止まない雨と壊れた傘

空宮海苔

短編:止まない雨と壊れた傘

 ザーザー、とうるさい雨の音が私の耳に響き渡る。

 台風が来ているのか、といいたくなるくらい激しい雨は、横薙ぎに降っていた。


「……面倒だな」


 足は濡れるし、車に水はかけられるし、最悪な日だ。

 せっかくの日曜日で、朝は天気も良かったのに。


 少しボロついた傘をさしながら、私は人通りの少ない田舎道を歩く。


「晴れてたらこんなことにはならないのに」


 水に濡れたベージュ色のコートの端が、ちらちらと私の視界の端に映る。

 強風で傘が持っていかれそうになりつつも、ただ私は歩く。


 雨は憂鬱だ。


 うるさいし、濡れるし、予定が潰れる。


「……はぁ」


 私がため息を吐くと――頭上からバキッと嫌な音がした。

 まるで私の吐いた息に呼応するかのように聞こえたそれは、紛れもなくこの傘が折れた音だ。


 ボロボロだったし、確かに壊れてもおかしくはない、おかしくはないが――


「……面倒、だなぁ」


 今度は頭も濡れ出した。

 壊れたその傘を、できるだけ小さく折りたたんでから、折れた部分で怪我をしないように脇に持つ。


 でも、走る気も起きなくて、ただ歩く。


 しかし、少し前を見ると、いい感じに雨が凌げそうなベンチのある休憩所があった。

 上だけではなく、左右も守られているため、今のような雨でも大丈夫そうだ。


 少しだけ歩く速度を早めて、そこに向かう。


 しかし、どうやらそのベンチには既に人が座っていたらしい。

 ……まあ少し困るけど、しのごの言っていられない。


「……こんにちは」


 私はそう言って小さく会釈をした。

 最低限の礼儀だ。


「あ、こんにちは」


 すると、本を読んでいたその人物は顔を上げ、私に微笑んでそう返した。

 その好青年っぽい人物は青みがかった帽子に、黒色のコートを着ている。


 彼は私に挨拶を返すと、そのまま本を読む作業に移ったようだ。


 私は黙って椅子の端っこに座り、折れた傘をベンチの横に置いた。


 ただ降っている雨を眺めた。止まないかな、と。


 ……さっきの好青年が話しかけてくる様子もない。話しかけられると最初は思ったけど、どうやらそうでもないらしい。

 まあ、知らない人間と好き好んで喋るほど私はおしゃべりではないので、助かると言えば助かる。


 ただ雨音と風の音が響き、木々が揺れる。

 横薙ぎに降った暴力的なまでの雨は、水溜まりを作り、さらにそこに降り注ぐ。


 ……暇だなぁ。


 本なんて持ってきていないし、傘は壊れたし、何もすることがない。

 雨なんか見ていても楽しくないし。


 びしょびしょに濡れた服のせいで、今更になって不快感と寒気が襲ってくる。

 どうにか体を暖めようと


 ちらり、と横の青年を見ると、まだ黙って本を読んでいるらしい。

 横目で表紙を見てみると『イリアの幻想旅日記』と書かれていた。


 ……ファンタジーライトノベルか何かだろうか? それにはかわいい女の子の表紙が書かれていた。

 それにしても、この景色に似つかわしくないものを読んでいるのだな。


 そう思っていると、その青年と一瞬だけ目が合った。

 すぐに目を逸したが、流石に気づかれただろう。


「傘、壊れたんですか?」


 すると、そんな質問を投げかけてきた。

 随分遠回りだな、と感じつつ、私は返答を頭の中で探る。


「……ええ。ずっと使っていたもので」


 私は目の前を向いたまま答える。


「大変ですね。こんな雨の中」


 ちらりと青年を見てみると、彼もまた、本に目を落としたままだった。


「……まあ、そうですね」

「雨は、お嫌いですか?」


 すると、今度はパタンと本を閉じていきなりそんな質問を投げかけてきた。

 私が返答を探っていると、それよりも先に彼が口を開いた。


「あ、突然すみませんね。もちろん、答えていただかなくても結構ですよ」


 彼は目の前の景色に目を移しながら、軽く笑った。


「……雨は、まあ嫌いですね」


 少し考え込んでから、答えてみることにした。


「あ、答えてくださるんですね。ありがとうございます」


 すると、今度はこちらに向き直って、軽くお辞儀をしながらそういった。


「嫌い、ですか。やはり皆さんそういう返答が多いですね」


 彼は小さく笑った。


「まあ、予定が潰れますし、憂鬱な気分になりますから」

「確かにそうですねぇ。予定が潰れるのは私も嫌です。私も、流石に今日のような雨は、少し御免被りたいものです」


 ははっ、と彼は元気よく笑った。


「ですけれども私、案外雨は好きなんですよ――おっと、すいません。私結構お喋りなものでして、会話が嫌ならいつでも切ってくださって結構です」


 最後の一文も意外だが、雨が好き、というのも意外だ。

 ……まあ、この人の話は面白そうだし、別に切るほどではないと思う。


「いえ、嫌ではありませんから、大丈夫です――それで、なぜ雨が好きなんですか?」

「そうですね……まあやはり、音と匂い、あとはそれによって彩られる、世界の様相が好きですね」


 彩られる、か。

 どちらかと言えば、色彩を失う、の方が正しい気がしないでもないが。


「……憂鬱になったりはしないんですか?」

「いえ、全く。それどころか少し嬉しいくらいです」


 すると、彼は笑顔でそう答えた。

 奇特な人間だ。


「……そうなんですね」


 私はその意味がよく分からなくて、彼から目を背けた。


「……」

「……」


 またしばらく、沈黙が続く。

 喋るのは好きだが、沈黙自体は嫌いではない、ということなのだろうか。


 分からない。


「どうして、雨が好きになったんですか?」


 暇だし、どうしても気になるから、聞いてみることにした。


「……どうしてでしょうね。いつ好きになったのかもあまり覚えていませんし。確かなのは、中学生の頃にはもう好きだったということだけです」


 彼は、激しい雨が振る外を眺めて言った。


 あいも変わらず横薙ぎに振る雨は、木々や地面にその雨粒を打ち付けている。

 しかし、私がここに来たときと比べると、少しは弱まっているようにも感じる。


「今日のような激しい雨も、実は案外嫌いじゃありませんが、最初は静かな雨が一番好きでした――まあですので、静かなのが好きだから、雨も好きなのかもしれません」

「……雨って、少しうるさくありませんか?」


 私は、そう思って訊いた。

 すると、彼はキョトンとした顔をして私にこう言った。


「そうですか? まあ確かに、音の量は増えていますけど――なんというんでしょうね。自然の音は、あまり気にならないのかもしれません」

「そうなんですね」


 今尚鳴っている雨音は、やっぱり私にとっては少し耳障りに感じてしまう。

 私の身の回りだって、雨音が心地良い、という人はいるが、実際に雨が好き、というのは相当珍しいはずだ。


 どうやったらそんな感性になれるだろうか。


「……そういえば、あなたも雨宿りですか?」

「ええまあ――ただ、ここにはもともとよく来ます。ここの景色、好きなんですよ。雨が降ってていても、晴れていても。それに、こうやってたまに何かがあったりすると、面白いですし」


 そう言って彼は私に笑いかけた。


「……そうなんですね」


 私は被った帽子をさらに深く被って、そう返した。


 彼から目を背け、前を向くと、最初と比べれば水平になりつつある雨があった。

 そういえば、よく聞くと少しばかり虫の音も聞こえてくる。


 こんな雨の中でよく鳴けるものだ。


 ――まあ確かに、よく聞けば少しくらいは悪くないかもしれない。

 足が濡れるのは嫌だし、やっぱり憂鬱だけど、こういうところに目を向ければ、多少は嫌気もなくなるかもしれない。


「ローファイの音楽とかって、聞いたことありますか?」


 すると、彼はそんな質問を投げかけてきた。


「いえ、どういったものかすら知らないですね」


 聞き覚えくらいならあるけれど。


「ゆっくりとしたテンポで、落ち着いた楽曲のことですよ。まあ、雨と共通する部分がないわけではないですから、悪くはないかなと思いまして。家に帰ったら、聴いてみてください」

「ええ、覚えていたら」

「……はは、それだと聴かれなさそうですね」


 私がそう返答すると、彼は力なさげにそう呟いた。

 思わず思ったことを直接言ってしまった。


 覚えていたら聴きはすると思うのだが、忘れてしまうことも多い。


「あっ、すいません……」

「いえいえ。ただの知らない人間の語りですから、大丈夫ですよ」


 優しい声色で発せられた自虐とも取れるその発言は、ただの自虐ではなく、こちらのことを考えて言っているようにも聞こえる。


「……傘、持ってないんですか?」

「元々、雨だと知ってここに来たわけではありませんからね。気がついたら雨が降って、雨が好きだから〜とか言ってそのまま座っていたら、この有様です」


 彼はそう言って面白そうに笑った。

 変な人だ。


「雨が止むまでは、帰れなさそうにありませんねぇ」

「……ですね」


 まあ、私も同じだ。

 傘は壊れたし、雨の中歩く気力ももうない。


 ……思えば、私も変人なのかもしれない。

 傘が壊れても、走る気力がなくてスタスタ歩いていたわけだし、あまり人のことは言えない気がしてきた。


「……私も一つ、訊いていいでしょうか?」

「はい。なんでしょう」

「どうして、雨で憂鬱になるんですか?」


 私も彼も、ただ外を見たままそう話していた。


「……どうしてでしょう。考えたこともありませんでした」


 実際問い詰められると、上手く答えは出せない。

 雨の何が嫌いか。


 普通の雨なら別にその音も不快ではないし、予定のない日なら別に予定が潰れることもないし、家の中にいれば匂いもしなければ、雨に濡れることもない。


 でも、全ての条件が揃っていても、どことなく不快感がやってくる。


「実際は、雨が嫌いというわけではないのかもしれません。別に、雨が降ろうが降らなからろうが、何も変わらない日だってありますから」

「……なるほど、そうなんですね」


 雨音の不快さは止んでいたが、雨自体はまだまだ続きそうだ。

 外を見れば、風も未だに吹き荒れている。


 雨が憂鬱。


 ただ考えることもなく、そういうものだと思っていた。


 多くの他の人間もそう思っているし。


 まあでも、世の中色んな人間がいるらしい。


「――雨は雨、ただそれだけなんですかね」


 私は、まるで問うように呟いた。


「そうかもしれません。私もそう思っていますしね」


 雨は、まだ止みそうにない。


〜あとがき〜

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 ……実は、本作では私の書いた作品を、作中でちらっと出していたりします。夢が一つ叶いました、感謝です。


 また、本作については、続く予定はない……のですが、反応が沢山あれば、続きを書こうかなとは思っております。

 ……つまり、続かない可能性が高いです、ハイ。


 また、応援や評価、コメント等は単純に励みにもなりますので「やってもいいかな」と思ってくださった方は是非お願いいたします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

止まない雨と壊れた傘 空宮海苔 @SoraNori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ