ピーターパンシンドローム

高黄森哉

屋上

 女がテーブルに三人座っている。


「映画の中の人がさ、あべこべに此方を見ていたら、相対的に退屈だとは思わない」

「そうだろうね。きっと退屈だろうね」


 亜美の眠そうな言葉に咲は即答した。


「そんなことないよ」


 村上だけは不満そうに否定した。


「ねえねえ、亜美、あそこにピーターパンがいるよ」

「ええ、どこどこ」

「ほらあそこ、緑色の人が空を飛んでるでしょ」


 運動場の方向には、ただ青い空と桜の木の満開な様子が上映されているのみだ。それは、まるで退屈で嘘じみていた。


「本当だ」


 亜美は言った。学校の屋上には丸いテーブルは、テーブルはパラソルが日よけになっていて、丸い影を斜めに落としている。亜美の顔に、斜の影が射した。


「見えないよ。そんな人どこにもいないじゃない」

「ほら、よく見てよ。村上」


 亜美が指さす方向には、やはり空が広がっている。眼医者にある気球の写真のように真っ青な青空が、音もなく、また身じろぎもせず存在している。村上はそんな風景から、緑の人間を見出そうと、目をぎゅっと細めている。


「ねえ、おいでって言ってるよ」


 咲は遠い目をしていた。


「あんなに遠いのに、口が見えるわけないじゃない! からかってるんでしょ。だいたい、緑の人間が空を飛んでるなんて、おとぎの国じゃあるまいし」


 咲や亜美は返答せず、心ここにあらずといった空気で立ち上がる。そして、屋上の手摺へ向かう。二人の尋常ならざる様子に、村上は、本当に緑の人が空を飛んでいるのではないか、と疑ったが、改めて観察しても、曇り一つない空がぽっかりと口を開けているのみであった。


「ねえ咲、本当に緑の人が外にいるの」

「うん。おいでって話しかけくる」

「緑の人はどんな人なの」

「帽子をかぶってる。緑のティンガロンハットに羽の飾りをつけてる」


 奇妙な像が、村上の脳みその内部で結ばれた。


「あなたは幸せね」

「どうしてそういうの。亜美や咲は不幸なの」

「卒業じゃない。一巻の終わりよ」


 咲は言った。


「だからなんなの。卒業しても大学があるんだよ」


 亜美と咲は、手摺に腕を組んで体を預ける。村上だけは、手摺が外れそうな予感がして、屋上の縁から少し離れた場所に佇んでいる。


「村上は、本を読まないものね。それに亜美のように映画を見ないもの」

「そうだけど。だからなんなの」

「あっ、緑の人がこっちへ来た。ねえ咲、私達も飛べるんだって」

「ちょっと!」


 村上は柵を乗り越えようとする亜美の制服を引っ張る。


「あぶないじゃない」

「彼は飛べるっていってるわ」

「そんなわけないわ! 映画なんか見てるから現実から浮いてしまったのよ。戻って来てよ、亜美」

「村上はいいね。あれが見えないんでしょ。きっと主人公なんだよ」

「どういう意味? 説明してよ、亜美!」

「あなたはクロマキーされたものが見えないの。貴方は現実に不満がないから、非現実を幻視できない」

「咲も意味わからないよ! どうして。みんなどうしちゃったの?」


 村上は亜美のブラウスを引っ張りながら、ぽろぽろと泣き始めた。へたり込む。


「私達、そろそろ飛ばないといけないの。だから亜美を離してあげて」

「死んじゃダメ。死んじゃイヤ」

「大丈夫、傍で見といて。村上。私達、本当に死なないから」


 村上は、亜美の服を力なく離したことを、後悔した。視界から二人が消えると、ぴしゃりという乾いた反響と悲鳴がやってきた。二人は本当に死んだ。


 死因は欺瞞性現実失調ピーターパンシンドロームだった。




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ピーターパンシンドローム 高黄森哉 @kamikawa2001

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