第10話 街へ

 第三妃の王子の毒殺未遂を知るのは、恐らくマルティンと長男のエイブラムだけだろう。身内でなければ……いや、マルティンが敏い商人でなければ、きっと闇に葬り去られたと思う。

 そう考えると、花梨かりんのような本当に末端の庶民が、国家の重大事件を知ってしまうのはかなり不味いはずだが、それだけマルティンは娘のことを心配しているということだ。

 少しだけ、死んだ父のことを思って暗い気分になったが、花梨は一度深呼吸をして気持ちを切り替えた。王族に関することなので下手なことは言えない。それでも、花梨は自分が了承していることを暗に知らせるために告げた。


「高貴な方から見れば、私は道端の雑草と同じくらいの価値しかないでしょう。でも、言い換えればそれは、目に入っていても見えぬ存在であるということです。なので、それほど心配されることはないと思います」

 花梨がきっぱり言い切ると、エイブラムが何とも言えない複雑な表情になる。その中に心配の色を見つけて、花梨は意外だと思った。もしかしたら、まだ子供の花梨を危険な目に遭わせるのは反対なのだろうか。

(マルティンさんの子供だもんね……優しい人なのかも)

 少し、気持ちが温かくなった。しかし、今更計画に変更はない。現商会長であっても、家長であるマルティンの意向には逆らえない。この世界は家長が一番偉いのだ。


「ご心配頂き、ありがとうございます」

 花梨が頭を下げると、マルティンが軽く手を叩いた。

「花梨と秀英しゅうえいを養子に迎えることに異はないな。フローレンス、教育を頼むよ」

「……わかりました」

 フローレンスは承諾したが、恐らくあまり気が進まないのだろう。言葉には何か含んでいるような雰囲気があるが、表面上は穏やかに笑んでいる。さすが元男爵の子女だ、感情を制御することには長けているらしい。




「花梨、明日は街に出よう」

「え……でも……」

 街に出て、万が一金貸しの追っ手に見つかったら、それこそ養子どころの話ではなくなってしまう。そう考えると、できれば不要な外出は避けたい。

「服や身の回りの物を揃えないといけないだろう? この屋敷に呼ぶという方法もあるが、それでは選べる種類が少なくなってしまう。良いものをたくさん見て目を肥やすのも勉強だ」

「……」


 確かに、これから王城に行くならそれなりの知識を蓄えないといけない。妃ほどになると服の着せ方にもいろいろあるだろうし、花や茶葉の種類も知っておいて損はなさそうだ。

 それに……本音を言えば、花梨もいろんな店を見てみたいという思いはあった。両親とこの国に来てからは毎日生きるのに一生懸命で、周りなど見ている余裕などまったくなく、2人がいなくなってからは花街という限られた場所から、一歩も外に出ることは叶わなかった。

(前のことを思い出したら、食べたいものもできたし……)

 米と味噌はあるが、醤油はまだ見たことがない。調味料はどんなものがあるのか、甘味はと、食べることぐらいしか楽しみがないので探してみたかった。


 マルティンは花梨の心が揺れたのがわかったのだろう、笑い皺を深くしてさらに続ける。

「秀英も一緒に、美味しいものを食べに行こう」

「……はい」

 これはもう、頷くしかない。


「父上、それでは明日私が護衛します」

 そこへ割り込んできたのはイレニンだ。眉間の皺は取れていない。

(……見張るつもりかな)

 花梨が何か怪しい動きをしないかどうか気になるのか。別にそれでも構わないが、仕事はどうするのだろう。

 マルティンも花梨と同じ疑問を抱いたらしい。

「騎士団の仕事は?」

「……休みを貰います」

「イレニン」

「事情を知った私がいた方が良いと思いますが」

 イレニンには花梨たちの事情をすべて話しているので、金貸しの追っ手のことを考えての言葉なのだろう。見るからに武人といった雰囲気のイレニンが側にいるのは心強いが、秀英は初対面の時のこともあって少し怖がっているので、できれば遠慮したい。

 ただ、マルティンもイレニンの言葉で考えたのだろう、鷹揚に頷いた。

「では、明日の昼に来てくれ。昼食は外で食べよう」

「はい」

「……」

(あ~、来ること決まっちゃったみたい)




「……父上」

「なんだ、デジレ」

「この甘味はうちの店で出せますか?」

 いきなり出てきた言葉に、花梨は思わず目を瞬かせた。今は養子の話で、賛成か反対か、結構シリアスな話し合いの最中だったはずだ。しかし、どうやら次男はスイートポテトに商機を見出したらしい。

 彼はマルティンから花梨へ視線を移した。

「どうだろう、この調理法をうちの商会に教えてくれないだろうか」


 おそらく、彼は花梨が断ると思っていないだろう。それでも一応問いかけるという形をとっているのだ。

(作り方自体は簡単だし、別に私が考えた料理じゃないけど……)

 これは、花梨のアドバンテージだ。藤野香里ふじのかおりという日本人として生きた記憶自体が財産で、これは最大限に利用するつもりだ。


「いいですよ」

「そうか。それならばさっそく……」

「お幾らで買っていただけますか?」

 にっこり笑って付け加えると、デジレが驚いたように言葉を止める。

「……家族から金を取るつもりか?」

 横から口を挟んだのはエイブラムだ。商会長の立場から言わずにはいられなかったようだ。しかし、花梨からすればそれはそれ、これはこれだ。

「私は、新しい知識には価値があると思います。もちろん、赤の他人とは違いますから、暴利なことはしませんよ」

 こんなことを言ったら嫌われるかもしれないなと、頭のどこかで冷静な自分が呟いている。ただ、花梨も必死だ。

(秀英を守るためにも、お金はあるだけあった方が良いもの)




 静まり返った部屋の中で、最初に笑ったのはマルティンだった。

「なるほど、これは花梨が正しいな。エイブラム、何時ものように算定する様に」

「父上」

「お前たちも、この甘味に価値を見出しているんだろう? どれだけ出せるか、よく考えなさい」

 その言葉に、マルティンは提案を受け入れてくれたのだとわかりホッとする。いくら割り切ったと思っていても、出来ることならばマルティンにはずっと味方でいて欲しいのだ。


「さて、他に話はないな?」

「……」

 5人は何も言わない。それを確認して、マルティンは一つ頷く。

「では、お前たちの新しい家族をよろしく頼むよ」

 花梨は立ち上がり、深く頭を下げた。

「これからよろしくお願いします」











 翌日、朝からずっと秀英はソワソワしている。自分が着ている余所行きの服を何度も撫で、小さな巾着の中に入れた小遣いを何回も数えていた。

 こんな姿を見ると、もっと早く外に連れて行ってやればよかったと思った。物心ついてから、ずっと花街の狭い範囲でしか過ごしていなかった秀英も、広い世界を見てみたかったに違いない。

 しかたがなかったというのは花梨の言い訳だ。

「ねえちゃ」

「うん、似合ってる」

 花梨も働きづめでなかなか側にいてやれなかったので、秀英は少し言葉が遅い。マルティンに保護されてから飛躍的に語彙は増えたが、それでも感情が高ぶるとなかなか言葉が出てこないのだ。


「楽しみ?」

「うん」

 マルティンの養子になると告げてから、少し甘えん坊になってしまった秀英。今も身体のどこかが花梨にくっついている状態だ。花梨も秀英のことが可愛いので側にいたいが、しばらくすると自分は王城に行かなければならない。その時までに姉離れをさせなければ……そう考えると落ち込みそうだ。




 しばらくして、言葉通りイレニンがやってきた。

 休みを取ると言っていたので私服で来ると思っていたが、今日も初対面の時と同じ騎士服だ。

 花梨がじっと見ていると、イレニンが眉間に皺を寄せる。

「何だ?」

「……服、騎士服ですか?」

「その方が都合がいいだろう」

(あ……そっか)

 護衛のために来ると言った言葉は本気だったのだ。

 万が一、この屋敷の近くに金貸しの追っ手がいたとしても、騎士服を着た男の連れに簡単に手を出せはしないだろう。そこまで考えてくれると思っていなかったので、花梨は思わず頭を下げた。

「ありがとうございます」

「……礼はいい」


 ぶっきらぼうに答える姿は、鋭い眼差しと硬い騎士服姿のせいで少し怖い。側にいた秀英は、花梨の後ろに隠れてしまった。

「秀英、ご挨拶は?」

「……」

「秀英」

「……こ、ちは」

 花梨が重ねて言ってようやく、秀英は半分だけ顔を出して小さな声で挨拶をした。

 イレニンから見れば、己の腰の高さもない小さな秀英。すると、彼はその場に跪いた。

「きちんと挨拶が出来るな。偉いぞ」

 そう言って、大きな手でワシャワシャと秀英の髪をかき撫でる。もしかしたら手加減をしているのかもしれないが、秀英の小さな身体は大きく揺れた。

「ちょ、ちょっとっ」

「おっと」

 秀英が倒れてしまわないかと焦ったが、本人は一瞬驚いたように目を丸くして、その後は楽し気に笑い声をあげる。

(え……楽しかったの?)




 なぜかイレニンを気に入った秀英。長い足に抱きつくまでになったが、イレニンとしては歩きにくかったのだろう、ひょいと片腕に抱き上げた。まったく重さを感じさせない足取りは、さすが騎士といったところか。

「ああ、来たか」

 応接間でイレニンを迎えたマルティンも、既に出掛ける支度は整っていた。後は戸締りをすればいいだけだ。


「あ、ちょっと待ってください」

 花梨はハッとして台所に急いだ。その一角には小さな扉があり、その奥には氷室と呼ばれる、所謂氷を使った冷蔵庫がある。その中から籐で編んだ大きめの手提げ籠を取り出し、棚に置いていたクロスを掛けて応接間に戻った。

「秀英?」

 今度は、秀英は肩車をしてもらっている。さすがに申し訳なくて下りるように言ったが、秀英はイレニンの頭にしっかり抱きついて離れない。


「すみませんっ」

「構わない。それより、それは?」

 イレニンは籠の中が気になったらしい。覗き込むような仕草をされ、花梨はチラッとクロスを持ち上げてみせた。

「ぷりんか!」

「はい。商会の皆さんにお土産です」




 マルティンや秀英だけでなく、イレニンも気に入ったというプリン。それを、少し細いガラスのカップで作って今日の手土産にした。

 マルティンは手土産など必要ないと言ったが、さすがにその言葉通りにはできなかった。昨日の今日で、相手はまだ花梨を不審に思っている。どういう態度を取っていいのか測りかねているだろう相手に、昨日とは違う新しい甘味を見せることによって、自分の価値をもっと見せつけてやろうと思った。


 この世界には保冷剤や保冷バックがないので、冷やしたものを運ぶのはなかなか難しい。マルティンにここから店までの時間を聞いて、氷室で良く冷やしてからなら大丈夫かと判断し、触感も新しいプリンを選んだ。

「ぷりん……」

 プリンの数は10個。家族分とプラス1個だ。ただ、イレニンは今日は護衛として一緒に行動するので、生憎このプリンは食べられないだろう。

 本人もそれを予想してか、悲しげな顔をして籠を見ている。


「……送っていただいた時、良かったら食べますか?」

「あるのかっ?」

「私たちが食べる分は別に作っていますから。イレニン様も……」

「いただこう」

 即答だ。大柄で精悍な男が小さなプリンの瓶を持って食べる姿を想像し、花梨は思わず笑ってしまった。






 屋敷の外には馬車が横付けされていた。馬は2頭で、御者もいる。

「変わったことは」

「ありません」

 イレニンの言葉に御者が即座に答え、そのままドアを開けてくれた。

 一番に乗り込んだのはマルティンで、続いてイレニンが抱き上げた秀英を乗せてくれた。そのまま片足を踏み台に乗せ、花梨を見て片手を差し出してくる。

 その意味がわからず、思わずじっと見ていた花梨に、イレニンが声を掛けてきた。

「エスコートだ。私の手を取ってくれ」

「は、はい」

(エスコート!)

 知識ではあったが、こんなふうにエスコートをされるなんて想像もしていなかった。日本人としての意識の方が強い花梨にとっては猛烈に気恥ずかしく、どんな顔をしていいのかわからない。


「……」

「な、何ですか?」

 じっと視線を感じて、花梨は動揺を隠しながら尋ねる。すると、イレニンが表情を和らげた。

「可愛らしい顔をするものだと驚いた」

「え……」

「昨日は勇ましかったがな」

 そう言って笑うイレニンに、花梨は反論の言葉も見つからなかった。




「おうち、いっぱいだね」

「そうね」

 馬車が走り出した。歩く人影はまばらだが、その誰もが身なりは整っていて、いかにも上流階級だとわかる。

 花梨がこの屋敷街に逃げ込んだのは夜だったので、周りがどんな景色だったのかまったく記憶になかった。こうしてみると、整然と並んだ屋敷街で、明るかったら絶対に逃げ込む勇気はなかっただろう。

(本当に、運が良かったとしか言えないよね……)

 あの時、逃げ出そうとした決断力。

 どの道を行くか決めた判断力。

 そのどちらがなくても、今の自分たちはなかった。そう考えると、本当にギリギリで助かったのだと思える。

 花梨は手放さずに済んだ秀英の小さな手を強く握りしめた。

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