メンズビデ
高黄森哉
恐怖、メンズビデ
「どこかで読んだ。スパイから情報を抜き出す術としての拷問で、一番、えげつないやりかたは眉間に水を垂らし続けることらしい。人間というのは案外、継続する絶妙に微妙な不快感には弱いそうな。ぽたりぽたり、神経を逆なでする点滴には誰も耐えられず、口を割ってしまうらしい」
「嘘っぽいな」
と俺は彼に伝えた。
「そういう情報を流して、スパイを捕まえたときに、情報を吐かせようとしているんじゃないか。捕まったスパイは、これが噂のあれか、と怯えてなんでもないのに、秘密をバラしちまうという寸法さ」
「いや、これが本当なんだ。俺の友達は大学生の時に、実際に実験したらしい。後輩を無理やり椅子に縛り付けての人体実験さ」
彼は眉間に皺を寄せる。食事中でも眉唾でグロテスクな話題を顔色一つ変えずに滔々と語る彼としては珍しいことだ。
「壊れちまったらしい。耐え切れない後輩の様子が可笑しくて可笑しくて、それでどこまで行けるか試したんだとさ。そしたら唐突に笑いだして。さすがにヤバいなって開放したんだ。したらどうなったと思う」
「さあな。お前の話でお決まりのパターンなら、黄色い救急車が来て連れ去られたんじゃないか」
「いや、そいつは自分の男性器を切断して食べ始めたんだ。どう思う」
正直に言うと勃起していた。自分の中にあるサディズムは、どうも男性に向いているらしい。俺が異性愛者にも関わらずだ。これは男として、他の男を恋愛競争から脱落させようとする、邪悪な闘争本能なのだろうか。
「お前の話としてはオチにパンチがないな」
「そうだろう。なぜなら、それは俺の創作ではないからだ」
「お手洗いに行ってくるよ」
「気をつけろよ」
彼は言った。俺は、どうして雉撃ちに行くのに気をつけなければならないのか不可解で、苦笑する。たかが放尿するだけじゃないか。健康かつ健全な行為ではないか。彼の意味ありげな、まったく意味のない、ただし、それらしい忠告は、至極真っ当で極めて日常な行為に、大袈裟な緊張と余分な興味のスパイスを振りかける。
〇 〇
△ ▽
「
男用トイレは満員だった。だから、男女共用のお手洗いを使わせてもらうことにした。俺は小便でも座ってする派閥ではないが、排尿するなら絶対に小便器がいいというこだわりはない。様式便座しかない厠でも問題はなかった。
俺はまず膀胱を締め付けるベルトを外した。金属音が耳朶に響く。それだけで苦しさが紛れるようだが、だからといって、ここで帰るのは人として変だ。俺は用を足しに来たのである。
次にズボンを下ろす。ズボンと一緒にパンツまで降ろしてしまう。もちろん、ここでのパンツとは、ズボンではない。下着としてのパンツである。なにを言っているのか分からない人がいるかもしれない。実は世の中では、ズボンをパンツと呼ぶことがあるのだ。これを知らないと恥をかくことになるだろう。俺の友達なんか ………………、この話は今は止めておこう。
そして着座する。俺は小便器でなければ、わざわざ立位で放尿する必要はないと考える。勿論、ホースから飛び出る尿の角度や量は人それぞれであり、だから座位では都合が悪い男も世の中にはいるのかもしれないが、そういった特殊な理由がない限りは、着座して用を足すべきだろう。なぜなら飛び散るからだ。どういうことかというと、先を潰したホースを想像して欲しい。
ところで、用を足す様子を淡々と聞きたいであろうか。
聞きたい奴もいるのかもしれない。例えば女性にとって、男性の排尿とは未開の世界であり、絶対に一人称で触れる機会はないはずである。とすれば、異性ならば聞きたがるのかもしれない。だが、これを聞いている奴は百パーセント同性なので、滔々と解説することは取り敢えず止めておこうと思う。すでに知ってることを説明するのは不毛じゃないか。
だから、俺はカクカクシカジカあって、排尿を済ませたのである。いざ水を流すぞ、と思ってボタンを選ぶ。最近の便座は実に多機能だ。例えば、用を足していることをわざわざ外界の人間に伝えるための変態向け流水音や、低温やけどの危険がある殺人温水便座、そして特殊な自慰行為を目的に設計されたビデ、実にたくさんの機能を備えている。
俺は思った。このビデを使用したら、自分は気が狂うんじゃないか。そんな行動に走る人間は既に狂気に冒されているという指摘はともかく、例えばまともな人間がこれを間違って押せば、知り合いが話していたような原理で、人は狂ってしまうのではないか。
ビデは人間の雄の場合、会陰部に噴射される。男性で言う会陰とは、陰茎部付け根、俗にいう蟻の門渡である。ある文献[1]によるとその場所は、少なくとも眉間よりも敏感な神経が密集しているらしい。そんな場所に、水を直撃されたら、短期間で廃人になってしまう。
俺は押した。俺の知人の話がオカルトだと証明したかったからである。まやかしなんか信じるものか。非科学め。昔から暗示にはかからない人間だった。小学校時代に来た、メンタリストを舞台で泣かせたこともあるくらい、俺は圧力に対して鈍感なのだ。俺はビデを押した。
耐えることの出来たのは最初の一秒だけだった。次の瞬間には強烈な不快感が襲ってきた。根源的不快だ。その部分の皮膚が冷たく、まるで神経が通っていないかのような感触へ変化する。にもかかわらず、水のほとばしりが、ずきずきと脳みそへ信号を伝達していた。
俺はたまらずビデをオフにようとした。しかし、ビデは片道切符だった。ボタンを押しても狂気の直噴は停止しない。さらにいうと、効果時間が重複する使用になっているらしく、俺は三回押したので、あと三回この地獄を耐えなければならなくなった。自業自得とはいえ気が狂いそうだ。
だが、俺はやり遂げたのである。狂気の縁の一歩手前で、持ちこたえたのだ。
」
〇 〇
△ ▽
「それで」
「それで終りさ」
俺はお手洗いの一部始終を伝えた。
「お前の話としてはパンチがないな」
「そりゃもちろん創作だからな」
当たり前だ。だいいち、眉間に水を垂らし続けるくらいで人が狂ってたまるものか。嘘だと思うなら試してみればいい、恐怖、メンズビデ。俺は、まだ
メンズビデ 高黄森哉 @kamikawa2001
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます