サクラサク
トム
サクラサク
――ざぁ。
朝の冷え込みも日に日に収まり、太陽が空に昇ると日差しが暖かく感じる。たまに吹く風はまだ少しひんやりと感じるが、日中にもなればそれすら気持ちよく感じられるようになった今日この頃。
少し足早に歩道を歩いていると、突然にその風が髪を巻き上げるように吹き上がった。
「ひゃぁ」
……永らく穿いていなかったスカートが、その風に煽られて膨らんだ。慌てて両手で抑え、肩に掛けたトートがずり落ちるのをギュッと身体をすぼめて踏ん張っていると、朝早くに起きて小一時間掛けてなんとか気に入った髪を、風がフォークで掬ったパスタのように、一瞬で逆巻にしてあざ笑うかのように頭上にあった桜の花ごと遠ざかっていく。
「……あ、髪留……め!」
くしゃくしゃになった髪の隙間から、はたと気づいて見上げると、一面がピンク色に変わっている。吹き上げた風が桜の花びらを散らし、私の頭の上で盛大にぶちまけたのだ。
「……綺麗」
それは昇った陽の光に照らされて、遠くに見える雲ひとつ無い空の青と重なり、薄いピンクが視界に広がっていく。思わず溢れた感情が、その呟きを導き出し、誰にとも無く声に出す。
数瞬の出来事。そして自身の現実を思い出すと、頭の中は半ばパニックになる。
んぎゃぁぁぁぁ! セットした髪どうすんのぉ!! あ、待って! トートが落ちる! ぬがぁぁぁぁぁ! こんちくしょう!
風が収まったことを確認し、スカートから片手を離すとそのままトートを担ぎ直す。心の声は誰にも聞かせず、あくまでスマートに。そうして、歩道のど真ん中に立っていた事を思い出し、流れるように端に寄ると、俯いたまま髪をどうするか思案する。
あぁ、もう。メイクすら超久しぶりだったのに、美容院なんて行ってる間もなかった。それでなくても私は毛量が多いと近所の美容師のおばちゃんにぶつくさ言われていたのに……。風で広がった髪は手櫛程度で言うことを聞いてくれる訳もなく、梳いては跳ね、押さえては膨らむの繰り返し。……はぁ、やっぱ無理だ、諦めて帰ろう。
アレは高校2年になってすぐの事、切っ掛けはそれこそくだらない事だ。リップの貸し借りで揉めただけ、たったそれだけのことで始まった女子全員からのオール無視。すぐにクラス中に広がったそれは男子も巻き込み、クラスラインでの吊し上げ。馬鹿馬鹿しかった。
――死にたくなるほど悔しかった……。
結果人間不信となり、手首を切って入院。高校はいじめを認めずそのまま中退した。両親は当初、私の味方となって傍に居てくれたけど、私はそれに胡座をかいてしまった。ダラダラと引きこもりを続け、成人した時言われてしまった。「いい加減に前を向きなさい。いつまでも私達が守っていられるわけじゃないのよ」……私は両親が年を取ってから出来た子供。気づけば母は還暦となり、父も定年退職していた。
「……わかっているわよ! でも、でも今更私に何が出来るのよ! 高校中退で、ニートになって、人も信じられなくて、今更……今更外に出るなんて、そんなの出来るわけないじゃない!」
……そうやってまた逃げた結果、両親は二年前に事故で死んでしまった。……当時23歳。学歴、職歴共に何も無い、ただの女が一人残されてしまった。
家と遺産は入ったが、そんなもので一生には全然足りない。墓前で泣き崩れ、ずっと墓石にしがみついた私を親戚たちは冷たい目で見放した。祖父母達もかなり高齢で、介護がなきゃ生きられないと既にホームに入っている。完全ボッチの出来上がった瞬間だ。誰も居なくなり、泣きはらし、涙も枯れた頃。薄れた意識の中で声が聞こえた。
――前を向きなさい。俯かず、胸を張って。貴女は私の自慢の娘、頑張って――。
「……髪なんてどうとでもなるわよ。せっかくたどり着いた面接じゃない、お母さんが見てくれてるのに、こんなんじゃ――!」
「あのぉ、これもしかして貴女のでは?」
見上げると目の前に差し出された手には私の飛ばされた髪留め。そうしてそのまま視線を上げた先には背の高い男性が立っている。
「……あ、す、すみません。あ、ありがとうござ――」
「……あれ、もしかして中山さん?」
「ファ?」
一瞬だが彼の顔を見た途端、全身の筋肉が硬直したのが分かる。同時に背は粟立ち、遠くなりかけた意識をなんとか保ち、逃げ出したい気持ちを抑えながら髪留めを受け取ろうとした時、彼もまた私のことに気がついた。
「……お前ら、いい加減にしろよ。くだらねぇ無視なんかしやがって、女子いじめて楽しいのかよ」
……クラスで唯一、私に声を掛けてくれていた男子、村木君。特段目立つわけでもなく、普段はどちらかと言えば大人しい部類に入る彼が、そんな事を言って私を庇ってくれた。直後、彼も同じようにいじめの対象になっていったが。……そうして男子は村木くんを、女子は私をと、いじめの対象が増えただけだった。
「……あ、村木くん?」
「そう! いやぁ、久し振りだね。はい、これ。……ちゃんと使ってくれてたんだ」
「え?! あ……うん」
そう、その髪留めは私にとって唯一異性からの贈り物。まだいじめも酷くなかった頃、髪留めを捨てられた私に、泥だらけになった彼が校庭で見つけてくれたのは留め金が外れ、プラスチック部分が欠けた髪留め。「ごめん、拾った後に転けちゃって。良かったら弁償させて」と翌日渡された物。
――私の宝物。
「これから、どこかに行くの?」
「……え?! あ、あぁ。うん、面接にね。でもこの髪じゃちょっと……どうしようかと考えてて、こんななりじゃ流石に不味いかなと思ってて」
ボサボサになり、爆発した髪を押さえながら、俯き加減でそう答える。さっきまでの威勢はどこへやら、母への誓いはその程度かと自分を心の中で叱責する。が、赤面だけは止まらない。あぁ~! なんで! 何でここで彼なのよ~!
「時間は?」
「フェ?」
「面接までの時間」
「あ、あぁ~っと1時間ちょっと? 早めに現場近くに着きたくて」
「……なら、30分位は大丈夫?」
「――なにが?」
意味がわからず問い返すと、彼はにこやかに笑って自分の後ろを指さした。
――ヘアサロン ブロッサム――
真新しい看板にはそう書かれている。店の前面はガラス張りになっており、店内が見える。独立した椅子は一つ一つ距離があり、空間が贅沢に使われた美容室だとひと目見てわかった。こんなお店で、髪が切りたいなぁと。
「……今日、開店した俺の店。オープンまでには時間有るから、さっさとやっちゃおうか」
店に見惚れていると、そう言った彼は私の手をそのまま引き店内へと連れて行く。
「ファ? ちょ、ちょっと、ちょっと待って! へ? 何? なに? どゆこと~」
――ずっと昔から思ってたんだよね、中山さん、髪型のせいで損してるなぁって。だから、俺が美容師になって自分の店ができたら、中山さんを呼ぼうとずっと考えてたんだ。時間、結構かかったけど、今日、目の前にこの髪留めが落ちてきて。桜吹雪の中に君を見つけたんだ――。
完――。
サクラサク トム @tompsun50
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