最終話 失うくらいなら
その日、僕は恋に落ちた。
これが一目惚れというものか。異種族であるだとか、子孫を残せる残せないだとか、そんな理論的で理性的な思考が入る余地など糸ほどの隙間もなく、ただ「貴女と共に生きていきたい」と熱い感情で胸が焼けそうだ。
糸で宙を舞い、気付いてもらえるよう
『どうか、お側に居ることをお許しください』
渾身の告白。だが、返事は拒絶の悲鳴だった。
彼女の連れに笑われ、母に
僕は兄たちより小さく産まれて、大きく育つこともなかった。きっと僕だけ
そんな僕だからこそ返って都合がいいと、見張りを兼ねた従者として彼女と居られることになった。それからはもう、過言ではなく「毎日が記念日」だ。
『いくら苦手でも、これからお世話になるんだから〝蜘蛛さん〟じゃダメよね。名前が無いならつけたらいいんだもの』
そうして「スライ」の名をもらい、紳士・
『お前は何を対価にニンゲンを主とする?』
ある日、兄たちに問われた。「対価など無くとも」と答えかけて止まる。他の誰かにとっては無価値なものを、僕はたくさん与えられてきた。名を、呼びかけを、触れ合いを、共に過ごす許しを、慕い続ける自由を。――それなのに、真にそう言えるのか?
ぐるぐる悩んでいる僕を見かねてか、兄たちは代わる代わる背をなで、それぞれの持ち場へと散っていった。
従者でいるよう彼女に求められたことはない。あくまで僕が求めて、許されているだけ。対価を支払うべきは僕のほうなのに、与えられるばかりの関係に甘んじていた。
それからは何でもした。体力が落ちないようにと住処の周辺を出歩く許可をヴァンデッドから取ったり、万が一はぐれることがあっても帰れるよう光る石を集めたり、母に教わり新しい口布を僕が作ったり。対価には対価を。たとえ等価でなくとも、もらう以上は返さなくてはいけない。
――だからその日、僕は外に行こうとする彼女を止めなかった。チャンスだと思ってしまったんだ。
結果はどうだろう。彼女を危険にさらした上に守り切れず、死に瀕して尽くせる手もなく凍結させることになった。
『お前が今すべきは、名付け親とともに眠ることなのかい?』
母の厳しい言葉に身が震える。喰って一つになることが叶わない体だ、このまま失うくらいならいっそ後を追いたかった。たとえそれが、まだ生きている彼女の死を受け入れる行為に他ならないとしても。
だがヴァンデッドは違う。想いを告げて断られても、それでも諦めていないから彼女を眠らせたんだ。
彼女が外に出た理由をヴァンデッドに話すと、ならばと花束を探しに行くことになった。きっと枯れているだろう。そうどこか寂しげに言っていたのに、見つけてみれば輝くようにまだ
ヴァンデッドは花の研究に没頭し、僕は体を鍛えることに集中した。彼女を救うために、できることをそれぞれに。
白い花は、ある程度の数がまとまると自身を
浄化が進んだ地域には、解凍済みのニンゲンを集めて集落を作った。亜人の世にもニンゲン寄りの者は居て、特に神やそれに準じたものとして崇められていた幻想種の協力を得られたことは大きい。ファイアロー運送の
ニンゲンの生活問題が解決し始めると、今度は毒の濃くなった亜人たちを間引いていく。そうして、ヴァンデッドは世界を変えるという約束を果たした。僕や母や他の協力者も居ての
『俺たち亜人が彼女の生きる世界に要らない存在だというなら、この命、喜んでくれてやる。叶うなら最後は彼女の手でお願いしたいね』
軽く言ってのけたその覚悟に、僕も賛同する。
想いに想いが、対価に対価が返らなくとも心燃やしその身を突き動かし続けるもの。ヴァンデッドのそれが愛なのだとしたら、僕のこの気持ちは、愛の皮を被った恋でしかないのかもしれない。だけど今は、僕ら側を選んでくれたことが嬉しくて、隠れていたことも忘れて駆け出すのだ。
*
「イリーナ、なんてことを!」
飲み下した先から、全身に熱が駆け巡る。見えなかったものが
「名前、やっと呼んでくれたね」
ヴァンデッドはバツが悪そうに顔をしかめ、私はふふっと笑いをこぼした。
『
どこからかそんな声が聞こえて、突然現れた何かに抱きつかれた。見覚えのない子どもが、横からぎゅうと胴をしめている。戸惑うばかりの私に、バケモノが助け船を出してくれた。
「ちゃんと挨拶しろ」
「ああっ! すみません、嬉しさのあまり……」
やっと私から飛び退いた子どもは、居住まいを正して深く深く会釈した。
「主さま。僕です、スライです。このような幼い姿ですが、主さまが眠っている間に
蜘蛛の面影、といっては変な話だけれど、この紳士ぶりは確かにスライなのだろう。
ナイフを持つ手をスライが引き、片膝をついて続ける。
「改めてお伝えします。どうか、お側に居ることをお許しください」
「なッ、その姿で言うのは卑怯だぞ!」
「うるさいヴァンデッド。持てるものは全て使ってこそだと助言した本人が何を言う。それも組み敷かれたままで」
「ふん。羨ましいなら素直にそう言ったらどうだ」
ぎゃいぎゃい喚く目前の二人を眺め、生きるのが楽しいとはこういうことなのかと口許がゆるんだ。
自分に向く周囲の敵意に意識をむけながら、ナイフを次々抜いて鞘に納める。
「ねぇ、バケモノ。今度こそ名前教えてくれるでしょ?」
「まだこだわるのか。今さらいいだろ、子どもの駄々みたいだぞ」
「茶化さないでよ。貴方が〝ニンゲン〟以外で呼ぶなら、私だって名前で呼びたいわ」
差し伸べた私の手を取り、滅多に笑わなかった彼が苦々しくも笑う。答えなんて、それで充分だった。
「でも落とし前が先ね」
よくも大事なことを忘れさせてくれたものだ。お蔭で今になって気付けたわけだけど、それはそれ、これはこれ。着せられた恩は仇で返さないと気が済まない。それに、彼を生かす為にも、今度こそ共に生きる為にも必要なことだ。
「本当に良かったのか? だってあんなに――」
「失うくらいなら喜んで喰べる側にまわるわ。〝また失う〟なんて、私だってゴメンよ」
ほんの少しの間を空けて、彼がおもしろいほど動揺する。
あのとき続いた言葉を、絶対にもう一度言わせてやろう。それから、またあの頃みたいに呼び合うんだ。親しみを込めて、見返りのいらない愛も込めて。
――ねぇ、愛しのジャック。
〔カイトウシナイデ/了〕
カイトウシナイデ あずま八重 @toumori80
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます