政略結婚の夫に「愛さなくて結構です」と宣言したら溺愛が始まりました

杓子ねこ/ビーズログ文庫

プロローグ・嫁ぐのはお姉さま



「わがクラヴェル家とド・ブロイこうしゃく家のえんだんが決まった」

いやよ!! あたし!! あんな人たちの家にとつぐなんて!!」


 クラヴェルはくしゃくしずんだ声と、悲鳴のようなイサベラの声は、ほとんど同時だった。


「嫁ぐのはお姉様!! お姉様にして!! あたしは絶対に嫌だから!!」


 キンキンと耳にひびわめき声をあげながらイサベラは首をる。 ゆるくウェーブがかったきんぱつは乱れ、目にはなみだかんでいる。


「どんなあつかいを受けるかわからないわ……お父様、お父様……嫌よ、あたし……」


 イサベラはモーリスの首にうでをまわしてすがりつき、そのほおを涙でらす。

 いかにもあわれっぽいイサベラの仕草に、モーリス・クラヴェル伯爵はマルグリットを見た。迷いや不安を押し隠そうとする視線は、温度を失ったように冷たい。


「そういうことだ、マルグリット」

「……はい」


 妹のようにゆたかな金髪も泣き落としのできる演技力も持ちあわせていないマルグリットは、くすんだ色のかみらし、ただ静かにうなずいた。


「ルシアン・ド・ブロイに嫁ぐのは、お前だ」


 ド・ブロイ公爵家とクラヴェル伯爵家とは、領地を接し、長年の天敵であった。

 もとはといえば公爵家も伯爵家も、くんで功績を立てたいえがらである。両家は南の国境沿いにそれぞれ広大な領地を持ち、りんごくしんりゃくからリネーシュ王国をまもってきた。

 それだけにたがいをライバル視する意識も強く、りあいが絶えない。


「だいたい二代前まではド・ブロイのやつらも伯爵位だった。それをうまいこと王族に取り入って、第四王子を婿むこむかえ、持参金がわりに追加の領地としゃくを得たのだ」


 ったモーリスがこぼすのはいつもその話だった。


「今のこうしゃくじんも国王陛下の妹君さ。ド・ブロイの連中め、王家のほうばかり向きおって。実際にいくさにでもなればどちらが役に立つかよほど知れように」


 血気さかんににくみあう二つの家は、互いに領ざかいの村や都市をおそっては、侵略を受けたと王家にうったえる。隣国の動きをけいかいせよと命じても協力する姿勢すら見せない。

 そういったじょうきょうに王家もついにまんの限界を迎えたらしい。

 ある日、両家のしきに王家からの使者が訪ねたかと思いきや、


「ド・ブロイ公爵家とクラヴェル伯爵家の結びつきを強め、親交を深めるべく、ひと月以内に両家の縁談を調ととのえること」


 という命令をのたまったのであった。

 命じたのは王家きってのやり手とうわさのエミレンヌ・フィリエおうで、今やその権勢は国王をしのぐと言われる。逆らえばしょばつまぬがれない。

 クラヴェル家にはむすめがふたりいるだけだ。

 見た目の派手さはないがゆうしゅうで、父親の補佐として領地の経営も問題なくこなす姉・マルグリットと、ごうなドレスや宝石を身にまとい、き母親ゆずりのぼうで社交界に浮き名を流しているが、国内の地理もおぼつかない妹・イサベラ。

 どちらかが家をぎ、どちらかをド・ブロイ家に嫁がせなければならない。

 こうして、クラヴェル伯爵家当主モーリスは、じゅうの決断をいられた―― と、いうわけではなかった。もとより、イサベラがこのけっこんを承知するはずがないのだから。


「そうだな。イサベラをド・ブロイ家にやるなんて、考えただけでもぞっとする」


 美しい妹をきよせ、モーリスは首を振った。


「イサベラ、お前はまだわしの――お父様の腕の中におればよい。いずれ婿をとり、この家を継がせよう」

「ええ、そうしてくださいな、お父様」

「そうと決まれば、さっさと準備をしろ、マルグリット」


 にらみつけるようにマルグリットをえ、モーリスがかけた言葉はそれだけだった。


「はい、承知しました」


 頭をさげるマルグリットにイサベラはあざけみを浮かべ、モーリスはまゆをひそめた。


「ほら、お姉様は嫌がっておられませんわ。あのひとには感情というものがないのかしら」

「まったくだ。敵の家に嫁ぐというのに……イサベラのように泣いて縋ればまだわいげもあるものを」

(泣いて嫌がれば、口答えをするなとののしるでしょうに)


 内心のつぶやきを表には出さず、マルグリットは部屋を出た。背後ではまだ父と妹がマルグリットをくさしているが、気にしてはいない。

 母が亡くなってからというもの、父は母の美貌を受け継いだイサベラの言いなりだ。対して外見は母にあまり似るところのない―― それでいて娘のくせに自分よりも優秀であることがうかがえるマルグリットを、うとむようになった。かんしゃくを起こすと手のつけられないイサベラのため、すべての我慢をマルグリットに強いる。

 その態度は使用人全員に伝わり、イサベラの命令でマルグリットは物置のような部屋にかされ、食事をあたえられないこともしばしばあった。

 今だって、マルグリットが着ているのはサイズのあわないうすのドレスだけだ。

 幸いだったのは、母が生きているあいだに、マルグリットにきちんとした教育を受けさせてくれたこと。


(この家を出られるのはチャンスかもしれない)


 降ってわいた天敵との縁談話がなければ、おそらくモーリスはマルグリットに嫁ぎ先など用意しなかったであろうから。

 部屋にもどり、マルグリットはあらためて室内を見まわしてみた。

 北の、最もかんきょうの悪い一室が彼女の部屋だ。夏は暑く冬は寒く、雨が降ればかべみができ、すきかぜは四重奏をかなで、メイドはせいそうほうしている。

 クローゼットという名目の木箱を開き、公爵家へ運ぶものを検討する。マルグリット許されているのは、いま身につけているもののほかに、数着のったいドレスとヒールのったくつ、数冊の本と、しゅしゅう用品。価値のあるものはすべて、イサベラに取りあげられた。

 と、バタバタと淑しゅくじょらしからぬ足音がして、ドアが大きく音を立てて開いた。泣き濡れた表情を消し去ったイサベラが|々《き《として部屋に入ってくる。

 用事があるときにはノックをとか、了Iりょうしょうを得てから入りなさいとか、そういったことを忠告してやるだけの気力はもうマルグリットにはない。


「ああ、お可哀想かわいそうなお姉様! ド・ブロイ家に嫁ぐことになるなんて。あたし、ばんさん会であの家の人たちを見たことがあるのよ。ルシアン様はね、れいな見た目をなさっていたけれど、ずっとおこったような顔で、一度も笑わなかったわ。公爵家だからって周囲をさげすんでいらっしゃるんでしょ。お姉様なんてボロくずのように扱われるわ」


 そんな扱いは慣れている、と言いたいところだが、言えばイサベラがげきこうすることは目に見えていて、マルグリットは表情のない顔でうつむくだけ。


「あんまり可哀想だから、あたしのお気に入りのブローチをあげるわ」


 あごをそらし、イサベラはエメラルドのブローチをさしだした。言葉どおり姉を思いやって、ではない。似合うドレスもないのに高級なアクセサリーをおくられても扱いに困るだけ。

 そんな姉の姿が見たいのだ。

 なにも言わず、受けとろうともしないマルグリットに、イサベラは眉を寄せた。すぐにくちびるゆがみ、いかりに顔が赤くなる。


「ねえ! 感謝したらどうなの! いつもそうやって……あたしをバカにして!」


 ひゅっと風を切る音の直後、かたいものが壁にぶつかった。同時にひりついた痛みが走り、マルグリットは頰にれた。指先にはうっすらと血がつく。イサベラの投げつけたブローチがマルグリットの頰に傷を作ったのだ。


「なんてことを。ド・ブロイ家の方々と顔合わせがあるでしょうに……」

「べつにいいわよ。その顔で会ったほうがあたしたちの気持ちがわかるというものよ」

「王家の命令に不服を表すことになるのよ」


 どうようするマルグリットを見てりゅういんがさがったのか、イサベラはにんまりと笑うと部屋をあとにした。マルグリットを苦しめることができた以上、こんなみじめな場所には一秒たりともいたくないのだ。

 やってきたときと同様、バタバタと足音をさせながら気配が遠ざかる。開けっぱなしのドアを閉め、マルグリットは気持ちをえようと深呼吸をした。


「……うん、やっぱりこれは、いいことのように思えてきたわ」


 どうにかしてマルグリットをおとしめたいイサベラと、常にイサベラのかたを持つ父。実の家族からそんな扱いを受けているよりは、敵の家へ嫁いだほうがまだきょうぐうへのあきらめがつくというものだ。


(悲しいことばかり考えていてもなにも始まらないもの)


 みょうな形のキノコをくわえて横切っていくネズミにさよならのあいさつをし、テーブルに向かったマルグリットはあおい表紙の本を開く。

 しきさいほどこされたページには、波しぶきをくぐるかいじゅうたちがえがかれていた。


「ド・ブロイ領には、海がある」


 ド・ブロイ領は、国のなんたんでもあり大陸の南端でもある。リネーシュ王国で海に接する領地を持つのは、王家とド・ブロイ公爵家だけ。

 海――それは幼いころからのマルグリットのあこがれだった。きることのないおおうなばらには塩気のある水が満ちているという。人々は船を出し、未知の航路をかいたくして、希少な宝石やこうしんりょうを手に入れる。海の底にむ生きものは、だん目にする魚ともまったくちがった姿かたちをしているそうだ。


『海からはあらしやってくるの。嵐の中心には人魚が棲むと言われているわ。彼女らは美しい声で歌い、船乗りたちを嵐の中へさそい込む……』

こわい、お母様!』

『こわあい!』

だいじょう、いい子にしていれば人魚たちはあなたをかんげいし、海の底のきゅう殿でんへ招待するでしょう。そしてうたげの最後には、てきな贈りものをくれるのよ』


 イサベラもともに母のものがたりを聞いて、目をかがやかせていたはずだった。けれども今の彼女には、海はなんのかんがいも呼び覚まさないものであるらしい。


(ド・ブロイ家に嫁げば、海が見られるかもしれない)


 父や妹が聞けばバカバカしいと笑ったであろう希望を胸に、マルグリットはド・ブロイ家に嫁ぐことになった。



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