最終話 失うくらいなら

 その日、僕は恋に落ちた。

 これが一目惚れというものか。異種族であるだとか、子孫を残せる残せないだとか、そんな理論的で理性的な思考が入る余地など糸ほどの隙間もなく、ただ「貴女と共に生きていきたい」と熱い感情で胸が焼けそうだ。


 糸で宙を舞い、気付いてもらえるようかたわらのテーブルに立ち彼女の指をすくい上げた。

『どうか、お側に居ることをお許しください』

 渾身の告白。だが、返事は拒絶の悲鳴だった。

 彼女の連れに笑われ、母に揶揄からかわれ、想い人には気絶され。おかげでこの日のことは生涯忘れられない。


 僕は兄たちより小さく産まれて、大きく育つこともなかった。きっと僕だけ変化へんげできないままだろうし、誰ともつがえないままいつかどこかで息絶えるのだと思う。

 そんな僕だからこそ返って都合がいいと、見張りを兼ねた従者として彼女と居られることになった。それからはもう、過言ではなく「毎日が記念日」だ。


『いくら苦手でも、これからお世話になるんだから〝蜘蛛さん〟じゃダメよね。名前が無いならつけたらいいんだもの』


 そうして「スライ」の名をもらい、紳士・真摯しんしに尽くしているうち、この身を撫でられるほどに慣れてもらえて「記念日」に拍車がかかる。しかし、日常になってしまったものに満足できなくなるのもまた必然だった。


『お前は何を対価にニンゲンを主とする?』

 ある日、兄たちに問われた。「対価など無くとも」と答えかけて止まる。他の誰かにとっては無価値なものを、僕はたくさん与えられてきた。名を、呼びかけを、触れ合いを、共に過ごす許しを、慕い続ける自由を。――それなのに、真にそう言えるのか?

 ぐるぐる悩んでいる僕を見かねてか、兄たちは代わる代わる背をなで、それぞれの持ち場へと散っていった。


 従者でいるよう彼女に求められたことはない。あくまで僕が求めて、許されているだけ。対価を支払うべきは僕のほうなのに、与えられるばかりの関係に甘んじていた。

 それからは何でもした。体力が落ちないようにと住処の周辺を出歩く許可をヴァンデッドから取ったり、万が一はぐれることがあっても帰れるよう光る石を集めたり、母に教わり新しい口布を僕が作ったり。対価には対価を。たとえ等価でなくとも、もらう以上は返さなくてはいけない。


 ――だからその日、僕は外に行こうとする彼女を止めなかった。チャンスだと思ってしまったんだ。


 結果はどうだろう。彼女を危険にさらした上に守り切れず、死に瀕して尽くせる手もなく凍結させることになった。

『お前が今すべきは、名付け親とともに眠ることなのかい?』

 母の厳しい言葉に身が震える。喰って一つになることが叶わない体だ、このまま失うくらいならいっそ後を追いたかった。たとえそれが、まだ生きている彼女の死を受け入れる行為に他ならないとしても。

 だがヴァンデッドは違う。想いを告げて断られても、それでも諦めていないから彼女を眠らせたんだ。


 彼女が外に出た理由をヴァンデッドに話すと、ならばと花束を探しに行くことになった。きっと枯れているだろう。そうどこか寂しげに言っていたのに、見つけてみれば輝くようにまだ瑞々みずみずしい。

 ヴァンデッドは花の研究に没頭し、僕は体を鍛えることに集中した。彼女を救うために、できることをそれぞれに。


 白い花は、ある程度の数がまとまると自身をむしばむ毒素を中和できるらしい。群生規模になると、周囲の毒素を浄化していることを突き止めてからは簡単だった。移植して増やし、増やしては移植を繰り返すだけ。時間はかかるが、ヴァンデッドの眷属になれば寿命の心配もない。副産物として、変化へんげできるようになったのは僥倖ぎょうこうだった。


 浄化が進んだ地域には、解凍済みのニンゲンを集めて集落を作った。亜人の世にもニンゲン寄りの者は居て、特に神やそれに準じたものとして崇められていた幻想種の協力を得られたことは大きい。ファイアロー運送の従業員たちフェニックスに焼かれない乗り物を作れば、花の移植作業が格段に早く進んだし、ケルベロスやユニコーンは集落の開墾かいこんに一役も二役もかった。


 ニンゲンの生活問題が解決し始めると、今度は毒の濃くなった亜人たちを間引いていく。そうして、ヴァンデッドは世界を変えるという約束を果たした。僕や母や他の協力者も居ての現在いまではあるが、成し得たのはこの男だからだ。


『俺たち亜人が彼女の生きる世界に要らない存在だというなら、この命、喜んでくれてやる。叶うなら最後は彼女の手でお願いしたいね』

 軽く言ってのけたその覚悟に、僕も賛同する。


 想いに想いが、対価に対価が返らなくとも心燃やしその身を突き動かし続けるもの。ヴァンデッドのそれが愛なのだとしたら、僕のこの気持ちは、愛の皮を被った恋でしかないのかもしれない。だけど今は、僕ら側を選んでくれたことが嬉しくて、隠れていたことも忘れて駆け出すのだ。


   *


、なんてことを!」


 飲み下した先から、全身に熱が駆け巡る。見えなかったものがえ、聞こえなかったものが聴こえ、感じられなかったものをかんじられる。これが彼の住んでいる世界かと感慨深く思いもするが、それとは別のことに心がゆれた。

「名前、やっと呼んでくれたね」

 ヴァンデッドはバツが悪そうに顔をしかめ、私はふふっと笑いをこぼした。


あるじさまー!!』

 どこからかそんな声が聞こえて、突然現れた何かに抱きつかれた。見覚えのない子どもが、横からぎゅうと胴をしめている。戸惑うばかりの私に、バケモノが助け船を出してくれた。


「ちゃんと挨拶しろ」

「ああっ! すみません、嬉しさのあまり……」

 やっと私から飛び退いた子どもは、居住まいを正して深く深く会釈した。


「主さま。僕です、スライです。このような幼い姿ですが、主さまが眠っている間に変化へんげできるようになりました」

 蜘蛛の面影、といっては変な話だけれど、この紳士ぶりは確かにスライなのだろう。淘汰とうたされる子だとアマンダさんは寂しげに言っていたのに、見ない間にずいぶん大きく強くなったものだ。

 ナイフを持つ手をスライが引き、片膝をついて続ける。


「改めてお伝えします。どうか、お側に居ることをお許しください」

「なッ、その姿で言うのは卑怯だぞ!」

「うるさいヴァンデッド。持てるものは全て使ってこそだと助言した本人が何を言う。それも組み敷かれたままで」

「ふん。羨ましいなら素直にそう言ったらどうだ」


 ぎゃいぎゃい喚く目前の二人を眺め、生きるのが楽しいとはこういうことなのかと口許がゆるんだ。

 自分に向く周囲の敵意に意識をむけながら、ナイフを次々抜いて鞘に納める。


「ねぇ、バケモノ。今度こそ名前教えてくれるでしょ?」

「まだこだわるのか。今さらいいだろ、子どもの駄々みたいだぞ」

「茶化さないでよ。貴方が〝ニンゲン〟以外で呼ぶなら、私だって名前で呼びたいわ」

 差し伸べた私の手を取り、滅多に笑わなかった彼が苦々しくも笑う。答えなんて、それで充分だった。


「でも落とし前が先ね」

 よくも大事なことを忘れさせてくれたものだ。お蔭で今になって気付けたわけだけど、それはそれ、これはこれ。着せられた恩は仇で返さないと気が済まない。それに、彼を生かす為にも、今度こそ共に生きる為にも必要なことだ。


「本当に良かったのか? だってあんなに――」

「失うくらいなら喜んで喰べる側にまわるわ。〝また失う〟なんて、私だってゴメンよ」


 ほんの少しの間を空けて、彼がおもしろいほど動揺する。

 あのとき続いた言葉を、絶対にもう一度言わせてやろう。それから、またあの頃みたいに呼び合うんだ。親しみを込めて、見返りのいらない愛も込めて。

 ――ねぇ、愛しのジャック。



〔カイトウシナイデ/了〕


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カイトウシナイデ あずま八重 @toumori80

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