第8話 黒森

 「あ、今日はご飯いらないよ」

 黒森の声は、仙境の人々の声となんの変わりもない。ごく普通の、ざらっとした低めの男の声だ。何故、仙境の人々は黒森を嫌うのか。簡単だ。生まれ、ただそれだけ。それが全て。この世界の人間も天帝も、それだけが大切。

 むしろ、異端という点なら青年の方だろう。見た目は青年だが、随分と声は高く、女装すればその女顔も相まって男だとはバレないくらいには。菊花も初めて聞いた時、女かと思った。

 「あのさあ黒森。前にも言ったでしょー。あんたに食べさせないと、私が黄仙に怒られるの。わかったら、人助けだと思って本邸で飯食いなさい。今日の菓子、月餅だってよ」

 親是にしてこの子あり、の通り、菊花も物で人を釣る人間と化しつつある。

 「……はあ、キミの声高くてうるさいなあ」

 「聞きなさいよ、この私がわざわざ!出向いてやってるんだから!」

 残念ながら、黒森が言う事は十割正しい。菊花は人を苛立たせやすい物言いをするし、子供特有の甲高い声が、特に顕著であるからだ。加えて、喋る内容も自己中心的である。

 菊花も少し、自分の口調がよろしくない事はわかっている。けれど、仕方なくやっている。死にたいけれど死ねない。じゃあ、少しでも死にやすそうな、愚かな娘でありたいから。

 「私はわざわざあんたのために夕食運ぶなんて真っ平御免。わかったらさっさと本邸に来なさい」

 「じゃあ黄仙さんに運んでもらおうかな」

 「恩人に運んでもらうだなんて生意気よ!」

 「確かにそうだけど君にだけは言われたくないよ……」

 「……」

 (確かに、恩人のものを壊す私にだけは言われたくないよねー)

 正しく、真っ直ぐな人。菊花が苦手な人種。自分の反対にいる人たち。

 正しくない。生きようとしないから。

 真っ直ぐじゃない。世の中の歪みに絆されているから。

 昏い、暗い、黒い瞳。

 深海の如く澱んだくろに、清楚など無く、光すら受け付けない。

 感情を根こそぎ落とした表情は、ひたすらくらかった。

 「それとこれとは、話は別なの。さっさと私と一緒に夕餉を」

 そこでピタリ、と言葉を止める。

 「あれ、私あんたと一緒に飯食わなきゃいけないじゃん。嫌」

 「……あ、そうですか」

  率直すぎて反応の困る言葉に、うまく対応した黒森は、これから菊花と関わることで、対人能力をあげていくことになる。

 「はぁー、どーしよ。あんた連れてかないと月餅もらえないしなぁー。でも、あんたと一緒に飯食いたくはないし」

 「それ本人の前で言わないで」

 「やだね。私、陰口嫌いなの」

 悪びれずに舌まで出す生意気な子供。

 「ボクも嫌いだよ。でもそれが悪口を言うことの免罪符にはならない」

 「言い回しがいちいちめんどくさい……。黄仙に似てるなぁ」

 「話にはきちんと答えなさい。地界で対人能力低いって言われてたボクより会話がなってないよ」

 「だったら黄仙に教わるわよ。対人能力、低いんでしょ」

 「……はい、そうですね」

 毒舌娘の相手をするのは大変である。

 なんと無く、黒森は菊花の澱みを感じしている。自分がこの仙境にやって来てから、一年だった頃。朝起きたら、いつの間にか滅多に出掛けない青年が出掛けて帰ってきていた。一人の感情が抜け落ちた空蝉を連れて。

 それから一年間、青年は菊花を伴い邸を留守にしていた。一年ぶりに目にした少女は、顔色が良くなっていた。だから、安心しきっていた。もう、大丈夫だと。姉のようなことには、ならないのだと。

 自分が寝ているうちに、長椅子にかけてあった布を切り裂いて縄を作り、梁に掛けようとしていた菊花を見るまでは。

 自分がその行動を理解し止めに入ると、憎悪の眼で放った言葉を、よく覚えている。

 『偽善者、嫌い』

 「……」

(とか言いつつ、なんで来てるのかなぁこの子は)

 自分が嫌いなら、会いに来なければいいのに。いや、会いにきたわけではないと思うが。

 「……何よその目。気色悪いわね」

 「見つめてただけなのに酷すぎない!?」

 「見つめてたの?この可憐な乙女を?」

 「……なぜそんな変な言い方をするんだ?」

 「冗談よ、黄仙が邸に住まわせてる輩がそういう奴な訳ないでしょ」

 「黄仙至上主義者だなぁ」

 軽口をたたきつつ、顕になる依存。

 菊花は青年が全てだ。

 「仕方ないなぁ、ボクが夕餉取りに行くか」

 「へ?いきなり何を」

 「いや君が聞きに来たことでしょ!」

 「あ、そっか。忘れてた」

 「……この短時間で……。鳥頭……」

 (やっぱこいつ、黄仙に似てるなぁ)

 呆れる黒森を見ながら、菊花は呑気にそう思う。月餅が増えるのかだけを気にしながら。

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黄金の仙境 市野花音 @yuuzirou

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