凡才は努力ができない

赤宮 里緒

第1話

 去年の誕生日に、人生で初めて過呼吸を経験した。新しい職場に来たばかりの頃で先輩との関係さえできてない時期だった。ぜえぜえとこの世の終わりみたいな見るに耐えない呼吸をトイレの中で繰り返しながら仕事を終えたのが初日だった。旦那がプレゼントしてくれたホールケーキを二人で食べながら彼の目の前で過呼吸を2度3度と起こした。対応しかねて顔を曇らす彼への申し訳なさと最悪な誕生日になった虚無感からその日はまともに喜べなかった。

 翌日に主治医に相談して、一時的なものだろうと頓服を渡された。発作が起こるたびに飲んでは効果のなさとまともに働けない状況に自分も周りもだんだんと苛立ちが高まっていった。翌週には朝から過呼吸が止まらず、でも頑張らなければならないと職場には行った。更衣室前のトイレで発作が止まらなくなり担当部署に連絡を入れたらもう一度病院に行けとめんどそうにあしらわれた。終わったな、と思った。午前中の通院でパニック障害の診断が降りたが厳密にはトラウマから起きる発作だから病状は異なるらしい。だがそのあたりの診断を主治医は曖昧にしか言わないから私はパニック障害と言っていいのかもよく分からないでいる。広場恐怖症と場所を問わず生じる発作からパニック障害だと私は考えているが、そのうちカルテを開示させる方が良いのかもしれない。

 程なくして仕事は退職した。新しい職場について1ヶ月も経っていなかった。うつ病の療養で半年間の無職を経ての就職をあっさりと手放すことになるとは私も予想していなかったためこれはショックだった。

 過呼吸はそれから半年以上止まらなかった。発作は家でも外でも、どんな状況でも起こるから人に見せたくないからと外出を避けるようになった。だが引きこもりだけは避けたくて認知療法や必要な買い物だけは続けていた。おかげで引きこもりまではならなかった。

 だが、家で過ごすのも楽ではなかった。当然ながら、一緒に住んでいる相手に多大なストレスを与えてしまった。過呼吸はただテレビを見ていたり夕食を作っているだけでも起きていた。普通に会話している時にも起きるし、朝は発作と同時に目を覚ますような状態でとにかく酷いものだった。ゲーム好きな旦那のゲームの話を聞いているのは嫌なことではないのに、話を聞いているタイミングで発作が起こるから彼を大変困らせたことがある。


「俺がゲームしているから発作起こるんでしょ。俺がいるから悪化するんじゃないの」


 私の体調を良くしたいと前々から何度も言ってくれたような優しい人からのその言葉は胸に込み上げるものがあった。彼の自宅での過ごし方に不満などないのに、発作のせいで変な誤解を与えて苦しませていることが辛くて堪らなかった。大きい喧嘩も何度したことか覚えていない。一緒にいたらダメなのかもねと諦めたようにお互い言う日もあったけど、それでも今日まで一緒にいるのだから彼は強かで寛容で、自分には心底勿体無い人だと思う。

 過呼吸を起こしたあたりから私はポツポツと小説を書き始めた。仕事が出来ない、社会のお荷物の私に出来ることは文字を書くことだけだった。小学生の頃から本の虫だったおかげで作文は得意だったから、その頃の感覚を思い出しながら書いた。絵を描くのも好きだったけどとても人に見てもらえるレベルではないからまだマシだった小説にした。

 最初はほの暗い小説書けたらいい、偶々見かけてくれた人がちょっとでも感動すればいいと思って書き始めた。日が経つにつれ、自分の存在をこの世に残したいと欲が芽生えた。社会に貢献できず、人とのコミュニケーションが下手で、ただ自分のことを守るだけで精一杯。自尊心もない、家族にさえ愛されていない、会話に出されることもないあまりに未熟な自分という存在が、言葉にのせて思想と価値観と想いと、私という人間が生きていた存在証明をしたいと思うようになった。

 小説を一本書き終えてからはもっと上手に書けるようになりたいと思うようになった。グループにも誘っていただけて、スキルを磨くための勉強もさせてもらえてとても幸運だったと思う。同時期に病気がある人のための就労支援を受け始めた。

 だんだん、小説を書くことが目的になった。エンタメを考え、人に読まれる書き方を考え、内容を暗くなりすぎないようにしたり。そのうち方向性を失った。自分の小説を見返す度にこんなのは違うと思った。私はこの世に爪痕を残したいのに、ただふんわりと心が温かくなるだけの話だとか、娯楽としてクスリと笑ってくれるような話だとか。そういった話も価値がある小説であり言葉なのに、拒絶するようになった。違う、書きたいものはこれじゃない。私は、「心臓」がある小説が書きたい。グループ内でも、核のある小説を書いてほしいというお題を出したりした。でも、世の中はそんな重たいだけの小説ばかりではない。上手に心臓を隠しながら書かれているものが大半だった。やっと見つけた小説という生きがいさえも、私には場違いなのかもしれないと思った。小説は読めるのに、書けなくなっていった。書けないから、書かなくなって、今では2ヶ月近く触れていない。応募したかった公募もあったのに、腰が引けて、結局言い訳して諦めた。

 血を吐くような努力をして応募に踏み切り受賞した先人たちを見ては。私が小説を書き始めるずっと前から、小説を書くという出会いを果たせた彼ら彼女らが羨ましかった。同い年で新人賞を受賞した作家さんに、羨望と、劣等感を抱いて、泣きながら彼女の小説を読んだ。美しくて、優しくて、何て素敵なんだろうと、一発でファンになった。


「小説家になりたい」


 たった8文字で書ける夢は、私にとってあまりにも遠い。心を揺さぶり、踊らせ、面白かったと言ってもらえるような作品は、私には書けない。たった1年で気付いてしまった。私は何者にもなれない凡才だ。努力が出来ないタイプの凡才だった。

 私の作品を好きだと言ってくれた読者さんがいた。私はその言葉と、投稿サイト上の少ないながらも更新した時には必ず読みに来てくれた33のPV数を一生抱えていくのだろう。諦めきれない欲といつか自ら断つかもしれない心臓を少しずつ文字に込めながら、名前の残らない小説家がいたのだと自嘲するのだろう。

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