第五章『それは未来の開拓』
西ルーシ=ポルスカ国境線上に於けるトラップセラーとの戦闘報告。
先遣隊の
連盟の国境軍は未だ健在。国境を開城させる作戦の成功率は下方修正せざるを得ません。
このままでは、先遣隊の戦闘を囮にした我々大鴉による連盟潜入も不可能と考えられます。
大戦を仕掛ける以前にこの損失は大き過ぎる。被害状況から鑑みて、撤退を進言します。
皇帝陛下におきましては、どうかご検討と、英断を頂きたく存じます。
第二魔鋒粛正士団〈大鴉〉団長 中佐 カーティス・アルベルト
◇◆◇◆
どろりと重たい瞼を押し上げて、漸く気を失っていたことに気付く。
視界に映ったのは覗き込んでいた奈落ではなく、積雪に立つ黒いスーツの女だった。
「サウィンは先遣隊、増援共に撤退していってるよ。お疲れ様」
スカーレットの疲れ切った瞳が、柔らかな視線を投げかけてくれる。
「……連盟は、
オリヴィエは針葉樹を背に腰を下ろした体勢だった。一番深い傷にだけ手当てが施されている。大穴の側で気絶していたなら、そのまま落下していたかもしれない。
その処置を行なったスカーレットは「んー?」と言葉を探した後、耳に付けていた有線イヤホンのプラグを通信機から引っこ抜く。
『——とのことから、
「……そういうことだから、私もそろそろお暇させて貰おうかな」
プラグを付け直したスカーレットが、踵を返す。
「一つ聞きてぇことがある」
「あぁ、止血したのは放っといたら死にそうな怪我だけだから、早く仲間に拾って貰いなよ」
足を止めたスカーレットの忠告で、オリヴィエは第七の状況を知る為にインカムを繋げる。
『あっ、繋がった。強襲部隊が撤退していく。お前今何処にいるんだ?』『マジでお前なの?大金星じゃん』『絶対死んだと思ってたぞ暫くヤベぇ相手はお前に任せるな!』
「うるせー二度とごめんだ」
好き勝手流し込んでくる称揚に、オリヴィエは叫ぶ気力もなかった。
適当に現在位置の座標を教えてから通信を切り、スカーレットに向き直る。
「治療には感謝しているけど、そこじゃねえ。お前、本当に連盟の保安官なのか?」
「まさか、そんなところから疑われてたのか」
のっそりと、しかし楽しそうに、スカーレットは振り返る。
「同じ氷楔連盟所属でも、保安局と
「アリスちゃんか……彼は意図的に世界を切り取られた子だ。だから許せとは言わないけど、生まれた時から信じてるものを、突然間違ってるなんて言われても受け入れられないだろう?そして私は、視野が偏ってるんだと、彼を納得させられる証拠を、まだ持ち合わせていない。だから、実はこういう道もあるんだぜって示すことしか出来ない。責任は取って貰うしね」
スカーレットは肩をすくめて、力なく笑った。
「なまじ理想を追いかけられる才能があるっていうのも酷だね。それを追い求めた果てにあるものなんて、世界からの排斥でしかないのに……アリスちゃんも、彼も」
憐憫わ含む緑の瞳が、遠くを見る。視線の先にあるのは、陥没した大穴だ。誰一人戦争を望まなかった戦場では、スカーレットも感傷に浸るのか。そう締めくくられそうになり、本当は首を動かすのも億劫なオリヴィエが顔を上げる。
「いや待て結局、お前とそのアリスちゃんとやらの関係は、はぐらかされたままなんだが?」
オリヴィエのジト目に、スカーレットは人差し指を唇へ添えた。
「大人の関係だよ、内緒。秘密は多い方が魅力が増すらしいから」
長髪を翻し去っていくスカーレットは、こちらに背を向けたまま、手をひらひらと振る。
「それじゃあ、さよなら。次会う時も、味方でありたいね」
◇◆◇◆
海外派遣統括局から、聞き取り調査及び
スノーラビットの自己修復機能は、あくまで砲弾やエネルギー等の外部漏出を防ぐものだ。
使い切った動力炉への補充や、損傷した内部回路の応急処置に、整備科は駆け回っている。
司令部は空挺にて、被害状況への補填、今後のスケジュールの組み直し、指揮官が合流次第帰国する予定を会議している。
通信科曰く、戦闘による森林伐採と火災については、国境に面する両国間で何処まで対処するか話し合うようだ。
動ける斥候班は、追撃しないことを条件に先遣隊から解放された捕虜を回収に行った。
そしてオリヴィエはといえば、左肩を重点的に体中包帯を巻かれた姿で森を歩いている。
回収してくれた医療班は安静を言い渡してくれたが、痛みで眠れず鎮痛剤を貰いに行けば、インターン生を連れ戻してくれと注射を刺されながら頼まれてしまった。
教育系を買って出ていたため、オリヴィエが迎えに行く羽目になった。学生は学生で休むべきなのに、何処へ?と聞くと、
推進力の殆どを魔法で賄う独特な駆動音を頼りに、オリヴィエはミシェルを見つけた。
木々の開けた地上に立つ白衣の学生と、浮かせた棺に座る黒いパイロットスーツの魔女が、地平線から覗く朝焼けに照らされながら話しているところだった。
「「何でこんなところにいるの休みなよ⁉︎」」
戸惑い半分で同時に諭し合ってから、先に次の言葉を切ったのはユスティーニだ。
「戦闘に参加してなくても凍傷で全身ボロボロなのに、大人しくしていられないの?」
「それは……
「イカさんかな?」
氷点下十度以下の極寒に晒され続けたミシェルは、下手をしたら耳や指が取れていてもおかしくはなかった。五体満足でもにょもにょと言い訳を述べていられるのは、偶然ウラン・ウデが暖かかったからに他ならない。
「き、君だって、戦闘もそうだけど、此処からバイカル湖までの音速越えの飛行、あれは相当神経擦り減らす技術なの分かってるんだぞぅ!」
マッハ4のスピードを出したミシェル救出作戦。あの時展開された
「だって、盛大に爆破して破片を撒き散らすだけ撒き散らして、後始末全部押し付けるとか、罪悪感とか……仕事してる方が気も紛らわせるし」
「ワーカホリックに片足突っ込んでる。息抜きの仕方とか知らない?」
呆気に取られるミシェルへ、ユスティーニは「仕事といえば、」と前置きした。
「そういえば質問に答えてなかったね。どうして人間を助けるのか」
上空一万三千メートルで問われた謎は、元々ミシェルがユスティーニを年下の少女だと勘違いしたから生まれたものだ。
それでも彼女は律儀に、不思議そうにする真夜中の瞳を見据えた。
「魔法は、人の歴史を支える為にあるから。それも出来ない悪い魔女を懲らしめるのが、私の役目だって。物心が付いた頃から教えられてきた」
「それに、君自身は満足したの?」
本人の意志が強いなら、無理に路線変更させるのはそれこそ身勝手だ。だが最初から一つのレールしか見せないやり方には納得出来ない。存外にそう訴えかけるミシェルの言葉選びに、ユスティーニは無意識に自分が座る棺を撫でた。
「
ユスティーニが
その起きてしまった悲劇を、見ていることしか出来なかったユスティーニに変わり、現地を駆けずり回り多くの要救助者たちを助けた存在が居る。
スノーラビットに設計思想の一部が受け継がれている、
「その人に恥じない生き方をしなきゃと思った。だから人助けと、生きる事と、義務感が全部繋がってた……でも、さっきね、しなきゃじゃなくて、したいと思えることが、出来たの」
「どんなこと?」
小さく首を傾げるミシェルに、ユスティーニは気恥ずかしそうに微笑んでから、森の方を向くように視線で促す。木陰で様子を伺っているオリヴィエを見つけたらしい。
「お迎えが来たみたいだから、お開きだね。沢山ここで勉強していって。知りたいこと、いっぱい教えもらえるから」
仕事を再開させる為に棺の高度を上げたユスティーニを、眉を下げたミシェルの「はぐらかされた⁉︎」を乗せた北風が撫でる。その冷風を心地良いと思える程に、頬は火照っていた。
(初めての友達との会話、緊張した……あれは友達って言って良いのかな?良いんだよ、ね?初めてだから、距離感とかよく分からないけど)
「ほら、もう帰るぞ」
オリヴィエに、ミシェルは一瞬視線を彷徨わせてから、引き留めるように切り出す。
「聞いておきたいんだけど。グランギニョール、ていうか、相手の魔女と敵対したこと、自分やあの子は昨日が初対面だったけど、あんたたちはどう思ってたの?」
ミシェルにとってヴィットーリアは、初めて撃破した魔女といっていい。とどめを刺したのはユスティーニだが、その戦いには明確に携わっている。
それが元第七空挺舞台の所属であるなら、かつての同僚が周りにいるのなら、聞いてくるのは当然だ。
特にこの学生ならそうすると、オリヴィエには僅かながら確信があった。
「どうもこうも、戦場で明確な敵意を持って砲口向けられてたから、考える余裕も吹き飛んでたな」
戦いが終わり、事後処理からも外され、漸くひと段落した現在。
ミシェルが聞きたがっているのは、殺されかけた恨み辛みではなく、彼女の人となりなのだろう。オリヴィエは指導役として、一息吐いて頭を冷やす。
「初めて会った頃からあの態度だったから、基本会話は喧嘩腰だったぜ。俺は前線実働部隊だから、あいつの砲撃に晒されることもあったし……お陰様で足腰は鍛えられたけどな」
グランギニョールは多種多様な兵装を内包する
「お互い踏み込まれない為の線引きはしてた。だから正直なところ、深入りしたことはねぇ。あいつの事情を知っていても、止めることには変わりなかったしよ……あぁ、今思い出した」
すっかり忘れていた、通信に出ないから呼んで来いと命じられ、自室に赴いた時のことだ。手作りの小物雑貨が置かれたその部屋で、戦術書を開いたまま寝落ちしている魔女が居た。
「手先は結構器用だったな、あいつ」
今更こんなことを思い出しても、全てが手遅れだとは、分かっている。
「……そっか。ありがと。あんたは……あんたは?」
ミシェルはこちらをまじまじと見つめながら、小首を傾げた。そういえば誰だっけこの人?と頭の引き出しを掻き回している。どうやら負傷者の名前が浮かばないようだ。
「今まで散々通信してきただろうが!」
「あぁ!指導役の」
初対面とはいえだ。拳で手の平を叩くミシェルへの呆れで、オリヴィエは頭を乱暴に掻く。
「まったく。魔女さま口説き落とすのに熱心で俺の声忘れるとか、どういう了見だ」
「?」
今度こそ何の話か全く心当たりが無いようで、ハテナマークを沢山浮かばせている。
「待てよ、あの顔はどう見ても、ほら、お前に……いや俺が言って良いことか⁉︎」
「よく分かんないけど、口説いてないよ。あぁ、でも友達にはなれたかな……って何その顔」
呆れた様子のオリヴィエは、どうにか呻くのを堪えて諭す。
「てめぇは、よ。何つうか、そのうち背中から刺されそうな性格してるから、気を付けろ?」
「背中なら刺されたことあるけど」
「あんのかよ!」
ミシェルから聞かされたのは、三年前に発覚した議員の汚職事件だった。
魔女の孤児を保護し、力が殆ど無いに等しい者は奴隷として、力の弱い者は表向きの潔白を証明するカモフラージュの為に育て、そして力の強い者は
どうやらこの学生は、その内の奴隷解放に首を突っ込んで力を貸していたらしく——
「自分を刺したのは、奴隷が産んだ子供だった」
——呆れ果てるより先に、オリヴィエの脳みそが無音で殴られた。
「魔女の息子。魔法が使える筈もない、それでも
「助けても意味がねぇとか、人間ってクソだなとか失望しなかったのかよ」
「うーん……アイツの守りたかったものは母親で、自分の助けたかったのは囚われた魔女で、そこに然程違いは無かったんだ。ただ、やり方が相容れなくて。やられたことには今でもムカついてるけど、そんな主語を大きくするほど怒ってる訳じゃないかな」
自分のことになると頓着が湧かないタイプなのかもしれない。危なっかしいことこの上ないと、オリヴィエが皮肉気に口を開くが、ミシェルは間髪入れなかった。
「性格も戦い方も暮らし方も違う人と、反発し合わないのは綺麗事だと分かってる。それでも自分は、魔女が人から魔法を持って生まれてきたことには意味があると思ってる。だから出自が何であろうとも、互いの流儀に沿って仲良くやりたいと思ってるよ」
社会の闇も人の醜さも知って、それでもそう言ってしまえるなら、その言葉は本物なのかもしれない。オリヴィエだって過剰に否定する程、心は狭くない。
ただ、タイミングが悪かった。
「………………あ」
オリヴィエは信じたくないものを見るように、くしゃりと表情を歪めて、膝をつく。
「ど、どうしたの⁉︎」
戸惑うミシェルの心配が頭の上に降ってくるが、顔を上げることは出来ない。
何と返せば良いのか。お前と同じことを言った男を殺してきたとでも答えれば良いのか。
「どうして、お前たちは、そうやって……」
レオンハルト・フリューリングを、あの歪められなかった善性を止めるには、殺すしかなかった。オリヴィエの実力ではそれしか手段が取れなかった。
そのことは後悔していない。もしまたあの男が同じ理由で攻めてきても、オリヴィエはもう一度彼を止める為に刃を向けるだろう。
刃を向けた先にいるレオンハルトの姿がブレて、ミシェルの姿へと切り替わる。
「時代が時代なら、異端として火炙りにされてたのはお前の方なんだぞ…!」
絞り出された悲鳴に、ミシェルもたじろぐ。
オリヴィエもミシェルも、魔女を一人の個として尊ぶことは出来る。社会に生きる上で魔法が使えることを祝福と捉えるかハンデと捉えるか、二人の決定的違いはそこにあった。
「二度とごめんだ」
座り込むオリヴィエの前で、ミシェルは顎を摘んで瞳を閉じる。
そしてオレンジ色の陽射しで溶けた積雪が、針葉樹の枝から滴った頃。
唐突に、切り出された。
「だったら、あんたが助けてよ」
「……は?」
今何か、とても情けない頼まれごとをされた気がして、咄嗟に顔を上げる。
「だって、自分一人じゃ犬の餌になって終わりだったんだよ?それくらい分かってる」
ミシェルの困ったように苦笑する様子が、オリヴィエのまん丸に見開かれた瞳に映る。
「自分があの空を飛べたのは、空路のスケジュールを調べて注意勧告した人が居て、気候や空気汚染を解析してベストな軌道を導いた人が居て、他所の領空に入る許可を取った人が居て、それを相手に気取られないように時間を稼いだ人たちが居て、魔女が全力で飛べるように治療をした人が居て、そしてあんたが、自分の話を信じて、ユスティーニを送り出してくれたからだよ」
陽の光が地平線から身を乗り出してきて、凍てつく二人の体を暖めていく。
金髪をきらきらとたなびかせる学生に、オリヴィエは言葉を探しながら、立ち上がる。
「だから自分が燃えそうになったら守って欲しい。炙られていたら助けて欲しい」
そっと右手を差し出された。
「おんぶに抱っこして俺のメリットは何だよ」
「あんたは理想を追いかけるリスクを肯定してるだけで、理想を否定してる訳じゃない」
理想を追い求めた果てにあるのは世界からの排斥だと、スカーレットは言った。
ヴィットーリアやレオンハルト、ニカンドロフにも理想があったのかもしれないが、それでもオリヴィエたちは世界大戦を防ぐ為に彼らを止めた。
「だったら、見せて魅せるよ。リスクを越えた先にあるもの」
そもそも敵の事情など知ったことかと切り捨ててしまえれば、楽なのだろう。
だがそれは屍と変わらない生き方だ。炎の夜にした、使用人との約束を反故してしまう。
「……はぁ〜〜〜。無茶苦茶を言いやがる」
「自覚はあるよ。でもこうしないと、生きてる理由が見つからない」
だから、知りたいと思ってしまったのだ。こんなことを言う学生のことを。
知れば手遅れになる前に、別の結末を見つけられるのではと、一縷の希望を持ってしまう。
「トラップセラー第七空挺舞台前線実働部猟兵科。オリヴィエ=フーベルト・リシュリュー。階級は伍長。ミシェル、お前を守るのはインターンの間だけだかんな」
差し出された右手を、握り返す——
「スカイライト魔導工科大学二年生。ミシェル・ローランです。よろしくオリヴィエ」
——いつか、この魔女を慈しむ相棒と、殺し合わない為に。
奈落のスターゲイザー 久湊 敦 @hisaminato
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