20、尊い景色は船から見える
「あと四十八時間後、ちょうど二日後に新星が視認できる位置に到着する見込みです」
マネージャーの報告に、オウルは頷いた。
「わかった。では二十四時間後に船内全体に向けて放送をかける。目的は俺たちの任務の再確認だ。ミノリ、念のため文面を確認してほしい。内容は今から端末に送る。マネージャーは船員のスケジュールの確認を。俺の放送はできるだけ皆に聞いてもらいたいから、船外作業員もその時間は船内にいるようにしてほしい」
「了解です」
わたしとマネージャーが声をそろえる。マネージャーはクルーメイトのシフト確認を、わたしはオウルさんのプレゼン原稿のチェックを始めた。
「箱舟の住人たち」の壁新聞を作るようになってから、オウルがわたしに文章校正関係の仕事を振ってくることが多くなった。もっとも、彼が全体に発信する文章と言えば毎日の業務報告書と毎週の業務予定表くらいで、後者は作業を羅列するだけだからわたしは噛んでいない。前者の内容をより分かりやすく噛み砕いたものにするのが主な業務だ。
それに加えて、二か月前からはじめたメッセージカプセルに入れる文章作成もわたし独自の任務に含まれる。宇宙移行士の中では異端な文系出身ではあるが、そんなわたしにも役に立てることがあるのはありがたいことだ。あまりオウルに褒められることはないが、ソムチャイなどからは「ミノリが業務報告書の添削をするようになってから、文章がずいぶん読みやすくなった」と言ってもらえている。
今回のプレゼン原稿は、新星に到着する前の最後の全体放送になるだろう。クルーメイトに与える影響も大きいに違いない。わたしは情報が過不足なく伝わるようにチェックを入れながら、何かオウルのためにできることは無いだろうかと考えていた。
新星に着く前のオウルのスピーチに必要なことは、クルーメイト全員が一体感を感じることだろう。全員で同じ目的に向かって進むことを強く意識し、気持ちを新たに新星での業務に挑む。そのためにわたしができること。
しばらく考えてから、わたしはマネージャーに声をかけた。
「すみません。オウルさんの全体通信の件ですが。通信回線を双方向に開くことって可能でしょうか?」
シフトチェックを大方済ませ、ひと段落ついた雰囲気のマネージャーは訝し気にこちらを見やる。
「一応、船外作業を該当時間内は行わないようにという指示を出す予定だから可能だとは思うが……オウルさんが一方的に話すだけだろう? 双方向回線にする必要は無いんじゃないのか?」
「わたしに、考えがあります」
思いついたアイデアをマネージャーに伝えると、彼は“いいアイデアだ”と頷いて早速クルーメイトへの根回しに入ってくれた。
☆ ★ ☆
「いよいよ、二十四時間後には新星が視認できる距離に到達する」
オペレーター室にある船長席に腰掛けたオウルは、船内マイクを握り締め口を開いた。手元のタブレット端末にはわたしが校正を入れ、オウル自らが再チェックをした文章原稿が映し出されているはずだ。彼の言葉は固く、いつになく緊張している雰囲気を感じられる。
「新星を視認する前に、いまいちど我々の任務を確認する」
オウルが手元のパネルを操作した。それと同時にわたしの手元にあるオペレーション画面には“NOAH号の任務”と記されたシンプルな図が表示される。放送を聞いているクルーメイト全員の手元端末に、同じ図が映し出されているはずだ。
「NOAH号の任務は大きく分けて三つある。
一つ目は、先行するOLIVE号の状況確認。二つ目は、新星の環境調査。三つ目は、衛星通信体制の確立と地球への帰還だ」
“OLIVE号の情報確認”と記された図が強調表示される。
「これまで本船からOLIVE号に向けて何度か通信を試みたが、いずれも返答は無かった。しかし、地球圏で受信したメッセージから、OLIVE号の機能は多少なりとも生きているとおもわれる。本当に人が住める星ならば、乗組員が生存している可能性もある」
軽く首を振ったオウルは今、何を考えているのだろうか。おそらく、OLIVE号の船員の生存を確信しているのだろう。オウルはわたしに対して、「クレインは生きている」と事あるごとに言っていた。それは長年の付き合いから来る確信なのだろう。
クルーメイト相手に断定的なことは言わないのが彼の性格だ。しかし生存を確信していることは、彼の眼を見ていればわかる。
「OLIVE号の機能および船員が生きていれば、環境調査もある程度済ませているだろう。先ずOLIVE船の近くに着陸し、情報を収集。仮に先行調査記録が残っていたとしても、数年がかりの作業となる」
彼の弁が正しければ、地球に帰れるのは数年後ということだ。未開の地に降り立ち、人が住めるための環境を整えるのだ。むしろ数年で済めば短い方だともいえるだろう。わたしはその間にクレインをはじめとしたOLIVE号のクルーに取材し、「オリーブと鳩」の全貌を解き明かさなければならない。取材時間という意味では、十分な時間だ。
「人が定住できるめどが立てば、あとは地球への報告回線の確立だ。通信装置の素材はほぼ現地調達になる。宇宙移行士の腕を存分に振るってもらう。各位、腕がなまらないように励んで欲しい」
オウルは生真面目で、心配性なところがある。ここの文章は元々は「誰一人欠けずに励んで欲しい」だった。しかしわたしが「数年間の作業で、いつだれが欠けるかもわからないから、不特定要素を含む言い方はやめたほうがいい」とアドバイスして修正されたのだ。
オウルとしては必要最低限の人員で航行してきたのだから、全員で作業にあたりたいというのが本音だろう。わたしもその意見には全面的に賛成だが、不確定要素を成文化するなんてオウルらしくない。そういった時彼は捨てられた子猫のような眼をしていた。思い出しただけで笑いそうになるが、今はそんな顔をするべきではないと表情筋に力を入れる。
「行く先がどのような状況であっても、新星が視界に入った瞬間から忙しくなる。各自、勤務スケジュールに沿って身体を休めるように。NOAH号全員で、その瞬間を迎えよう」
「「「はい、オウル船長」」」
オウルの手元にある通信回線から、大勢のクルーメイトの声が返ってきた。オウルは目を瞬かせながら通信を切る。わたしは椅子ごと身体を回してオウルの方へ向き直る。
「驚きましたか?」
「ミノリの仕業か」
軽く睨まれたが、この程度は屁でもない。
「ご相談を受けた時から、全員に向けて船内放送をかけるのは分かっていましたから。どうしても手が離せない作業中のクルー以外は皆、返答していたはずですよ」
マネージャーに相談していた件はこれだった。全員で放送を聞いているのであれば、お互いの存在がわかるような……可視化されるようなコミュニケーションをとりたい。そう考え思いついたのが“オウルのメッセージに全員で返答する”だった。
オウルは自分の話がクルー全体に届いたことがわかるし、クルーメイトは互いに同じ時間、同じ話を聞いていたと実感できる。本音を言えばオウル船長ではなくオウルさんで統一したかったのだが、ある程度かしこまった席だ。この場に限って言えば船長と呼んだ方が空気が締まると思った次第だ。
「そこまで手を回していたのか……だが今のタイミングで皆の声が聞けたのは悪くない。ありがとう、ミノリ」
「何だかオウルさん、素直になりましたね」
まさかお礼を言われるとは思わず、若干面食らって答えるとオウルはむっとした顔つきになった。
「……お前はいつも一言多い」
「すみません」
わたしは軽く笑って誤魔化す。別にオウルが本気で怒っているわけではないのはわかっているので、お互いに気にしていない。これは日常の些細なコミュニケーションの一つだ。
「いよいよ明日ですね。ここで、新星を見ましょう」
「ああ」
ひとつ頷いたオウルは、船長室を立ちオペレータールームから出て行く。待ち望んだ新星までは、あと少しだ。
☆ ★ ☆
翌日、オペレータールームにはオペレーター全員がそろっていた。新星が見えるまでもう間もなくだ。緊張が走る中、扉が開きオウルが中へ入ってくる。
「オウルさん、もう間もなく視認可能距離に到達します」
「ああ」
緊張したマネージャーの声に対し、オウルのテンションはいつも通りだ。しかし目は輝いている。間違いなく、NOAH号の中で最も新星への到着を待ち望んでいたのは彼だ。わたしは向かいに座るソムチャイと視線を交わして、オペレーター画面をいつでも切り替えられるようにスタンバイしておく。
「ミノリ、ソムチャイ、準備はいいか」
「はい」
わたしたちの声がそろったのを確認して、マネージャーが自分の画面を睨む。ほんの数分間の出来事だったと思うが、わたしには数時間もかかったかのように感じられた。
「視認可能距離到達まで、五、四、三、二、一、切り替えます!」
マネージャーの声に合わせて、わたしとソムチャイが同時にパネルを操作する。オペレーター室の前面がスクリーンに切り替わり、正面に青い点が映し出された。わたしの手元映像と全く同じ画面。いまはこの映像を、船内にいる全員が目撃しているはずだ。
「新星発見! 拡大します」
次々に飛んでくるマネージャーの報告――という名の指示――に合わせ、ズームボタンを押した。青い点が大きく映り、丸い形になっているのが見える。
「新星も、青かった、のか」
オウルの呟きに、心の中で首肯する。はるか昔の宇宙飛行士は、初めて宇宙から地球を見た時に「地球は青かった」といったらしい。しかし、いま目の前に映る星は、地球よりも青かった。
いくら拡大してみても、地球には存在する緑色の陸地が見当たらない。見える範囲全てが水に覆われた、文字通りの「水の星」だ。
ぼんやりと拡大画面を眺めていると、隣からマネージャーの声が飛ぶ。
「画面中央! 星の中心に船体らしき影を発見!」
わたしの画面ではゴマ粒のようにしか見えないが、確かに星の中央部に、黒い点があるのが見えた。マネージャーはもっと拡大した映像を見ているのだろうか。わたしももう一段階ズームをかける。確かにその影は、NOAH号とよく似た宇宙船の形をしているように見えた。
「船体情報、識別番号一致! OLIVE号です!」
マネージャーの声に、船内からどよめきが起きた。今はオペレーター室と船内全体の回線が相互に開かれている。同時に同じ画面を見ていたクルーメイトたちがわきたったのだ。ソムチャイは両手を上げて手を叩く。わたしも同じ気持ちだった。
「やりましたね、オウルさん」
「ああ。船さえ残っていれば」
――クレインが生きている可能性は、より高くなる――
彼が飲み込んだ言葉を、わたしは確かに聞き取った。オウルにとってはクレインと再会すること。わたしにとってはクレインと顔を合わせ、「オリーブと鳩」について彼の見解を詳しく聞くこと。お互いの望みが叶えられる可能性がぐっと高まった。わたしたちは頷きあい、共に新星へと視線を映す。
真っ青な美しい星が、わたしたちを歓迎するかのように輝いていた。
<続く>
星間飛行――オリーブをくわえた鳩を求めて 水涸 木犀 @yuno_05
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