【第12話】 隻眼の修羅

「今日は休みか?アスファロ」


「まあ、そんなとこです。マスター、珈琲頼めるか?」


「ほらよ」


「おお、助かります。手早いっすね」


「お前が一番この店を贔屓にしてくれとるのに、全然『いつもの』とか言わねぇからよ、腹立つから先に出してやった」


 物静かな元物置小屋に響くのは、マスターと呼ばれる、白髪の鋭い目つきをしている年増の声と、それに応ずる大剣を背中に携える隻眼の男の声だった。

 隻眼の男の名はアスファロ・メージといい、かつては国直属の軍の軍務長を務めていた経歴を持っている。その功績は『隻眼の修羅』という異名と共に語り継がれてきたが、現在においてその異名を発することは非常識だ、と煙たがられてしまう。彼、アスファロは『隻眼の修羅』という名を轟かせた偉人であるとともに、国の反逆者でもあったのだ。


「いやいや、マスターの顔みてそんな調子の良いこと言えませんって」


「お?そりゃどういうことだ、アスファロ」


「顔が怖いって言ってんですよ。自覚してください」


 それと肩を並べる程の、近寄り難い雰囲気を遺憾なく発揮するマスターとアスファロの対談は、周囲の肩身を縮こまらせ、喋ることを禁じさせる。おかげで、マスターの構える喫茶コテリオの店内は、地獄のような雰囲気を解き放ち、その迫力は扉の鐘さえ鳴らすのを躊躇うほどだ。

 アスファロにとっての心地の良い空間というのは、常人には息を呑むのさえ苦痛のような世界だった。そのため、客足は減る一方であり、常連客は味の質だけを求め、この地に足を伸ばしてくる。


 常時では、地獄の門のような扉が開かれる事自体珍しいことだが、街に怪物が襲来した異常事態において、その常識は覆される。扉の鐘が鳴らされたのだ。


「おい!じいさんら逃げろ!マジヤバい状況だから今!」


「そうなんです!逃げてください!」


「……いきなりなんだ、藪から棒に」


「イ、イカイ人が来たんだ!さっき老人と子供が殺されそうになって――」


「なに?」


「―――」


 恋人らのイカイ人襲来の知らせと共に、店内全体の空気が震え上がるのが肌身で感じ取れた。その対象はマスターも例にもれず、長い白髭は恐怖で小刻みに揺れている。全員が恐怖に怖気づいたかと思われたが、たった一人『隻眼の修羅』と呼ばれていた男、アスファロだけは身を震わせることなく、むしろ息を弾ませていた。


「お前ら、その話本当か?」


「え、ええ。そうですが――」


 アスファロは恋人の片割れ、ワンピース姿の女にイカイ人襲来の知らせの確証を得る。その確証に声を出したのは、マスターと呼ばれる白い髭を振動させる男だった。


「ア、アスファロ、何をする気だ」


「何って、なんだろうなぁ……正義のヒーローでもしてくるって、とこですかね」


「お、お前、イカイ人相手に何を考えて――」


「はぁ、もうここに来ることも無いのかな。俺の名はアスファロ・メージ、『隻眼の修羅』と呼ばれた男だ。もう最後の別れなんだから覚えていってくれ、マスター」


 『隻眼の修羅』と呼ばれ、世界に忌み嫌われた男は、知らせを聞くや否や早々に席を立ちあがり、背後の大剣を背負いなおしつつ、その屈強な脚を地獄の門へと走らせる。


「嬢ちゃんら、どいてくれ!」


「は、はい!」


 アスファロは扉をこじ開け、イカイ人襲来の地へ脚を伸ばすのだっだ。


~=~=~=~=~=~=~=~=~=~ 


「は、はぁ、はぁ」


「手練れの者かと思ったが、攻撃を捌くのだけで精一杯か?イカイ人」


「せんぱーいガンバ!応援してます」


 血に染まる男の前には、槍と斧それぞれを携える、背の高さが対称的な女二人組が、余裕の形相を浮かべ、こちらに武器を構えている。

 男は、この世界の愚弄者であるイカイ人であるが故、双方の女とそれを囲む十人規模の軍に命を狙われていた。実際、この軍には既に四回命を刈り取られ、女共の命を二十回は刈り取ったが、全てそれらは幻となってしまったのだ。この連中と張り合うことは、男にとって損失しか生まないのである。


「ふっ、ふう……かかってこいよ。絶対に殺してやる」


「ああ、さっさと殺しに来い」


 ただ、男の強がりが、戦いを放棄することを許してはくれない。それに、この連中が美奈を殺した男の手がかりを、握っている可能性もあり得る。そのため、やはり男には戦う選択肢しか存在しないのだ。


「ごふっ――」


「せっ、せんぱああ――」


~=~=~=~=~=~=~=~=~=~


「だよな」


 試しに、もう一度拳銃の引き金を引いてみるが、やはり結果は変わらなかった。額を撃ち抜いたはずの女の顔は元通りになっており、傷跡一つ存在していない。なら、男にとっての拳銃は言葉通り、ただの玩具でしかなくなる。美奈を撃ち抜いた凶器、その事実さえ抜き取れば――、


「死ねぇ!イカイ人!」


 槍先が男の腹目掛けて飛んでくるが、男はそれを躱し、次の攻撃の回避に態勢を変えていく。


「また避けられてるじゃないですか、先輩」


「ああ、だがこの男攻撃は一切してこない。何か裏があると読むべきか……?」


「そんな深読みしなくても大丈夫そうですけどね。こいつ頭悪そうだし」


 慎重派の上司と、適当派の部下の意見が拮抗し、だが目的だけはイカイ人の討伐に両者とも標準を定めていた。


「てめぇら、美奈はどこだ!知ってるんだろ!」


「はぁ?知らないっての。それと、美奈ってやつもどーせイカイ人なんだろ?いなくなって正解じゃないか」


「あ?あんま調子乗んじゃねぇぞ――」


 己だけでなく、己が愛してしまった人の存在をも否定してくる女に、血に濡れた男はその色が更に色濃くなるほどに、血相を変え拳銃を投げつける。


「ごほっ」


 拳銃は小柄な女の鼻へ投げ出され、女もまた血相を変えることで、全身全霊で斧を男の頭上に振り下ろす。攻撃は躱され、代わりに男からは蹴りの一撃が放たれていった。


「い、いったぁああ!イカイ人ごときが、調子のんじゃねぇよ!」


「アーツ、冷静になれ。何か隠し持っている可能性が高い。ここは様子見で行くぞ」


 血相を変えた女は冷静さに欠けており、斧の一撃を振りかざしそうになるが、その直前で尊敬する人物の言葉に従い、戦いから一時的に一歩足を下げる。が、顔だけは憎悪を忘れることができずに、汚く歪んでいた。


「はぁ、ははあ、あ?隠し持ってる?そんなのなんもねぇよ。見るからに一文無しってのが分かんねぇのかよ」


「そういう話ではないのだが――」


 男の体力も軍の統率力も乱れだしたその時、決着は突然に訪れる。


「げ、ごほっ」


 突如、男が血反吐を吐き出し、その場へ倒れこむ。しかし、軍が男に攻撃を当てた事実はなく、厳密にはその事実はかき消されたが、外傷も体中どこを探しても見つかることはない。その奇想天外な現象に、軍含め女二人組は安堵に胸をなでおろすのだった。


「はぁ、やっとか。クソイカイ人が」


「アーツ、まだ死んだわけじゃ――」


「そんなことないですって、きっとこいつ死にかけだったんすよ。もう限界ってとこなんですかね」


 男が倒れこんだ際の対応は、斧を地に捨てる女と槍を男の喉元へ向ける女とで全く変わっている。斧を捨てた女は、理想の上司である人の顔だけを眺めており、対照的に槍を喉元へ向ける女は、己の一番憎き存在の醜悪な顔だけを睨んでいた。


「先輩!もう死んでるとは思いますが、最期の一撃やったりましょう!」


「お前は本当に調子がいい奴だな、任せろ――イカイ人、これでお前の命は潰えることになるな」


 槍は喉元へ向けられたまま、その方向へ加速し、いずれ男の命を刈り取っていき、槍先が男の黒い血に濡れる――はずだった。


「ちょ、嬢ちゃんごめんね。すまん、こいつを殺させるわけにはいかん」


「貴様!何をする!」


「そ、そうですよ!あぁ、先輩の槍が――あんた頭おかしいのか?」


 槍先と喉との距離がごくわずかになる瞬間、槍先は突然現れた隻眼の男の持つ大剣に砕かれることとなる。隻眼の男は薄ら笑いを浮かべ、すぐさまその顔を怒りに染めた。


「頭がおかしいのはアンタらだろ?こいつだって、元々はごく普通にお前らのように過ごしてきたんだ。なのに、殺すってのはやっぱイカれちまってるよな」


 隻眼の男は唾を吐くように女共へ暴言を吐き、たった一つしかない眼は憎悪に焼かれている。男は大剣を横に振りかざし、女共を払いのけ、腰を下げることで血塗れの男がまだ息をしているかの確認を行う。わずかではあるが寝息が耳に入り、男は安心して戦いに宣言していく。


「てめぇらみたいなのが世界に蔓延るから、まともに生きようと必死な連中が痛い目を見るんだ。イカイ人って、名目で差別するのがそんなに楽しいことかよ?あ!?」


「イカイ人だから殺す、これが国のルールだ」


「そうかよ!はっ!これで心置きなくぶっ殺せるぜ」


 女共が国の眷属でしかないことを隻眼の男は理解し、その大剣を地面に叩きつけ、地を鳴らし、それを開戦の合図だと言わんばかりに名乗りを上げた。


「『隻眼の修羅』。お前らぐらいの雑魚連中でもこれぐらいは聞いたことあんだろ。何気に気に入ってんだわ、カッコいいよな」


 屈強な脚が石畳を鳴らし、男は大剣を携えてるとは思えない程の速さで軍の連中の背後に回り、空気を切り、空に轟音を轟かせることで、旋風を生み出す。男が国に忌み嫌われた理由は謎に包まれたまだが、恐れられた理由だけはその斬撃を見るだけで明らかだった。


 ――大剣の一撃は十人規模の軍を一掃していく


「嬢ちゃん、以外とタフなとこあるね。俺の仲間にでもなるか?」


「そんなわけにいくか、アスファロ」


「へぇ、名前知ってくれてるんだ」


 強大な一撃は複数の命を刈り取っていく。男が『隻眼の修羅』と呼ばれる所以も、この特異的な、一度で複数の斬撃が放たれる技を扱う所からきている。

 そんな大打撃を斧で防いだのは、軍の下っ端である赤紫色の髪と背丈の高さが特徴的なナール・ユラージという女だった。


「私の名はナール・ユラージだ」


「へぇ、名乗ってくれるんだ嬢ちゃん。嫌いじゃないぜ」


「名乗られたら名乗り返すのが常識だと思うが?」


「名前まで言った記憶はねぇーよぉっ!」


 アスファロは引き締まった体躯を存分に振るい、大剣をユラージへ振り下ろす。それに対し、ユラージは脚を加速させ、アスファロの背後に回り刺突を放つ。その威力は雷撃と同等の破壊力を持っていた。

 

「くっ」


「甘い甘い、そんな代打の武器で殺せると思うなよ」


 そんな雷撃は、アスファロの背後へ送られた大剣の胴によって防がれる。ユラージのとっておきの必殺は、アスファロにとっての平手打ち程度の威力しか持ち合わせていなかったのだ。ユラージは息を荒げながら、嘆き、勝敗の行方が己の敗北にあることを悟る。


「結構、本気だったのだが――」


「まぁ、雑魚はそんなもんだよな」


 情けない嘆きをアスファロは『雑魚』とあしらい、ユラージの必殺よりも殺傷力の高い大剣の一撃を、敵の喉へ放つ。


「ごふぉっ」


「クリーンヒット、ってとこだな」


 大剣はユラージの喉をかき切り、大量の血を噴出させ、生命力を消耗させていく。血を浴びたアスファロは、ユラージとの闘いを短期決戦に持ち込むことで、すぐさま血に埋もれる男、世間ではイカイ人と忌み嫌われる存在の心音を聞き取りに、男の下へ膝をつけた。


「大丈夫そうだな」


 その心音にアスファロは安堵し、己の一撃で殺傷していなかったことに喜びを得る。そして、周囲の死体の山々の中、たった一人、小柄な茶髪の女だけがまだ息をしていることに気付く。


「おい、お前の尊敬する人物じゃねぇのか?最期ぐらい看取ってやれよ――」


「き、貴様あああああああ!」


 小柄な女はアスファロに牙を剥き、拳を解き放つ。だが、ユラージの必殺も平手打ち程度にしか感じないアスファロにとって、その攻撃をいなすのは赤子の手をひねることよりも容易であった。


「おいおい、あんなので気失ってた奴が、気を保ててた奴より強い訳ねぇだろ」


「くそっ、くそっ、くそがぁあああああ!」


 赤子の戯れは、気に留めることも時間の無駄であり、アスファロは軍の総大将の死に様を拝み、血の濡れた男を抱きかかえ、早々に現場から立ち去っていく。


「てめぇらがどういうことをイカイ人にやってきたのか――その身をもって痛感するんだな」


「いつか必ず、お前の首を取ってみ――」


「その時は相手になってやる。楽しみにしとくぜ」


 隻眼の男、アスファロはイカイ人と共に、人っ子一人いない街並みへ姿を消すのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パラレル・ロマンス 【第1章完結!】 いち。 @iti_iti_itchan_kaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ