最終話 忘れていた。僕が旅に出た本当の理由。

 野豚の死骸から内臓を取り除くと、僕らは血抜きの為に折れた電柱へ吊した。

 それから怪我の治療もそこそこに、ディナが背嚢を落とした場所に向かう。どうしても回収したい物が、中に入っていたそうだ。


 彼女の背嚢は、ビルが建ち並ぶ所から少し離れた場所で見付かった。住宅街といって昔の人々は此所で暮らしていたんだ、と彼女は言う。しかしビル以上に崩れて殆ど原形のないそこで、かつて人が暮らしていたとは到底思えなかった。


「良かった・・・・・・無事だった」

 貫かれた背嚢はいのうから、目当ての物を取り出すとホッとした声でディナは言った。四角い大きな厚紙。表面には険しい顔で指を動かしている男が描かれていた。


「後はトーンアームにカートリッジを接続すれば・・・・・・」

 大事に抱えた四角い箱を下ろし、しゃがみながらディナは中を開いた。開いても何の箱だか分からない。丸い板、横に長い棒。何に使うのか、まるで想像出来ない。長い棒にプラスチックがぴったりと填まった事を確認すると、背嚢の中からバッテリーを取り出し四角い箱に接続する。


「この箱、電気で動くのか・・・・・・」

 昔、世界は隅々まで電気で動いていた。しかし僕らは今、残されたバッテリーを使う以外で電気は使えない。

「もしかして世界が止まっているのは、ひょっとしてバッテリーが切れたからなのかな?」

「面白い事考えるね、君」

 つまみを廻しながら、ディナは笑う。


「でも、そうかもしれない。世界は今、電池切れなんだ。きっと、充電が必要なんだよ」

 厚紙の中から黒い円盤を取り出し丸い板に乗せつまみを廻すと、ゆっくりと円盤が回転し始めた。タイミングを見計らい、長い棒を移動させる。瞬間、静寂の世界に音が響いた。

「音楽・・・・・・」

「本によると、ジャズって言うらしい。もっとも、わたしも聞いたのはこれが初めてなんだけれど、思ったよりずっと良いね」

 軽快な音が響く中、ディナは立ち上がる。


「この箱ね、レコードプレイヤーって言うの。黒い円盤はレコード。レコードの中の音楽を再生するから、レコードプレイヤー。元々はわたしが暮らしていた集落にあったんだけれど」

 ディナは語りながら、視線をレコードプレイヤーに落とした。

「誰もこれがどういう道具で何に使うのか、さっぱり分からなかった。わたしが何度聞いても、返ってくるのは曖昧な答え。しまいには何度も同じ質問をしてくるわたしを疎ましく思って、皆わたしの事を〝変人〟として遠ざけていった」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「思ったの、その時。きっとこうして世界に〝訳の分からない物〟が増えてくるんじゃないかって。昔は普通に使えたのに、今では何に使うかすら分からない。そんな物で溢れる世界は、何だか哀しいなって」

「だから、旅を・・・・・・」

「うん。それがきっかけ。どう? 大層なこと言ったくせに、案外つまらない動機でしょ?」

 ディナの笑顔に、僕は少し顔を曇らせた。


 やはり僕とディナは違う。彼女は旅に明確な目的があった。僕はあの日、何となく旅に出た。つまらない動機と言ったが、何もないよりはずっとマシだ。


「そんな事ないよ、素敵な動機だ」

 野豚を見てくると言って、僕は踵を返す。そのまま荷物を纏めて立ち去ろう。そうすれば、これ以上胸が痛くなる事はない。

 が。踵を返す時、瓦礫に躓いて思い切りすっ転んだ。


「大丈夫?」

「・・・・・・大丈夫」

 思った以上に、ダメージと疲労が蓄積していたらしい。そうでなかったら、余りにも格好悪いじゃないか。



「あ――――――」



 夜空の間に、枝に連なる星々を見付けた。

 気付かなかった。そもそもが目的で、わざわざこの街に来たというのに。転ばなければ気付かないなんて、僕は本当に馬鹿だ。


 逆さまの僕の視界に、一本の木が映る。小さく細い木。広がる枝には、僕が見知った薄桃色の花が星のように咲いていた。


「桜・・・・・・こんな所に、あったのか――」

「夜桜ってやつだね、こんな所で風流じゃん」

 起き上がる僕の横でディナは言う。


「きっと誰かが、薪になる前に植え直したんだよ。勿体もったいないと思ったんだろうね、こんなにも綺麗だから」

「種から自然に育ったんじゃあないのか?」

「あの桜はソメイヨシノ。人工的に作った品種だから、種では育たないんだよ。ほらあそこ、手入れをした跡がある。植え直してからも世話をしていたんだろうね」

 ところで、とディナは僕へ視線を向ける。


「桜、見たかったの?」

「うん。好きだったんだけれど、僕の住んでいた集落ではもう見られないから。全部、薪になった」

 語りながらゆっくりと、僕は小さく細い桜へ近付いていった。


 僕は、この木が好きだった。何度も厳しい冬を乗り越え、可憐で凜とした花を咲かせる桜の木が。

 幹も枝も、容易く手折れる程にか弱い。けれども、枝の隅々まで立派な花を付けている。懸命に、咲いていた。


「好きだった木が切り倒されていく時に、ふと思ったんだ。これからも僕は、生きる為に好きな物を捨てていくのかなって。三日三晩考えてさ、それは嫌だなって誕生日に貰ったナイフを持って集落を出たんだ」


 忘れていただけで、僕にもきちんとあったのだ。旅に出たいと思った瞬間が。ふらふらと当てもなく彷徨さまよってはいたけれど、僕にだって旅の目的と動機がしっかりとあった。


 僕は、生きる為に大切な物を捨てたくない。

 それは僕にとって、生きている事にはならないから。


「・・・・・・やっぱり僕は、観光しているんだ。世界の色んなものを見る為に。この世界では、変人だよね」

「だって似たもの同士だもん、わたし達。シタルが変人なのは当たり前だよ。変人であるわたしが、保証する」

「何だよ、それ。幾ら何でも、酷いじゃあないか」

 半眼で立ち上がろうとする僕に、ディナはねぇと手を差し出す。


「じゃあ次は、何を見よっか?」

 はにかんだような、ディナの笑顔。その貌が、細く健気に咲く桜に重なる。それが何故か、僕には分からなかった。


 ただ、真っ先に浮かんだのだ。僕が一番好きな、花の姿が。


「直近では、以前ディナが言っていた海っていうのが見てみたいな」

「見たいのは、海だけ?」

「他に何かあるの?」

「別にぃー」


 とても静かな夜だった。

 頭上にまたたく星々は、散った桜の花吹雪。

 月明かりが夜桜を照らし、レコードが廻ってジャズが響く。


 世界はまだ、充電中。

 止まっていて、動かない。

 けれど充電が終わったら、きっと動き出す。


「でもその前に、あの豚食べよっか。丸焼きにしてさ」

「いいね!」


 それじゃあ、世界。

 一足先に、僕は起きるよ。


 目覚めるまでは、良い夢を。






list

10 print "Broken metoropolis"

20 print "Unbroken world"

30 print "is the ..."

40 end

run         




湊 利記の作品まとめ倉庫

https://kakuyomu.jp/works/16818023212501567659

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世界が終わったので気ままに旅をしていたら、うっかり腹ペコ少女を屍体と見間違えた件 湊利記 @riki3710

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