最後の一人

野栗

最後の一人

 染吉、元気しよるで?


 池田のお蔦はんの口利きで鳴門南高校野球部に潜り込んで、はや二回目の夏じゃ。練習はホンマにきついけど、何とか尻尾出さんとしのいどる。この調子で人間に正体を見られいで、三年間きっちり変化(へんげ)修行を勤め上げたら、晴れてお蔦はんと同じ、あの阿波狸の秘法・縮地の術が使えるようなる。葉っぱ一枚で東京でもどこでも行けるようなるきに、もう今から楽しみじゃ。


 そや染吉、小松菜の種蒔きはもう終わったで? ほなけんどまあ、小松菜の名前ときた日にはホンマおもっしょいな。今度の種は「夏の甲子園」か。うちら鳴門南は先週、県予選の準決勝で負けてしもうたきに、甲子園は来年までお預けじゃ。


 子狸の頃、うちらよう人間の子どもに化けて分校に遊びに行ったな。野球もドッジボールも分校の子だけやと人数足らんけん、いっつも一緒に遊んびょったな。

 染吉はホンマ何しても下手くそで、ドッジボールではいっつも真っ先に当てられて、野球は三振にトンネル、ついでに変化の術も筒いっぱいで――いつやったか、野球でおまはんがライトにおった時、バッターがおっきいライトフライ打ち上げて、みな、こらアカンわ! てワーワー言うたことがあったやんか。外野をあっちへフラフラこっちへフラフラしよるうちに、なんとボールの方がおまはんのグローブに飛び込んできよったでないで。打った子はあんなんまぐれや偶然や! 言うて言うてしよったけど、アウトはアウトや、なあ。あの時おまはん、フライが捕れたってビックリした拍子に尻尾と耳にヒゲまで出っしょったな。あはは。

 ホンマはな、あん時うちも染吉のファインプレーにビックリシャックリして、両の手の平に肉球がモコモコッと出てきよったんやけど、これは秘密や秘密。


 先週の準決勝敗退で三年が引退して一・二年の新チームになったんやけど、うちな、今度の新人戦で、控えのキャッチャーで初めてベンチ入りするんや。監督が最後に「独孤琢(どっこ・たく)!」とうちの人間名読み上げた時は、ホンマ胸がドキドキして、すんでのところで耳と尻尾がぴょこっと出るところやった。――危ない危ない……


 ほな、新人戦が終わったら、また便りするけんな。さいなら。


               お艶


   ***                                


「タク、急げ!」


 狸顔をこわばらせた四宮監督が、慌ただしくブルペンに駆け込んできた。


 九回裏。徳島県高校野球新人戦。


「タク、これでツーアウト一塁やな」


「あいつが最後の一人か」


 もう肩を作る必要もないやろ、と控え投手がブルペン捕手のお艶のところに来て、こんな言葉を交わした直後――


 顔いっぱいに脂汗を浮かべ、ホームベースの上でうずくまる正捕手の賀川。


 初球をフルスイングした「最後の一人」の打球がファウルチップとなって賀川の右手を直撃した。審判が大丈夫かと声をかけるが、返答もままならない。


 大会役員に付き添われてダッグアウトに消えていく賀川と入れ違いに、ブルペンからソバカス面のお艶が現れた。


「鳴門南高校の守備の交代をお知らせします。キャッチャーの賀川くんに代わりまして独孤くん、五番、キャッチャー、独孤くん」


 アナウンスの流れる中ダイヤモンドの要の位置につくと、お艶は右手の指でツーアウトのサインを作り、高々と掲げた。


 点差は二点。


 入学してからずっと「壁」と呼ばれる投手陣の練習相手の捕手をつとめてきたお艶は、練習試合に出た経験もほとんどない。思いもよらぬ展開に、お艶は尻を撫でて尻尾が出ていないことを確かめ、深呼吸をひとつする。


 マウンドの投手の球は、学校のグラウンドで毎日受けてきた。お互い癖も呼吸もようわかっとる。

 相手の打者はベンチの監督のサインにうなずくと、おもむろにバットを構えた。

 二球目、打者はさっとバットを水平に構え直し、ボールをコツンとお艶の前に転がした。


 !


 お艶はボールを拾うと、送球先を迷いそのまま固まってしまった。一塁二塁オールセーフ。賀川だったら絶対にしないボーンヘッドで「最後の一人」を出塁させてしまった。


 次の打者はバントの構えでさんざんお艶を牽制した挙句、甘いコースに入った球をはっしと叩いてロングヒット、二点を返して同点に追いついた。


 後がない。


 打席に入った次打者は、さっきの打者と同じくバントの構えでお艶を牽制してきた。バスターバントでヒッティングに転じた打球は、お艶の頭上高々と上がった。

 マスクをかなぐり捨て、どこまでも打球を追う。――上を向いたまま足をもつらせバランスを失ったお艶のミットに、ボールがスポッと入った。


 染吉、うち捕った! うち捕れた!


「タク!」


 四宮監督はほっとした表情でお艶の背中を叩いた。


 十回の表、四番の木村が長打を放ち一点リード。負傷退場した五番の賀川に代わって、お艶が打席に入った。


 あのピッチャー、武市先輩に似とるな。武市先輩はホンマ分かりやすくて、投げる時に足がピンと高く上がったら必ずストレートやった。あの癖最後まで直らんかったけど、なにさま球がごっつ速いけん簡単には打たれんかった。ほなけんどあのピッチャーは、武市さんほどではないな――


 この間ずっと、フリーバッティングなどほとんどする機会はなかった。打撃練習といえば、武市はじめひとりひとりの投手の球を思い浮かべながら、毎日自主練で素振りをしてきただけだった。

 投手の足がピン! と上がった。

 狙いすましてバットを振る。


 キン!


 ――ああ、キャッチャーフライだ。


 打球は風にあおられ、相手の捕手の目測より右へ流れた。捕手が右へ倒れ込みながらキャッチした瞬間、木村はタッチアップして三塁に進んだ。


 結局この回は一点止まりで、試合は十回裏を迎えた。

 フォアボールで出塁したランナーは二塁、三塁と盗塁を重ね、肩の弱いお艶を翻弄する。

 投手と息を合わせ、次打者のスクイズを外すと、お艶は飛び出したランナーを三本間に挟み込んだ。


「タク!」


 サードからの送球をがっちりつかみ、身を翻して戻ろうとするランナーの背中にタッチした。


「タク、ランナーが出たらな、好きに走らせろ。わいらが何とかするけん、刺そうなんて考えるな」


 キャプテンがお艶の耳元でささやいた。――そや。下手打って暴投でもしてしもうたら、サヨナラ負けして、その拍子に狸の正体がそっくり出てしまうや知れん。


 スクイズをしくじった打者はバントでお艶の前に球を転がした。守備の甘いうちを狙いうちにしよる! ちくしょう、負けるか! とお艶は素早く拾うと一塁に送球した。逸れ気味の球を一塁手が伸び上がってキャッチ、これでツーアウトだ。


 相手ベンチはお艶を指差しては互いに目配せしている。

 うちを狙うてくる。

 両の手の平に肉球が盛り上がってくる。慌ててそれを押し戻す。

 打順が一番に戻った。

 内野安打と四球で二死満塁。


 投手交代。打席に入ったのは四番だ。鳴門南四番の木村より頭半分長身の打者は、バットを頭上高々と構える。次打者席では、あの「最後の一人」が虎視眈々とバッテリーを睨んでいる。

 ノーストライクツーボール。打ちにくるな! 投手とお艶は互いに頷くと、低めのわずかに外れたコースを攻めた――四番打者の渾身のスイングは空を切り、三人のランナーが一斉に走り出した。


 !


 お艶は思いもよらぬ展開に浮き足立ち、一旦掴んだ投手の球を前に落とした。

 目の前でホームインするランナー。

 四宮監督が伝令を出す。

 四番は歩かせ、次で勝負しろ。

 勝ったら、皆に金長まんじゅうのプレミアムいうやつ一個ずつおごったるで、踏ん張れ。

 ……狸に金長まんじゅうって、何なん? お艶は歪んだソバカス顔で微苦笑しながら、投手に向かって大きく両手を上げた。

 

「五番 キャッチャー 三木くん」

 再び二死満塁、九回裏の「最後の一人」が打席に入る。――あ、あいつポジションも打順もうちと同じや。えげつない偶然じゃ。

 一瞬目が合う。

 お艶はすぐに目をダイヤモンドのナインの方に向けると、嫌なものを振り払うように声を出し、右手でツーアウトのサインを作って高々と上げた。

 ツーストライクまで追い込まれた三木は、にっと笑うと最後の一球を一塁線に転がした。投手が素早く飛びつきお艶に送球。ランナーはお艶の反対側から大きく回り込んで滑り込む。


――セーフ。ゲームセット!


 ミットに納めたはずのボールが転がっている。


 なんしに!


 呆然とするお艶の耳元で、球審がささやいた。


――尻尾、出とるでよ。


 お艶は座り込んだまま、動けない。


――安心せい。うちは三毛猫や。人に見られんうちに早よ尻尾しもうて整列せんで! 


 涙のたまった目で球審を振り返ると、マスクの奥の瞳が縦糸のように細くなっていた。



 試合が終わり学校に着くと、右腕を吊った賀川と、安い方の金長まんじゅうの入った大袋を抱えた引退した三年生たちが「お疲れさん」と待っていた。


   ***


 染吉、元気しよるで?


 新人戦、九回裏あと一人いうところで賀川が怪我してしもうて、うち、思いもよらず初めて公式戦に出ることになったんよ。あの試合、うちのせいで負けてしもうて……ほなけんど今、また出たいってむっちゃ思うとるんよ。盗塁もよう防げんのに、うち、何考えとんのやろホンマ。


 賀川なんやけど、右手の骨にヒビが入ってしもうて、一ヶ月練習に出られんいう話なんよ。そのあともリハビリせんならんけん、完全復帰は早くて三ヶ月近うかかるやろ、って監督が言うておいでた。


 うち、真っ先に、一イニングでも一打席でも多く試合に出られるチャンスや、って思うてしもたんよ。


 今まではとにかく三年間、狸の本性を出さんと変化修行を終わらせることしか考えたことなかったんよ。ほなけんど、あの試合に出て、あんなひどいなにぃやったのに、また試合出たいって、もういっぺん球場アナウンスで「五番 キャッチャー 独孤くん」てうちの名前呼ばれたいって、ものっそものっそ思うとるんよ。


 お互い怪我とか何もなしで、実力だけでポジションを争うやなんて、現実はそんな野球マンガみたいな都合のええ話ばかりとちゃう。話が都合よういったところで、結局ポジション争いに負けて背番号もらえん方が必ず出るやんか。いくらライバルの分も背負うて頑張る、レギュラーを支えていく、やいうても、ほんなんただのきれいごとやん、なあ。


 明日から、うちの練習メニュー、めっちゃ忙しいなる。「壁」は一年が分担して、うちはがっつり打撃と守備の基礎練習や。尻尾出さんよう、それから、あまりあれこれ考えんと、とにかく頑張ってくわ。


 そや、いつやったっけ、分校で野球した時、染吉、おまはんが二塁ランナーで、うちがショートでゴロが来て、追いかけて捕った拍子にこけてしもうたことがあったやんか。あん時おまはんが二塁から


「お艶! 大丈夫か?」


 て尻尾ぴょこぴょこさせながらうちのところに走って来たやん。うち、


「あほ」


 言うておまはんにタッチして


「染吉、アウトや」


 て分校の子らと一緒になってゲタゲタ笑うたことがあったでないで。


 染吉、ごめんな。


 今更もう遅すぎるんやけど――


 染吉、ごめんな。


 また便りするけんな。


            お艶

                           

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最後の一人 野栗 @yysh8226

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画

同じコレクションの次の小説