3.

「ここに来て苦しく思っている?」


すぐ隣にいるある樹木が僕に語りかけてきた。すると、他の樹木たちがこちらを振り返るように身体を揺らしながら僕を見てきている。


「親父さん、きっと家で泣いているかもな」

「何か、分かるの?」

「僕らもね君と同じように元々は人間だったんだよ」

「どうしてここに来たんだ?」

「君も手や腕から枝が伸びてきたから植えられたんだろう?」

「それじゃあ……ここにいる樹木は、人間だったってわけ?」

「そうだよ。下界に住む人間たちは自分の子どもが人間じゃないと分かった時にここに連れてきては植えて去っていくんだよ」

「僕の父は……もう来ないってこと?」

「あり得るね。残念だけどそれがここの森の掟なんだよ」

「だから、ここには誰も近づいては来ないのさ。ここの頂に鳥居があるんだけど、結界があるからさっきみたいに人間か来る確率は君と同様に樹木として生きる俺たちの身分しか連れてこられない。」

「あとはね、時々野鳥がやってくるのよ。それが唯一の仲間ってことかな?」


彼らは僕が来たことにはあまり悪く思えてないらしく、むしろ仲間が増えて嬉しいと話していた。来たばかりで以前より辛い思いをしていると思うが次第にその意味が分かってくるから何も逃げることはせず今はここで静かに潜んでいることが望ましいと言ってきた。

その後、僕は家族を思い出して時折泣いていると他の樹木が木の葉を揺らしては頬につたう涙をぬぐってくれたり、野鳥が僕らの肩に留まっては歌うように奥地まで響き渡るくらいの鳴き声で励ましてくれたりしていった。

次第に森一面が深い雪で覆われていくと僕たちの長い冬が始まっていき、新しい年を越してまた太陽が暖かな日差しを差し込んでいくと野草が顔を出してあくびをする。麓の近くを小川が流れていき雪解け水が合流してはやがて春めいた日々が僕らを照らしながら凍えた身体を温めていってくれた。


樹木同士が近隣に寄り添っている分か気がつけばそれほど辛くはなく極寒も耐えることができたのだと実感できていた。ずっと気になっていたあの精霊の存在は結局のところ人間が作り上げた逸話だったことがわかり、少しは肩の荷が下りた気がした。それを他の樹木に告げると皆が笑っていた。

六月の梅雨が明けた頃、蝉の鳴き声が辺りに響き渡り、草花たちも微笑みながら緩やかな風に吹かれているなか、野道を歩く足音が聞こえてきた。樹々は誰だろうとかしげながら話をしていると、見覚えのある人物が僕らに向かって立ち止まって見上げていた。弟が一人で訪れていて僕は驚き、なぜここまで来れたのかが不思議で仕方がなかった。彼は僕がどの樹木なのか探しているようで、周りを見渡している。


「兄貴!」


何度か僕の名を呼んでは辺りを歩きながら樹々に触れていくが、特徴がないためやはり気づくには到底無理だと思ったのか、諦めて帰ろうとした時に、野鳥が一羽飛んできて僕の肩に留まっては甲高く鳴いていく。弟はじっと見つめては眉をひそめて僕が立つ樹木の前に立ち止まって声をかけてきた。


「ここに来れば会えるって親父から聞いたんだ。でもどれが兄貴なのかが分からない。俺の声は聞こえているのか……?」

「(ああ、聞こえているさ。俺は声は出せないけどお前の声はちゃんと届いている)」

「母さんも連れてきたかったけど、行きたくないって言っていた」

「(きっと僕の姿を見たら余計辛くなると思うからだ。お前一人でいいんだよ)」

「あのさ、来れなかった代わりに……枝をもらえないかな?」

「(枝?つまり俺の一部を持ち帰るってことか?)」

「これ、のこぎり持ってきた。親父は切ったら血が出るかもしれないからやめておけって言われたんだけど、でも兄貴は樹木なんだし切れ端くらいなら持ち帰って平気だろう?」

「(いや待て。傷をつけられては困る。いくらなんでも無茶だ)」

「どうしようかな……これは、きっと他の樹々から落ちた枝だよな。違うな……じゃあこれはどうだろう……いや、色味が違う。ごめん、やっぱり切れ端を切らせてもらうよ……ここの部分ならいいかな……」

「(よせ!切ったら劣化が進むんだ。どうしよう、どうにかしてこの声がこいつに届いてほしいのに……)」

「(何かお困りでも?)」

「(あの、今下にいるのが僕の弟なんです。身体を切ろうとしている。だから彼を止めて欲しいんだ)」

「(どうにもならないですよ)」

「(どうして?)」

「(私達の声は彼には届きません。あなたの身体に傷がついても何も施しようがない。お母様に形見という形で切るのを許してあげてください)」


どうしようもできないというのがもどかしくもあるが、僕は仕方なく弟が切れ端を切っていくのを見届けるしかなかった。彼はのこぎりで樹皮から切り始めると僕はうめき声を出しそうになったが、とにかく耐えて何度もキリキリと傷は深くなっていき、白太しらたのところまで切り刻んでいかれると、彼がその破片を手にとっては微笑んでいた。


「兄貴、ありがとう。これを渡したらきっと喜んでくれるはずだ」


そう告げると他の樹々が風に煽られながら揺れていきそれを見た弟が身体を縮めながら怯えていたので、僕は地面の草木に息を吹きかけて通り道を作ってあげた。

彼は木の切れ端を持っていたバッグに入れてその場から去っていった。先程切った痕のところを見てみると血は出ておらず、まるで指先にかさぶたができたような軽い痛みが生じていた。


それからこの場所には人間の姿は立ち入ることを見ることなく月日が流れていった。年を追うごとに先に植えられていた樹木が次々と枯れては朽ち果てていき、辺りの景色が閑散としてきた頃には僕の身体も痩せて樹皮が剝がれていくのを感じていた。先端の小枝がどんどん折れては地面に落ちて、それらが繰り返されていき木の葉も生えてくることもなくってきては遠くに広がる山間の頂を眺めていた。


僕の家族はもうこの世にはいないだろうが、自分自身がここまで長く生きてこれたのは皆のおかげだと実感している。そうだな、生まれ変わるのならやはり人間がいいな。自由に飛び回る鳥も悪くはないが、人間の方があの日まで人として生きていた自分の遣り残したことをきっとできるに違いない。


きっと、できるに違いない。


《了》

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忘却の向こう側に 桑鶴七緒 @hyesu

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