3.部下連中

 ボクの部下たちはいつも顔面蒼白である。各国でエリート街道まっしぐらだった人間が、こんな辺鄙な世界政府の小さい外局に押し込められたから顔面蒼白になっている、というわけではない。原因はもっと単純なところにある。

 ここで一番顔色のましな最側近の部下が隠し持っていた日記をさらしてやろう。


 □


9日

 今日は我が国王陛下によって世界政府の一外局である『勇者庁』に赴任した。魔王討伐を瞬く間に達成した英雄たちの力を制御するために設立された組織であり、魔王討伐において最も活躍の薄かった勇者がその長となっていた。赴任の際、勇者とやらと顔を合わせたがずいぶんと間抜けそうな顔をした小娘だった。

 前任者は顔面蒼白で今にも死にそうな顔を見せていたが、いったい何をそんなに恐れているか私にはわからなかった。この小娘がそんなにも恐ろしかったのか、あるいはそんなにも仕事が多かったのか。どちらにせよ、私には問題はないだろう。

 問題があれば聖女様を呼べと前任者は口うるさく言っていた。

 訳が分からないが、覚えておくことにしよう。


12日

 私は間違ったのかもしれない。目の前で英雄と呼ばれた二人の男たちが勇者の額に向けて何か想像しようもない攻撃をして、勇者を殺した。額から血が噴き出て、特徴的な色合いの瞳は空を見つめたまま動くことがない。

 急いで前任者の残した書類をもとに聖女様に連絡を取った。濃密な血の匂いに倒れそうになる。勇者の頭に空いた穴から何か見てはならないものが零れ落ちているのを見てしまった。吐き気が襲ってきた。聖女はまだやってこなかった。

 十数分もして聖女がやってくると、何気なしに神秘魔法を利用し勇者を生き返らせた。勇者も聖女も慣れた様子で言葉を交わしていた。そのあと勇者は聖女に連れていかれ、その日の終わりまで帰ってくることはなかった。

 いつの間にか執務室の血が消えていた。あれは夢だったのだろうか。

 私にはわからなかった。

 英雄は化け物と紙一重の存在だということだけが、かろうじて理解できた。


13日

 その日私は気づいた。勇者という小娘がいつみても執務室にいることを。

 数日前、私は勇者という人間が書類仕事をしている状況をあざ笑った。今まで剣をふるってきた人間が紙束を前に必死に筆を動かしている光景は一見すると無様に思えた。しかし振り返ってみると私が職場にやってきたときには勇者はすでに仕事に取り掛かっており、私が職場を去る時にも勇者は仕事に取り組んでいた。それどころか勇者が昼食をとっているタイミングもわからない。休憩している時間がどこにあるのかわからない。

 あの二人の化け物とは異なって、人間であると思っていた勇者さえ、化け物なのではないかという疑いが湧いて出てきた。

 今私は、悍ましい場所にいるのかもしれない。


16日

 その日勇者がぶつぶつと文句を口にし続けていた。任官してまだ二十日もしていないというのにあの小娘は「前の人はよく話を交わしたのに、きみはつまらないな。堅苦しいし、ただでさえつまらない書類仕事がつまらなくなるじゃないか」という風に、延々ぶつぶつつぶやいていた。

 勇者の言葉をまともに聞くのは初めてのことだったが、この勇者は外面と違わず内面までもが間抜けなのだろうと確信した。語彙のすべてから知性が一分子のかけらさえ見つけられない。

 無視をし続けていると「病む。病んでしまいそうなんだよ」とぼやき始めた。しかしその顔は全く血色がよく、言葉や声色には幾分の真剣さが見え隠れしていながらも、片手で次々に菓子を放り込むさまは止んでいるようには全く見えなかった。病んでいるという状況は今の勇者のような状況を指すのではなく、一度だけ顔を合わせた前任者のような状態を指すのである。顔面蒼白で、アンデットのような、悍ましい状況を、病んでいるというのである。

 じたばた足を動かしたり、うめき声をあげるさまは、子供としか言いようがなかった。


17日

 勇者が殺される場面を見つめるのに慣れる日は来るのだろうかと考えた。

 昨日はあんなにも騒がしかった勇者は、今日あの爆発音を機にしゃべらなくなる。一切動くことがなく、ただ血と何らかの臓物を垂れ流すだけとなる。

 聖女が来て、魔法を行使すると悍ましいものは一転して、いつもの小娘に早変わりする。

 ここは地獄なのだろうか。


18日

 勇者はぼやきをし尽くした後、ぽつぽつと彼女の仲間である英雄たちへの罵倒を始めた。

「錬金術師は腹黒で屑。顔がいいだけで中身は野獣。あれは人ではない化け物」

「科学者は傲慢で屑。顔がいいだけで中身は野獣。あれは人ではない化け物」

「聖女は傲慢で色欲におぼれた屑。顔がいいだけで中身は野獣。あれは類人猿」

 その日初めて勇者が聖女に対しても不満たらたらなのを知った。


20日

 勇者が錬金術師の首を切った。動かなくなったところを持っていた刀で切り刻んだ。原型が残っていないほどの肉塊となったそれを、めった刺しにし続けていた。勇者が科学者と呼ぶ男は勇者の狂刃の手にかかる寸前のところで逃げ去った。勇者の凶行は聖女がやってくるまで止まることがなかった。

 その日は勇者も科学者や錬金術師という化け物たちと同じ種類の生物なのだと知った。彼女はこの執務室であの二人とやり合っていた。この世で知らない人がいないほど強大な力を持ったこの二人の英雄に、最も活躍の薄い勇者は無傷で戦い、一人を生物としてあるべきでない、尊厳さえも奪われた姿へと変えてしまった。

 原因は些細なことだった。錬金術師が勇者のことを貧乳だのちびだの、事実ではあるが口に出すべきでない言葉を漏らしたせいだった。本当に些細なことだった。けれどそれで勇者は凶行に及んだ。暴走した。

 彼女は短気なのかもしれない。あるいは彼女の言う通り病んでいるのかもしれない。

 しかし勇者に対して警戒をすべきだということは分かった。

 死体を切り続ける勇者の、狂気的な笑い声が今もまだ耳にこびりついている。


 □


 これを見ればわかるだろう。彼らは錬金術師と科学者という化け物に恐れをなして精神をすりつぶし顔面蒼白になっているのである。そしてまたその精神的負担が彼らの見当識能力を不調に陥らせ、現実とは異なる現実を見てしまっている。


「まぁ、昔のことだからね。それに君は重要な部下だからそこまで文句を言うつもりはないけれど、貧乳だのちびだの、それを事実であると日記に書くのはやめておくべきだね」

 今では部下の数は増えて雑談している時間が増えた。暇なわけではないし、相変わらず家に帰れていないけれど、面と向かってコミュニケーションを取ることはかなり増えた。昔はかたっ苦しく選民思想にあふれたいやな奴としか思えなかったこの側近が何を考えているのかも、最近は少しずつ分かるようになっていった。


「そういうのは化け物連中のような面だけはいい野郎にだけ許される所業だよ。キミのような不細工で、中途半端な野郎に言われても気色悪くなるだけだ」

 眼鏡をかけた優秀な若い役人は口を開かず、目もむけず、ただひたすらに書類に向かっていた。ボクが彼の机の前にやってくる前よりも熱心に、書類仕事をこなしていた。


「……ボクのような美少女に話しかけられて無視するなんて、終わってるな君は」

「暇だったら」

「なにさ、ボクは大切な時間を使って君にアドバイスをしてあげているのだけれど」

「……さっさと書類仕事をしたらどうですか」

 日記ではあんなにボクのことを恐れていた小役人も、時間がたてばこんなにも無礼な態度を取れるのかと驚いてしまう。人間の適応能力に感動すべきか、彼の類まれない努力をたたえるか、それとも一生女ができなさそうなその態度を慰めてやるべきか。


「最近気づいたんだ。ボクが君にしゃべりかけている時の作業効率と、ボクが一人で作業している時の効率とを天秤にかけると、前者の効率の方が優れていることにね」

 しかしひとまず彼の勲功をたたえよう。そのために女神が直接ボクにたまわった肉体をその目に入れる褒美を与えてやることにした。

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勇者ボク、出番なし! 酸味 @nattou

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