる事もない、というよりは、どちらに染まる事もないように自らを線引きする。

 どちらでもない所へ。


 失うものはない方がいい。

 失った時の悲しみなど、要らない。

 いつか失ってしまうものは、要らない。


 だから居場所だって少年はいらないのだ。

 少年は煙草を消して部屋の中に戻る。テーブルの上にSIMカードとスマホを起き、シャワールームへ向かう。

 シャワールームからはクラシックが流れている。

 少年はシャワーを浴びる時、レコードでクラシックを流す。誰の曲かもしらないレコードをかける。好きなわけではない。ただなんとなくで、毎日レコードを聴くのだ。

 シャワールームには大きな鏡が置いてある。少年にはこの鏡が嫌味に思えてしょうがない。

 自分の身体を好き好んで見る奴なんてそうそういないだろうに、そう思いながらいつも鏡はあまり見ないようにしながら少年はお風呂を終える。

 風呂上がりに見た窓の景色は真っ暗な空だった。

 雲がないのにも関わらず、街が明るすぎて星すら見えない。方角のせいか、そもそも今日が新月なのかは分からないが、月も見えやしなかった。




 unknownこと、ノウン。本名は、桐生きりゅう 聡太そうた


 彼の生い立ちは彼しか知らない。彼は自分をまるで物のように扱う。もしくは死人のように。

 桐生聡太とは過去に生きた人だと言いたげに少年はいつだって自分を過去にした。

 少年の左手の甲の右側には小さく少年からみて逆十字架が刻まれており、二の腕には有名な十字架にかけられたイエスキリストが刻まれている。更には背中にはユダの台詞とユダ本人が刻まれていた。

 父親が死んだ3つの歳の時に母によって逆十字を刻まれ、9つの時に二の腕には“家族”によって刻まれた。最後の一つ、背中は10歳の時にその後自死した崇拝者によって刻まれた。

 どうもこの国は歴史通り、キリシタンが多いらしい。

 その刺青にはそれぞれ意味がある。

 逆十字は母からみれば普通の十字架で、それを見ていつもどこか安心した表情を浮かべていた。今思えば精神的に参っていたのだろう。

 でもその十字架は少年からみれば反キリストや反神者を表すシンボルにしか見えなかった。

 十字架に架けられたキリストの刻みモノは少年の罪が込められた。

 まるで生きているのが罪だと言うように。

 キリストの話でも人は生まれながらにして罪人と言った。その罪をキリストは背負ったとも。

 少年からみたら“家族”でも、“家族”から見た少年は崇拝対象。神と崇めるような存在だったらしい。

 三つ目の背中は誰もが知る偽りを意味するユダ。

 キリストを裏切ったとされる者。

 少年を神と崇めた者は、そうじゃないと甘い微睡から覚めた瞬間に世界の色を失った。

 そして少年の背中に白黒の証を彫った。それを少年は受け入れた。

 でもその崇拝者は自死した。神を失った世界には興味がないと言うように。


 その刻まれた証は正しく機能した。

 少年にその事を風化させたりはせず、時折り心臓を抉る痛み。


 その痛みだけを頼りに少年は“unknown”となった。


 死人に口なし。と言うのか、自分を過去死人のように扱う彼は一度も“桐生聡太”の事は語らなかった。誰にも。




 朝になればセイが迎えにきていた。迎えと言ってもほぼ世話役みたいなもので朝食だって作ってくれる。

 「あ、起きたんですね。おはよう御座います」

 トーストの焼ける匂いに釣られてリビングに行けば、低血圧な少年のために、トーストとサラダにコーヒーが用意されていた。

 「ん、いつもありがと」

 まだ起ききっていない頭は正常に働いていないのか、いつもよりゆったりとした口調だった。

 そして席について、セイを見つめていた。

 「セイは食べないの?」

 「じゃあご一緒しますね」

 少年の言葉にセイは微笑んで自分の分をテーブルに並べて、少年の向かいに座った。

 どうも少し冷える朝らしい。少年が起きた時寒くないようにと部屋には暖房が効いていた。

 いつものように少年はトーストを齧る。

 その様を同じようにトーストを食べてコーヒーを飲みながらセイは見ている。

 「今日は少し冷えるみたいですよ」

 「んん、そう。今日何か予定あったっけ」

 朝食タイムに予定の確認をするのはいつもの事だった。

 「あの刑事さんいたでしょう。確か獅野ししの垓炉がいろと言いましたか」

 その名前に少年は手を止めた。その刑事は昨夜最後の連絡をした相手の名前だったからだ。

 「その人がどうかしたの?」

 「あなたの事を嗅ぎ回っているみたいですよ。個人で」

 獅野は刑事だ。だから職務として調べられて嗅ぎ回られているのは常だが、まさか個人で探られているとは思わなかった。

 やはり昨夜切ったのは良い頃合いだったな、と、つくづく自分の勘の良さに少年本人も驚いた。

 「あぁ、でもその人なら切ったよ。あ、昨日言い忘れてたんだけど、これ処分しておいて」

 そう言って昨夜抜き取ったSIMカードとその本体だったスマホをテーブルの上に置いた。

 それを見てセイは顔を歪めた。

 「ほんとに……、預言者ですか。あなたは」

 「推測して予知するだけだよ」

 相手の話し方の変化から心理状態は伺えるし、世界情勢から市場はわかるもの。ちょっとした機転さえ回していれば情報社会な現代、予知なんて簡単に出来てしまうのだ。

 「その予知が当たりすぎて怖いんですよ」

 そしてそれを自分達部下崇拝者にも言わないのだから本当に秘密主義なお方だな、とセイは思う。

 秘密主義と孤独はイコールだと、かつて誰かが言っていた。

 この少年を孤独と例えるのは些か無礼だとは思うがセイは少年を神とは思っていない。

 リアリストな彼は神など存在しないし、していても何もしてくれないことを理解している。だから彼は少年をこう呼ぶのだ。

 「救世主で革命家な貴方が預言者、なんて、出来すぎてる話ですね」

 まるで何かの小説のダークヒーローのように。

 「救世主と言われる僕がミステリー小説好きっていう時点で出来てる話だけどね」

 少年はセイとするこんな会話が好きだった。

 出会い方さえ違えば、きっと良き友になれていたのだろうと考えて、そんなタラレバな話は不毛だといつも思う。

 「セイはさ、僕のどこが好きなの?」

 自分のどこが好きなのか。それは同時に少年のどこに崇拝するような部分を見出したのか、と同義の質問だ。

 セイはその質問には答えない。

 「聡明さ? 秘密主義? それとも僕自身の存在かな?」

 その嫌味にも聞こえる質問は少年が自分を慕っている人間に初めて聞いたことだった。

 セイは一瞬だけど少年を見つめて、すぐに答える。

 「さぁ、強いて言うなら最初は利他主義的者ってところですかね」

 セイは少年に興味があった。最初は純粋なそれだった感情は少年を観察し、共に過ごすうちにもっと汚い何かへと変わっていった。

 そういう自分のことをセイは誰よりも理解している。

 「セイも僕のこと神様だって思う?」

 その質問をする少年の表情を一言で例えるなら無邪気。でもそれは無知や無垢からくるものじゃない。穢れと汚れを知って、それでも取り繕うとするようなソレだ。

 セイは少年の、こういうところが嫌いだ。

 誰よりも強かで、誰よりも賢者でありながら、少年は何も知らないフリをする。

 こういう“優しさ”がセイは憎くて、憎くて、どうしようもないほど憎たらしいのに、ソレと同じ分量だけ、愛おしく感じてしまうのだ。

 神のような存在の少年に、それ以上を求めてしまいそうになるのだ。

 神の玉座から引きずり落としてでもタダの人間にしてやりたくなってしまうのだ。

 「…神なんて存在しませんよ」

 「あはは、僕はやっぱりセイと話すの好きだなぁ」

 考えた末にセイから出た言葉は曖昧にぼかしたような答えだった。それなのに少年は満点の解答を得られたように笑った。

 話もそこそこにセイは少年の部屋を後にした。

 少年は一人でベランダに出て外の風に当たる。普段少年は外の空気が好きだ。

 いつも通りタバコを取り出し火をつける。

 「……『一番に孤独を味方につけなさい』」

 少年が好きな本の一節だった。

 孤独を恐れてはいけない。孤独を恐れた時にこそ、孤独は優しく不気味に寄り添っているのだから。

 そう言う教えだった。

 その真の意味は少年のみぞ知るのかもしれない。




 向かった先は表向きは事務所の集会場。そこの特別ルームは幹部とunknownしか入れない。

 セイがその部屋に入れば先約がいた。

 「カオルか、おつかれ」

 簡単な挨拶を投げかけるとカオルはパソコンから顔を上げてセイに気づいた。

 「あ、おう。おつかれ〜」

 緩く返事をし、片手をひらひらさせながら目線はすぐにパソコンに戻された。

 そしてセイも自分のパソコンを開き、作業を進める。2時間ほど経った頃、目の前にコーヒーが置かれた。

 「ほらよ。あんまずっと作業してっと目が潰れちまうよ」

 やれやれと呆れたように言いながら、カオルは自分の分のコーヒーを一口飲んだ。

 「珍しいな。ありがとう」

 「一言余計なンだよ」

 そしてセイも少し休憩しようと、パソコンを閉じた。

 2人の間には居心地の悪くない沈黙が流れた。

 コーヒーからはまだ少しだけ湯気が立ち上っている。

 「…なぁ」

 そう声を発したのは意外にもセイだった。

 「んー?」

 カオルは片手でコーヒー飲み、もう片方でスマートフォンをいじりながら返事をする。

 「カオル、お前はさ、あの人のこと神様だと思ってるか?」

 その質問に流石のカオルもスマホから目線をセイへ移し、目をまん丸に見開いている。

 コーヒーの飲み口を唇につけたまま微動だにしない。

 「…………は? え?」

 長く溜めてようやく吐き出された言葉は2文字。

 そもそも前提条件がおかしいのだ。

 ここは宗教団体みたいなもので、皆、少年を神、もしくはそれに近しい存在だと思っているから集まっているものだと、セイは考えていた。

 「そりゃ、ここはそう言った奴らの集まりだろ?」

 何を今更、とでも言いたげにカオルは答えた。

 「いや、それはそうなんだけど、本気で“お前自身”も、そう思ってんのかって話」

 上手く言葉にできないもどかしさで少しばかりセイの口調は崩れる。

 「いや、そりゃあ……それは、」

 分かりやすく眼を泳がせて、歯切れの悪いカオルの様子にやはりな、とセイは思う。

 結論から言うと、セイもカオルも本気で少年が神様なんて思っちゃいないのだ。2人はある意味でまともだから。

 でも少年のカリスマ性に惹かれた。

 逸脱した秀才さに、不思議な聡明さに、そして何より、少年なら本当に作ってしまうかもしれないと思った。新しい社会を。

 「はは、この組織では俺らってすっげぇ変だよなぁ」

 「確かにな」

 2人は少しだけ笑った。




 暫くして2人は事務所で酒を煽る。

 「なぁ、お前さ、アイツより兄貴達をとれよ」

 カオルはグラスに入っているウィスキーを飲んでから一呼吸置くようにセイに言った。

 「……他の奴らの前で“アイツ”なんて言ったら殺されるぞ」

 少し遅れて呆れたようにセイはそう言った。

 「俺はいーンだよ」

 それよりお前の事だ、とカオルはセイに答えを要求した。

 「…俺にはあってもなくても変わらなかったけど、兄貴には親がいるだろう」

 セイはカオルと話す時だけ、口調を昔のように戻す。

 「それと関係あるか?」

 「あの人には、何もないんだよ。俺たちがいたって何も変わらないかも知れないけれど、それでも一緒にいたいって、あの人の造る世界を見てみたいって、思わないか?」

 そう言ったセイの顔は晴れやかだった。

 こんなのは愚問だ。少年の造る新時代を見てみたいからこそ皆、あの少年についていくのだから。

 少年は誰も求めない。誰の求める声にも耳を傾けるが、誰のものにもならない。

 少年のその行為は慈悲や慈愛から来るものではないから。

 全てはきっとより良い社会のため。

 張り詰めていた空気が和らぎ、前のめりになっていた身体を背もたれに沈めながらカオルは息を吐いた。

 「……俺たちってなんなんだろうな………」

 カオルの呟くような言葉にセイはコーヒーを一口飲みながら目線で続きを諭した。

 「自分よりもガキなアイツに、なんて重てェ思い背負わせてんのかな」

 普通の人間であるなら大人でもきっと潰されてしまうほどの重たい思い。

 信者の中には狂酔し崇拝している者もいる。

 でも自分達はあそこまで理性をなくせないのだ。正気でい続けるというのは時に目を覆いたくなるような残酷な真実を露見させる。

 いや、もしかしたら正常に働いている脳で心酔している方が狂っているのかもしれない。

 夜はまだ来ない。

 きっと外に出れば太陽が照らしてるんだろう。

 でも何だか今日は朝日は見たくないと、そんな気分に2人は陥った。




 「ハッ………、はぁっ、はぁ。………は、はは」

 どうやらいつの間にか寝ていたらしい少年は荒々しく息をしながら飛び起きた。

 そして焦点のあっていない目で周りを見渡して、自分の額を押さえながら乾いた笑いを零した。

 人間誰しも、夢見が悪い日ってのはあるのだろう。

 ただ少年の悪夢はずっと続くのだ。

 何度寝ても、見る夢は必ず悪夢。まるで何かの呪いのように。

 少年はソファーから立ち上がりタバコの箱を取り、ベランダに出る。

 もう外は夕方で夕日が街を赤く染めていた。

 慣れた手付きでタバコを吸い出して、なんとか気持ちを治める。

 「…まだ少し前なのに…、随分懐かしく感じたなぁ……」






 少年にも過去がある。



 unknownとなった過去が。

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