エピローグ ――御伽噺に住まうもの

 唯衣に別れを告げ、皐月と亜姫は二人で先に駅を降りた。

 激戦の余韻をもう少し冷ましてから家に帰りたい。そんな風に言って川沿いを歩いていたら、皐月はふと、自分の頬が自然と笑みを作っている事に気づいた。


「楽しそうだね」

「滅多に笑わないんだけどな」


 それを聞いた亜姫は可笑しそうに表情をくしゃっとさせる。


「きっと、それが君本来の笑顔なんだよ」

「そうかな。初めて言われたよ。そんなこと」

「今までは他の人に知ってもらう機会が無かっただけ。まるで『物語の騎士』みたいに君は純粋なんだ。理想主義者過ぎるの」


 遠くには背の低いビルが地平線に沿うように並んでいた。そのすぐ上に浮かぶ橙色の塊ももうすぐ沈む頃合いだ。


「君は『物語のお姫様』みたいに夢見がちだけどな――いや」


 その景色を見ながら皐月は言い返し、自分がたった今発した言葉を訂正する。


「女王……女帝と言った方が良いか。ぐいぐい人を引っ張るし」

「もう。そういう所は素直じゃない」


 そんな風に誤魔化すと亜姫が頬を膨らませる。


みたいな人間は、多分この世界じゃ生きづらいんだろうね」


 亜姫の言う通り、理想と現実はあまりに食い違っている。


「それでも――戦い続ける事が騎士道だ」

 

 そんな亜姫に対し、皐月は言い返す。

 いつか、亜姫が皐月に向けて言った言葉。

 遠い昔、こんな夕陽を見ながら皐月の祖父も同じことを言っていた。


「幼い頃はぴんと来なかった言葉だけど、最近ようやく少しは理解できるようになった気がする」

「そ」


 あっさりした口調の亜姫だが、その表情には満ち足りた物が見える。


「だからって、私達は別の世界に行きたいとは思わないな。ここで『全力』で生きるもん」

「ああ。ようやく分かるようになってきたって話だよ、これは」


 夕暮れの逢魔が時。オレンジが間もなく沈む景色を共有するこの瞬間にも、隣の少女と自分は心から通じ合えている。

 そんな風に純粋に思えるこの感覚が、心地良い。

 最近ずっと感じる事の無かった高揚感だ。

 もしかしたら、優一と過ごしていた幼い頃以来か。


「俺と皆瀬さんは多分、車輪と歯車だな」


 すっかり上機嫌になった皐月がそんな冗談を言う。


「――どっちが君かな?」


 皐月の冗談にどう乗るか、そんな風に考え込んでから亜姫は問いかける。


「俺は車輪だよ。君を乗せてどこまでも前に進む。例え泥や水を被ったって構うもんか」

「ひたすらに君を前に突き動かすのは歯車の私の役目ってこと? うん。分かった」


 皐月の言葉をからかうなんて事はしない。

 亜姫の心底嬉しそうな口元から白い歯がちらりと見えた。


「でも、多分この歯車はめんどくさいよ? とっても脆いし、時々詰まって止まっちゃうかも。君なら分かるよね?」


 どうやら亜姫なりに皐月を気遣っての言葉らしい。

 だが、これまで散々亜姫に振り回されてきた皐月は今更どうとも思わなかった。

 寧ろ、望むところだ。


「それでも俺は進むよ。だから君もついてこい」

「厳しいなあ」


 苦笑する亜姫はとても嬉しそうに肩を揺らしている。

 もたれかけた彼女の肩先が、氷蒼のような髪先がそっと触れると、うっすらと花の香りがした。

 果たして、このまま突き進んだ先に一体何が見えるのか。

 皐月は河川敷の遠くに見える草原を見渡しながら心の中で思った。

 きっと、辛い事もある。乗り越えられないような壁が立ちはだかるのかもしれない。

 もし、そうだとしても。


「それでも俺は騎士の道を歩きたい。君と一緒に歩きたい」


 先程からもどかしそうに指先に何度も触れていた少女の手を皐月は手繰り、ぎゅっと握り返す。


「皐月」

「なに?」


 問い返す皐月に亜姫の瞳が困惑している。


「もうっ……そういうとこ!」


 しばらくの間見つめ合った所で、恥ずかしそうに赤い瞳は逸れる。

 何故か、彼女の頬もその瞳と同じように紅潮しているように見えるが、多分夕暮れのせいだ。


「ねえ、皐月。試合、やっていかない?」


 思い出したように亜姫は言う。

 もしかしたら、元々そのつもりで途中下車したのかもしれない。


「私と君が剣を持ってる時っていつも途中で邪魔が入るじゃない? まだ勝負ついてないし」

「うーん。確かにそうかもしれないけど」


 だが、さっきまで死闘をしてきたばかりなのだ。

 それでも尚、試合をしようという亜姫の旺盛な闘争本能。

 まじめに考えると変な笑いが出てきそうだった。


「あ。流石に今日はもうやめとく?」


 そんな皐月に亜姫はもっともらしい声を掛ける。

 疲弊している事も当然知っての判断か。

 だがしかし、


「いや――いいなそれ」


 その瞳をじっと見返しながら、皐月は快く頷き返した。



 煌びやかに川の水面が揺れている。その岸辺を歩いていく二人。

 例え、現実がどんな不条理で埋め尽くされていたとしても、二人はきっと歩いていく。(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キャヴァルリック・ゲーム ~東京騎士道物語~ サンダーさん @DJ-cco-houjitea35

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ