桜の花びら

西しまこ

第1話

 風が吹いて、私の後ろから花吹雪が私を追い越して駆けて行った。

 城址公園に続く坂道は桜の花びらで彩られていた。れんぎょうとやまぶきの黄色が右手の土手に咲き、桜の樹によっては若葉が芽吹いているものもあった。


 また、風が吹く。桜の花吹雪が私を追い越してゆく。

 あ。

 まだ小さい遥が、桜の花びらの行った先に見えた。

 待って。

 脚はなかなか動かない。もう思うようには速く歩けない。

 遥。


「喜久子?」

 夫が私の腕を掴んだ。「大丈夫か?」

 遥はいない。いるはずはない。遥が幼子だったのは、もうずっとずっと前のことだ。遥は成長し、幼稚園に入り小学校に行き中学生になり高校生になって、大学に行き就職して、そして結婚して母親になった。


「遥が小さいとき、ここに来たなあと思ってね」

「そうだなあ。懐かしいなあ」

「あっという間でしたね」

「ほんとうにそうだ」


 城址公園に辿り着くと、また風が桜の花びらを散らしていた。

 花びらは、まるであたたかいダイヤモンドダストのように、太陽の光に煌めき樹から離れて舞を舞っていた。若草色の芝生に薄い桜色が敷き詰められていて、そこにレジャーシートを広げて桜を楽しんでいるひとたちが点在していた。バトミントンをしたり、おいかけっこをしたり。子どもたちはみな、笑っていい顔をしていた。


「この桜の絨毯も今だけね」

「そうだな」


 美しいものは儚く、あっという間に去り行く。

 娘もあっという間に大きくなった。幻のようだ。


「遥の子どもも大きくなりましたね」

「今度、大学受験だって言っていたな」


 私は夫とベンチに並んで座りながら、桜が花を揺らし花びらを散らすさまをじっと眺めた。これは、今しか見られない、美しい光景。

 若草色の芝生を、遥が、そして遥の子どもの陽菜が、幼い姿で駆け回っているような、そんな幻を見た。ありえない幻。

 でも、とても幸福な幻。

 もうなかなか思うようには動かない脚。それでも。


 それでも、また、今年もここに来られた。来年も来られたらいい。夫といっしょに。

 一瞬いっしゅんをこころに留めて、幻を抱きながら生きていこう。

 桜の花びらが、一枚、私の目の前でひらひらと舞いながら落ちてきた。



   了



一話完結です。

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桜の花びら 西しまこ @nishi-shima

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