最上級
雪国匁
第1話
「……あれ? こんなところに喫茶店?」
ある晴れた休日。散歩をしていた私、イトクリは見慣れない喫茶店を見つけた。
『Café edicius』と書かれた看板が扉にかかっていて、見た目はかなり綺麗。
周りを少し見てみる。知り合いは多分いなさそう。
「暇だし、入ってみよっかな」
好奇心に駆られて、ただ何となくそのドアを開けた。
カランカランと、ベルの音が鳴った。
「どうも、いらっしゃいませ」
そこに立っていたのは、格好良い男の人。おそらく店主の人だろう。中途半端な時間だからか、他のお客さんは誰もいなかった。
「こんにちは〜」
そう軽く挨拶して、席に座る。一対一だから少し気まずいけど、まぁいいや。
「こちらにメニューがありますので、どうぞ」
そう言って渡してくれた表には、コーヒーや紅茶、お菓子など至って普通のカフェに置いてある商品が書かれている。
「じゃあ紅茶を一つお願いします」
「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」
そう言って店主さんは背を向け、お湯を沸かし始める。
特に私もすることがなく、少し静かな時間が続く。流石に見かねたのか、店主さんが私の方を向いた。
「こんな変な場所にある喫茶店、御来店頂いてありがとうございます。どうしてこんなところに? ……ああ、勿論失礼でなければですが」
凄くゆったりと、そして丁寧で綺麗な感じの言葉だった。
「あぁ、何となく散歩をしていたんです。今日は晴れてるし。あと元々友達と遊びに行く予定だったんですけど都合が合わなくなっちゃって暇だったのもありますかね」
笑い話のように話してみる。店主さんは微笑み返した。
「元々、どこに行く予定だったんですか? 二日連続休みですし、旅行とか?」
「そんなに大層でもないですよ。この辺りのデパートに買い物にでもと思って」
「この辺りと言いますと……、あの広いところですか。映画館とかもついてる」
「そうですね。まぁ買い物だけはあまり時間も潰れないので、行ったかもです」
「仲の良い友達がいらっしゃるんですね。なおさら、行けなくて残念でしょう」
他愛もない話を長々と続ける。会話にストレスがなく、とても好感だった。
「失礼ですが、お名前は?」
「私ですか? イトクリと言います」
「良い名前ですね。一応名乗っておくと、僕の名前はバレンタインです」
そう言ってまた笑いかけてきたバレンタインさん。
「お待たせしました、紅茶です。あとはお好みでどうぞ」
コトンと小気味いい音が響いた。
火傷しないように慎重に口をつける。流石喫茶店と言ったところか、家で淹れる物とは段違いの美味しさ。二口目、三口目とつい飲んでしまう。
「こちら、無料提供品のチョコレートです。合わせてどうぞ」
小さなチョコ何個かがまたテーブルに置かれる。
「良いんですか?」
「是非。お代は取りませんので」
一つの包み紙を取り、試しに食べてみる。程よい甘さが口に広がった。
「美味しいですね! ありがとうございます」
「いえいえ。お気になさらず」
ゆっくり紅茶を飲み、チョコレートを食べる。心地いい音楽も流れていて、自分がお洒落になったと何故か思えてしまう空間だった。
「すみません、紅茶をもう一杯お願いします」
「かしこまりました」
あまりに美味しくて、追加で頼んでしまう。
「この紅茶にはリラックス効果も含まれていて、悩みなども和らぐそうです。細かい理由は分からないですけど、是非味わってください」
「へぇ、道理で。とてもリラックスできます」
しばらくして、二杯目が出てきた。口をつけると、やはりとても良い味が広がる。
「ところで、悩みも和らぐそうですが。余計なことかもしれませんが、悩みとかあります?」
「悩みですか……、特にはないですかね。友達もいい人ばかりなので」
「……そうですか」
答えると、何故かバレンタインさんの顔が少し曇った。
「どうかしました?」
「ああ、いや……」
そう言うと彼は少し俯いて、口を開いた。
「……チョコレートって、昔は薬に使われていたそうですね。しかもとても苦かったとか」
「あ、聞いたことあります。今じゃこんなに甘いお菓子なのに」
するとバレンタインさんは、意を決したようにこっちを向いた。
「とても苦い話ですけど」
私は少したじろいで、彼の話を聞く。
「昔からそういうのが何故か分かるんです。貴女の友人のことですけど、今は君の別の友達と遊びに行ってるそうですよ」
「……はい?」
何を言ってるのか、さっぱり分からなかった。
「遊ぶのにイトクリさんが邪魔だったらしくて、約束してから反故にしたらしいです」
「……なんで、そんなこと分かるんですか?」
私の問いかけを無視して、バレンタインさんはカウンターの下からレコーダーを取り出し、私の目の前に置いた。
「再生してみてください」
再生するな、と私が頭の中で訴えかけている。
けど、私の震える指は迷わず『再生』と書かれたボタンを押していた。
ザザッと音がして、音声が流れる。
『いやー、イトクリの奴がいなかったらホント楽だよね〜』
『私アイツ嫌いなんだよね。面倒臭いし』
『これからは私たちだけで遊びにいこーよー』
そして、終了を示す音がブツッと鳴った。
「………………」
確かに、友達の声だ。私が今日一緒に遊びに行くはずだった。
とても仲良くしていた友達だった。親友って言っても良いくらいの友達だった。
立ち直れないほどに、とても残酷に、裏切られた気分だった。
「……イトクリさん、大丈夫ですか?」
「……これ、本物、ですか」
私は下を向きながら、そのレコーダーを指差した。
「こんなことで嘘はつきません」
じゃあ、本物ってことだ。
私は彼女たちに嫌われていたということだ。
「何で、私は嫌われてるんですか?」
「すみません、そこまでは分かりません。けど、事実です……」
心地いいと思ってた空間が、地獄のように感じられた。
……バレンタインさんが悪い、というわけでもない。むしろ彼は私のために聞かせてくれた、のだと思う。だからこそ、このやり場のない辛さが私の中で燻っていた。
「辛いと思うんですけど……」
そう言って彼は、また別のレコーダーを数個取り出した。
「……それは?」
「また別の、イトクリさんの周りの人の会話です。両親、友達、先生、その他色々……」
さらに、感情が堕ちていく感じがした。
「これも、本物なんですか」
バレンタインさんは黙って首を縦に振った。
「押してみてください」
また、再生ボタンがあった。
震えた指が近づいていく。だけど、止まった。もう聞きたくなかった。
「もう、嫌です」
「そうですか」
ザザッと音がした。
驚いて前を見ると、今度は彼がボタンを押していた。
「聞かなきゃダメなんです。貴女の為にも、絶対に」
最悪の気分だ。
もう、何もかも嫌だった。
私への罵詈を、皆の雑言を、聞くたびにどんどん堕ちていって。
この世界での自分の居場所が無くなった感じがした。
「どうですか」
彼の優しく丁寧な声も、酷く冷徹に感じられた。
そして、何も返せなかった。
「これが事実です。どうしますか」
「……じゃあ、どうしたらいいんですか」
自棄的に言葉をぶつけてみる。
「いっそ、死んでみたらどうでしょう」
「死ぬ……?」
深く考える余裕も、この時の私には無かった。
「ああ……。良いですね」
そのまま私は発作的に立ち上がった。
「そこのステージのところでいいですよ。丁度良い柱がありますので」
聞いているようで聞いていない、不思議な感覚。音が頭に直接響いて、そのまま素通りする。
操られたようにフラフラ歩いて、少し段差のあるステージに上がる。
お誂え向きの、まるでここでどうぞと言わんばかりのロープが、人の首が一人入るくらいの輪っかを作って吊るされていた。
お誂え向きの、まるでここに乗ってくださいと言わんばかりの椅子も、蹴ったら良い感じに宙に吊るされるくらいの高さで置いてあった。
「後のことは気にしないでください。僕が何とかしますので」
……今、何て言われたっけ。分かんないや。
靴を脱いで、椅子に乗る。
「ありがとう、ございます」
……今、何て喋ったっけ。分かんないや。
ロープの輪っかに、首を通す。
分かんなくて良いや。
「ああ、最後に一つ言い忘れてました」
何か言ってる。何と言ってるかは、頭が理解していない。
乗っていた椅子を、横に蹴り倒した。
「あの音声と話、全部嘘です」
…………え?
それが、私がこの世界で理解した最後の言葉だった。
「とても面白かったですよ、イトクリさん」
僕は数刻前まで人だった、今は吊られて揺れている物に声をかけた。
「滑稽でしたよ。良い塩梅に踊ってくれて」
……今年に入って、これで何人目だっけ。まぁ順調だな。
そういえば、僕の話をしてなかったですっけ。
僕は悪魔・教唆役のバレンタイン。普通に生きてる人に、死ぬ理由を贈ります。
それが嘘か本当は本人は知りませんし、そんなこと関係ありません。
だって、騙される方が悪いでしょ?
今僕の目の前にいるそこの貴方も。何にも関係ない誰かさんも。
紅茶やチョコレート、それと絶望と自殺の味を楽しみたい方は、御来店お待ちしております。
それでは、またお会いできると良いですね。
カランカランと、ベルの音が鳴った。
最上級 雪国匁 @by-jojo8128
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