結:その名は陰陽師、華宮枝恋。
ただ、驚愕した。
他に何も言葉が思いつかない。
広大なお庭の真ん中で、ゆりかごに寝かされているのは大人の女性だった。艶やかな肌をした綺麗なお顔のそのヒトは花梨さまを見るなり「あー、ばあ、ばあ」と赤ちゃんのような声をあげた。
「はい、美津江さま。わたしです。花梨ですよ」
花梨さまが膝を曲げて顔をお近づけになると、ゆりかごの女性──美津江さまは両手で花梨さまの頬に触れた。純なる魂だ、と感じた。
「みんな、驚いたでしょう。でも、これが今のおばさま……塚本美津江さまです」
皆は嘲たり揶揄ったりすることなく「グーテンモルゲン、美津江さま」と声をかけた。そこは、やはり帝女の生徒だと関心する。
「枝恋、あなたに見て欲しいものがあるの」
小さな手のひらに乗せられたのは、色白の花梨さまには似つかわしくない、太くて長くてクルミかスギあたりの木材を加工した筆記具。金銀はむろん、宝石も嵌め込まれている艶やかな一本。
あの音楽室で花梨さまを護ったと思われる万年筆だ。
「これを、どうされたのですか?」
その万年筆は、やはり縦に大きく亀裂が入ったままだ。わたしは手に取ると外装を丁寧に撫でた。
その傷跡は、何か邪悪な力によって与えられたような、恐ろしい印象を感じた。インクを入れる内側の容器は無事なようだが、万年筆の筆先は、まるで悲鳴を上げるかのように曲がっている。
「この万年筆には、何か邪悪な力が宿っているように感じます」とわたしは率直に感想を述べた。
花梨さまは微笑みながら、大きな瞳を向けてきた。
「枝恋の感覚が正しいかもしれない。それは叔母の万年筆なの」
「美津江さまの!?」
赤ん坊のように、皆にあやされている塚本美津江に視線が飛ぶ。
「驚くのも無理は無いわね。でも、こうなる前は陰陽師だったのよ」
「塚本美津江さまが陰陽師……あ、帝都大厄災のときに魑魅魍魎を押さえて帝都を護った伝説の……」
「そう。この御方です」
「だったら、この万年筆が──
三千大千世界に三本しか存在しないうちの一本。
なんてこと。その全てが、今、このお庭に一堂に会しているなんて。
美津江さまは大きな瞳で「ちゃあちゃあ」と意味不明な言葉を話し、それでも楽しそうに皆に戯れていた。
「いったい、なにが」
「それは、俺から話そうか」
突然割って入ったのは宿敵……ではなく、兎鞠先生。
「え、なんでここにいるの?」
「おいおい、ここは俺の家でもあるんだぜ」
そうだ。すっかり忘れていた。このひと美津江さまの許嫁だ。
「美津江は……」
呼び捨て!
ああ、そうか。夫婦になるのね。ううん、でもなんか納得いかないなあ。
「……地を割り這い出た魍魎を俺は力だけで押さえ込んだ。平和をもたらした、はずだった。だが実際は、憎しみだけが蔓延する凄惨な現状を生み出しただけだった。帝都市民から殴られていた力を失った一匹の怪異に美津江は駆け寄り、抱きしめて泣いた。大きな声で狂ったように泣いた。そして精神崩壊を起こしたんだ。その際に、美津江の魂までは壊させないと万年筆の如来妃が立ちはだかった」
「如来妃が?」
華美な宝飾に彩られた派手派手しい万年筆なのに使い手を護ったんだ。
「ふたりは、そういう関係だった。俺にも入り込めない絆があった」
「あらん、恋之助にはあたしがいるだろう」
妙乙女が突如出現し茶々を入れた。それまで穂乃果の手を繋いでナイト気取りだった魔魅鵺くんが頭を抱えるように怯えしゃがみ込んでしまう。それを穂乃果が優しく諭していた。
ううん、あのふたりの関係のほうが気になる。わたしより深い絆で結ばれちゃったらどうしよう。
「ケケケッ、お嬢さん嫉妬かい」
「違いますッ!」
「万年筆は奴隷じゃない。絶対的な主従関係がある使い魔とも違う。勘違いするなよ、向こうがおまえを不必要と判断すればいつでも喰いにくる」
ゾクリとした。
「ああん、あたしゃ恋之助に食べられたいんだよぉ、ほの字なんだよぉ」
「こら、やめないか。いいから、離れろ」
今だ怯え続けるわたしの万年筆。魔魅鵺のもとへ歩み寄る。
腕をしっかり握る穂乃果へ軽く微笑んでから、わたしは魔魅鵺を抱きしめた。
「怖くないよ、お姉ちゃんが護ってあげるからね」
魔魅鵺のおでこに口づけする。
「やーっ」
穂乃果が声を荒げるが気にしない。魔魅鵺は、わたしの万年筆だ。
「お姉ちゃん、ごめんなさい」
「いいのよ。怖いもんね、あのおばさんは」
「んなんだってぇッ、このガキども。あたしに楯突くとは良い度胸じゃないか」
わたしは魔魅鵺くんの背に腕を回しながら立ち上がる。怒り心頭で騒ぎ恫喝する先生の万年筆を、強い眼差しで見据えた。
「聞きなさい妙乙女。わたしは陰陽師の華宮枝恋。そして、この子はわたしの万年筆魔魅鵺です」
皆が注目するなか堂々宣言した。
妙乙女は「はあ?」と困惑気味だったが、兎鞠先生は鼻で笑いながらも「多少は板についてきたか」と手を叩いてくれた。
「あばあぁ、あばあば」
美津江さまが、ゆりかごから起き上がろうとしていた。詩音さんが抱きかかえるように手をとり上半身を起こす。
わたしは美津江さまに寄ると「花梨さまは、わたしが護ってみせますからご安心ください」と呟いた。
「宜しくお願いね、陰陽師枝恋」
──え、今、声が。
けれど美津江さまは「あばあば」と赤ちゃん言葉を繰り返しているだけだ。不思議な現象に困惑していると突然、横に立つ人影に驚いて腰を抜かしそうになる。見上げると、それは小泉茜さんだった。
「茜さん、どうしたの」
ずっと黙って静かだった彼女の口が小さく動き、蚊の泣くような声で「そうか、ここにいたんだ」と呟いた。笑っているようにも見えた。わたしには何故か心が読めなかった。
けれど、そんな茜さんに美津江さまは破顔の表情で笑いかけた。
二人の間を暖かな初夏の風が吹いた。
「あ、たんぽぽ」
穂乃果が指さす中空に、白い綿帽子がゆらゆら風に流されていた。
第一部 完
【中編完結】お嬢さま陰陽師シレン♡大正浪漫と男爵令嬢の筆になった少年 猫海士ゲル @debianman
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