交差点の怪人

差掛篤

第一話

S市にはとある交差点があった。


単純な四差路交差点だ。

だが、事故の頻発する危険な交差点だった。


信号もなく、一時停止規制もないのでやたらと車が飛び込み、事故が多発。

通行人が巻き込まれる事故もあり、近隣でも危険な交差点だと噂になっていた。


その交差点の角には、廃墟のような小屋があった。


一見して、古びたトタン張りの家屋であった。

とても人の住むような家には見えず、誰もが廃屋だと思っていた。


だが、奇妙な噂が広まっていた。


交通事故の直前、その廃屋の窓から、薄気味悪い男が顔を出している…というのだ。


事故に合う人々は口々に言う。 


「事故直前、廃屋の窓に気味悪い男が見えた。その男に脇見してしまい、事故を起こしてしまった」と。


通行人は「廃屋には怪人が住んでいる」と言い始め、更に噂は広まった。


そして、廃屋の男のことを「交差点の怪人」と呼ぶようになった。


住民たちは気味悪がり、さらには事故を減らすためにも何とかしてほしいと地元の警察へ相談した。


ーーーーーーー


「標識や信号と言っても、すぐには無理ですよ。やはり県から予算が降りないことには」


警察の窓口担当者はそんな様子で、梨のつぶてだった。


また、「怪人」に関しては


「何か犯罪をしてるなら…捕まえることもできますがね。犯罪もせず、窓から顔を出すだけの男を捕まえることなんて無理ですよ」


との事だった。


だが、住民や自治会は食い下がった。

こんな危険な交差点を放置しては、いつか大事が起きる…ひいては、警察の取締り姿勢も問われることになると。


警察は、渋々、二人の警官を怪人の住む廃屋へ派遣することにした。


駐在所のA巡査と、交通課のB巡査だった。


二人は、念のため「独居者への様子伺い」という体で、不審な事はないか見てこいと命じられた。


つまるところ、警察幹部も「住民の要望に応えた」という形が欲しかっただけで、二人を派遣した。

「警察は何もしてくれない」というクレームを先んじて防ごうというワケだ。


「確かに事故は多いんですよ。ここは」交通課のB巡査が言う。


A巡査とB巡査は、例の交差点をに立ち、道路を眺めていた。


「私も何度か来たことがありますよ。事故の通報でね。早い所、信号でも付けるといいのに」駐在所のA巡査が言う。


「標識や信号を付けるのって、時間がかかるらしいんですよ。お金もかかりますからね。維持費だってばかにならない。ほら、最近は点滅信号も減ってるでしょう。あれも老朽化と予算の都合ですよ」とB巡査。


二人は廃屋を見やる。


赤茶けてサビの浮いたトタン。

苔むした屋根、ツタが這い上がる雨樋…

飴細工を思わせる薄さのガラス窓…地震でも起きれば割れ散るに違いない。


廃屋だと言われても疑わないだろう。


「まあ、いいや。とりあえず、その『怪人』と話しましょうか。」A巡査はそう言って、歩き始めた。


その時だった。


廃屋の薄窓が突然開いた。


二人の警官はゾッとした。


開いた窓から、まるで亡霊を思わせるような老人が顔を出したのだ。


痩せ細り、頬もコケ、まるでしゃれこうべに顔の皮を張り付けたような顔だった。


落ちくぼんだ目には生気がなく、白いビリヤードの手玉のような眼球が…虚ろに交差点を睨んでいた。


二人の警官は、目の当たりにした怪人の顔に呆気にとられていた…。


その瞬間、悲鳴のようなスキール音が響き、重い鉄の塊が激しくぶつかり合う轟音が鳴った。


眼の前の、この交差点で、バイクと車が激しく激突したのだった。


バイクの乗員は宙を飛び、アスファルトへ叩きつけられた。


ヘルメットは消し飛び、手足はあらぬ方向へ曲がり、血にまみれたバイカーは意識を失っていた。


「人身事故だ!救急の手配を!」B巡査はバイカーのもとへ駆け出した。


A巡査はすぐに無線を取り出す。


一刻も早く救急を呼ばなくては。


その時、A巡査は一瞬廃屋の方を見た。



薄窓は閉まり、そこにいた怪人の姿はなかった。





二人の巡査は確かに怪人を見た。


怪人が現れ、事故が起きた。


警官達は怪人と呼ばれる男が脇見を誘発したと、事故処理の応援が来てから家を訪ねた。


男は事故の目撃もしているかもしれない。


だが、ドアを激しくノックしたり、大声で呼びかけるが誰も出てこなかった。 


だが、事故を誘発したというのもA巡査達の心象に過ぎない。


怪人は窓から顔を出しただけだ。


意図的に妨害したり、注意を引こうとしたと断定するまでには至らない。


やむなく両巡査は引き上げた。



報告を聞いた幹部は鼻で笑った。

「なんだ、年寄が住んでたのか。まあいい。そもそも事故を、通行人の責任にする当事者がおかしいのだ。ほっとけ、出来ることはした」


そんな態度だった。


だが、A巡査とB巡査は怪人が気になって仕方なかった。


断言はできないが、どうも嫌な感じがする。


タイミングや、あの顔の不気味さからしても、事故を誘発させようとしたようにしか見えないのだ。



二人は勤務の合間を縫って、張り込みをすることにした。


A巡査は怪人の家の窓の下に隠れた。

B巡査は私服で交差点に立ち、事故を起こしそうな車が接近すると、A巡査の方へ目配せした。


それが合図だ。


そうして2週間ほどたち、段々とバカバカしくなって「そろそろやめようか」と話した矢先だった。


絶妙なタイミングで、乗用車同士が交差点に接近。


B巡査が目配せする。

「これはお互い止まらず衝突しそうだ」


A巡査は身をかがめた。


そして、交差点に乗用車が入ろうとしたとき…


ガラリと窓が開き、怪人が不気味な顔を出した。


A巡査は、一気に跳躍して、怪人の胸ぐらを掴むと、窓から引きずり降ろした。


すぐ後ろでは、交差点で車同士が衝突する音が聞こえた。


そして、B巡査の悲鳴が聞こえた。





3


B巡査は、事故を起こし制御を失った車に撥ねられた。


まるで人形のように、車の表面を転がって、アスファルトに倒れるB巡査。


車の窓ガラスは蜘蛛の巣のように割れ、B巡査は血に染まって意識を失っていた。


A巡査は、片手で携帯電話で救急を呼んだ。

そして、もう一方の手は引きずり降ろした怪人を掴んで離さなかった。 


この男の巻き起こした事故でB巡査は巻き込まれたのだ。逃がすものかと思っていた。


怪人はげっそりとした壮年の小男で、小刻みに震えながら呆然と立っていた。


幽霊のような、生気のない痩せた男だった。


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B巡査は救急で運ばれた。

事故処理が終わった。


幸いと言うべきか、大けがしたのはB巡査だけだった。


A巡査を始め、警官たちは怪人を取り囲んで詰め寄った。


「通行人を驚かせて事故を誘発させただろうが!」A巡査が怒鳴りつける。


「なんのことか…さっぱりです。やめてください、大きな声を出すのは」

怪人は蚊の鳴くような声で答えた。


「事故を起こす前、お前が窓から顔を出して、通行人を驚かせていると噂になっている。お前にわき見して事故を起こしたというドライバーも沢山いるんだ」

A巡査が捲し立てる。


勢いよくA巡査が詰め寄るので、ほかの警官が制止したほどだ。

目の前でB巡査がはねられたことで興奮しているのかもしれない。


「待ってください」怪人が答えた。「事故が起こるのは確かに、よく見ます。私だってこの交差点は恐ろしいのです。窓から顔を出すたびに、事故が起きるのですから」


「お前が脅かすからだ」


「いいえ。私は脅かしてなんかいません。何気なく窓の外を見たり、陽の光に当たろうとするだけです」怪人は言い張った。「それとも、窓を開けてはいけないという法律でもあるんですか。私は脅かしてない。何も声も発していない」


「‥‥」A巡査は押し黙った。確かに、男は病的で幽霊とも見える顔貌である。だが、男の言うように男は積極的に脅かしたりしていない。声すら発してない。


「それに、大前提ですが」怪人は、険しい顔をしてA巡査をにらんだ。「そもそも、運転中にわき見する人が悪いでしょうが」


何も言えなかった。

男が積極的に通行車両を驚かせている事実がない限り、男の責任とは言い難い。


むしろ非難されるべきは、前方注視を欠いたドライバーたちなのだ。



怪人と呼ばれた男は、ぶつくさと文句を言いながら、交差点の廃墟へ帰っていった。


「おい!」現場にやってきた幹部の怒鳴り声が響く「A!勝手なことしてくれたな!これは有責苦情になるぞ!」


A巡査は、血に染まったアスファルトを茫然と眺めていた。









B巡査は一命をとりとめたものの、しばらくは入院で意識も混濁状態であるとのことだった。


A巡査から一部始終を聞いた幹部は「わかった。お前がはやとちりして、独居老人を引きずり出したってことだけは確かだな」とだけ言った。



A巡査は、やり場のない怒りと自分のふがいなさを感じていた。

B巡査を守れず、ケガをさせたのは、やはり「怪人」にしてやられたからだ。


そう考えた。


それから、A巡査は、周囲に心配されるほど、怪人の監視にのめり込んだ。


非番の日は、ひたすら望遠カメラ等を使って、男の窓をチェックした。


来る日も来る日も、怪人の家を隠れて見張り続けたのだ。



ある日、また事故が起きた。

その時も、男が窓から顔を出した時だった。


A巡査は、駆け付けない自分の立場に罪悪感を覚えつつも、男の窓を監視した。


男が窓から顔を引っ込めた瞬間、黒いビデオカメラのようなものがちらと見えた。



A巡査は、家にその映像を持ち帰り、何度も確認した。


確かに三脚に設置された黒い箱型のハンディビデオカメラのようだった。


不吉な予感がして、A巡査はインターネットで検索をした。


自分で撮影した交通事故の写真をもとに、画像検索をかけた。


すると、事故の模様と言うより、当該交差点の背景が似通っていたからだろう。


あるWebサイトの画像が、全く同じ例の交差点が映っていたのだった。


そのサイトは「事故愛好家写真館」というウェブサイトだった。



例の交差点で、交通事故の壊れた車両の写真が載せられている。

そして、顔をモザイク処理された事故の犠牲者の写真が載っていた。


中には、血に濡れたB巡査の写真があった。


その写真には、倒錯的な解説文が添えられていた。


「交通安全の熱意か、はたまた点数稼ぎか…交差点の角に立ち、道路を見守る私服警官。事故は誰にも差別しない。それは警官であっても。車体に撫でられ、血塗られた彼の目には何が映る。無念と悔しさ、誇りと使命感がないまぜになったその表情、意識を失うその姿…血塗られたアスファルトに残るのは、我ら愛好家の熱を帯びたまなざしだけ」


どう考えても事故直後路上に倒れていたB巡査を撮影できるのは「怪人」しかいない。

奴は引きずりだされたが、三脚でビデオ撮影していたのだろう。



A巡査は、それを見た時、怒りが頂点に達した。


飲んでいたビールの缶をモニターに叩きつけた。


絶対に許さない。

あの変態野郎。


A巡査は怒りと共に、怪人を追い込むため、その画面をキャプチャした。



A巡査が、それら証拠写真を撮り、幹部に報告した。


そこからはスムースだった。


幹部もさすがに、受傷した警官の写真を気味の悪い趣味に使われていたと知るといきり立った。


男の家に家宅捜索することとなったのだ。






家宅捜索したところ、男の家は薄汚い家だった。


気味の悪い事に、交通事故でけがをして倒れた人間の写真が壁一面に貼付してあった。


苦痛に歪む顔、気を失う顔、血に染まった体、いびつに曲がった手足‥‥


見るに堪えない写真が、壁一面を覆っていた。


パソコンは高性能のものを使っており、ハードディスクやクラウドから、この交差点の事故写真が大量に出てきた。


文書ソフトには、倒錯的な文章の下書きが発見された。


男のwebサイト管理画面も確認された。


やはり男は、交通事故を誘発し撮影して、楽しんでいたのだろう。


「これはなんだ」捜査官の問いかけ。


男は答えた。

「事故が多いんでね。私の家の前は。単なる趣味ですよ、性的趣向です」



男は逮捕された。


当該自治体の迷惑防止条例は、いわゆる「盗撮」のような破廉恥罪よりも適用の範囲が広く、みだりに他者の容貌を撮影することも処罰の対象であったのだ。



だが、男はすぐに釈放された。


有能な弁護士を雇い抗弁した。


〇 窓から顔をのぞかせる行為は偶然であって、驚かせる意図はない。


〇 盗撮ではなく、自身の家の前で多発する交通事故を予防する、危険性を分析するという公益性の高い目的に基づいて撮影した。


〇 ウェブサイトは、衝撃的な内容で耳目を集め、これから事故を啓発するつもりだった。


そのように訴えた。



結局、写真にとられた者も誰一人、怪人とは関わりたくなく、被害を訴え出るものもいなかった。


男は処分を受けなかった。



留置所から出るとき、男はA巡査に言った。


「私の行いに、裁判所のお墨付きが出て嬉しいです。今度Bさんのお見舞いに行きますわ。ははは…」




男…つまり交差点の怪人に悲劇が起きたのは釈放されて数カ月後の事だった。


相変わらず、倒錯的な写真サイトは更新していたし、何ならカメラを持って飛び出してくるなど行動も過激になっていた。


そんな中ある事故が起きたのだ。



ある深夜、偶然にも当該交差点に、居眠り運転の大型トレーラー同士が接近した。


居眠りをしたトレーラー運転手が、奇しくもあの交差点にて邂逅したのだ。


車の接近する音を聞きつけたのか、怪人はいつものように窓から顔を出した。


だが、次の瞬間には、死の恐怖におびえる絶望の顔に変わっていた。



大型トレーラー同士は、激しく衝突した。


巨大な鉄の塊がぶつかり合い、コントロールを失ったそれらは、怪人の家へ突入した。


廃屋同然の家と、繊細な人体にとって大型トレーラーは殺戮巨大獣であった。


怪人の住む家は木っ端みじんとなった。


当然、怪人も例に漏れなかった。


ぼろのトタン、木の柱の欠片、窓ガラスに混じって、人体の一部らしきものも無数に散っていた。


おそらく、怪人が生きて目の当たりにしたら興味を引いていたであろう光景だった。



嗜虐者の背負いし業と言えるかもしれない。



交通事故を愛し、交通事故を誘発させていた倒錯の怪人は、こうして交通事故によってその人生に幕を閉じた。


一部始終はトレーラーのドライブレコーダーに撮影されていたのだった。



A巡査は、その映像を…特に怪人の最後の表情を見ながら、ほくそ笑んでいた。


そして、否定して抑えつけていた感情が湧き上がってきていた。


一連の怪人を追っていた時から感じていた妙な感情。


怪人を表面では非難しながら、心の奥底では嫉妬と羨望に狂っていた心。


ミイラ取りがミイラになることはよくある。


今、無惨な瓦礫と肉片と化した怪人の姿を見て、妙な気持の高ぶりをA巡査は感じていた。


ただ空虚な目で映像を見つめる。


だが、その息遣いは次第に荒くなっていっていた。

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