第四部「in the midst of black」

4-1

 あなたのせい、なんて言いたくはないですけどあなたのせいです。あなたのせいで、私のリズムが狂い出したんです。今の彼にはわたしの声は届いているのでしょうか。届いていてくれたら、わたしはとても嬉しいです。謝罪から始まって、彼はどう思ったでしょう。きっと良い風には思っていないでしょう。わたしはそんな事を考えながら切符を破ります。青臭い未熟の象徴のような未満切符を。

 目の前に居る彼は、意味がわからないと言った風に私を見ます。その時わたしはやっと開放されたような気がしました。彼の瞳から私が消えたのですから。私らしいなんてもう言わせません。やっとリズムが戻ってきた気がします。蝶の蛹のように一度溶けてどろどろになってわたしになったのです。

 彼は小さな声で恐れたように「なに……してんだよ」と言いました。わたしから見たら筋の通った行いだったのですが、どうやら私しか見ていない彼はよく分からなかったようでした。わたしは首を振ります。それは彼に対しての迷いを振り切るための、最期の行為でした。

「朔、私は楽しくなかったんだよ。嫌だったんだよ。私に連れてこられて、振り回されて」

 私は頭を掻きむしりました。わたしの中にいる私を追い出すように。

「わたしは私のことが嫌いなんだよ。わたしは、ああやって誰かを巻き込んで騒ぐのが嫌だった。嫌いだった。担任の先生にいたずらすることも、友達の後をつけることも、幼馴染の意見を聞かずに行動するところも」

 私は間髪入れずに空間に言葉をねじ込みます。

「なんで、そこまで」

 彼は少し震えた声で言います。そこまで、なんて言われてもまだまだ言い足りないくらいです。

「私は消えたかった。誰にも迷惑をかけたくなかった。

 そしてわたしは私から逃げたかった。私という亡者から」

 わたしは否定し続けます。それがわたしの許された行為であり、私の許した行為だからです。最後にわたしが生まれたときから感じていた疑問を彼に投げつけます。きっと、優しい彼なら考えてくれるでしょう。

「ねえ、私らしいって何?

 わたしってなに?」

 はっきりとした声で言ったつもりでしたが、思ったよりもその声は小さく、今にも小波にさらわれていきそうでした。彼に私の声は届いたはずでした。ですが、彼は黙ったままわたしを見つめます。

 わたしは落胆しました。優しい朔なら、きっとわたしを肯定してくれる、私を肯定して旅立たせてくる。そう思っていたのですが。私は落胆したまま、彼の隣を通り抜けます。彼が声を絞り出しました。

「どこ行くんだよ」

 と。

「知り合いのところ」

 本当です。ネットでわたしを認めてくれた人のところへ行って、生きます。

「家には帰らないのか」

 当たり前です。そこにはわたしは居ませんでしたから。いつも私しか居ませんでしたから。

「もちろん。もう、戻らない」

 戻る気がありません。戻る意味がありません。

「なんで?」

「そこに私がいるから」

「……学校はどうするんだよ」

 もうそろそろ彼は私を引き止めきれなくなってきたようです。紡いだ言葉は苦しげでしたから。

「やめる。そこにわたしの居場所はないから」

 本当のことですから。どうやら本当に彼は私を引き止める術がなくなったらしく、黙り込んでしまいます。

 あ、最期に言っておきましょう。これを言わなければ目覚めが悪い。

「ごめん。朔は優しいから」

 だから私を静かに逝かせてくれます。

 君の優しさに漬け込んだわたしをどうか許さないでください。

 わたしは離れていきます。

 真っ白なキャンパスを歩いていきます。

 これで、わたしの煤払いは終わりを告げました。わたしはやっと幼馴染である私を殺せました。これで良かったのです。きっと。


 1


 俺は炎天下の中、列に並ぶ。俺の隣で大学の友人が聞いてくる。

「お前、ほんとにこの作者の事好きだよな」

「好きだよ」

 俺はうなずく。今日は俺の好きな作家のサイン会だ。そのためにわざわざこの藍色のチェスターコートを引っ張り出してきたのだから。

「にしても、人気だな」

 友人は前を見る。大体十人位が並んでいる。もちろん後ろにもどんどん人が並んでいく。友人はパタパタと手で風を送りながら、熱さから逃れようと必死だった。俺は手に持っている本を優しくなでる。

「物騒なタイトルだよな、それ」

 友人は本を見ながら言う。

「俺はいいタイトルだと思うけど」

 本音だ。友人は目を細めて、「お前も趣味が悪い」と笑った。

「愛していた幼馴染を殺すまで、だぞ? 物騒じゃん」

 俺はそういう友人を無視して詰めていく。

 少しずつ作者が見えてくる。白色のセーターにオフホワイトのコート、パステルグリーンのスカートを合わせて清楚な印象を受ける。腕にはきれいな色の組紐のブレスレットがつけられていた。

 ついに俺の番になった。

「お願いします」

 俺はそう言って本を差し出す。目の前の女性は本を大事そうに受け取って、それから俺を見た。その顔に特に変化はなく、笑顔のまま。すらすらとサインと俺の名前を書いて、本を返される。

「優しいね、君は」

 作者はそう言った。

「どうも」

 俺はそう返して、列から抜ける。友人は遅れて俺のところにやってきて言った。

「待って、めっちゃ白秋先生ドタイプだったんだけど」

 俺はその言葉に笑う。

「考え直せ」

 殺されたくなかったらな。


〈了〉

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煤払い 宵町いつか @itsuka6012

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