第二章 お披露目の晩餐会



 ド・ブロイこうしゃくていの広間は、はなやかなけんそうに包まれていた。

 ばんさん会のためにユミラがしぶしぶあつらえたドレスをゆうに着こなし、背すじをのばしたマルグリットはったい印象が消え、気品にあふれていた。


「どうでしょうか、ルシアン様。ユミラお義母かあさまにも認めていただけますか」

「あ、ああ」


 じっとマルグリットを見つめていた自分に気づき、ルシアンは平静をよそおってうなずいた。


(なにをしているんだ俺は)


 今夜の晩餐会にはド・ブロイ公爵家とクラヴェルはくしゃく家それぞれの親類や親しく付き合いのある貴族たちが呼ばれていた。こんれいの際にできなかったおをしようというのだ。両家に関わりのある貴族たちは、ルシアンとマルグリットのけっこんを知らされていたし、その背後におうエミレンヌがいるということも察していた。

 ぜん、集まった人々はこうに満ちた視線をふたりに向ける。

 マルグリットはルシアンとともに来客たちへのあいさつにまわり、がおをふりまいていたが、ふとしたときに表情はくもる。

 ただしそれは、みなが思うように「宿敵の家にとついでイビられているから」ではない。


(結局ユミラお義母様にスカッとしていただけなかったわ……)


 どうしても「この程度のイビりで衣食住が保証されるなんて天国にしか思えない」という気持ちがまさり、悲しい顔が続かないのである。

 おまけに自己しんこくどおりマルグリットのれい作法にはなんの問題もなく、ユミラ夫人は最も期待していた「むすめに基本的な礼儀作法すら教え込んでいないばんな家」という評価をクラヴェル家にあたえることができなかった。


(お義母様の歓心ポイントかせぎたいのだけど……)


 ルシアンのうでをとりつつ、マルグリットはユミラをうかがい見た。

 ド・ブロイ派の夫人たちはユミラを取り囲んでひそひそと語りあっている。ユミラはなみだを流しそうな顔で頷き、ときおり同情を引く仕草をする。


「なんてお可哀想かわいそうなユミラ様。手塩にかけて育てたルシアン様を、あんな家の娘に……」

「本当に。もっといいごえんが結べましたでしょうに、ひどい話ですわ」

「あの娘も身分をわきまえ、自らえんを申し出るくらいのけんきょさがあってもいいと思いますわ、わたくし」


 ……というところだろう。

 家でもかげうすいド・ブロイ公爵は、貴婦人たちのおしゃべりにはまじらず、親しい貴族たちにものげな顔を見せている。

 当然、ド・ブロイ派の貴族とクラヴェル派の貴族も挨拶をわす様子もなく、たがいを無視して晩餐会をすごしている。

 ルシアンはマルグリットを見た。ルシアンのとなりで、マルグリットはだれに対しても笑顔で挨拶を口にする。たとえ相手がド・ブロイ派の貴族で、彼女を無視したとしても。


(彼女はこうして、公爵家にふさわしい態度をとっているというのに……)


 マルグリットに比べて、周囲の貴族たちはばつ争いに気をとられすぎている。王家のねんもわかるというものだ。

(俺もそうだった。彼女がいなければ……)

 そばにいるせいか、どうしてもマルグリットのことを考えてしまう。これまでのように冷たい態度をとることができない。


(どうしたのかしら、ルシアン様)


 ぼんやりと晩餐会をながめるルシアンの視線を追い、マルグリットも広間を見まわす。

 反目しあう貴族の中にひとり、金のかみかがやかせ、派閥をえて様々に語りあう者がいた。

 イサベラである。

 両家の友好を結び、国内のいさかいをなくしたいというエミレンヌの願いをんで──ではない。ド・ブロイ派にまぎれ込むことで、姉を好きなだけこきおろせるからだ。

 ユミラに近づいたイサベラは、飲み物を選ぶふりをして彼女の話に聞き耳を立てる。友人たちから悲劇の母よとなぐさめられて興がのってきたユミラは、親しいあいだがらの夫人たちにだけ、というつもりで、自分がどれほどにマルグリットをいじいてやっているのかを語り始めていた。


「北のとうの寒い部屋に置いてね、使用人たちと同じあつかいをしておりますのよ。先日も朝食に呼び出してやったら、そのあとはお許しくださいと泣いてうて、自分から使用人の中にもどりましたわ」

「当然ですわ。公爵家に紛れるなんて厚かましいことをさせてはなりませんよ、ユミラ様」


 イサベラはちらちらとユミラを見やっては姉のきょうぐうが幸せなものではないことを確信したのだろう、うすわらいをかべる。


(あのふたり、他人の不幸をかくにんしたいタイプと、自分の不幸を確認したいタイプね……案外気があうかもしれないわ)


 ちらりとルシアンをうかがうと、みょうな動きをするクラヴェル家の人間に気づいたのか、まゆをひそめてユミラとイサベラを注視している。

 他人の口からたっぷりと姉へのぼうを聞いて満足したイサベラはその場をはなれた。

 と思えば、まっすぐにマルグリットのところへ向かってくる。

(いけないわ! ルシアン様をおこらせてしまう)

 ルシアンの隣で招待客と挨拶を交わしつつ、内心でマルグリットはあせる。

 目の前に立っているのはド・ブロイ派の貴族だ。父親に手をとられれいじょうが歩み出る。


「ルシアン殿どのにはぜひ当家の娘をと思っておりましたのに、まさかこんなことになろうとは、いや残念でなりません」

「わたし、ルシアン様のよきはんりょになりたいと、ずっと願っておりましたのよ」


 ほがらかな口調ではあるが内容には敵意がふくまれている。男の針のような目がマルグリットへ冷たい視線をそそいだ。その隣で、令嬢もマルグリットをにらみつける。

 次期当主であり、美しい顔立ちのルシアン。そっけないところも令嬢たちにはあこがれを補強するものとして映っていた。

 だが(イサベラとルシアン様を会わせてはいけない!)ということばかりに気をとられているマルグリットは、それがいやであることに気づかず笑顔を見せる。

 ムッとした顔になった令嬢がルシアンの腕をとった。


「披露目の場ではありますが、ルシアン様とわたくしの仲ですもの、少しだけでもお話しいたしませんか」


 つまり、マルグリットを置いて、自分とふたりになれということだ。


「残念ですが──」


 よいの会には王家の使者も来る。少しでも疑いをいだかれるようなはしたくないと、ルシアンは断りを口にのせかける。

 それをさえぎったのはマルグリットだった。


「ええ、どうぞ、積もるお話もおありでしょうから、おふたりで。……ルシアン様、リチャードがまだ会場におります。馬車は来ていないのですわ」


 後半はルシアンだけに聞こえるように身を寄せてささやく。

 ド・ブロイ家のしつであるリチャードはたしかに広間のおおとびらのそばに立ち、うたげとどこおりなく進んでいるかのチェックをしている。馬車が来れば彼は招待状を確認しにげんかんへ出る役割をになっている。


(いつのまに使用人の顔と名前を……)


 ルシアンがおどろいているあいだに、「では」と優雅な礼を残し、マルグリットはさっさと立ち去ってしまった。

 マルグリットの心中は、


(イサベラとルシアン様を近づけてはいけないわ)


 という一念のみなのだが、ふりかえることもしないりんとした後ろ姿は、令嬢にとっては正妻のゆうに見えたし、ルシアンにとっては「あなたが誰といようとなんの興味もありません」という証明でもあった。


「……ルシアン様?」

「ああ、申し訳ない」


 令嬢にのぞき込まれ、我に返ったルシアンは、その手をとってエスコートする。

 ほっとあんの息をつくマルグリットとは反対に、ルシアンの表情はかたく、けんにはしわが寄っている。快く別の令嬢とルシアンを送り出したマルグリットになっとくがいかないのだ。

 彼の心には、マルグリットの後ろ姿が焼きついていた。


 期待どおり、イサベラはルシアンと令嬢のところへは行かず、向きを変えてマルグリットへと歩みよってきた。口元にはえつみが浮かんでいる。


「お姉様、あたし聞いてしまいましたの。お姉様が今とっても不幸せだって」


 反射的にマルグリットの表情はこわばった。口をつぐみ、うつむく。

 自分の反応にマルグリットも驚いた。ド・ブロイ家であれほど楽しく暮らしていても、イサベラを前にすれば以前の自分に戻ってしまうのだ。


(でもちょうどいいわ)


 おびえたようなマルグリットの態度にイサベラは気をよくしたようだ。


「家ではすましていたお姉様も、嫁ぎ先ではえきれなかったようね」

(いえ、嫁ぎ先は実家に比べたら天国よ)

「誰も行かない離れの物置のような場所にひとりかされて、毎夜泣いているとか」

(……誰も行かない場所にひとりで寝かされていたら、毎夜泣いていることなんてわからないのでは? ユミラお義母様が言っていたのね)

「今だって、ほら、夫のルシアン様はお姉様を置いてほかの女と語りあっているわ」


 イサベラはルシアンを見た。マルグリットへのたいこう心を燃やした令嬢は、まるで自分が妻かのようにルシアンにい、うっとりとした笑みを浮かべている。それをたしなめる者のいないところが、この晩餐会の異常さを表しているといえる。


「お姉様に居場所なんてないのよ。帰ってきたいと言ってもうちは受け入れませんからね。一度敵の家の門をくぐったお姉様をなんて、けがらわしい」

(あの家に戻るくらいなら修道院に入るわ……)


 心の中で言葉を返しつつ、表面上はいんうつな表情でマルグリットはうなだれていた。なにを思っても顔に出ないので、逆に表情筋がこわばっていてくれてありがたいくらいだ。

 以前ならイサベラの言葉はマルグリットを傷つけた。だが今はちがう。この時間が終わればイサベラとはお別れなのだ。マルグリットはド・ブロイ家に帰り、そこでは笑顔でいることができる。


(なんてすばらしいんでしょう……!)


 しばらくのあいだ右から左へ聞き流し、しんみょうな顔をしていればよい。


(お義母様の前でも、同じようにできればいいのに……)


 そんな他所事を考える余裕すらマルグリットには生まれている。

 手ごたえのない姉の態度にイサベラは眉をあげた。マルグリットが意に沿う言動をしなければ、イサベラはいつもかんしゃくを起こし、マルグリットを傷つけるまでわめいた。


「ねえ、聞いているの!? お姉様は家じゅうの者からきらわれて、誰にも愛されずに生きてゆくのよ!」


 ついには、披露目の席で言ってはならないのろいの言葉を口にする。

 最後の言葉はマルグリットの心の奥にれた。


「……そうね……」


 思わずぽつりと、返すつもりのなかったいらえがこぼれ落ちる。


「ルシアン様にはもう言われたわ。……お前を愛するつもりはない、と」

「まあ! 心底お姉様を嫌っていらっしゃるのね。夫なら妻を愛するのは当然なのに」


 イサベラの表情がぱっと輝いた。


(でもね、ド・ブロイ家の方々は、いくら嫌っていてもあなたほどのことはしないの)


 たとえば、彼らが望むようにマルグリットがしつよういやがらせに耐えかね、離縁を申し出たとして。彼らのマルグリットへの興味はそこで終わるはずだ。

 自分たちが追い出した人間がを確認するような真似を、彼らはしないだろう。暗い気持ちが胸をふさぐ。


(お父様やあなたはどうして──)


 マルグリットが俯いた、そのときだった。


「──マルグリット!」


 自分を呼ぶ声に顔をあげる。


「シャロン」


 兄にエスコートされてやってきたのは、明るい髪色とぱっちりとあいきょうのある目をした、シャロン・ミュレーズ。伯爵家の令嬢だ。


「久しぶりね! けっこんしきには出られなかったから」

「ええ、本当に」


 マルグリットの手をにぎり再会をよろこびあうと、シャロンは真正面からイサベラをえた。


「あなたも久しぶりね、イサベラ。お姉様がいなくてさびしいでしょう」


 にっこりとほほえまれ、イサベラはくちびるとがらせる。まるで自分が寂しさのあまりマルグリットにまとわりついていると言われたようだからだ。


「そんなのじゃないわ」


 それだけ言って、挨拶もせずに離れてしまう。妹の無礼をたしなめようとするマルグリットをやんわりと止め、シャロンはわざと令嬢らしからぬ大げさな身ぶりでかたをすくめた。


「あいかわらずね、あなたの妹は」


 シャロンにげき退たいされたイサベラは、父のもとへ戻ると不満をらしているようだった。モーリスがあわてた顔でなだめている。


「ありがとう、シャロン」


 マルグリットが母をくし、身なりが落ちぶれ始めると、友人だと思っていた令嬢たちはじょじょえんになっていった。そんな中で、シャロンだけが変わらず手紙のやりとりを続け、マルグリットの身の上を心配してくれた。

 マルグリットの、ゆいいつといってよい友人である。


「いいのよ。それよりどうなのルシアン様は? 見た目だけならてきだん様じゃない」

「とってもやさしい方よ」


 態度はぶっきらぼうだが、困っているマルグリットを見捨てられなかった。めんどう見のいいところもある。


「今度お茶会に呼んでちょうだいよ。マルグリットの友人として見定めておかなくちゃ」

「お茶会ね。できたらいいわよね……」


 ユミラの顔を思い出し、マルグリットの言葉はしりすぼみになる。

 今のところ、ド・ブロイ家のサロンや茶会といった行事はすべてユミラによってり仕切られている。ルシアンは、今夜の晩餐会で務めを果たせばマルグリットが認められることもあるだろうと言ってくれたが──……。


「そういえば、今日は王家の方がいらっしゃるのではなくて?」

「そのはずなんだけど」


 晩餐会が始まって一時間はたとうとしているが、王族がおとずれたというしらせはない。そうでなければ両家ももう少し親交をつくろおうというものだ。


(あら? でもリチャードがいないわ)


 大扉のかたわらにひかえていたはずの執事の姿が消えている。

 ルシアンも気づいたようで、令嬢にいとまを告げるとマルグリットと頷きあう。


「シャロン、ごめんなさい、行かなくちゃ」

「ええ、あとでルシアン様をしょうかいしてね」


 小さく手をってほほえむシャロンに手を振り返し、マルグリットはルシアンに従った。ルシアンのさしだした手に手を重ね、笑顔で、しかし目立たぬように広間をあとにする。ルシアンは無表情だが、マルグリットを嫌っているわけではなさそうだ。


(意外とお似合いのふたりみたいね)


 言葉を交わすこともなく意思を通じあわせ、寄り添うふたりを見送りながら、シャロンは満足げに頷いた。


 大扉から退出する直前、マルグリットは広間をわたした。

 一見楽しげな晩餐会は、よく見ると人々のあいだに川の流れるような空間があり、ド・ブロイ派とクラヴェル派を分かつ。その中央にじんったイサベラが、両派閥に聞こえよがしに、マルグリットの悪いうわさふいちょうしている。


「クラヴェル家では、やっかいばらいができてせいせいしておりますのよ。ド・ブロイ公爵閣下やルシアン様に同情するくらいですわ」


 ろうまで追いかけてくるかんだかい声を振り切り、マルグリットはルシアンとともに急ぐ。


「ああ、ようございました。今ちょうどおふたりを呼びに人をやろうとしたところです」


 応接室の扉の前にはリチャードが青ざめた顔で立っていた。

 扉を開け、マルグリットはその理由を理解した。

 優雅なほほえみをたたえて席につくのは、エミレンヌ・フィリエ王妃と、ノエル・フィリエ第三王子。

 ルシアンの表情が引きしまる。マルグリットの笑顔はひきつっていたかもしれない。


「本日はおしいただききょうえつに存じます」


 ルシアンがこしを折る。その隣でマルグリットも最上位の礼をした。ド・ブロイ家でも講師を呼んで確認してもらい、おすみきを得た礼である。

 そんなふたりにエミレンヌは紅の唇をやわらかくたわめた。


「面をあげなさい。ほかに人の目はありません。かしこまらなくていいの」


 言われて、ルシアンとマルグリットは顔をあげる。婚礼の日に見たのと同じ、座っているだけなのにげんという名の圧力を放射しているエミレンヌと、表情の読めないノエル。


「広間には通さず、ここで挨拶をさせてもらえるよう執事に言ったのよ。内密にね」


 それはリチャードも、王妃を待たせているあいださぞやおそろしかったことだろうと思う。なにせ家の主人たちは王族がすでに同じ屋根の下にいることを知らないのだから。


「広間に顔を出しても聞きたくもないうわさばなしばかりでしょうから」


 それが両家の諍いじみたを指しているのだと理解できてしまうから、ルシアンもマルグリットもなにも言えない。


「わざわざかわりばえのしないじょうきょうを確認するより、あなたたちにけてみようと思って」

「わたくしどもに……?」

「そう」


 ルシアンに頷いて見せ、エミレンヌはマルグリットへ視線を向ける。


「ルシアンはやさしい? マルグリット」

「はい!」


 とつぜんの質問にルシアンが息をむ。だが彼の驚きはマルグリットの力強い答えに倍増されることとなった。

 やさしいか、とたずねられて、はいそくとうされるような態度をとっていないことはルシアンも自覚している。むしろここでマルグリットが受けた仕打ちをうったえれば、ばつを受けるのはド・ブロイ家だ。エミレンヌはくぎしに訪れたのだろう。

 だが、マルグリットがド・ブロイ家での扱いを申し立てることはなかった。


「互いにまだ慣れていない部分はございますが、ルシアン様はわたくしとお話をしてくださいます。ご自分の意見を述べ、わたくしの意見を聞き、わたくしになにかあったと思えば声をかけて、助けてくださいます」


 エミレンヌはうれしそうにうんうんと頷いている。ノエルはしずかに頷いている。

 マルグリットの言う〝お話〟が図書室での「お前を愛するつもりはない」「わたしもあなたを愛する気はありません」のおうしゅうだと、数秒考えてルシアンはやっと気づいた。


「ユミラお義母様のしんらいを得られるよう、助言もいただきました!」


 笑顔で──心底からの笑顔でそう告げるマルグリット。彼女にとってみればド・ブロイ家の嫌がらせなどに等しい。両家のかくしつを考えれば当然のものである。


「すばらしい!」


 エミレンヌもひざを打って立ちあがった。


「対話はすべての始まり。では、ルシアンとは幸福な生活を築けそうなのね」

「今すでに幸せですわ」

「やはりわたくしの目にちがいはなかった」


 エミレンヌは両手で、ルシアンとマルグリットそれぞれの手をとり、重ねあわせた。


「国のために、あなた方の幸せのために、わたくしもできる限りの協力をしましょう」

「もったいないお言葉です」


 頭をさげつつも、められる態度をとってこなかったことはルシアン自身が十分に自覚している。エミレンヌのくようなまなしに腹の底をひやりとしたものがでる。そんな彼の内心を知ってか知らずか、


「では、今夜はもう帰るわね」


 それだけ言うと、エミレンヌはさっさと扉へ向かう。ノエルもあとに続いた。


「え、あの、お飲み物などは……」

「あなたたちの惚気のろけでおなかいっぱいよ」

(惚気……??)


 マルグリットの頭上にもんが飛ぶ。ほとんど話していなかったルシアンは言っていない。マルグリットも言っていない、はずだ。

 来たと思ったら帰ってしまう王族たちに、リチャードがおおあわてで馬車の用意をする。

 ルシアンとマルグリットも、別れの挨拶をしつつ、正面玄関までエミレンヌとノエルを見送った。まるであらしのような方々だ。


「……なんとか、よろこんでもらえたみたいですね」

「ああ」


 ふたりきりになった玄関で、マルグリットはルシアンを見上げた。外はくらやみだが、大きく開かれた扉から漏れる明かりがルシアンを照らしている。

 ルシアンはあいかわらず眉をよせて厳しい顔つきだった。


(なにか間違えたかしら。挨拶も礼もお喋りも、失敗はしていないと思うのだけれど)


 じっと見つめるマルグリットからルシアンは視線をらした。

 と、思うと、


「……助かった」


 ぼそりとつぶやかれたのは、聞き違いでなければ、感謝の言葉といってよいだろう。

 その表情を確認する前にルシアンはくるりと背を向けて立ち去ってしまうのだが、そんなことはやっぱりマルグリットには気にならない。


(褒めてくださった……)


 マルグリットの全身にほわほわとあたたかな感情がよみがえった。

 自分の言動を誰かに認めてもらえるなんて、何年ぶりのことだろう。

 その感動がいっぱん的な基準からは大きく外れていることを知らぬまま、マルグリットははにかんだ。


 一つ誤算があったとすれば、「エミレンヌ王妃が訪れたが、ルシアンとマルグリットだけに会って帰ってしまった」という報告を、ユミラ夫人が信じなかったことであろう。


「ド・ブロイ公爵にもわたくしにもお会いにならぬなど、ありえません! ルシアン、あなたまでなにを馬鹿なことを」


 王妃がマルグリットを認めた、という事実は、ユミラには受け入れがたかった。

 なので、マルグリットへのイビりは続く。

 そしてド・ブロイ家のこんわくも続くのであった。

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