第4話 被害者の視点

(なぜ、こんなことになったんだろう。)

 部屋の隅で小さく膝を抱えた佐藤は思った。


 目の前では、ヘルメットを被ったバスローブ男が、床に置いた黒い機械に頭を押し付け、自らを鼓舞する言葉を大声で発している。

 その傍には、中高年男性が、セコンドのように、一心不乱に励ましの言葉を掛けている。髪は乱れ、先程の落ち着いた姿は幻だったかのようだ。

 それは、さながら狂気の宴。


 ◆


 野垣の執拗な追及に耐えられるはずもなく、高橋はしぶしぶ機械を廊下突き当りの部屋から持って来た。その機械は黒く、タブレット状とヘルメット型のセットらしい。

 その機械を前にした野垣の浮かべた表情は複雑だった。驚き、喜び、緊張、感慨深さ、感極まった感じ、それらがグチャグチャに入り混じったそんな表情。ただ、冷め切った私は一言でこう思う。

(気持ち悪い。)

 あと、聞き取れない位の小声でずっとブツブツ言うのもやめて欲しい、とも思う。


 (もういいでしょ)と言わんばかりの露骨な態度の高橋の

「じゃあ――」

 という発言を掻き消すように、野垣が、

「これ以上の立ち話というのも心苦しいので、私の部屋へどうぞ。」

 と、階段下へエスコートするかのような仕草を示す。その振る舞いは一見すると紳士的だが、言葉に秘められた絶対服従的なニュアンスは、重く、強く、そこに拒否できるような隙はなかった。辞退がそのまま命の危機に直結すると、太古から刻まれた動物的な本能が訴えかける。ジイさん、そんな特殊能力、発動させるなよ。


 「じゃあ、私はここで。」と辞退するには、自分の部屋までの距離があまりに近く、発言のタイミングをつかめなかったことが悔やまれる。

 重い足取りで、後ろの野垣に急かされるように、バスローブの背中に付いて階段を下りた。

(ところでバスローブ、寒くないのか?)


 ◆


 ジイさんの部屋の間取りは、私の部屋と同じだったが、必要最小限の物しかなく、生活感がなかった。

「座布団もなく申し訳ない。」

 そう言いながらジイさんは、私たちを座卓の周りに落ち着かせた。そして間髪入れず、バスローブの小脇に抱えた機械を見せるよう催促する。

(鼻息が荒い。呼吸をしないで欲しい。)


 そこで、ずっと我慢していたバスローブ……面倒だな、Bが、耐えかねた様子で堰を切ったように声を荒げた。

「さっきから、何なんですか! ほぼ初対面の相手に対して、高圧的で失礼じゃありませんか!

 そもそも、騒音で迷惑は掛けたかもしれないですけど、それ以上は関係ない! 特にこの装置、この装置をどう使おうと、野垣さんには関係ない! こちらの勝手でしょう!」

(その通りだ、Bよ。ただ、はだけたバスローブの前を整えような。見苦しいぞ。)


 言い切ったBは、そのままの前傾姿勢で、ジイさんの反応を伺う。形勢が逆転したようだ。

 しばしの沈黙の後、ジイさんは口を開いた。

「その装置は、おそらく、丸山式次元跳躍装置だ。私の恩師の研究成果の集大成なんだ。」

(次元跳躍?なんだそれ。理解が追い付かない。ジジイ、ちゃんと説明しろ。)


「じげん?ちょうやく?何ですかそれは。」

 Bがすかさず食い下がる。


「私の恩師の丸山先生は、意識と時間を研究していた。その結果、その装置を生み出した。それは、意識下で時間と空間の行き来を可能にする。

 つまり言い換えると、いまの次元と違う次元へ行くことを可能にする、ということらしい。」

「違う次元……つまり、異世界ですか?!」

 Bは目を光らせながら、さらに身を乗り出した。その顔からは何故か、やっぱり! という確信が溢れ出している。

(嬉しそうにするな。身を乗り出すな。ハウス!)


「いや、詳しいことは、わからない。その装置も噂には聞いていたが、実物を見るのは初めてだ。あと、大変恥ずかしい話なのだが、先生の研究や理論をすべて理解できていた訳ではないんだ。」

「ああ、そうなんですね。」

 冷や水をかけられた犬のように、Bはシュンと大人しくなった。

(そう、それでいい。)


「ただ、私は見たんだ! この目で、確かに! 次元の歪みらしきものを!」

「本当ですか!それは、いつですか?!」

 しょぼくれた犬は復活し、その尻尾を振り回している。


「先程のことだ。

 だから、その状況、声、出現した次元の歪みを鑑みて、もしかしたら上の部屋で装置が使われているのかもしれないと推察したんだ。」

「なるほど!」

 とBは声を上げる。

(いや、その推察、ギャンブルより確率低いだろ。)


 心の中で悪態をつきながら、目の前の不毛なやり取りに付き合う私の心は、すっかり冷め切っている。

(早く帰りたい。)

 次元の歪みがどういったものか、子供のようにはしゃぐ二人を、ずっと遠くに感じる。



 座卓を隅へ寄せ、部屋の真ん中では、例の狂気の儀式が相変わらず行われている。


 床ではなく、座卓の上にタブレット状の機械を置いたままでもいいのではないか、とジジイ……Gは提案したが、Bは、

「いや、僕の力の前では、このテーブルの脚が持たないですね。」

 と自信満々に言う。

「それも、そうか。」

 Gは、感心するようにその言葉に納得した様子だった。

 もう突っ込む気にもなれない。


 Bがどのように装置を使っていたか、Gに軽く説明するためという名目で、目の前のデモンストレーションは始まったのだが、いつの間にかそれはヒートアップしていった。

 その熱に反比例するかのように、私は心を閉ざす。

(人間にはなぜ心が、意識があるのだろう。そんなものなければいいのに。)

 私は、浮かんだ考えの馬鹿馬鹿しさにニヒルな表情を浮かべた。


(この一線を越えた儀式で、どこの次元が歪むのだろう?)

 そんな疑問も、泡のようにすぐ消えた。

 無。何もない。

 目の前の光景、声、むさ苦しい空気といった五感も、意識に空いた穴に吸い込まれていくようだった。


 家に帰るのは遅くなりそう。

 この思いは、もはや誰から生まれたものだったのか、わからなくなっていた。

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次元跳躍装置 〜狂気とデバイスと迷惑と〜 カタハラ @katahara

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