英雄の里

渡貫とゐち

英雄の里のブランド

 英雄の里。


 そこは自然と一体化した、『教育機関』である。


 都市部からだいぶ離れていることで、里以外の人間との接近も満足にできない。

 周囲に立つ山々は、人の脚力では踏破できない過酷な道のりになっている。


 棲息している野生生物も巨大であり、もしくは小さく弱く見えても強力な猛毒を持っていたりと、否が応でも『実力』をつけなければ、里から抜け出すこともできない環境である。


 都市部と里を行き来できるのは手練れのみだ。


 里の外から仕入れるものについては、この里で鍛えられた飛脚に頼ることになるのが実情だった……――そして今日も、『卒業生』が山を越えていくことになる。



「貴様たちは里での履修、全行程を終了した。もう教えることはない――卒業である」


 鉄で作られた竹刀を地面に突き立てる教師(……竹刀?)が、腹の底から声を出した。


「――座学で学んだ道徳っ、実戦形式で会得した戦闘技術っ――……これらがあれば、貴様たちは外の世界でもやっていけるだろう……、この山を越えることができれば、だがなッッ」


 卒業後の進路は生徒による。


 里に残り、教育方面に足を伸ばす者がいれば、山を越えた先の都市部に向かう者もいる。

『英雄の里』と認知されているため、卒業生という学歴を持っていれば、なにをするにしても有利に働く……

 その学歴で職種が限られてしまうこともあるが、稼ぐことに困らない立場ではあるだろう。


 英雄の里・出身でも、夢を持つのは自由だ。

 目指すのだって――、『英雄』という立場に縛られる必要はない。


(……授業で散々、洗脳めいたことをしておきながら、自由に夢を追っていい、なんてさ……よくもまあその口が回るよな)


 脳に刻まれた道徳の授業。


 人として『こうするべきだ』という常識を植え付けられている……

 当然、推奨であって、強制ではないのだが、英雄の里には絶対のルールがあった。


 それは『殺人』や『窃盗』に匹敵する、『英雄』がゆえのルールだった。




 ――数多の色で染められた、眩しい都市部だった。


 英雄の里・出身の青年——諸星もろぼしカケルは、未だに慣れない光の量に、夜はまぶたを完全に上げることができていない。


 テナントビルの看板の上から、薄目で周囲を観察する。


 圧倒される光量の下でも、『犯罪』を起こす者が多いのが、都市部である。

 目を光らせるべきは、意外と光のない裏道よりも駅前だったりする――今日もまた。


 若い女性のカバンが、後ろから現れた男性に奪われた。


 ひったくりである。



「きゃっ!? ちょっ――ひったくりですッ、誰か捕まえて!!」


 しかし、彼女の声は周囲には届いていなかった。


 大音量の画面広告、音程が合っていない路上ミュージシャンの歌声、客引きのための宣伝メガホンの声が、彼女の存在を上書きしてしまっている。


 音がダメなら目で見た者が反応するかと思えば、全員が見て見ぬ振りだ。

 いや、スマホを片手に、ちらりと周囲を見ているだけなので、単純に気づいていないのだろう……、俯きがちな都市部の人間は、隣の女性がひったくりに遭っても気付けない。


 常駐している警官もいるが、遠いし、さすがに目で見て反応はできないだろう。


 警察官も、視線を下に落として気づいていない……。

 さすがにスマホではなく、仕事をしている様子だったが――


 直接、助けを求められなければ動けないのか。


(英雄の里・出身者が重宝されるわけだ……まともに機能していないじゃないか……!)


 指示があれば動くのだろう。

 だけど、指示がなければ、動かない。


 国民を救うことだけが仕事でないことは分かっているが……、最優先は命を守ることだろう? 


 もしも今回の犯罪がひったくりでなく、刃物を持った男に後ろから刺されていたら……――第二、第三の被害者が出ていた可能性もある。

 目を光らせていれば救えた命を、見逃しているところだった。


 ひったくりであることに感謝だ。

 ……犯罪行為に感謝をするのは大間違いなのだけど。



 夜――、しかし過剰な光量によって、諸星カケルの姿は丸見えだ。


 里の周囲の山であれば、闇に溶け込む全身真っ黒な姿であるが、都市部では意味がなかった。

 モダンファッションよりもよっぽど浮いている……、逆に注目されてしまいそうな戦闘服だ。


(幸い、注目するべき対象が多いためか、オレの姿が見えていても、目を引くほどじゃないのかもな……)


 中には、『黒衣の人間が看板を飛び移っている』光景を見て気づく者もいるが、「あ」と声を上げても、手元で受信したメッセージの方が興味を引くのか、上げた視線をすぐに下へ戻している。おかげで諸星カケルの姿が見られて騒がれるということもなかった。


(……ひったくりの声が届かないなら、騒がれたところで周囲の大音量にかき消されるだけだろうけど――)


 黒いマスクの下でそう呟いている間にも、ひったくりの犯人の真上まで辿り着いていた。

 男の頭の上に乗る。


 体重という負荷がかかるまで、時間差があった。

 ぐっ、と重さを感じた男が、急にのしかかった重さに耐えられずに派手に転ぶ。


 握り締めていた女性のカバンが地面を滑る。

 中身は……こぼれていない。カバンを回収し、振り返ると、


「この野郎ッッ!!」


 犯人の男が殴りかかってきていた。

 遅い。


 受け止めるまでもない。最小限の移動で拳を回避する。


 勢いがつき過ぎて前のめりにバランスを崩した男が、頭を差し出すように地面に倒れ――

 諸星カケルが足を上げ、男の後頭部に踵落としを浴びせた。


 軽い一撃だった。


 が、的確な位置と威力で、脳震盪を引き起こす。


 男はそのままうつ伏せで倒れた。


 諸星カケルは男の体を片手で持ち上げ、肩に担ぐ。

 成人男性でもまったく重く感じないのは、これよりも重たいものを授業で持ち上げさせられたからだ――、娯楽がない里では、鍛錬こそが唯一の娯楽だった。


 比べて、都市部の人間は圧倒的に弱いと感じていたが……、これほど娯楽が溢れていれば、体を鍛えたりはしないか……と納得である。


 諸星カケルの場合、野生生物からの自衛手段という側面もあるので、鍛えないと冗談ではなく殺されてしまう可能性がある。

 都市部の犯罪の多さを考えれば、条件は似たようなものだとも思えるが、都市部の人間は全員が他人事なのだろう……。


 確かに犯罪は毎日、起こっているけれど、自分に降りかかるものではない、と。


 苦しんでまで体を鍛える気がないのは、そういう危機感のなさが原因か――。



「あの、ありがとうございます……」


 ひったくりに遭った女性が、諸星カケルに追いついた。


 息を切らしている彼女は、走りにくそうな格好だった……、

 絵本の中で見た、お姫様のドレスに近い、けど……本物のお姫様ではないだろう。


 お姫様がこんな場所を歩いているわけがない。


「これ、カバン……、中身が足りなかったら言ってくれ」


「はい…………大丈夫です、なくなっているものは、ありません――」


「そうか……じゃあ、オレはこれで」


 軽く手を上げて立ち去ろうとする諸星を呼び止める女性。


 彼女が「本当にっ、ありがとうございました!」と頭を下げた。


「気にしなくていい。……こっちもやりたくてやってるわけじゃなくて……――ああいや、いらないことを言った。忘れてくれ。

 困っている人がいたから助けた……オレは『英雄の里』の人間だから」


 これ以上の失言を回避するため、諸星は都市の過剰な光を利用して姿を眩ませる。


 注目するべき対象が多いと、視線誘導がしやすい。




「ん?」

 ひったくりの犯人を交番の前に置き去りにして――


 諸星はテナントビルの看板を伝って屋上へ。

 ……今日も人助けをした……誰かに監視されているわけでもないのに(……隠れて見られている可能性もあるため、しない選択肢はない)、こうして人助けをしてしまうのは、英雄の里でしつこく受けた授業という名の洗脳のせいか。


 困っている人がいたら助けろ……、英雄の里の『ブランド』を守るためである。


「人助けなんてしたくもないけど……仕方ないんだよなあ」



 英雄の里、である。


 それは『殺人』や『窃盗』に匹敵する、非人道的な犯罪になってしまうのだ。


 だから英雄の里・出身者は、人を助けている。



』……であれば、嫌々でも助けるだろう。


 諸星カケルが助けたかったのは、困っている人ではなく、罰を受ける自分自身である。



「誰か、英雄の里のしきたりを、ぶっ壊してくれないかな……

 ――そういう『英雄』が、現れてくれないもんかねえ……」



 ―― 完 ――

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