第5話

こんなはずじゃなかった。

話が違いじゃないか。


僕は博士の施術によりついに脳を機械化した。

今までのように直ぐにと言うわけにはいかなかった。

思考ルーティンの洗い出し、記憶の暗号化。

これらの作業は義体の研究者とは思えないくらいアナログであった。


脳を機械化した後天水さんの元、再度性能テストを行った。

圧倒的だった。

ありとあらゆるスポーツの世界記録を大幅に更新した。

人体の限界を明らかに越えていた。


そのことに何の感動も覚えなかった。

それだけではない。

映画を見ても、本を読んでも、音楽を聴いても、美しい自然を見ても。

何も感じない。

味も匂いも色も音も確かに感じる。

ただ感じるだけなんだ。

それ以上の何物でもない。


「博士!博士! どこにいるんだ!」

研究所の片っ端から博士を探し回る。

鍵の掛かってる部屋も今の僕にはもはや無いも同然。

施設の奥深い一室の扉を開けるとそこはかつて僕が目を覚ました病室のような部屋だった。

「天水……さん?」


天水さんはベッドの横の椅子に座っている。

ベッドには誰かが眠っているがここからでは見えない。

博士だろうか?


「江賀栖博士は委員会の決定で馘首くびになりました」

能面のように感情のない顔で天水さんを私を見つめている。

「そもそも個人の金持ち相手にこの商売を考えたの失敗なのです、もっと大口の世界一の金持ちなら大量発注を望めるのに。そういうところが技術屋の限界なのでしょうね」

クスクスと笑いながら天水さんは立ち上がり私と対峙する。


「だから私は反対したのに」

「こうなるとわかっていたら僕だって」

「スワンプマンの思考実験ってご存じですか?」

スワンプマン? 何の話をしているんだ。

「ある日私は運悪く落雷に当たり死んでしまいした」

「天水さん、何の話ですか?」

天水さんは僕の質問に答えようとはせず話し続ける。

「しかし私の死体のすぐ近くの沼地に同じように雷が落ち、化学反応を起こし全く私と同じ形質形状のが生まれたのです。その泥のは死んだ私の記憶をも持っており起き上がると家に帰り自分のベッドで眠り、翌日は職場へ行く……。こういう話よ」

もう一人の自分? 義体化した自分とどう関係するっていうんだ。


「うーん、じゃあテセウスの船なら知ってるでしょ? 有名よね」

こちらなら知ってる。

とある船を長い長い間保存していたが痛んだためどんどん部品を交換していき、最終的にもとある部品は一つもなくなってしまった。

これを同一の船と言えるかどうか、という話だ。


「僕はもう以前の僕ではないと言いたいのですか?」

「それは義体化してなくても同じことよ、人の細胞はどんどん生まれ変わる。生まれた時の細胞なんてないもの」

「ではどうしてそんな話を僕にするんです! 僕を戻してくださいよ」

天水さんはいつの日か見た悲しい顔をしている。


「テセウスの船にはさらに続きがあるの、知ってる?」

天水さんはベッドのわきに戻りシーツに手を掛ける

「置き換えた部品を集め、もう一つの船を作った場合。どちらがテセウスの船といえるのかしら?」

シーツをめくるとそこには僕が横になっていた。

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泥船 杠明 @akira-yuzuriha

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