雪柳
西しまこ
第1話
庭の雪柳が揺れて、私を手招きした。今、雪柳は満開で、白い小さな花を枝いっぱいにつけて誇らしそうにしている。私は雪柳の手招きに誘われて庭に出た。
白い雪柳の下に、小さな黒猫がいた。
「どうしたの? 迷子?」
黒猫は私の顔をじっと見て、それからすいと庭を横切って行ってしまった。
「待って!」
私はなぜだか黒猫を追わなくてはいけないような気持ちになって、追いかけた。
庭の隅の暗がりで、黒猫を見失ってしまった。
どこかの飼い猫がお散歩していたのかな? 初めて見る猫だったけれど。
あ。あんなところにも雪柳、植えたかしら?
庭の奥に白いものが見えた。
よく見たら、白い服を着た、小さな女の子だった。
「あなた、どうしたの? お母さんは?」
私はそっと手を差し出し、その子の頭を撫でた。黒髪は肩のところで切り揃えられ、揺れていた。幼稚園に入る前くらいの子どもに見えた。
女の子は私の顔をじっと見た。私の顔を確かめるように。
「あのね、ごあいさつにきたの」
「あいさつ?」
「うん。あたし、もうすぐ べつのところにいくから」
女の子は私の胸にすとんと顔をつけてきた。
「あのね。ずっとありがとう」
女の子はすっといなくなった。
ひらひらっと白い雪柳の花が舞ったような気がした。
「ママ?」
庭に面したガラス戸が開き、豊が私を呼んだ。
「豊」
「ママ、どうしたの? 何かいたの?」
「うん。黒猫が」
「ねこちゃんがいたの⁉」
豊が裸足のまま、庭に下りようとしたので、抱きとめた。
豊を抱っこしたまま、庭に行く。重くなったな。もう長い時間は抱いていられない。
「黒猫はね、あっちに行ってしまったの」
「そっかあ。ボク、ねこちゃん、見たかったな」
「うん、そうね。……それからね」
「……ママ?」
たぶん、あなたの妹が。妹の雪が、さよならを言いに来たの。
お腹の中で、消えてしまった命。私は悲しくて悲しくて、毎日泣いていた。エコーの写真を見て泣いていたら、そんなに泣いていたらいけなくなるよ、と夫に言われて、更に悲しくなった。お腹の中で命がなくなることはよくあることだ、と言われても、わたしは名前をつけて、この腕に抱くのをとてもとても楽しみにしていたのだ。
わたしは豊を抱きなおし、抱く手に力を込めた。この重みとあたたかさを大切にしよう。
そして、何年もここにいてくれたあなた。ありがとう。ほんとうにありがとう。
今度は誰かの腕に、ちゃんと抱きしめられますように。
雪柳が風に揺れていた。まるでさようならと言っているように。
了
一話完結です。
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雪柳 西しまこ @nishi-shima
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