おまけ.依鳥緑はミステリアスでありたかったと言う
高校生活二度目の春。
――を、目前に控えた春休み。
暇を持て余した私は隣の市にある漫画喫茶に来ていた。
私はたまにこうして漫画喫茶に訪れる。……厳密に言えば年に2回か3回あるかと言ったところなのだが。
私は割と漫画や小説が好きだった。
欲を言えば好きな作品は買って部屋に置いておきたいのだが、我が家はお小遣い制である上に、父親にバイトを止められている。
そうなると金銭面の問題で、小説を買うことはあっても漫画を買うことは殆どないのだ。
だから、たまにこうして漫画喫茶に入り浸り、読みたかったものを一気に読むのだ。
今日も朝からやってきては『学割パック』を存分に堪能している。
そんな昼頃、ドリンクバーに飲み物をとりに行った私は信じられないものを見た。
『依鳥緑はミステリアスでありたかったと言う』
この店は食べ物の持ち込みに特別制限はない。私は家から用意したおにぎりを食べるために飲み物をとりにきたのだが。そこで――。
「つ、津々浦……なんでここに」
従業員の服を着た依鳥緑を見つけてしまった。
驚きのあまり、私はコップから飲み物が溢れてもボタンを押し続ける。
天然と言うか、詰が甘いと言うか。私よりも先に気づいたのだから、緑が直ぐに隠れればバレずに済んだかもしれないと言うのに、この子は口に出してしまったのだ。
「オリちゃん、休憩入っていいよ〜」
店長らしいオジさんが、背後から緑にそんなことを言った。
休憩に入った緑は、私と共にカラオケルームの一室に移動した。
もちろん歌を歌うためではない。
「なにしてるの……?」
〝お話〟をするためだ。
机を挟んだ向こう。緑はまた縮こまって座っている。
「……バ、バイトです」
バイトしているのは知っている。どこかはヒミツにしていたのも知っている。
私が問いただしたかったのは――。
「バイトは見れば分かるわよ。そこじゃないのよ」
私はさっき緑の胸元から取り上げたネームプレートを眺めた後、緑に向けて机に置いた。
「ねぇ『四季折織』さん」
そう言って私はわざとらしく微笑む。
そのネームプレートには『四季折 織(しきおり おり)』と書かれてたのだ。
私の目の前に居るのは依鳥緑で間違いない。と言うか先ほど自分でボロを出したのだ。
なぜ、緑がわざわざ偽名を使っているのか?
その答えを私は不思議にも瞬時に察し、しかもそれは正解だった。
緑もそれを察したから縮こまっているのだろう。
「……」
緑は冷や汗をかいて黙り込んでいる。
黙り込んでいるのなら仕方がない。私は自らの仮説を緑に語る。
「あなた、年齢偽ってるわよね?」
そう言うと緑が一瞬跳ねたように見えた。
私の言葉に緑は、両手を綺麗に揃えて膝に置き、じっと机の真ん中を見ている。
「分かるわよ。あなた基本お金に困ってるものね。高校生は夜の21時以降は雇ってもらえないんでしょう?だから大学生って嘘ついてる。そんなところよね」
私は別に怒っているわけじゃない。
ただ、単純に。
「で、それでいいの?神様」
それでいいのかと聞きたいのだ。
「……」
ほんの少しの沈黙を挟み。ついに緑が口を開く。
「…………見逃してはもらえないでしょうか?」
震えながらそう呟いた。
私は一度大きくため息をつく。そしてピリついた気配をできるだけ鎮めて緑に問いかける。
「先生やクラスには黙っててあげるから安心しなさい」
そうは言ったが、緑が本当に心配していることはそれとは違うのは私には分かる。
「でも、あなたの言っていた〝神様の威厳〟はどうにもならないわよ。私しか神様だって知らないんだし。あなたが何をしているかももう知っちゃったし」
これは緑のプライドの問題なのだ。
緑が発言の許可を得るようにそっと手を上げる。
「言い訳をさせてもらえませんか?」
「……どうぞ」
何を言いたいかはなんとなく分かるけど。
「お金を……お金を稼ぎたいのです」
予想通りの言い訳に私はまたため息をつく。
「この際だから聞くけどさ……。あなた今までどうやって生きてきたの?」
そう聞くと緑は「うぐ……」っと唸った。
「緑、あなたは自分の情報をできるだけ隠していたいのでしょう?だから家の場所も、バイト先もヒミツって言ったのよね?そう言う不思議な部分を残しておくことで〝神様っぽさ〟を味付けしたかったのよね?」
この際だから私は前から思っていたことを緑に突きつけた。
その言葉に緑はポロポロと泣き出す。
今まで緑の涙を二度見てきた。
感動の涙、嬉し涙。今回のは……情けなさと言ったところだろうか。
泣き出されると、ちょっと罪悪感を覚える。だがむしろ、ここまできたのならトドメを刺すのが優しさだと私は考えた。
「……ったのに」
啜り泣く緑がポツリとつぶやく。
「ミステリアスでいたかったのに……神様だもん……津々浦に不思議な友達だと思っていて欲しかったのに……」
そんな大袈裟な……。とは思ったが、緑にとっては深刻な問題だったのだろう。
だから私は優しく語りかけた。
「あのね緑、実は私は前から心配していたのよ?ちゃんとご飯を食べているのかとか、家は寒くないのかとか」
傷ついた心にその優しさがしみたのか、緑がまたポロポロ泣く。
「津々浦、優しいぃ……家は、大丈夫。お金も最低限は何とかなってるの、ご飯も食べてる」
落ち着きを取り戻してきた緑がフッと息を整える。
「はい、白状します。津々浦が余計な心配をしないように言います。ただ……ただ住所だけは最後の砦にさせてください」
この期に及んでミステリアスを保とうとしている緑の意思を、私は汲んであげた。
「……任せるわよ」
そして緑は自分のヒミツを少し打ち明けだした。
「一人暮らしで自炊してるの。学費や家賃、光熱費のお金は仕送りでなんとかしてます」
私はさっそくツッコミどころを見つけてしまった。
「え?仕送りで?」
「うん」
「……どこから」
「神界から……」
私は目元に片手を当てる。
聞いといて悪いが、それはちょっと聞きたくなかった。
「でもね、ほんとのほんとに必要分しか送ってくれないの。だから娯楽とか贅沢とかしたい時、ちょっと出費がかさむ月はしんどくて……」
人の神様も世知辛いようだ。
「でも学校の後にバイトできても21時まで……。津々浦と勉強会もしたいし、成績も保ちたいの。そうなるとほら……21時以降でもバイトできるようになりたいでしょ?」
気持ちはわかる、けど……。
「だからって年齢詐称は……。それは、前に言ってた『経歴にキズが付く』にはならないの?」
「あ、そこに関しては大丈夫」
急に自信に満ちたケロリとした顔でこう続ける。
「住民票誤魔化す時と同じように、履歴書も作ってもらったから」
「は?」
年齢詐称どころじゃないぞ。
そんな私の心の声が聞こえたのか、緑はバタバタと手を振り焦った。
「あ、言い方が悪かったね。あの偽装とかじゃなくて……」
緑がコホンと一区切りつける。
「そもそもだよ津々浦。私の住民票、保護者がいないことによる問題、戸籍等は神様たちによってフワッとしているの」
「……フワッと」
「そうフワッと。――私が社会で独立できる年齢までは、学校や病院、身元保証が神様によってウマいことされてるんだよ」
開き直ったように堂々と緑は語る。
「……へぇ。便利なのね神様の力って。それでニセの履歴書も疑われないようになってるのね」
「そう。――はじめは仕送りの増額を提案したんだけどねぇ……却下されちゃってさ。『じゃあ稼ぐから履歴書上手いことしてよ』って頼んだら大学生『四季折織』の履歴書がもらえたのです」
これで分かったでしょ?
と書いてある顔で得意げになる緑。
だが私は、なんだかもうどうでも良くなってきていたのが実のところだ。
今まであった〝緑は人の世に紛れるために頑張ってるんだな〟と尊敬というか、褒めてあげていた部分が。〝なにかウマいこと行くように仕組まれてるんだ〟とネタバラシされた気分になった。
まぁ自炊や勉強、節約が緑の頑張りなのは事実なのだから。褒めてあげるのは間違いじゃないのだけれど。
なんと言うか、権力や政治的な〝子供では勝てない大人の力〟があるように〝人に干渉する神様の力〟もあるんだなって。
「――と言うか緑、『言い訳させて』って言うから聞いたけど、そんなことまで喋って大丈夫なの?」
神様としての威厳を守りたかった緑は、今の私で指摘で。その威厳にヒビが入り、焦った結果ヒビを大きくしてしまった上、色々喋ってしまっていたことにようやく気づいたようで固まった。
5秒ほど。
そして誰もいないのに背後を確認し。
「大丈夫……多分」
と口にした。
「その神界?に強制送還されたり。知ってしまった私の記憶がイジられる。とかはないのね」
その問いに、大きく何度か頷いて見せるものだから逆に不安になってきた。
「……はぁ、分かったわ、もう詮索しないよ。友達も法に触れないようになってるみたいだし。私も神様って存在にもう少し夢を見ていたいから」
「ありがとぉ津々浦」
拝むように緑はお礼を言う。
本来拝まれる神様はあなたでしょうに……。
「ま、気をつけなさいよね。あなた焦った時は結構墓穴掘るタイプなんだから」
「肝に命じておきます」
そう言って依鳥緑もとい四季折織はバイトへと戻っていった。
なんだか漫画を読む気が失せた私は、会計をすませて帰ることにした。
帰り道に、寒さ残る春の夕暮れ空を見上げる。
神様が空の上にいるのかは知らないが、私は心の中で神様たちに伝えた。
緑の前じゃああは言ったけど、今日緑が語った神様事情は、私の記憶から消しても構わないよ……と。
依鳥緑は神様だと言う 塩八 マフユ @winter-salt8
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