最終話
「サバ味噌定食二つ!」
よろずののれんをくぐるなり、スメラギは厨房にむかって声をあげた。奥からあいよと威勢のいい声がかえってきた。
「サバ味噌煮お待たせ。今日のはおいしいよ」
おかみがもってきた味噌煮の甘い湯気に、スメラギの喉仏がごくりと動いた。
「いつもうまいっすよ」
「一期一会、うちの人、毎日全力で作るからね。今日は今日でまたおいしいのよ」
一足先にサバ味噌定食にかぶりついた美月は、口を動かしながら同意するように何度も頷いていた。
「あら、そちらさん、ぎっちょ?」
茶碗と箸をもつ手が鏡像のように裏返っている美月をみて、おかみは目を細めた。
「うちの人もぎっちょだったのよ。家の人に厳しく直されて今は右手で何でもするけど」
ごはんのおかわりは言ってくださいねと言い残し、おかみは呼ばれて厨房へと戻っていった。カウンターには別の客の注文した料理が並べられていた。
「自分が苦労したのでね、息子には同じ苦労をさせまいと厳しく直したんですよ」
美月、いや美月の体を借りた佐藤博は厨房にいる主人をみやった。狭い空間で忙しく注文の料理をさばく主人は右手で作業をこなしている。
「利き手の矯正だけじゃない。躾は厳しかったですよ。勉強しろ、医者になれ、医院を継げって口うるさく言っていました。料理人になると言われた時、頭にきたものだから勘当したんですよ。それでも、店をもったって人づてに聞いた時は嬉しくてね。生きている間に来るべきだったのに、来れなくて。それだけが心残りでして……」
定食屋よろずの主人の父親、佐藤博は息子が気がかりで死後、毎日のようによろずに通っては厨房で働く息子を見守り続けてきた。座るのは入り口近くの席と決めていて、そこは今晩、美月とスメラギが座った場所でもある。その位置からだと、厨房の様子が手にとるようにわかるからだった。
毎日店にやってきては息子の仕事ぶりを眺めているだけで、霊となった今、佐藤は息子の料理を口にして味わうことはかなわなかった。霊は実体がないため、食べ物を得ることはおろか、味覚などの感覚も一切失われている。入り口近くの席について厨房をながめる上品な老人客―
佐藤の存在に日頃から気づいていたスメラギは、美月の体に憑依してはともちかけた。霊体を受け入れられる美月の体であれば食べ物を口にすることもできるし、味もわかる。
「うちは代々医者の家系でしてね。といっても私は入り婿で、医院はもとは家内の家のものなんですが。子どもは息子ひとりだけでしてね。男の子だったものだから、家内と義理の父がぜがひでも息子に医院を継がせたいといいましてね。ほかから医者をむかえるより、血のつながった子が継いでくれたほうがいいんでしょうね。子どものころから英才教育で大人になったら医者になるんだとたたきこんだものです。それが、中学卒業と同時に料理人になりたいと言い出しましてね。何を馬鹿なことを言うんだって家族で反対して、結局、高校までは行ってくれたんです。でも、高校を卒業した翌日、息子は家を出たんです。駆け落ちっていうんですか、恋人とふたりで姿を消したんです」
佐藤の視線の先に、厨房へ声をかけるおかみの姿があった。
「苦労したんでしょうね……」
料理の世界は華やかにみえるが裏の事情は厳しい。今でこそ、専門学校へ通うなどして技術を取得できるが、親方、弟子の因習が強く残り、多くは中学卒業とともに下働きから始めて料理の道に入る。高校を卒業してからではずい分とおくれをとり、その分人並み以上の苦労をしてきたはずだった。
だが、よろずの主人から愚痴のたぐいをスメラギは一切聞いたことがない。主人もおかみも、来るたびに笑顔でうまいものを出してくれたし、しばらくぶりに顔を出しても嫌味ひとつ言うでもなく迎えてくれる。スメラギが子どもの頃から、ふたりは変わらなかった。人をおいしいものでもてなすのが好きな二人だった。
「あんたが死んで病院はどうなったんだ?」
「家内の妹の子が継ぎました。ねえ、どうにかなるもんなんですよ。それなら賢(さとし)に心置きなく料理の道へすすませてあげてもよかったんだ……。婿養子で入った自分の代で医院を潰すわけにはいかないと馬鹿な意地をはったものだから――」
その言葉じりには、大事な子どもを手元からはなしてしまった後悔がにじんでいた。
「息子は本当に料理が好きでね。母親も病院を手伝って忙しかったから、小さい頃から台所にたって何か作ってましたよ。サバの味噌煮はね、小学生でもう作ってくれたんですよ。家内のよりよっぽどうまくてね。プロ顔負けだなっていったら喜んでましたっけ」
店に入る前、佐藤はサバ味噌を注文してくれとスメラギに頼んでいた。
「同じ味ですよ、あの頃と。うまい、うまい」
そういってほぐしたサバの身を口に運びながら、佐藤はぽろぽろと涙をこぼした。
了
心霊探偵スメラギ - 神隠しの森 あじろ けい @ajiro_kei
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