君が好きだと言ってくれたから

トム

キミが好きだと言ってくれたから。




 ――吾は高貴である、高慢ではない。孤高にして至高、染まることなく、染めるものなく……。


 口にするは尊大にして、至言。無駄を嫌い、装飾せず、ただ足るを知る。故に多くを語ることはない。


 日当たりの良いテラス窓の側で、お気に入りのソファに一人寛ぐ。窓は開け放たれており、レースのカーテンが偶に吹き込んでくるそよ風を巻き込み、一段勢いを下げて室内の空気を清浄にしてくれる。

 そんな五月晴れの気怠い午後、外には鳥が囀っているが気にもとめず、吾は大きく口を開けて忙しなく部屋の掃除をしている同居人を眺めた後、惰眠の続きを再開する。遠くの方でゴウンゴウンと喧しい鉄の塊が喚いているが、あ奴はあの場から動くことはできない。同居人が手に持つ機械は轟々と息を吸い、侮ることは出来ないが、吾にその口を向けなければどうと言うことはない。


「……ふぅ。毎日毎日残業続きで疲れているのに、たまの休みはこうして家事で潰れる……。24にもなって男も出来ず、着古したジャージで部屋の掃除って、哀しいなぁ」


 気持ちよく微睡んでいると、同居人はそんな愚痴をこぼしながら、煩い機械を止めて、隣のソファにへたり込む。


 ――またその愚痴か。その言葉を聞くようになってもう何年だ? この家に越して、かれこれ何年になる? 休みのたびにそんな事をブツブツと……。嫌なら外に出て盛ってくれば良いであろう。


 そんな事を頭で思いながら、片目を開けてそちらを見やると、向こうも何か言いたげに、視線の高さを合わせてこちらをじっと見つめていた。


「……マロちゃん、私の癒やし。ねぇ、マロちゃんが彼氏だったら最高だよ~」


 そんな事をほざきながら、コイツは突然その顔を、吾の背に擦り付け、スーハースーハーと深呼吸する。……正直言って鬱陶しい。しかし、鬱陶しいと言ってその場を離れると、後がもっとめんどくさい。抱きつかれ、腹側に顔を埋められると、頑として動かなくなってしまうのだ。


 故に吾はどんなに高貴で孤高であろうとも、何も言わず、ただされるがままにさせてやる。


「はぁ~。マロちゃんの匂い、お日様の匂いがする~。癒やされるわ~。マロちゃん大好き~」


 ……これもまた休みの日の彼女の日課なのである。


 ――そう、吾は猫である。この娘の家に引き取られたのは既にはるか昔のこと。


 吾は生まれてすぐ何匹かの兄弟とともにダンボールに詰められ、荷物のように河川敷へと捨てられた。兄弟たちは好奇心旺盛で、すぐにダンボールを飛び出すと、あてのない旅へと我先にといってしまった。体が弱っていた吾は、その高さを超えることが出来ず、ただ声を上げて泣いていた。そこを偶々この娘が母と通りがかり、連れ帰ってくれたのだ。娘は当時よちよち歩きでよく転んでいたが、吾をむんずと羽交い締め、母に向かって言い放つ。


「ママ! ニャー! ニャー! お家連れてって良い? このままじゃ可哀そう!」


 目やにだらけで痩せ細り、声を荒らげても掠れてしまう。腹は減りすぎて感覚はなく、既にボーっとしていた吾を、彼女の母は最初、怪訝な顔で見つめたが、娘が泣きそうになりながらも訴えてくれたお陰か、そのまま病院へと運び込まれた。


「……あら、この子真っ白だったのね。……でもこれ、眉毛? あ! マロ! マロマユ! あはは、可愛いねぇ」


 動物病院で診察を受け、痛い注射を打たれた。しかし体は衰弱しきっていたために、言うことを聞かず、力なく抵抗の声を上げるだけ。目やに掃除と一緒に体を洗ってもらうと、初めて自分の生まれたばかりの姿にやっと戻れた。栄養が足りていないため、身体は細いままだったが、毛は白く輝き、両の目の上にはくっきりと凛々しい丸い眉が付いていた。


「マロ? この子のお名前マロちゃん?」


 看護師達がそのあまりにはっきりした眉に声を出して笑っていると、娘がそう言って名前と勘違いして聞いていたが、吾の顔を見た途端、彼女以外が同時に大声ではっきりそう言った。


「「マロだ!」」


◆◆◆


 ――アレから幾歳過ぎたのだろう。娘は少女から女性へとその身なりを変え、一度は離れ離れとなった。大学というものに行くため、一人暮らしをするために……。既に老猫となった吾にはそれに付き従える体力はもう残っていなかった。だからもう、彼女と会うこともないと考えていたのだが。


「マロを連れていくの?」


 それは彼女が短大を卒業し、晴れて実家近くに就職した時だった。近いとは言っても同じ県と言うだけで、電車で小1時間は掛かる。その為彼女はアパートを借り、そこでひとり暮らしを始めた。


「……もう、マロも大分おじいちゃんだもん。最期くらいは私がちゃんと面倒見てあげたいの」

「なら実家に戻ればよかったじゃない」

「それはダメ。私が甘えちゃうから」


 何があったのかは知らない。だがその夜、彼女はベッドで一人声を殺して泣いていた。重くなった身体をなんとか四肢で支えると、彼女のベッドに潜り込む。


「……マロ。グスっ、私、フラレちゃったよ。マロはずっと一緒に居てくれるよね。ねぇ……まろ……」


 娘の言葉は解らない……が、彼女の頬に水が流れると、何故か吾も不安になった。何も応えることは出来ないが、今はせめて共に寝てやろう。



◆◆◆



 やがてその日は訪れる――。


 生有るものには平等に。


 今生との別れがやって来る。


 既に目は見えず、呼吸も浅い。口すら閉じることもできなくなっており、手足を偶にずらすだけ。声を上げることも叶わず、ただその時を待っている。


「マロちゃん、いい子だったね。もう良いんだよ無理しなくても。ゆっくり休んでいいんだよぉ……」


 直ぐ側で涙声で鼻を啜りながら、娘がずっと体を撫でてくれる。娘の両親も駆けつけたのか、見えはしないが声は聞こえる。


 ――あぁ、吾は幸せものだ。生きたいように生き、好きなカリカリやぺろぺろ舐める美味しいおやつもたらふく食った。チョロチョロ動く紐のおもちゃやケリグルミ。それらがたくさんそばに置かれている。だからもう泣かないで良い。


 娘よ、君が好きだと言ってくれたから、吾はこんなに永く生きられたのだ。


 あの時キミが拾ってくれたから、吾は高貴でいられるのだ。孤高ではあったけれど、高慢にならずに済んだのは、キミが常にそばに居てくれたからだ。


 ありがとう。最期の最期までそばに居てくれて。


 愛しきわが最愛の主人。吾は最期まで貴女の傍で生きられて充分事足りました。せめてそれを言葉にしましょう。


 多くを語る必要もない。これが、吾の貴女への最大の敬意を込めた言葉です。



 ――にゃぁー。



完。


 

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