花舞う庭の恋語り

響 蒼華

 栄える帝都の一角にある威厳ある佇まいの屋敷の内、その場所は何とも寂れた雰囲気を漂わせる場所だった。

 敷地内の奥まった場所にある裏庭は、かつてはそれなりに手を入れて設えられた筈であるのに、今は朽ちるに任せられていた。

 そんな忘れられかけた庭には、場に似合わぬ華やぎを湛えた一本の枝垂桜と、小さな離れがある。

 桜の下には一人の青年の姿がある。

 思慮深い光を穏やかな瞳に湛えた、眉目秀麗な三十程の青年だった。

 女性を惹きつけて已まぬであろう美しい青年は些か線が細くやつれているけれど、それすら幽玄の雰囲気を醸し出す。

 淡い笑みを浮かべながら、青年はある方向を熱心に見つめている。

 その眼差しの先には、美があった。

 

 一人の少女が、舞っている。

 古式ゆかしい桜襲の衣を、重さを感じさせぬほどに軽やかに揺らし。

 聞こえるのは、ゆるりとした手動きに沿う微かな衣擦れの音。

 結い上げた淡い色の髪に花簪を挿して、しゃらりと涼しげな音がそれに重なる。


 春の麗らかな日差しのもと、ひらひらと舞う花弁の中の少女はあまりにうつくしかった。

 人に許された美ではない、と青年は思うけれどそれは当然とも思う。

 何故なら、彼女は人ではないのだから。

 花霞かかは、枝垂れ桜の樹のあやかしだった。

 何時からここに居たのかはもう花霞とて覚えていないらしい。

 長い年月を経て形をなした桜の木の化身が花霞なのだという。

 淡い桜色の髪も、金にも見える琥珀の瞳も、繊細なまでの目鼻立ちにほっそりとした身体も。

 とうてい人とは思われない調和をなしている。


 少女は無心に舞い続けている。

 一つ一つの所作が彼女が舞の名手である事を伝える。

 動きが緩やかであればあるほど、誤魔化しきかぬ動きが確かなものである事がわかるというもの。

 楽のない舞はやがて収束し、少女は動きを止めた。

 手を打ち鳴らす音が聞こえて、身を起こした少女はそちらを見遣る。


あまね、そんなに見ていて飽きぬのか?」

「花霞が美しいから、見飽きるなんて有り得ないよ」


 花霞と呼ばれた少女は、琥珀色の眼差しを相手に向けたまま嘆息した。

 対して、周と呼ばれた青年は笑みを浮かべたままごく自然に称賛の言の葉を口にする。

 あまりに照れも恥じらいもなく、純真とすら思える笑みと共に紡がれた言葉にむしろ少女が渋面になる。

 

「小さい頃はあんなに素直で愛らしい童であったのに。大きくなったと思えばませた口を」


 やれやれと、大仰に肩を竦めながら言う花霞を見つめる周の眼差しは温かである。

 この桜色の少女が意地悪を口にしても、その性根は優しく包み込むような慈愛に満ちている事を知っているから。

 彼と彼女は、それを知るに足る程に長い付き合いであるのだから。


「花霞は何時までも愛らしいままだ」

「自分が少し大きく育ってからといって、そのような事を……!」


 歩み寄れば、花霞は自分より大分高い上背の周を見上げる形となる。

 かつては逆だったのにと悔しげに地団太踏む姿は愛らしく稚い。

 華奢で小柄である花霞は、周の背が伸びだしたあたりから複雑な表情をしていたが、今ではこのように非常に悔しがる。

 それなら不思議の力で背丈を伸ばしてみてはと周が言った事があったけれど、それは出来ぬのだ。


「わらわは所詮、少しばかり長く生きているだけのただの化生であるからの」


 変幻自在に顕現する姿を変える程に力は強くないのだという。

 桜髪の少女の姿が花霞の本質を表わす姿であるならば、それを変えてみせるのは容易い事ではない。


「精々がこの裏庭に悪いものが寄らぬよう、舞で浄めるぐらいしかできぬ」

「花霞は何時も舞っている。そんなに悪いものはやってくるのかい?」

「お前の魂は人ならざるものを惹きつける」

「私の魂など、そんなに良いものではないのに」


 困ったような笑みを浮かべていう周を見て、花霞は心の裡にて嘆息する。

 自覚はなくても周の魂は美しいのだ、人ならざるものを惹きつけて已まぬ程に。

 放っておけば集った悪いものがとりつき、持って行ってしまうだろう。

 花霞の大事な、愛しい人の子を連れていってしまうだろう。

 悪いものが大挙して訪れたとしたら、花霞に対抗し得る術はない。だからこそ寄り付く隙を与えぬために舞続ける。

 花霞を労わりながら周は離れへと戻り二人して並んで座しながら、自ら茶を淹れる周を見て気付かれぬように花霞は唇を噛みしめた。

 我が身を歯がゆく思う事がある。


(強い力を有するものであれば、お前をそのような不遇に置かずに済んだろうに)


 周はこの屋敷の主である、軍人華族である名家・相神さがみ家の嫡男である。

 本来であれば母屋にて跡継ぎとして大勢に傅かれて暮らしている筈の身だ。このような寂れた裏庭の離れに在っていい存在ではない。

 自ら茶を淹れるような身分ではない、人にさせる側である筈だ。

 されど、周は今ここにある。世話を焼くものすら最低限すら寄り付かぬ場所に。

 周はけして泣き言も言わぬし、不平を漏らした事もない。

 それが、花霞にはあまりに口惜しい。

 自分に力がありさえすれば、周に相応しい暮らしをさせてやれるというのに。

 幼い頃から見守ってきた周。

 かつては彼の背丈は花霞より大分小さくて、よく頭を撫でてやったものだ。

 それが、巡る季節の内に童は少年となり、少年は青年となり。小さな背丈は見上げるほどになり。

 大事な可愛い弟だった。稚い少年を時としては愛しむ息子のようにも思っていたものだ。

 それが今では、時折兄のような包容力と、父のような威厳すら垣間見せる。

 その本質は変わらないと思うけれど、周が見せる変化は感慨と共に寂しさを花霞に抱かせる。

 何時か周は花霞の前から翔り去ってしまう時がくる。

 そしてそれは、哀しい事にそう遠くはない予見すらある……。

 些か青白い周の顔を見つめながら、裡に生じた煩悶を断ち切るように花霞は呟いた。


「疲れた。眠る」


 言って、そのまま座る周の膝を枕にして横になる。

 程なくして、聞こえる健やかな寝息。

 無防備に身を預けて眠ってしまった花霞を見て、周は苦笑する。


「……信頼されているのは嬉しいけれど。私は何時まで『弟』なのだろうな」


 青年にとって、美しい桜の精は望んでも得られぬ温もりを与えてくれる、母であり姉であった。

 けれども今は、時折見せる童女のような無邪気さが愛らしい妹にも思えるし、全く別の想いが過る事もある。

 それに気付かれぬ事が、或いは気づいても知らぬ振りをされる事が周にとっては些か悔しい事であるのだ――。


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