第9話 家族予定者たちとの対面
「初めまして、
花梨は丁寧に頭を下げ、ゆっくり3を数えてから頭を上げた。元々花梨は平民の出で、貴族はおろか富豪に対する礼儀作法など知るはずがないが、日本での社会人経験を生かして、相手を客や上司のように考えて対応しようと思った。
(5日で礼儀作法なんて覚えられないよ)
マルティンの息子、イレニンが訪ねてきて、今日は5日目だ。
どうやって時間調整をしたのかは知らないが、夕べ、花梨は来客があることを知らされた。来るのはマルティンの長男、次男夫婦と三男のイレニンの五人。マルティンにはもう2人娘がいるらしいが、1人は王様、1人は国外の商人に嫁いで今日は来ないと聞いた。
(……よし)
花梨は、秀英と共にマルティンの養子になることを決めた。それはお世話になったマルティンの願いを叶えたいということもあるが、なによりも秀英の生活の保障が約束されるからだ。そのためにも、今回の顔合わせは絶対に上手くいくようにしなければならない。
秀英の説得には予想以上に時間が掛かった。
養子になることはまだしも、花梨が王城に行ってしまうことを秀英は嫌がった。両親もいないのに、姉まで自分の側から離れてしまうことが怖いのだろう。
秀英の思いは痛いほどわかるが、今回の話は花梨が王城に行かないと始まらない。2年間勤めれば、また秀英の側に帰ってこられる。一緒に暮らせるようになる。
それに、王城の小間使いは10日に一度休みを貰えるらしい。その時に日帰りだが秀英に会いに来ると約束して、何とか納得してもらった。
ただ、王城に行ってしまうまでは、毎日一緒に眠ることを約束させられたが。
「こちらにどうぞ」
応接間に5人を案内し、すぐに茶の準備をした。難しい話になると思ったので、秀英は部屋にいるようにと送り出す。
茶葉はマルティンが好む香りが高い紅茶で、茶菓子はスイートポテトを作ってみた。
材料のさつま芋……この世界では
日本人としての記憶が蘇るまでは、
それを聞いた花梨は勿体なく思った。確かに、芋そのものに齧りつくのは庶民の食べ方かもしれないが、今の花梨にはいろんな調理方法が思い浮かぶ。富豪や貴族が食べてもおかしくないような、美味しい料理だ。
皿にのせたスイートポテトは、女性2人の関心を引いたらしい。だが、自分の夫が何も言わないので、花梨に直接訊ねることができず、手が出せないようだ。
「花梨、これは?」
最初に口を開いたのはマルティンだ。
「
「
髭を蓄えた男が呟く。
「花梨、あれは長男のエイブラムだ。隣にいるのがその嫁のフローレンス」
(長男……確か、38歳、だっけ)
マルティンが22歳の時に生まれたという長男は、商会を引き継いだだけあって鋭い眼差しの商人といった風情だ。騎士をしているイレニンよりは細身で、髪の色は彼と同じ少し青みが強い紺色だが、瞳は薄い金色だった。
その奥さんは金髪に金色の瞳で、髪はアップにしている。歳は32歳、13歳の息子と、10歳の双子の娘がいるらしい。そして、彼女は元男爵の次女だそうだ。
男爵とはいえ、貴族の子女が商人に嫁ぐというのはかなり異例なことだろう。それだけ大恋愛だったのか、それとも別の思惑があったのかはわからないが、見た限りでは仲がよさそうな夫婦だ。
「そして、こちらが次男のデジレ。そして嫁のロージー」
次男は36歳。背は3人兄弟の中で一番低く、少しふくよかだ。焦げ茶色の髪に琥珀の色の瞳で、穏やかな雰囲気はマルティンに似ているが、その目は今は疑い深く花梨を見ている。
奥さんは30歳。9歳と5歳の娘がいる。
この間は知らなかったが、イレニンは29歳らしい。後は33歳の長女がいて、問題の王の第三妃になる次女は22歳。
花梨はここ数日で叩きこまれたマルティンの家族構成を頭の中で繰り返しながら、もう一度丁寧に頭を下げた。
比較的簡単に作れるスイートポテトは、前の生の時は頻繁に作っていた。生憎、この世界は調味料の類は高価な物で、砂糖などもなかなか庶民の手には入り難いものらしい。だが、蜂蜜は王都の近くに養蜂場があるらしく、幾らか安価に手に入った。
今回、マルティンの家族を迎えるのに、自分の価値を少しでも上げておきたいと思った花梨は珍しい菓子を作ることにして、マルティンに東芋と蜂蜜を手に入れてもらったのだ。
「……」
花梨は少しだけ目線を上げる。向かいと左右に座っている5人は菓子にも紅茶にも手を付ける様子はなく、ただ花梨を見ていた。
このままでは話が進みそうにない。そう考えていた花梨の耳に、マルティンがゆっくり話を切り出した。
「この子と、その弟である秀英を私の養子に迎えることにした。手続きも進めている」
「父上」
マルティンの言葉を遮ったのは、長男のエイブラムだ。
「そんな話は初めて聞きました。イレニンの話では、まだこの屋敷で働き始めて半月ほどらしいではないですか。どのような性質の者か、まだはっきりとわからないのではないですか」
「そうです、父上。普通の商家ならまだしも、当家は王族御用達の看板を頂いているのです。身元の怪しい者を一族に迎え入れることは止めていただきたい」
エイブラムよりもはっきりと拒否したデジレ。2人の妻たちも同じ意見なのか小さく頷いている。
予想通りの反応なので、花梨は悲しくも悔しくもなかった。むしろ当然だと思い、落ち着いて話を聞けた。すると、そんな態度が余計に不審を招いたらしい。
「花梨と言ったね。君の目的は何だ?」
デジレに問われ、花梨は一度隣に座るマルティンを見てから、真っすぐデジレを見返して言った。
「お金です」
「……やはり、金か」
蔑む視線を向けられても、花梨は顔を伏せなかった。
「私には弟がいます。まだ5歳ですが、このままでは学び舎にも行けず、真面な職につけるかどうかもわかりません。両親のいない私たちには、それはしかたないと諦めなければならない未来でした。ですが、幸運にもドラノエ様に出会いました。養子にしていただけるというのは恐れ多いですが、とてもありがたい申し出です」
「それは、ドラノエ商会が欲しいということか?」
「そこまでは望んでいません。ドラノエ様にも伝えましたが、弟が15歳になれば養子の解消をしていただくつもりです」
マルティンの話では、2年後に交代要員の娘が王城に上がるまで頼むということだった。言い換えれば、2年経てば養子を解消するということかと思った。それでは、決死の覚悟で暗殺者がいる王城に行く見返りには厳し過ぎた。
それで、花梨は追加で交渉したのだ。秀英が成人する15歳になるまで、養子としてきちんとした教育を受けさせてやってほしいと。花梨自身は使用人として働いてもいいからと。
マルティンには、
「花梨は交渉上手だね」
そう笑われたが、取れるだけの利益は取りたかった。
結果的に、マルティンは花梨の追加条件を受け入れてくれた。これで安心して王城に向かえる。もちろん、何があっても死ぬつもりなんてない。
10年後には養子を解消するという花梨の言葉が意外だったのか、二組の夫婦は顔を見合わせている。すると、それまで腕を組んで黙っていたイレニンが口を開いた。
「本気でそう言っているのか」
「はい。皆さんがご心配されているような、家業に取り入ろうとなどと大それたことは考えていません」
「花梨の言っていることは本当だ。秀英が15歳になったら養子は解消し、二人には自由に生きてもらう。そのまま使用人として屋敷にいてもらっても良いし、独立して出て行っても構わない。もちろん、私のできる範囲のことはさせてもらうつもりだ」
「どうして……そんな期間限定のような養子縁組をするんですか……」
「私も一人で寂しいからね」
マルティンも付け加えて言ってくれ、スイートポテトを口にする。
「美味いね」
「ありがとうございます」
この話はマルティンと花梨の間ではしっかりと納得しているものだし、子供たちには報告だけするつもりだということを聞いていたのでそれほど心配していなかった。
和やかに茶を飲み、菓子を食べる花梨とマルティンを、二組の夫婦は唖然として見ている。
ただ、イレニンは先に花梨たちの事情も耳にしていたせいか、それなりに思うこともあったのだろう。何より、花梨の口からいずれ養子の解消をするという言葉が聞けて少し安心したのか、それまで手をつけていなかったスイートポテトを口にし―――固まった。
「……これは……」
「どうしたイレニン?」
エイブラムが焦ったように腰を上げる。まるで毒を食べたかというような雰囲気だ。
「……美味い」
しかし、続くイレニンの言葉は感嘆に掠れていて、すぐに次の一口を頬張っている。
(うん、美味しいもんね、スイートポテト)
一度、マルティンには試食してもらった。その時彼も驚いて、美味しいを連発してくれたのだ。王都にも、こんな菓子は今までなかったらしい。ごく単純な作り方なのだが、
この分なら、他にも色んな菓子を作れそうだ。マルティンに頼めば食材も手に入るみたいだし、時間があればまた挑戦したい。
イレニンの言葉に、動いたのは次男の妻ロージーだ。彼女はほんの少しだけスプーンにのせて恐る恐る口に含み……次にはもっと多くのせて食べ始めた。
「ロージー」
「初めて食べる味ですが、とても美味しいですわ」
フワフワとした話し方のロージーは、そう言って花梨を見た。薄茶の瞳がやんわりと細められる。
「あなたが作ったの?」
「はい。お口にあいましたか?」
「ええ。子供たちも喜びそうな味だわ」
「よろしければお土産に持って帰られませんか? 火を通している菓子ですので、一日二日は持ちます」
保冷剤などがあればまた違うのだが、涼しい今の時期ならば大丈夫だろう。
花梨が答えると、ロージーが嬉しそうにデジレを振り返った。
「あなたも食べられてみたら? とても美味しいの」
ロージーの言葉にデジレが。そしてその様子を見てエイブラムが食べた。2人ともその触感と味にかなり驚いたようで、何度も花梨と菓子を交互に見ている。
エイブラムの妻のフローレンスだけは、なかなか動かなかった。さすが元男爵家の子女だからか、初めて見るものを簡単に口にしないようだ。それでもずっと視線がスイートポテトに向けられているので、かなり興味はある様子だった。
(身分が高いと色々大変そう……)
王城に行けば、自分もこんなふうに口にするものを一々警戒しなければならないのか。そう考えると気が重くなるが、それならば自分で作ればいいとも思い直す。
(……うん。そうしよう)
言葉にしないまでも、その場の空気は初めよりも和やかになっていた。美味しいものは正義。そんな言葉が花梨の頭の中を巡る。
すると、マルティンがフローレンスに声を掛けた。
「フローレンス、君に頼みがあるんだが」
「
それまでスイートポテトを見ていた彼女が、ハッとしてマルティンに顔を向ける。
「花梨に行儀作法を教えてもらいたい」
「行儀作法……ですか?」
「ああ。花梨にはリディア妃の小間使いとして王城に上がってもらうつもりだ」
その言葉は、その場にいた者にかなりの衝撃を与えたらしい。
「父上! まさか、この子を……」
「あなた?」
蒼褪めたエイブラムを怪訝そうに見つめるフローレンス。そんなエイブラムを見て、花梨は彼は王城で起きた事件を知っているんだと悟った。
そう言えば、商会の人間を通じて手紙を受け取ったとマルティンは言っていた。そうだとしたら、現在商会長をしている長男のエイブラムがその手紙の内容を知っていてもおかしくない。
「このような子供を、あんなところに送るつもりですかっ?」
「花梨は子供だがしっかりしている」
「ジルベールと同じ歳ですっ」
ジルベールが誰かわからなかったが、今の流れから言えば花梨と同じ年頃の……たぶん男の子だろう。
(あ……そっか、確か、長男の子供が私と同じ歳だったっけ)
その子と花梨を重ねてしまったのだろうが、だからと言って本当の理由など今ここで話せるわけがなかった。
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