ドM的仕事論
月井 忠
第1話
僕はスーツを来て、ネクタイで首を絞める。
首を絞めると言うと物騒に聞こえるけど、僕はドMなので問題はない。
とはいえ、そういうお店に行ったことはないので、女王様にビシバシ叩かれて興奮するかは実のところ不明だ。
では、どうしてドMなのかと言うと、とにかく辛いことによく耐えるから。
鈍感なのかもしれないけど、他の人にも良くドMと言われるのでそういうことにしておく。
ちなみに、このネクタイにはラクダという名前がある。
ネクタイの裏にあるアルファベットの刺繍がその由来だ。
Rで始まって途中にKがありDで終わる。
店の名前なのかブランドの名前なのか。
英語かすら怪しいので全く読めず、とりあえずラクダという名前をつけた。
水色をベースにした紺のストライプのラクダは、名前をつけたことで更に愛着がわき、こればかりをつけている。
おっと、もうこんな時間だ。
急いで家を出る。
僕の仕事はとってもハードだ。
ほとんど休みがない。
この前、数えてみたら一年で360日ほど出勤していた。
終電で帰って、朝七時には出社するというのをずっと続けている。
こんな生活に耐えられるのは僕がドMだからだ。
さながら会社は女王様ということだ。
会社に着いてタイムカードを押す。
ちなみに、わが社では退社するときにタイムカードを押さなくても良い。
定時になったら全員のタイムカードを押す係があって、社員皆が定時退社したことになる。
それじゃタイムカードの意味がないと思うけど、残業代を払わないためには必要な慣習らしい。
世間では残業代というものが払われると聞く。
僕は社会人になってから一度も見たことがない。
たぶん中小企業には存在しないのだと思う。
「おはようございます」
部屋に入って挨拶をする。
「オマエさあ」
年下の上司が近づいて話しかけてきた。
この年下の上司は、裏で僕のことを社畜の鑑だと言っている。
僕はこの社畜の鑑という響きが少し気に入っている。
ドMも社畜も四つん這いになってブヒブヒ言うことに変わりはないから親近感が湧くんだ。
「はい、なんでしょう」
「引っ越す気ない?」
「引っ越しですか?」
「そう、会社の近くに引っ越せよ? そしたら通勤時間の分、家で寝れるぜ」
「ああ、そうですね」
僕は素直にそれはいいと思った。
「それじゃ、早めに決めろよ! 会社の近くだったら終電、気にせず仕事できるしな!」
「はい」
あれ? それじゃ通勤時間で寝る時間も仕事をしているような気がするけど。
まあ、いいか。
おっといけない、もう終電の時間だ。
「お先に失礼します」
部屋を出る前にお辞儀をする。
それぞれのデスクには半分ぐらいの社員が残っていた。
彼らに終電はなく、徒歩か車で通勤している。
皆元気に働いていた。
やっぱり、引っ越した方が良さそうかな。
はあ、今日も疲れた。
電車の座席に座ると、急激な眠気に襲われた。
気がつくと病室のベッドの上だった。
電車でうたた寝をしていたと思ったら、意識を失っていたらしい。
医者には働きすぎだと言われたけど、すぐ会社に連絡を入れる。
「困るんだよなあ」
上司に叱られた。
次の日、僕はラクダのネクタイで首を絞めて、会社に向かう。
「オマエ、辞表の書き方、知ってる?」
出勤するなり上司に言われた。
「いいえ」
社会人になってすぐ非正規で働き、正社員になったのはここ最近。
この会社が社員として初めて勤める会社だった。
「じゃあ、教えてやるよ」
「ありがとうございます」
僕は上司に言われるままに辞表を書いた。
「ひとまずオマエ、クビだから当分自宅待機ね」
「はあ」
「会社から書類が届くまで家から一歩も出るなよ」
「はい」
「じゃ、お疲れさん。今日は帰っていいよ」
「え?」
「お疲れさん!」
「……はい、お疲れ様でした」
僕はドMだ。
女王様に口答えなんて、できるわけがない。
それから、しばらく家で過ごした。
本当にドMなのか試してみようと、そういうお店に行こうかと考えた。
でも上司に、いや元上司に言われた通り、家で過ごすことにした。
書類が届いた後、僕はスーツを着て、ラクダのネクタイで首を絞める。
久しぶりに外に出た。
近所の公園では子供たちが遊んでいる。
僕にも子供時代があった。
今の自分は少年の頃思っていた大人とはずいぶん違う気がする。
公園の子供たちのそばには母親がいた。
そういえば僕は結婚もしていない。
そういう気配すらない。
気がつけば、もう人生の折り返し地点にいる。
まあ、いいか。
人生ってこんなもんだよね。
あれ? そうなのかな。
よくわからない。
僕はドMで、縛られることが好きだ。
お金に縛られたり、社会に縛られたりしている。
そして、これから新たに僕を縛り上げてくれる女王様という名の会社を探しに、ハローワークのドアをくぐる。
ドM的仕事論 月井 忠 @TKTDS
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