誰かの紡ぐ物語
天城らん
誰かの紡ぐ物語
「誰かの
放課後の図書室で小説でも書こうと思っていたわたしは、ノートと筆箱、返却する本を抱えて両手がふさがっていた。
しかし、いつもどおり器用に足で扉を開け、開口一番報告する。
「先生が教えてくれた本、すごく役に立ったよ!」
いつもならば、整然と本の並んだ明るい室内に、いつもニコニコの司書のお姉さんがいるはずだった。
しかし今、そこに司書の姿はなかった。
司書の姿が見えないだけなら普通だが、そこは図書室ですらなくなっていた。
∞
目の前には薄暗い石造りの部屋。
暖炉に暖かな炎がともっている。
ひどく古風な西洋の部屋。
驚いて三つ編みの髪が千切れそうな勢いで振り返ったが、今開けたはずの扉はすでに消えていた。
「うそ……」
目の前の光景が信じられず、念入りにメガネを拭きかけ直したが何も変わらなかった。
ファンタジーの世界に出てくる雰囲気そのままの部屋なんだけど、どこか、懐かしい気がする……。
ランプの明かりと暖炉の炎を頼りに目を凝らすと、人の気配があった。
「道に迷いなされたか? 異界のお方」
波の調べのような心地よい低い声。
そこには、羽ペンを持った一人のおじいさんが机に座っていた。
年輪を刻んだ皺、その奥に英知の光を宿した眼が、とても暖かくわたしを見返してくれていた。
(わたしは、この人を知っている!)
「あなたは、もしかして『語り部の長ハウエル』……?」
全世界から伝承を集め語り部の塔に集めることを目的とし、自らも物語を紡ぎ、そして再び世界の人々にその物語を語って歩く者。
この世界では、そういう人は『語り部』と呼ばれる。
その長たる人がこのハウエル様。
「私の名前をご存知でしたか」
羽根の形をしたブローチをした老人は、にっこりと微笑んだ。
分からないわけないじゃない。
――― だって彼は、わたしの今書いている小説の登場人物、語り部の長その人だったから!
わたしはどうしてよいかわからず、呆然と立ち尽くしていた。
自分の書く小説の中では、異世界に行くことなど日常茶飯事でも、実際にそうなるとどうして良いかわからない。
だって、まったく知らない異世界に飛ばされたならいいけど(いや、よくないか?)、昨日まで自分が書いていた小説の中に居るんだもの。
わたしは、自分の小説の主人公はどうしていたか頭の中でぐるぐると思い出してみた。
∞
わたしの書いていた物語は、アトラシアと呼ばれる世界のひとつの国のお話。
その国は、中世のヨーロッパのような感じで、まあよく言うファンタジーの世界なんだけど、そこの語り部の塔の長ハウエル様のところに弟子入りしたわたしと同じ歳の少女ランジュの成長物語だ。
田舎の村に住むランジュは、語り部の長ハウエルの末弟子であったジーンが偶然村を訪れた折に聞いた物語の語りに感銘を受け、はるばる語り部の塔へ試験を受けに行く。
それは、難しくひどく変わった試験で……。
ランジュは、その困難な試験を見事合格し語り部の塔で勉強しはじめるというのが、わたしが昨日の夜書き上げた物語よ!
わたしの物語の登場人物が目の前にいる。
けど、自分が考えたキャラクターだなんて思えない。
とても立派で、賢そうで……学校の校長先生なんかよりずっと威厳がある。
ランジュが、物語で感じた気持ちと同じ。
怖くはない、でも、憧れと尊敬でどうしていいかわからない。
少なくとも、わたしが物語で『長は世界のことなら何でも知っているとさえ思える』と書いたそのとおりの空気を漂わせているのだから、恐れ多いとしかいいようがない。
わたしは、作中でなんて書いた?
* * *
語り部で最も偉い人……。
ランジュは、一瞬どうしていいかわからなくなった。
語り部になりたい、たくさんの物語を知り人に伝えたい。
そして、自分の物語を人に語ってみたい。
そんなあこがれだけで来た、語り部の塔。
そのもっとも憧れたる人が目の前にいる。
ランジュは、突然、自分の頬を思い切りひっぱたいた。
すると、頭に上っていた熱が一気にさめた。
するべきことを思い出したのだ。
胸に手を当て、片ひざを床につく。
最敬礼だ。
何をしなければいけなかったか?
それは目の前の語り部の長に敬愛の思いを伝えること
* * *
わたしは、自分の小説の主人公ランジュの行動を思い出し、あわてて胸に手を当て片ひざをついた。
「お目にかかれて光栄です」
「異界の娘さん。こちらこそ、めずらしい客人に会えて光栄ですよ。なんとお呼びすればいいかな?」
「らんです。わたしは『
「ほう。うちの末弟子と同じ名前だね」
「はい! ランジュのランはわたしの名前からつけました」
「なかなか、興味深いことを」
そういって、ハウエルは満足そうに眼を細めた。
「あの、気を悪くなさらないでください。ここはわたしの考えたお話の世界なんです」
「お話の世界……すると、あなたも語り部なのですね」
わたしが多くを語らなくても、長は全部お見通しなのかも知れない。
そう思えるほど、やさしい視線を返してくれる。
「……そうかもしれません。わたしは、語り部見習いといったところです」
「見習いですか。良い目をしていますね」
「ありがとうございます」
自分のキャラクターに言われて何、赤くなってるのわたし!
「せっかくですから、ゆっくりしていって下さい。娘さん」
椅子を勧められて腰掛ける。
豪華な椅子というわけではないけれど、よく手入れされている素朴な椅子に長の人柄を感じた。
こういうところをもっと作中に書けばよかったなぁとか、頭の隅で考えているとお茶が出された。
あったかいミルクティー。
それは、とても甘くてわたしの緊張を溶かしてくれた。
∞
時間がゆっくり流れていると感じるのは、暖炉の炎のせいだけではないと思う。
語り部の長の持つ、和やかな空気のせいだ。
「あなたの世界のことを聞かせてください」
長に促されてわたしは学校のことわたしの世界のことを話し、とりわけ、大好きな物語を書くことは熱心に話した。
語り部の長ハウエルは、その取り留めのない話を青い瞳で静かに聞いてくれた。
「わたし、もし本当にあなたに会えるとしたら聞きたいことがあったんです」
自分の物語の登場人物に自分が質問してどうするとも思うけど……。
わたしの書いた物語の中で、彼は語り部の神様のような人だったから、わたしに分からないことでも彼に聞けばわかるんじゃないかと妙な確信があった。
わたしであって、わたしじゃない物語の登場人物たち。
「わたしは物語を書くことが好きです。とっても楽しいと思っています。でも、時々わたしが想像する世界、わたしの書く物語はただの願望で嘘の世界じゃないかって……とても、不安になるのです」
カップから立ち上る湯気を見ながら、今まで誰にも言ったことのない悩みを打ち明けた。
「それは、お辛いですね。
けど、そう心配なさることはないのですよ。
あなたは、私や弟子のランジュをあなたの小説の登場人物だと言いましたね。
しかし、わたしもあの子も、この世界で生きている」
「それは、どういう意味ですか?」
「あなたの世界とは、別の次元、別の空間、別の時間に確かに存在するということです」
「それは、とてもうれしいことだけど……今度は、それをただなぞって書いているだけだということになりませんか?」
それは、それで不安だ。
「私たち塔で学んだ『語り部』は、基本的に人々が体験したことを聞き取り、分かりやすい物語として紙に書き写し保管します。そして、その物語を携えて…この場合、本ではなく頭にですけどね。その物語を知らない人々の元へ旅をし、語り歩きます。
しかし、稀に誰の体験とも分からない『物語』を語り部自身が書き記すことがあります。
そういった物語を紡ぐことの出来る語り部を私たちは『翼』と呼びます」
「『翼』?」
「はい。『翼の語り部』と。時空を超えて世界を感じ取る翼、世界を見渡せる翼を持つ者という意味です。ランさんも私たちの言葉でいうならば『翼の語り部』なのでしょう。
鳥は、翼で大空を翔けます。時には風に身を任せ、時には目指す彼方の地を訪れるために……。
あなたも、翼を持つ語り部。ならば、同じだとは思えませぬか?
時には異界の出来事に耳を澄ませ、時には己が想像で彼方の地を目指す。
どちらも、違っているように見えて同じ『羽ばたき』なのです」
「同じ羽ばたき……」
「先ほど、あなたは『私』語り部の長ハウエルはあなたの想像した物語の登場人物であるといいましたね」
「はい。ハウエルもランジュもジーンも……」
「それは、私たちが先に存在していたか、あなたの想像が先だったかは誰にもわからないのです」
「語り部の長にも?」
「はい。そして、不思議なことに私があなたの物語の登場人物であると同時に、あなたは私の物語の登場人物でもある」
「え!?」
「では、これを見てください」
それは、しっかりとした革表紙の一冊のノートだった。
表示には、わたしには読めない飾り文字。
けれど、なぜか意味は理解できた。
「……『異界の娘』?」
「私が今書いている、あなたの登場する物語です」
「わたしも物語の登場人物……?」
じゃあ、わたしの方が幻なの??
急に不安になった。
それを察したのか語り部の長はわたしの肩にやさしく手を置く。
「しかし、あなたはここに存在している。あなたの物語の登場人物である私が存在しているのと同様に……」
「わたしも、あなたも存在している……」
「深く考えてもしかたがないのですよ。あなたが紡いでいる物語か、私が紡いでいる物語かなどと誰にもわからないのですから。私が紡ぎだす瞬間にあなたが生まれ、あなたが紡ぐ瞬間に私が生まれる……現実も、創造も表裏一体。
創造の世界も、また別の次元で現実となっている。書き写しているのではなく現実としてそこに出来上がっていくのです」
「では、わたしが物語を書くときにいろいろ異なる道筋も考えます。それはどうでしょう? たとえば、主人公の恋が成就する場合もあれば、失恋の結末も考える。そして、そこからもしくは、他の結末を選ぶ。このとき世界は、どうなるのです」
「それは、無数に生まれているのですよ。世界が……」
「無数に生まれる世界」
「いくつもの枝分かれが、平行に広がりを見せる。それは単独ではなく、隣り合っていてどこかでつながっている。スカーという球技をご存知ですか? ちょうどその玉のように多角形の面が隣り合いながら形成される球体。すべてがつながっているのです」
スカーってサッカーのつもりで適当につけた名前だった。
こんなところで出てくるなんてぇー。
「私が書く物語のあなたは、元の世界に簡単に帰れたり、帰れなかったり、冒険したり、危険な目にあったりといろいろ考えます。
私は、ひとつの道を記しましたが、そこにいたるまでに幾つもの場合を考えました。それは、すべて無駄ではなく、その数だけまた世界が生まれ選択肢が増えていくのです。無限に……」
「
「あなたの世界ではそういうのですね」
わたしはホッとした。
なにか吹っ切れた気がする。
物語が先か、世界が先かそんなことは誰にも分からないんだ。
語り部の長でさえ分からないんだから。
それよりも、わたしの書いた世界がこうして存在していて、それは無限に存在すると知っただけで勇気が湧いてくる。
想像することは決して無駄ではない。
私は満たされ、世界は広がる。
「わたし、またここに来れるでしょうか?」
「あなたは『翼の語り部』です。いつでも、どこへでも羽ばたくことができるでしょう」
「はい!」
元気よく返事をすると、わたしの影は揺らいでアトラシアから地球へ。
わたしの居るべき場所へもどってきた。
∞
――― 異界の若い語り部は、目を輝かせた。
そして、光に包まれて消えていった。
語り部の長は、そこまで書いて羽のペンを置いた。
「長。その娘の話はおわりですか?」
「今のところは……」
長はいたずらっぽく微笑んだ。
彼は、彼女のために輝く未来の話を書こうと心に決めていた。
それを知らない末弟子の少女は、不服そうに頬を膨らます。
金の髪を無造作に編んだ少女。
その顔は『天城らん』と名乗った異界の少女に良く似ていた。
∞
隣り合った世界。
それは無限に広がっている。
これはわたしの
これは彼の
そして、誰かの
∞ 終わり ∞
誰かの紡ぐ物語 天城らん @amagi_ran
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